(51)推し倦怠期の憂鬱
かっぽかっぽとのんびりとした蹄の音が、晴天の下を横切っていく。
「なんかさぁ……最近ヒマじゃない?」
授業用の乗馬服に身を包んだリリアが、馬上で空を仰ぎながらぼやいた。実に余裕たっぷりなリラックスぶりだ。
「……あんたのヒマの基準はどうなってんのよ」
対し、同じく乗馬服姿で少々神経質に手綱を握りしめるカトリーヌに余裕はない。平均値の底辺に食らいついている程度の運動能力では、馬を走らせる道が多少でこぼこしているだけでもたいそう神経を使うのである。
……リリアの実感には一理ある。ヒルデガルトのトラブル潰しが功を奏したか、メア・キルナー騒動以降、学園内ではさしたるトラブルも起こらず、穏やかで単調な日々は飛ぶように過ぎていった。皆大過なく学年が一つ上がり、カトリーヌは卒業の年を迎えていた。
すなわち、ほぼ同級生で構成されている生徒会の面々は、書記の公爵子息を除いて全員が最終学年となったわけだ。通常ならば引退も有力な選択肢だが、今代の生徒会長が学内唯一の王族であることを考えると、学園内とはいえ最高権力を他の誰かに手渡すというのは、若干体裁がよろしくない。
形式的に行われた生徒会選挙は当然の如く、大半の生徒が第二王子アウレリウスの会長続投を望む結果を示した。昼行灯然とした態度は学内でも有名だが、彼の統治に目立った功績はなくとも大きな不備も不満もないので、その実績に王家の権威と本人の知名度が乗っかって、民意は自然と大きな流れに流されていったわけである。
他の役員は生徒会長の胸三寸で指名できるものの、概ね同じメンバーで続けるのが通例でもある。「卒業後の進路に備えて忙しくなるため生徒会にまで手が回らない」といった事情があるなら別だが、該当するのは留学予定である会計の宰相子息ぐらいのもの。そのルペルトでさえ生徒会業務を兼任できるだけの余裕が十分にあると豪語している。事実、ピンポイントな行事(学園祭とか学園祭とか学園祭とか)以外は有閑執行部に違いないのだから当然か。
結局のところ現状の体制を組み替える意義は薄いとの判断で、全員が役職据え置きのまま続投と相成ったわけである。「これも『オトメゲー』に都合の良い『設定』ですわねぇ~」と麗しい笑顔で皮肉を放言するヒルデガルトの通常運転ぶりに、もはやカトリーヌは驚きも呆れもしない。
とはいえ年長者が幅を利かせすぎては次の世代にバトンを渡せない。そのため、残留メンバーは後進の育成に主眼を置いて活動する方針だ。
次期生徒会長に選ばれる公算の大きいジュルダンに責任の配分を増やし、事あるごとに生徒会長代理との名目で、二人目の副会長とでもいうべき権限を預けて生徒会の運用に積極的に関わらせる。さらにジュルダン自身がこれと思った次世代の人材を数名執行部に招き、まずは庶務としてジュルダンの補佐に当たらせ経験を積ませる。──これらは第二王子が就学する前から決定していた方針らしい。
幼くして天才と名高かったジュルダンは、早くから第二王子の補佐的な立場を担えるだろうと見込まれていたが、実を言えば歳は三つ離れている。慣例通りのスケジュールでは、就学期間がすれ違ってしまうのだ。
そこで、天才の天才たる強みを活かして、ジュルダンは二年前倒しで就学することになった。第二王子の片腕として二年間過ごし経験を積んだのち、王子の卒業後一年間、独力で学園内を統治して内外に才能を示してみせる、という流れとのこと。……見た目が妙に幼いとは思っていたが、実際額面以上に年下だったわけである。
この件に関しては、ヒルデガルトの影に霞んでしまいがちなジュルダンの、公爵嫡男としての適性を量る試金石の意味合いも含んでいたようだ。当のヒルデガルトが予定通り卒業と同時に辺境へ嫁ぐ気まんまんなあたり、三年目を待たずして合格点は取れていると見ていいのだろう。
そんなわけで、有閑執行部にあるまじきことに、三名ばかり人手が増えたのだ。まだまだ不案内で教えなければならないことも多いが、さすがに優秀な面子が揃っており、物覚えも早い。全体で見れば、明らかに仕事は楽になっている。とりわけ肉体労働専門になりがちなリリアは後進に教えるほどの技術や含蓄もないので、誰よりもヒマが加速しているのは間違いない。
……が、今は春。乗馬大会の真っ最中である。
あらかじめヒルデガルトに学園祭と並ぶ忙しい行事であると念押しされていた、例の乗馬大会である。
まあ蓋を開けてみれば、騎士団が主催として陣頭指揮を取ってくれるため生徒会の出番は意外と限定的で、学園祭ほどの殺人的な作業量とは雲泥の差ではあった。が、それでも勝手のわからないカトリーヌとリリアは新人たちとほとんど同じスタートラインから出発することになり、右往左往しながらなんとか準備期間をやり過ごしたものである。
よって、この状況でヒマと口にできるリリアがおかしい。
「んー、まあ確かに大会の準備は大変だったけどぉ。なーんかこう……むーん」
「憧れの生徒会活動も、慣れてしまえば日常の一部になっちゃった、って感じかな?」
「あああ〜ソッキュンそれ! まさにそれ!」
これまた同じく乗馬服姿で馬を並べるソキウスに、釈然としない気分を言語化してもらって、リリアは明るく感情を弾けさせた。
「いやー『イケメンは三日で飽きる、ブサメンは我慢して譲歩して三日も費やしてやればなんとか慣れないこともない』って言うけどさぁ。ゲームやったりアイドル追っかけてた頃はんなわけあるかー!って思ってたけど、こう、手の届く現実になっちゃうとわりとわからんでもないなーって」
「……そんな格言あった?」
「さあ……ていうかヒマがどうのって話じゃなかったっけ?」
「わたしもさぁ、そりゃちょーっとは怖かったんだよ? 目の前で推しが動いて喋って最初はすっごい興奮したけど、いざ推しが三次元になってみて解釈違いがあったら死にたくなるんですけど!?って。ほらネット小説とかでよくあるじゃん? 乙女ゲーの世界に転生したら、シナリオの粗とか現実的に無理のある設定とかのしわ寄せで、攻略対象が実はただの色ボケクソ野郎でしたーって展開。私あの手のざまぁ系とか大好きだけどさぁ、ああいうのを笑って読めるのって、原作が実在しない架空のゲームの話だからなんだよねー。自分の大好きな作品の二次創作であれやられたらマジたまんないって! クラスタに晒して大炎上させてやるわっ!」
「え、どうしよう。いつにも増して意味がわからないんだけど……」
「安心なさい、わからないほうがまともだから。ヒルデ呼んできて翻訳させないと無理よ」
「え、女帝、アレわかるの? すごすぎじゃない?」
「まーでもこの世界は解釈違いほとんどなくて、やったぜ役得ぅって感じだったんだけどぉ。でもなー。なんっかこう……ううーん……ポリゴン数多すぎっていうか、解像度高すぎ? 笑顔になる瞬間に余計なシワが見えちゃったり、表情によってはブサイクな角度見つけちゃったり、お疲れの時なんかわりとガチでぶちゃい瞬間ちょいちょいあるし。技術の進歩でテレビの映像がキレイになりすぎてシワや毛穴がバレるとか時代劇のカツラが浮いて見えちゃうとかって女優の人がぼやいてたって話もあるけど、まさにそれな! まさかリアルで実体験するとは思わなかったしっ! ぶっちゃけ見せつけられるほうだって苦痛だようんざりだよっ!? 二次元ならどの角度から見ても完全無欠のイケメンだったのに……これだから三次元は……っ」
「ソキウス、お昼どうする? カフェテリアでいいかしら」
「あ、僕サンドイッチ持ってきたよ」
「私たちのぶんもあるの? 気が利くわね」
「母さんが店に出すって張り切ってる新作。感想聞きたくて」
「そういえば喫茶店も経営してるんだったわね。一家揃って商魂たくましいこと。いいわ、賞味してあげる」
「──そして何よりもっ! 私にやさしくない攻略対象ってなんなの、ありえなくないっ!? いやまあみんな一応ジェントルマンではあるんだけども……理不尽じゃないのは知ってるけどもっ! でも基本厳しいじゃん、ちっとも甘やかしてくれないじゃん!? ゲームのイベントになかった流れだと特にさぁ。てかたまーにゲームどおりのイベントとかセリフがあったと思ったら、間にちょいちょい厳しいのが挟まんの! あれなんなん!? 私がやってたゲームって都合のいいとこだけ切り貼りしたヘンコーホードーかなにかだったわけっ!? 運営ちょっとそこに座れよクソがぁぁぁぁっ!!」
「あ、あの白馬、女帝じゃない?」
「ビミャァッ!?」
「あ、気のせいだったみたい」
「ソッキュンんんんんんんっ!???」
「いやー「クソが」はさすがに駄目でしょ、いくらノトシュでも」
「わたしでもってなにっ!? 「でも」って!?」
「やかましいわねぇ」
カトリーヌはようやく馬の歩みを安定させて、半眼でキロリとリリアへ視線を流した。
「要するにあんた、『ゲーム』に冷めたんでしょ?」
遠慮会釈の欠片もなくズバリと斬り込まれて、リリアは豚の鳴き声に似たうめきとともに『ヒロイン』に許されざる何とも言えないブサイク顔で硬直した。
──理想と現実は違う。至極単純な話だ。
「『ゲーム』とかいうのがなんなのか、実際のところ私は知らないけどね。まあ要は、創作された物語なんでしょ?」
この世界にはリリアの言うところの『ゲーム』とやらは存在しない。だが物語は数多あり、昨今はリリアが好むような大衆小説も日々大量に生み出されている。主には平民の娯楽だが、貴族の子女にもこっそり嗜む者も少なくない。
「あんた昔から、ちょっと小難しい本だとすーぐ寝ちゃうけど、夢物語みたいな恋愛小説だけは熱心に読んでたじゃない。たかだか物語なのに異様に入れ込んで、誰々さまかっこいー!ってしょっちゅう叫んでうるさいったら。そのくせ『推し』とやらがコロコロ変わって、いっとき「ヴォルフガングさま素敵!」だったのが数日後には「パウロさまこそ至高!」になって、次の日には「リヒャルトさまと結婚したいっ!」だもの。作品も登場人物もとっかえひっかえ、次から次よ」
「言い方ぁ!」
「わぁ。恋多き女だねー」
「ソッキュン馬鹿にしてないっ!?」
「そんなだからギャクハーエンドなんてお花畑なこと言い出すんでしょうけど。ただ一時期、なんとかいう小説のウラディミルだとかいう俺様クズ男に尋常じゃなく熱を上げ始めてね」
「く、クズってゆうなーっ!」
「あーノトシュそういうの好きそう」
「だから馬鹿にしてるよねっ!?」
「どういうわけかその俺様男に入れ上げてる時期が異常に長かったんだけど、最初の頃はうるさいくらい威勢がよかったのに、ある時期からパッタリ言及しなくなったのよ。直前まで「公式の供給がなくてつらい~」とかぼやいてたくせに、いざ最新の新刊が出たと思ったら、読んでる途中でいきなりフッ……て遠い目になって。それからしばらく俺様男の話題はタブーみたいな空気になって。当時はわけがわからなかったけど、あんたの浮気性は飽きっぽさと表裏一体だもの、なのにすぐに次の男に走らなかったんだから飽きたわけじゃないのは確実」
「言い方」
ソキウスが小さくツッコミを入れるが、語尾が完全に笑っている。
「それどころか他の作品まるごと、恋愛小説自体にしばらく寄り付かなかったじゃない? 完全に腫れ物扱い。そのうえその件についてちょっとでもを振ろうとすると嫌な顔するのね。そういうことが何度かあって、気づいたわけ。あれ、ようするに「冷めた」んでしょ?」
「……」
「おんなじように、あんたは今『乙女ゲー』とやらに冷めつつあるわけ。そうなると自動的に『攻略対象』への執着も薄くなってくる。だから余計にヒマに感じるのよ。ギャクハーエンドに対してあんたがどれだけの心血を注いできたか自覚ないの? あれだけ頑張って生徒会の連中に振り向いてもらうために右にバタバタ左にバタバタ無駄な努力しまくってたのがなくなって、厳しいことは厳しいけど余暇はちゃんとくれる良心的なヒルデの再教育にも慣れちゃえば、そりゃ相対的にヒマにもなるでしょ」
「にぅぎぃ……」
身を縮めるように絞り出されたなんとも形容しがたいリリアの奇声は、肯定とほぼ同義である。
かと思ったらぎゅっと手綱を握りしめて、凶悪な目つきでギッとカトリーヌを睨み据え、
「ばーかばーか、デリカシー欠如人間っ! カトちゃんのあほぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」
……極めて知能指数の低い叫び声を上げながら見事に馬を駆って猛然と遠ざかっていった。
「子供か」
「あ、ちょっとノトシュ! そっちはルートから外れ……あー、行っちゃった」
お上品な学園育ちの駿馬には相応しからざる砂煙の向こうに消えていく姿を、カトリーヌとソキウスは遠い目で見送った。




