(42)ストーカーの言い分
「……すてき」
静まり返った教室に、ぽつりと、染みを広げる一滴のようなつぶやき。
当然それは、メア・キルナーの声だった。
「やっぱり貴女は……貴女こそがあたしの理想です、カトリーヌ様……!」
濁りきった瞳に、膨れ上がる憧憬と情熱。よそ行きの態度を脱ぎ捨て、許しもないのにカトリーヌをファーストネームで勝手に呼ぶ。どことなく幼稚でアンバランス。
気味の悪いほど極端な熱量に、カトリーヌは後ずさりしたい衝動をぐっとこらえて足を踏ん張った。
「それは、自白と受け取るわよ」
「もちろんです! もとよりあたしにはカトリーヌ様に隠すことなど何もないのです! ……で、でも、これまでまったく面識もないのに、いきなり話しかけるなんてできなくて……なのに、それなのにあの二人のうのうとっ……!」
「……話を整理しましょう。貴女は初め、リリアに目をつけた。なぜ?」
「カトリーヌ様に迷惑かけてばかりいるからですっ!」
メア・キルナーは間髪入れずに即答を返してきた。
「あの娘、いつもいつもカトリーヌ様につっかかってばかりで……! いつか一言物申したいとかねてから思っていたのです! ですがザルツェイロス副会長の庇護があまりに手厚く、ノトシュもなかなか隙を見せなかったので……ですから、文化祭準備中に化けの皮が剥がれた時は千載一遇の好機だと……!」
「それであの生徒業務妨害……」
「っ、いえその、決してカトリーヌ様の足を引っ張ろうとしたわけではなくて……っ」
「言い訳はいいわ。それで? 目論見通りサンドラとエイミをけしかけることができたわね? 結果は思ったとおりになった?」
「……いいえ……」
メア・キルナーは悔しげに唇を噛む。
「あろうことかカトリーヌ様はノトシュを庇われて……いえ、わかってはいるのです、あの時大切な書類が奪われていれば生徒会の皆様に迷惑がかかりますもの。あ、あたしも大変なことになる前に適当なところであの女狐たちを止めるつもりではいたのです!」
「でも、リリアを追い落とすことができるなら、多少迷惑がかかっても追い詰めることを優先していたでしょう?」
「……」
メア・キルナーは黙り込んだ。
……彼女は知恵が働く。見通しが利き、策を巡らせ他者を利用するのを好むタイプだ。
だが一方で、根本的には浅慮で幼稚でもある。大事なものに及ぼす悪影響がわかっていても、己の欲望のためになら突き進んでしまう残酷性。最終的には誰かが自分の尻拭いをしてくれると、心のどこかでたかをくくっている甘さ。
孤軍奮闘させておくにはあまりに危うい策士。
だがそこに、手足として使えるサンドラとエイミと、彼女の長所も短所も俯瞰してコントロールできる『悪役令嬢』の導きがあれば……
「……でも。でも! あの時のカトリーヌ様は本当にすてきでした……!」
話が一気に逸れた。
カトリーヌの目が幾度目かの白けた半眼になるのも気づかない様子で、メア・キルナーは早口で畳み掛けてくる。
「アンハイムとシーニスに一歩も退かず見事撃退してみせたあの手腕……! 話運び、毅然とした態度……何もかもがあまりにも素晴らしくて、美しくて……そして何より! エキストラに過ぎないあたしたち下級令嬢の名前を! あたしの名前を! 覚えていてくださった……! あたしあの時ほど感動したことはありませんッ!!」
「あっそ」
カトリーヌはメア・キルナーの感動を適当に聞き流し三文字で片付けた。あの一連のやり取りで自分の信望者がより厄介度を増したという点については深く考えないことにする。
そう。もうとっくにわかりきっていることだが、メア・キルナーはカトリーヌを心酔するがゆえに暴走し、一連の事件を引き起こした「真犯人」なのである。
まさか自分への悪意ではなく、好意によって事件に巻き込まれていたとは。どちらも迷惑このうえないが、厄介度は後者が優に勝るだろう。
「……話を戻すわ。貴女の目線からすれば、中庭でのリリアへの嫌がらせは失敗に終わったと言っていいでしょう。それなのに貴女は続けてリリアを狙わずに、標的をサンドラに変えた。なぜ?」
「あの女狐どもがカトリーヌ様への復讐を計画していたからです!」
「なるほどね……」
ありそうな話だ。中庭でカトリーヌに反撃され、あまつさえやりこめられてしまったからには、サンドラとエイミのあの性格ならば何かやり返したいと考えるのは自然な流れだろう。その後のシャンデリア事件や噴水事件でやたらと二人がカトリーヌに疑いをかけていたのも、自分たちが恨みに思っているからこその裏返しだったというわけだ。
とはいえ文化祭を目前にして復讐計画を煮詰める余裕はなかったようで、結局具体案は棚上げにされたままだった。
対し、メア・キルナーはいち早く行動を起こし、サンドラにとって可能な限りダメージの大きいタイミングでの嫌がらせを敢行したのである。
「ノトシュを追い詰めるために利用したまでは良かったものの、まさかカトリーヌ様にいらぬ恨みを抱くなんて……不覚でした。復讐など考えられないように少し痛い目をみさせて心を挫いてやらなければ、と」
「そこでシャンデリアを落とすというのもなかなかの発想よね……。実行犯の旅芸人一座の二人組はどうやって雇ったの?」
「そこまでご存知なのですね……。我がキルナー子爵家は少しばかり芸術方面に顔が利きます。ですので、あの一座に計画に最適な人材がいるのも存じておりました。それで、何人か人を介して手紙とお金を送って依頼を出しました。手紙は読んだら速やかに燃やすように、成功報酬でさらに倍額出すと指示したところ、二人は計画通りに動いてくれましたわ」
わずかに気勢を削がれたような空気を醸しつつも、メア・キルナーは実によどみなくすらすらと犯行を自供していく。
「足のつきにくい制服の調達方法。文化祭期間中の守衛の躱し方、万一の時の逃走経路。シャンデリアは時限式ではなく、確実にサンドラを恐怖させられるタイミングを狙うように手動で」
「目に見えにくいワイヤーなんかを使えば、細工したシャンデリアを直接触らなくとも舞台袖から切り離すこともできるでしょうね。……でも上手くいくとは限らないし、完全にコントロールできるわけじゃないわ。万が一サンドラに直接当たれば大事よ。その時はどうするつもりだったの?」
「えっ? そんなの、それはそれで構わないではありませんか。あの女狐はカトリーヌ様を害そうとしたのですから、その程度の報復は当然です。まあ被害が大きすぎると、後が少し面倒になりますけれど」
きょとんと、実に不思議そうなメア・キルナーから返ってきたのは、案の定の答え。
カトリーヌはふん、と小さく鼻を鳴らすだけで、その是非については言及しない。常識や倫理観をここで論じても無駄だ。
やはりメア・キルナーもどこか壊れている。
「話を続けましょう。シャンデリア事件は貴女にとって大成功。目論見通りサンドラもエイミも大人しくなったわね。で、文化祭直後から生徒会は勉強会を開くようになったわけだけど……それを機会にリリアをやりこめようとは思わなかったの?」
「……確かにずっと目障りではありましたけど、真面目に勉強しているところを見せられると少し邪魔しづらくはあったので。ノトシュもこのところはずいぶん大人しかったですし、タイミングを失ったと言いますか……」
「……」
案の定である。事件を起こした動機の根っこに生徒会のイケメンが欠片も関わっていないのだから、リリアとカトリーヌがイケメンに急接近したように見せつけたところでなんのリアクションもないのも道理である。
……まあつまるところ、カトリーヌの炙り出し計画は最初から的外れの空振りだったわけである。
いやいや、それでも一応意味はあったのだ。真犯人ではなく、仮にも被害者が釣れてしまったことが、奇しくも事態を大きく動かしたのだから。
「そのうちサンドラとエイミが私につっかかってきた。貴女はどう思った?」
「女狐ども凝りもせずにのうのうと……二度と再起できぬよう徹底的に痛めつけなくては……!」
「素直な心境をありがとう。それであの噴水ぶちまけ事件ね。実行犯は学内の生徒?」
「はい、その通りです! サンドラを目障りに思っている生徒は多いので手駒には事欠きません。それに普段の反動で、文化祭以降大人しくなったサンドラを侮る流れもできていましたから、つついて行動を起こさせるのは簡単でした!」
「まさに日頃の行いというわけね。そして貴女はブレずに己の手は汚さない……」
「必要がありませんもの」
正体がバレないため、ではない。使えるものは使う、それだけの話。彼女にとっての「使えるもの」の範囲は、常識よりも幾許か広いのだ。
悪意に特化した人心掌握能力、他者を手駒にする度胸、他者を陥れても平然としていられる非情さ。
これは、『悪役令嬢』の「手足」ではなく、「片腕」となりうる器だ。
(ヒルデガルトの領分ね……)
今のカトリーヌに参謀はいらない。しかしこの才能は野放しにしておくのは危険すぎる。なんらかの首輪をつけておく必要があるだろう。
その点、生徒会にはちょうどいい「飼い主」がいる。『悪役令嬢』より悪役らしいあの女帝がこの才能を取り込めれば、暴走を抑え込みつつも活用することができるだろう。
わずかに黙り込み思索に耽けるカトリーヌを、メア・キルナーはそわそわと落ち着かなげに窺ってくる。
「あの……それで、カトリーヌ様? そ、その……図書室でのノトシュとの言い争いは──」
「たっのもーっ!」
ガラガラガラッ! 脈絡をどこかに蹴っ飛ばした無粋な開扉音が場に轟いた。
見れば、カトリーヌが入ってきた教室後ろ側の扉ではなく、前側の扉が無遠慮に開け放たれ、なぜか自信満々の表情のリリアがそこにいた。
間の抜けた、一瞬の沈黙。
「……んんっ? あっ」
本当は後ろの扉からかっこよく登場するつもりだったのだろう。リリアは思っていたのと射線がずれていることに一瞬「やっちまった!」という顔をしたのち、すぐに開き直ってズカズカと教室内に足を踏み入れてきた。
「あれっ? まだ話終わってないの?」
「あんたね……入ってくるならタイミングくらい見計らいなさいよ……」
「えーだって。ヒルデ様が今行ってこいって──」
「──リリア・ノトシュぅぅぅぅぅぅぅーーーッ!!!!!!」
またしても話の流れをぶった切って響き渡ったメア・キルナーの声は、ほとんど絶叫だった。




