(26)短絡的令嬢集団に絡まれる
リリアは中庭の隅、校舎の影が色濃く落ちた植え込みの陰で、女子生徒に囲まれて右往左往していた。
カトリーヌはリリアと集団の間に強引に割り込み、女子生徒たちに視線を置きながらも背後のリリアをどやしつけた。
「この期に及んでイベントキターーとか喜んでたらシメるわよ!」
「思ってないぃぃぃっ! マジで困ってんのっ!」
リリアの陥りそうな思考ロジックを先回りはしてみたものの、焦りのにじむリリアの声色からも、その手にしっかり抱えられた書類の束と備品山盛りのバスケットからも、疑う余地はなかった。
ぶっちゃけ生徒会の忙しさはそれどころではないのだ。リリアもここ数日ばかりは浮ついた欲望もすっかり頭から飛んでいる様子で、余裕がないあまりに生徒会の男性陣にさえ悪態をついたり、酷い時にはちょっとした口論のようなことになったりもしていた。まあ外面を取り繕えなくなって素が出ているというだけで、関係性が険悪になったわけでもない。むしろぶつかり合うことで微妙に打ち解けてきているような気がしないでもなかった。
……だがおそらく、対外的にはそれがよくなかったのだろう。
「あら、カドレッドさん。怖い顔をしてどうなさったの?」
リリアを囲む集団の、おそらくは親玉の一人であろう女子生徒がにこやかに口を開いた。その目の奥に光っているのは、嘲りの色。
カトリーヌは即答せず、集団一人一人の顔を確かめた。
全員が貴族令嬢だ。伯爵令嬢が二人に、その他大勢の下位貴族の取り巻きたち。総勢七人。
数で一人を追い詰めるやり口もさることながら、伯爵以下の身分の分際で、名ばかりとはいえ侯爵令嬢にこの態度。ろくな人品でないことは今ここに証明された。
カトリーヌは強く輝く瞳を細め、すっと顎を上げた。ニッキーの指導や長期休暇のマナー講座を思い出しながら、美しく見える毅然とした姿勢で令嬢たちを睥睨する。
「それはこちらのセリフね。どうなさったの、皆様? 生徒会のリリアに何かご用かしら」
生徒会の後ろ盾を匂わせたせいか、カトリーヌの威圧感に気圧されたか。女子生徒たちがわずかに怯んだような気配を滲ませた。
しかしボス格の伯爵令嬢二人は崩れない。カトリーヌを侯爵令嬢と知りながらも、存分に侮ってくれているのがまるわかりだ。
ボス格の片割れ、鮮やかな金色の髪を制服には不似合いなほど細緻に編み込み結い上げ、やたらと派手で凝った髪型をした令嬢が不敵に笑う。
「あら、なんてことありませんわ。少しばかりご忠告して差し上げただけよ」
「忠告?」
「ええ。わたくし見てしまったの。この方……ノトシュさん、だったかしら? 彼女ってば殿下の手からその書類をひったくって持ち逃げしたのよ? それも、殿下を罵りながら」
「なんてはしたない。不敬にもほどがありますわ。殿下に合わせる顔もないでしょう。ですから、わたくしたちが書類を取り返して生徒会長にお返ししましょうと申し出ましたの」
もう一方のボス格、艷やかに長い黒髪を飾り気なく流した、やたら色白な令嬢が追従した。
なるほどね、とカトリーヌは口内で小さくごちる。状況が目に見えるようだ。
おそらくリリアは備品運びを言いつけられて急いでいたのだ。そこを殿下──つまり生徒会長に呼び止められ、急遽書類運びも追加された。攻略対象に対してさえ遠慮のストッパーがなくなっている今のリリアなら、いまさらだの言うのが遅いだのと文句を吐きながら任された書類をひったくるぐらいするだろう。
確かに不敬には違いないが、状況が状況だし、学園内でのことだ。この程度で目くじら立てる生徒会長ではない。というか、今一番忙しいのは生徒会長なのだから、ここで不敬を問うような余裕もないはずだ。
しかし曇った目で傍から見れば違う印象にもなるらしい。
これまではヒルデガルトが徹底してリリアとカトリーヌをいらぬ嫉妬や中傷から庇護し続けていた。二人はあくまでヒルデガルトの金魚のフンで、男性陣とは一線を引いて生徒会活動を真面目にこなしているところだけを周囲に見せつけていたのだ。
もちろん今現在もかつてないほどに大真面目だ。本気で取り組んでいるからこそ、取り繕えなくなるほど追い込まれているのである。
しかし学園祭準備期間が始まって以降は、これまで生徒会室内でほとんど完結させていた業務を外に持ち出すことも当たり前になっている。副会長として忙しいヒルデガルトが毎度毎度リリアとカトリーヌだけにかまけてばかりはいられないから、必然的に男性陣も人目を憚らず二人を遠慮なくこき使ってくれる。
男性陣に直接指示を出され、時には自ら指示を仰ぎに行ったり報告や相談を持ちかけるリリアとカトリーヌの姿は、「分不相応にも生徒会入りした生意気な二人」がこれまできちんと守ってきた一線を突如踏み越えて、急激に男性陣との距離を縮めていると見えなくもないのだろう。
……大概認知が歪んでいるが、そうやって物事の因果関係を整理せずに見た目と印象だけで短絡的に決めつける人間というのは、意外と多い。今回のケースならば、学園祭準備に本気でない人間ほど短絡的に物を見る傾向が強くなっていくだろう。
カトリーヌは素早く思考をまとめ上げて、ため息に見えない程度の強めの吐息をついた。失笑に見えなくもない、ギリギリのラインを狙って。
「なるほど、確かに不敬だこと。ということは皆様、生徒会長に依頼されて書類を取り返しにこられた、と?」
頼まれてもいないのに出しゃばってきたのか、と言外に挑発めいた響きを乗せたカトリーヌの質問に、令嬢たちはわずかに黙った。
反射的にそのとおりだと答えるほどうかつではないらしい。後で会長に事実関係を確認されたらすぐにバレる嘘だから、賢明な判断と言える。……保身のためには正しく働くその思考能力を、ぜひとも考えなしの行動に移る前に使っておいてほしかったものである。
案の定、金色派手髪令嬢は下手な嘘をつくリスクを避けてかぶりを振った。
「いいえ? わたくしたちの自己判断よ。殿下がお困りだと思って……」
「まあ、それはおかしなこと。生徒会長は大切な書類を奪われたのにも関わらず、自ら追いかけもせず、追手も差し向けず、放置していらっしゃるとでも?」
「いえそれは……わたくしたちがたまたま一足先に追いついてしまっただけでしょう。この方、猿のように足が速くていらっしゃるから」
黒髪色白令嬢が視線を素早くあちこちに泳がせながらフォローした。自分たちが読み違えたことに気づいたか、理屈を組み立て直そうとしているらしい。深い考えや策謀はなく、本当に感情に流されるまま考えなしに絡んできたようだ。
なんという半端者。話に聞く悪役令嬢の悪辣さの足元にも及ばない。
「わかりました。では、生徒会長に正確な状況をお伝えしなければなりません。急ぎ書類を返却に参りましょう。もちろん皆様、ついてきてくださいますね?」
「……それには及ばないわ、カドレッドさん。預けてくださればわたくしたちだけで生徒会長に……」
「いいえ、なりません。書類の類は部外秘のものも多いので役員が扱います。お渡しすることはできません」
彼女らは書類さえ手に入れれば、生徒会長には口からでまかせの嘘八百並び立てて、リリアとカトリーヌの不手際をせつせつと訴えかけることだろう。この連中の証言が信用されるかは置いておいて、実際この場でこの馬鹿どもに書類を奪われれば、間違いなく二人の不手際になる。
いっそ我が身と信頼を犠牲にしてこの馬鹿どもに恥をかかせてやるのも悪くはないが……いや、時間の無駄だ。今はやるべきことが山積みなのだから。
カトリーヌは不遜な眼差しで一同を睥睨する。
「これは温情ですのよ、皆様」
「……なんですって?」
「一人合点……いえ、集団錯視かしら? ともかくもあなたがたは思い込みでリリアが生徒会長から書類を奪ったと決めつけた」
「お、思い込みって……だって、殿下に暴言を吐いたのよ!?」
「ひったくりかたも奪ったようにしか見えませんでしたわ」
色めき立つボス格たち。カトリーヌの視線はよりいっそう冷え冷えと冴えわたる。
「だとしても、何が起きたのか、生徒会長にはきちんと確かめずに動いたのでしょう?」
「それは……」
「現状がどういう状況なのかを確かめず、当て推量で事を起こした。──今まさに殺人的に多忙を極めている生徒会役員の足を止めさせ、あまつさえ大勢で囲むという無意味な行為で威圧して、余計な時間を浪費させた……それがあなたがたのしていることよ。そうでしょう、メア・キルナー子爵令嬢?」
カトリーヌは反論が寄越される前に、集団のうち一人、取り巻きの中でも力のありそうな女子生徒の名を呼んだ。
視線をしかと合わせた上で名指しで呼ばれ、メア・キルナーは一瞬にして顔を蒼白にした。だが名指しはこれで終わらない。
「リゼット・ユレム男爵令嬢、ネリー・ホランダル子爵令嬢、テレサ・マークレン子爵令嬢、マリーズ・ワッツェリエ男爵令嬢……そして、エイミ・シーニス伯爵令嬢とサンドラ・アンハイム伯爵令嬢」
一人ひとりと目を合わせながら、カトリーヌはフルネームを言い当てていく。無責任な集団の一人などではなく家名を背負って立つべき個々人であることを自覚させ、なおかつ身元は割れているのだと思い知らせるために。
効果は覿面だった。取り巻きの子爵男爵令嬢たちは完全に萎縮し、表情豊かな派手髪のサンドラ・アンハイムは悔しそうに顔を歪め、黒髪のエイミ・シーニスの淡々とした無表情さえも硬くこわばっている。
「どのような理由であれ、あなたがたのしていることは生徒会業務の妨害です。ですがあなたがたにも言い分はあるのでしょう? でしたら権限を持たない下位役員である私たちではなく、生徒会長……あなたがたの殿下に弁明なさい。あなたがたの言い分に少しでも理があるのなら、殿下も悪いようにはしないでしょう」
多勢に無勢であることなど気にも留めず、カトリーヌはきっぱりと言い切った。この手の不毛な馬鹿どもを叩き伏せるには、強気の断定形一択だ。こちらは被害者、加害者であるおまえたちに選択肢などない、これは決定事項だ、と押し切るくらいでちょうどいい。
数が多いのをいいことに逆上して手荒い真似に出てくる可能性は否定できないが、物陰とはいえさすがに日中の中庭でしでかすには彼女らにとってもリスクが高すぎる。それにカトリーヌの後ろでは、狂犬モードのリリアがものすごい目で集団を睨みつけながら喉をぐるぐる言わせてスタンバイしている。万一何かあれば、その類まれな肺活量で学園中に轟く悲鳴……いやむしろ絶叫を上げてくれることだろう。
「……い、いやだわ、カドレッドさん。そう怖い顔をなさらないで?」
派手髪のサンドラ・アンハイムが口元を引きつらせながらも愛想笑いを作った。……衝突を回避してなあなあで済ませる方向に舵を切ったらしい。賢明な判断である。
「……どうやら、わたくしたちの思い違いだったようですね」
黒髪色白エイミ・シーニスもそれに乗っかって歩調を合わせる魂胆だ。
「書類の件は撤回いたしますわ。ノトシュさんが殿下といざこざを起こすはずありませんもの、ね?」
「……ソウデスネ」
「わたくしたちったら早とちりしてしまって、恥ずかしいですわぁ。許してくださるでしょう、ノトシュさん?」
「…………ソウデスネ」
リリアはものすごく不服そうにしつつも不平を呑んで、思いっきり棒読みで繰り返した。向こうの言い分は厳密には謝罪にもなっていないのだが、こちとら本当に時間が惜しいのだ、トラブルのほうが引っ込んでくれるのなら、多少理不尽でもここは受け流すべきであるとリリアも理解しているらしい。そのへんの配分を考えられるようになったのはメイド修行のたまものか。
うふふおほほとごまかし笑いを浮かべながら、令嬢集団は足早に去っていった。その姿が完全に校舎の中に引っ込んだのを見届けて、カトリーヌとリリアは同時に深い溜め息を零した。
連中が保身に走ってくれて助かった。彼女たちが本当に生徒会長のことを思って、あくまで書類が不当に奪われた可能性を追求するつもりだったなら、濡れ衣であることを証明するために多忙を極める生徒会長にお出まし頂かなければならないところだった。そうなれば、自分たちの手でトラブルを処理できなかったカトリーヌとリリアこそが、無能を晒す羽目になっていただろう。
そもそも、いくら多忙で殺気立っていたからといって、よりにもよって生徒会長に悪態をついたリリアのうかつさが短絡的誤解を呼んだのは間違いない。マナーや礼儀というものは、相手の事情を察したり慮ったりできない阿呆にこそ見せつけるべきものなのである。
「……あんたももう少し言動には気をつけなさいよ」
「うす……いやでもギリギリになって会長が後出しで仕事押し付けてくるからさぁっ」
「だからそういうのをやめろっつってんでしょ、誰が聞いてるかわからないんだから。愚痴を言うなら周囲の安全確保してから!」
「うっす……」
不満げに顔をぺっちゃんこにしながらも、長期休暇前に比べれば格段に素直に頷くリリア。やはりメイド修行は効果絶大だったようだ。
思えば、カトリーヌが模範的所作で効率的に集団を威圧できたのは公爵家での侍女修行とマナー講座のおかげ、集団一人一人の名前を暗記していたのは出動業務のおかげだ。驚くほど何もかもヒルデガルトの仕込みである。
「……あの人、私たちをどうしたいのかしらね……」
「ってぼやいてる場合じゃないってばカトちゃん! 仕事仕事!」
「ああはいはい。急いでるからって廊下は走るんじゃないわよ」
「わーかってるってばっ」
令嬢集団が去った方向とは別の入り口を目指して、競歩の如く迅速に各々の持ち場へと急ぐ二人。
しかし校舎に入るその直前、ふと背後に何か予感のようなものが差し込むのを感じて、カトリーヌは一度だけ中庭を振り返った。
(気配……視線……?)
けれど、学園祭準備に追われる生徒たちが行き来する忙しくも平和な光景の中に、その正体を見出すことはできなかった。




