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悪役令嬢カトゥラ・カドゥレは憂鬱げ  作者: ミナソコミナモ


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(24)侯爵家凋落の経緯と彼の決意

 現カドレッド侯爵ハリスン・カドレッドが若かりし日にしでかした暴走。それは極めてありふれていた。


 平民の娘に恋をした。たったそれだけのことから、全ての凋落は始まった。



 カドレッド侯爵家は歴史も伝統もそこそこの家系。家を興して侯爵を賜った始祖はそれなりの傑物だったようだが、その後目立った功績を上げる当主は現れていない。皆が皆、可もなく不可もなく、恵まれた領地のもたらす富に頼って家を傾けることなく、さりとて発展させることもなく……ある意味、だましだまし続いてきた侯爵家である。

 だがそれでも、歴史が続いてきたこと自体には価値があるわけで、見ようによっては立派な家柄と言える。

 前侯爵である祖父はその一点に己の矜持を見出したらしく、カドレッド家を盛り立てようと発奮し、様々な手を尽くしたようだ。その手段の一つとして、学園で首位の成績を納めていた才媛を自ら娶り、生まれてきた我が子──つまりカトリーヌの父にもきちんとした家柄のしっかり教育された令嬢を宛てがった。

 ……そう、父には貴族の婚約者がいたのだ。

 しかし事は上手くは運ばない。祖父はやり手を気取りたかったようだが、やはり伝統的な凡愚の一人に過ぎなかった。社交が下手で、空気が読めず、時代の流れに乗り切れない。

 それだけならいざしらず、致命的だったのが後継者の教育に失敗したことだった。


 父は当時、家のことに興味はないが貴族的プライドだけは一級品という、ステレオタイプなぼんくら跡取りだった。

 それがさらに悪いことに、学園在学中、平民の女子生徒と恋に落ちてしまったのだ。

 身分違いの恋。物語の中では美談のように持ち上げられるお題目も、現実においてはただただ頭の痛い問題だ。身分差というものがそこに存在している以上は逆説的、確率的に発生せざるをえない、周期的にどこかの誰かが陥っているありふれた醜聞なのである。

 そんな確率を引いてしまった父はしかし、それを唯一無二の真実の愛と信じて燃え上がり、当然交際に反対した祖父に全力で反抗した。子育てに関しても日頃から決して褒められた態度ではなかった祖父は、結局父を抑え込めなかったようだ。

 かくて父子(おやこ)の対立は苛烈さを増し、あっという間に修復不可能な方向へ突き進んだ。

 そして、父が駆け落ちも辞さないと思い詰めるまでに状況が悪化した頃、事件は起こった。


 祖父が急死したのだ。

 有閑紳士御用達のとあるサロンで、息子の愚痴を管巻きながらさんざっぱら酒を飲み……飲みすぎてぽっくり逝ったのである。


 これがとんでもない醜聞なのは言うまでもない。

 サロンの場所と名義を貸していた某公爵は怒髪天。自分が主催していることになっているサロンで、預かり知らぬうちに死人が出ればそれは怒るに決まっている。

 さすがに人の死が関わっているとあって、最高位の公爵家であってもあまり攻撃的に出るわけもいかず、表立った非難やあからさまな敵対行動をとったりはしなかったが、代わりに裏で手を回しまくった。侯爵をサロンに連れ込んだ連中や侯爵と懇意にしていた貴族にちくちく説教し、この醜聞を吹聴しようとするお喋りどもに睨みを利かせ、徹底して圧力をかけて回ることで事件の早期風化を目論んだのである。

 名ばかり侯爵であるカドレッド家とは違い、某公爵は本物の有力者。目をつけられたくない貴族たちは皆一様に口をつぐみ、侯爵家を遠巻きにしていった。


 こうした水面下の動きなど露知らず、父は意気揚々と爵位を継ぎ、早々に侯爵家の実権を握った。その強権をもってして、折り合いの悪い家族を適当な名目で軒並み家から追い出し、平民の恋人を侯爵家に連れ込んで正式に婚姻を結ぶと、蜜月に耽溺した。その結晶がカトリーヌの兄であり、延長線上に生まれたのがカトリーヌである。

 家族の愛情が満たされ、恒常化してくると、父はよせばいいのに今度は次なる躍進を求めて積極的に社交に出るようになった。なにぶん侯爵子息としてちやほやされて育ったぼんくら跡継ぎだ、内輪だけではなくよそからの名声が欲しくなったのだろう。要は、不意にちやほや褒められたくなったわけだ。

 が、例の某公爵が目を光らせているのだから、もちろんそう上手く運ぶわけはない。貴族たちは某公爵を恐れて父から距離を置き、正面きって対立こそしないものの、完全な腫れ物扱い。父が祖父から真っ当な形で地盤を受け継ぎそこねたことと、父自身の、口は回るが人心を軽んじ空気が読めない社交性の低さも相まって、侯爵家は社交界に確固とした地位を築きあぐね続けた。


 家族仲がぎくしゃくし始めたのはこの頃らしい。まだ幼い兄と生まれて間もないカトリーヌを乳母や使用人に任せて、両親は揃って方々の社交場に顔を出して回ったが、成果はやはり芳しくなかった。

 二人は健気に支え合い頑張っていたつもりのようだが、連戦連敗がかさんで次第に気持ちが荒んでくると、互いに互いをなじるようになった。父は貴族としての基礎も所作もまるでなっていない母を責め、母は父の人望のなさと社交能力の低さを糾弾した。夫婦一丸となっての共同作業は、本人たちだけが気づいていなかったお互いの欠点を浮き彫りにしたわけである。


 一度愛情が冷め始めると、あとは転げ落ちるように関係は悪化していった。口喧嘩が増え、まともな会話が減っていく。

 母は徐々に子供たちに興味を失い、教育も交流も使用人に丸投げするようになった。どうしても必要な社交には参加して完璧に外面を取り繕ってはいるものの、それとは別に、個人主催の遊興目的の怪しげな会合にも耽溺し、火遊びを繰り返すようになっていった。

 父も同じく我が子に関心を失い、あちこちで愛人をこさえるようになった。それでも承認欲求を満たすことを諦めたわけでなく、むやみやたらと社交場に繰り出し、時には妻と子供を強制的に連れ出したり送り込んだりして、社交の道具にした。社交のための便利なツールとして子供に口うるさく干渉し、教育にも偏った力を入れて……愛情だけは注がない。


 しかしその足掻きを嘲笑うように、父はいつまで経っても社交界で認められなかった。某公爵の妨害であると気づいてなんとか挽回しようと動き回りもしたようだが、時すでに遅し。某公爵との面会は、今現在も叶っていない。

 さらに、実のところ妨害しているのは某公爵だけではなかった。父はすっかり見落としていたが、例の平民嫁取り事件には被害者がいたのだ。

 父の浮気が原因で袖にされた元婚約者と、どさくさに紛れて家を追い出された父の弟妹、つまりカトリーヌにとっての叔父叔母である。


 元婚約者は伯爵家の令嬢。しっかり者で、華やかな美貌とまではいかないが、貴族らしい美しさと貞淑さを兼ね備えた女性だった。侯爵家と婚約していなければ引く手あまただっただろう令嬢だ。

 しかし学園内ではぼんくらの浮気を堂々と見せつけられ、心無い連中に「婚約者を繋ぎ留めておけない魅力のない女」と後ろ指をさされ、たいそう惨めな思いをしたようだ。あまつさえ侯爵家から一方的に婚約破棄を突きつけられたことで、彼女は当時の社交界においていわゆる疵物扱いになってしまった。

 今でこそそこまで極端な考え方は下火になってきているものの、祖父の世代が現役の大半を占めていた時代までは、女性に少しの瑕疵も許さない風潮が根強かったのだ。男の浮気も女の不器量とされた。現在も完全に払拭されたわけではなく、婚約がご破産になった後の身の振り方や周囲の反応については、圧倒的に女性の側の負担が大きい。


 しかし元婚約者には拾う神がいた。それがエズモンド子爵である。

 エズモンド子爵は学園で彼女に一目惚れしたものの、彼女に婚約者がいることを知って潔く身を引いていた。子爵令息が侯爵令息の婚約者に横恋慕など許されるものではないし、無闇に人間関係を引っ掻き回すのは彼女自身の負担になる、と。実に真っ当な、分別のある男である。

 しかし感情はそう潔くはいかなかったようで、エズモンド子爵は振り切れない想いを抱えたまま彼女を陰ながら思慕し続けていた。

 そこへ来ての侯爵令息(ぼんくら)の浮気だ。エズモンド子爵は心ない婚約者の行動に弱りきっていた彼女を放っておけずに、支え、守り、励まし続けた。恋に溺れた浮気男と略奪女が卒業パーティーで大々的に彼女へ婚約破棄を言い渡すという頭の沸いた茶番劇を繰り広げた際にも、真っ先に事態の収拾と彼女の名誉回復に尽力したのも彼だった。そこには侯爵家から追い出された叔父叔母、さらには某公爵からの秘密裏の協力もあったようだ。

 関係者一同の連携の甲斐あって、この醜聞を口にすることも憚られるような風潮を醸造することに成功し、彼女の名誉もなんとか保たれた。

 その上でエズモンド子爵は彼女の心の回復を待ち、互いの気持ちをしかと確かめ合って、正式な手続きを経て婚姻を結んだ。父の元婚約者は、今はエズモンド子爵夫人というわけだ。


 人の口に上らない話題はあっという間に旬を逃し、風化も早い。それでいて某公爵の目は光り続け、エズモンド子爵の積極的な働きかけと、文官である叔父の暗躍や叔母の婚家の協力も手伝って、事の次第を知る者も、ほとんど知らない大多数の人間も、「カドレッド侯爵には関わり合いにならぬが賢明」という共通認識をぼんやりと共有することになった。理由も経緯も置き去りにしたままに。

 侯爵子息から一足飛びに爵位を得てしまった浮気男とその悪妻を表立って糾弾することこそ叶わなかったが、社交界において腫れ物扱いされる存在への零落は、罰として相応のものだろう。少なくとも自分の存在価値を他者の称賛でしか実感できない今の父には、覿面の効き目を示している。

 父が満たされる日は、本人が心を入れ替えない限り、永遠に訪れないだろう。



「これが、カドレッド家が今の状態になるまでのあらまし」


 きらめく池畔に佇んで、カトリーヌは長い長い昔話の末尾を、つまらなそうにそう結んだ。背後のベンチに座る人物の反応を恐れ緊張する気持ちを、ごまかすように、悟られないように。


 地平線には斜陽の気配。昼から夕に移行する短い時間帯の絶妙な日射の角度が、ささやかに波立つ広大な水面を輝かせている。

 輝き消えるきらめきの連鎖を背景に、一幅の絵画のように静止しているカトリーヌの背に、声がかかる。


「……そっか。じゃあ、侯爵がまだ酷い詐欺や蹴落としにあってないのは、その某公爵やエズモンド子爵の監視のおかげでもあるってことだね」


 穏やかな声はいつもどおり。少なくとも侮蔑や失望の感情が含まれていないことに、カトリーヌは密かに胸を撫で下ろした。そしてさすがの洞察に感心する。


「そう。某公爵の最大の目的は、サロンでの侯爵死亡という醜聞自体を事実上なかったことにすること。だから、過去の醜聞を掘り返すような醜聞の上塗りは許さない。必然的に、それがどんな思惑であれ、カドレッド家に近づこうとする人間には圧力がかかるわ。カドレッドが凋落しすぎても隆盛しても、サロン事件が再注目されるのは目に見えているもの。生かさず殺さず飼い殺しってわけ」


「それが結果的に侯爵自身のことも守ってるわけか。なんだか皮肉だね」


「ほんとにね……」


 某公爵の締め付けによって、父の得ている益は少なくない。

 孤立に追い込まれているということは悪意も遠ざけられているということ。でなければ父は浅はかな承認欲求を手玉に取られて、とっくの昔に破滅していてもおかしくないのだ。


 これが、カドレッド家の恥部。豊かな領地と長く続いた平和にもたれかかって、緊張感もなく何代も無能を輩出し続けた貴族の必然的末路。


 カトリーヌがどうしてここまで詳しいかと言えば、エズモンド子爵と手紙での交流があるため。だからこそ婚約打診白紙希望者たちをエズモンド子爵のもとへ誘導できたわけだ。

 某公爵はエズモンド子爵を介して、カドレッドの娘にも首輪をつけておきたいのだろう。利用されているとわかりつつも、カトリーヌは状況を利用し返している。面倒事を受け流すという、たったそれだけのメリットのために。


「……ねえカドレッド」


 少しだけ逡巡するような間を置いて、気遣いと、何か別の複雑な感情の入り混じった声が背後からかかる。


「どうしてそんな話を、僕にしてくれたの?」


「……」


 即答はできなかった。

 カトリーヌはたっぷりと言葉を探して、結局気の利いた言い回しひとつ思いつかずに、投げやりに答える。背後を振り返らないまま。


「誰かに聞いて欲しくなっただけ」


 嘘ではない。あの器用貧乏苦労人会計との会話に触発されて、衝動的に、何もかもぶちまけたくなったのだ。

 それでもその「誰か」は、ルペルトでは不足だった。

 胸からせり上がった衝動と共にカトリーヌの脳裏に思い浮かんだのは、たった一人だけだった。


「……そっか」


 答える彼の声は、真横から聞こえた。

 気づけば隣にソキウスが立っていた。きっちり真横に並んで、高さのほとんど変わらない目線で。

 きらめく池面のさらに向こう側を見つめる眼差しは、少女めいた顔立ちに反して、戦士のような勇ましさを秘めて見えた。


「うん、わかった。……なら僕も、頑張ってちゃんと立ち向かうよ」


 謎掛けのようなことを言って、ソキウスはカトリーヌを振り向いた。

 照れくさそうな、誇らしそうな、屈託のない満面の笑みを、カトリーヌは言葉の意味を問いかけるのを忘れて見入ってしまった。


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【完結済・コミカライズ】
身辺を清めてから出直してくださいませ

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