(19)自由と平等の抱える矛盾
幸いにしてリリアのぼやきは他の面々の耳には届いていない。ヒルデガルトはデレクの話を咀嚼しながら、珍しく眉間をほぐすような仕草をしている。
「……その状況ならば、わたくしの名前を出してしまえばなんとでもなったでしょうけれど」
「そうだな。今となってはそうすべきだったと思う」
「それはそれで厄介なものねぇ」
これはそれなりに根深い問題なのだと、ヒルデガルトは言う。
まず第一に、学生の自由にすべき課外時間を、外部の講師の一存で奪うのは学園の理念に背く行為である。
だが騎士科は本気で騎士団を目指している生徒を鍛え上げるためのものだ。
騎士の任務には理不尽がつきまとう。戦場とはそういうものだ。兵士は誰かの欲望や正義のぶつかり合いの代理をやらされ、理不尽に命を落としていく。敵やトラブルはこちらの都合になどかまってくれない。むしろこちらがもっとも不快で負担を感じるタイミングを虎視眈々と狙い澄まして仕掛けてくる。戦争は夥しい理不尽で構成されている。平和な世の捕物や被災者救助にしても、騎士団が必要とされる有事には何かと予測の立てられない理不尽がつきものだ。
だからこそ、騎士を目指す者はあらゆる理不尽に慣れておかなければならない。見習いが騎士団で真っ先に受ける洗礼は、先輩騎士から日常的に与えられる理不尽な命令や叱責だそうだ。それらに耐え、己の力と意志と工夫で問題を解決する能力がある者でないと、戦場の理不尽に潰されてしまうのだ。
そう考えてみれば、今回の特別講師の旧態依然として見える体育会系全開の判断は、実のところ長期的には合理的と言えなくもない、らしい。そのうえ英雄と謳われる騎士団長の息子を特別扱いしなかったのだから、今回の臨時教官は極めて公正な騎士の鑑と言えなくもない。
だがそのせいで、一生徒の──カトリーヌの安全が脅かされたとあっては本末転倒。デレクはヒルデガルトの名を出してでも早々に切り上げるべきだったし、なんなら今からでもヒルデガルトが講師のやり方を糾弾することも可能だ。
騎士にとって、上からの命令は絶対だ。上とは先輩であり、上官であり、果ては国家の頂点に立つ王である。もはや形骸化甚だしいものの、騎士が忠誠を捧げるべき対象は国家とその元首であるのだから。
その点、ザルツェイロス公爵家は王家に血筋が近い。ヒルデガルトと第二王子の気安げな関係性や連帯感を見るからに、家ぐるみで密接な付き合いがあるのは明らか。いわば王家の地続きにある公爵家という権威は、王家に仕えている(という体裁の)騎士に対して覿面に効力を発揮することだろう。
ところがこれがまた厄介なもので、家の権威を振りかざすということは、身分の垣根なく生徒を平等に扱うという学園の理念に反してしまう。それも生徒の模範たるべき生徒会の副会長が、だ。
今回の件は、リリア(とカトリーヌ)を生徒会に引っ張り込んだ緊急措置とはわけが違う。騎士相手に権威をちらつかせるのは、やり方を選ばねば王家の横暴になってしまうのだ。
単純に見える今回の遅刻事件、掘り返してみればかように複雑な二律背反を二重に孕んでいるのだ。遅刻したデレクと遅刻させた現役騎士ばかりを責め立てるわけにはいかない。
「──つまるところ誰が悪いかと言えば誰も悪くはないが、当事者各々が少しずつ気構えが甘かった、といったところだな」
横合いからかかった声は第二王子こと生徒会長アウレリウスのものだった。
かと思えば貴族としてはいささか無作法な、少年らしく思いきりの良い動きで、アウレリウスがカトリーヌとリリアの正面のソファに腰を下ろした。上座を譲ろうと腰を上げかけたヒルデガルトを軽く上げた手で制して、代わりに強い眼差しでヒルデガルトの目を覗き込む。
「ヒルデ、君も言うべきことがあるだろう」
ヒルデガルトは、む、と形の良い唇を引き結んだ。珍しい……というか、カトリーヌにとっては初めて見る子供っぽい表情だ。
そして小さくため息をついたのち、ヒルデガルトはカトリーヌとリリアに神妙に向き直った。
「会長の仰る通り、このたびの一件において誰かを責めるのは筋違い。すべてはわたくしの責任であり、わたくしの手落ちです。あらかじめわたくしから騎士科に正式に話を通しておけば、このような混乱は起きなかったことでしょう。そしてなによりもまず、デレクに護衛を頼んだことを当事者であるお二人に伝え、迎えが来るまでは待機して頂くよう指示しておくべきでした」
呆気にとられるカトリーヌの前で、ヒルデガルトは下げずとも良いはずの頭を、真摯に、深々と下げた。
「わたくしが至らぬゆえに、要らぬ混乱を招いてしまったこと、とりわけカトリーヌさんには不快な思いをさせてしまったこと。心より謝罪申し上げます」
「……──えぇえっ? いえ、あの、ヒルデガルト様、別にそんな、謝ってもらうようなことじゃ……!」
あまりにも唐突な謝罪に、カトリーヌは一拍反応が遅れたうえにろくに言葉が出て来ない。まさか人に謝られるだけで自分がこんなポンコツに成り下がるとは、不覚である。
にも関わらず、あろうことかアウレリウスまで追い打ちをかけてくる始末。
「いや、この謝罪は受け取ってもらう。かく言う私も配慮に欠けていた。早めに帰宅などさせずに、皆同時に作業を切り上げて令嬢がたを校門まで送るべきだった。生徒会に入ることで君たちが学園内で微妙な立場になる可能性は見越してはいたものの、実際に不審者に絡まれるところまでは想像が及んでいなかった。──すまなかった」
いと貴き国の宝である王子の頭と、王家に準ずる公爵家の姫の頭が、今まさに自分に向けて下げられている。
その事実に優越感を覚えるような愚か者にはなりきれずに、カトリーヌは顔を覆って天を仰ぎたい気分で深い深いため息をついた。焦って渦を巻いている思考を蹴って殴ってなんとか地面に叩き伏せ、今できうる限りの毅然とした態度を引っ張り出す。
「……お二方、どうか御頭をお上げください。何度も申し上げておりますように、謝罪は不要です」
反論が返ってくる前に言葉を重ねるために、カトリーヌの脳はフル回転する。ここでこの二人を謝罪させるのは絶対に違う。
「わたくしもリリアも、自身に護衛が必要な状況だとは認識しておりませんでした。そのような体たらくにも関わらず、ヒルデガルト様がわたくしどもの浅慮を飛び越えて護衛を手配してくださったこと、ローヴァンがその役目を引き受けて責任を感じてくださったこと、生徒会長が私ども末端の役員に目をかけてくださっていること……感謝こそすれ、その善意の行為が不発だったと恨みに思うことはございません。むしろあの場にローヴァンが駆けつけてくださらなければ、事態はより深刻な状況に陥っていたことでしょう。わたくしこそ感謝しなければなりません。皆様、わたくしどものためにご尽力頂き、誠にありがとうございました」
「……あっ! ありがとうございましたっ!」
深々と頭を下げ返すカトリーヌの姿に、遅ればせながら空気を読んだリリアもとってつけたように勢いよく頭を下げた。
カトリーヌの態度を黙って見定めていた生徒会長と副会長は、互いに含みのある視線を交わらせた。会長は肩をすくめるにとどまり、副会長は少し困ったような笑みでカトリーヌとリリアに向き直る。
「カトリーヌさんの……いえ、お二人のお気持ちはわかりました。ならばわたくしたちも謝罪は取り消します。その代わり、今回の件は今後の課題として反省し、きちんと事件の善後策を練らねばなりませんわね」
「同意する。差し当たり騎士科の課外時間拘束の件は、「少し度が過ぎている」という論調の意見書を教職員会議に提出する方向でどうだろうか。学園内での指導はもう少しやり方を考えろ、とね」
「……いいのか? そんなこと」
アウレリウスの案に、当のデレク自身が首をひねっている。教員のやり方に意見を言うというのは、騎士を目指す彼にとってはあるまじき姿なのだろう。
彼の懐疑を、会長も副会長も実ににこやかに切って捨てる。
「生徒の仕事は学ぶこと。苦労をすることではない。もちろん怠けて良いというわけではないが、学園の運営上で起こったあらゆるトラブルの責任は全て大人が被るべきものだ。我々は今回の失敗を反省し、糧として社会に出た後に活かそう。だから今現在変えなければならない現実は、我々ではなくすでに社会に出ている大人が苦労して変えるべきだ。そうだろう?」
「もちろんですわ。「先生方はいつも学園と違って外の社会は甘くないから気を引き締めろと仰るけれど、その理論をまかり通らせたいのならば、外と明確に線引きできる学園環境を作る努力を最大限されてから説教されてはいかが?」とでも添えて提出いたしましょう」
先程までの殊勝さはどこへやら、実にイキイキと、八つ当たりとも嫌がらせともつかぬ陳情書で盛り上がる王子と公爵令嬢。平和な世ならではの子供の小狡さ全開である。
「というわけで、聞いていましたわねジュルダン! さっそく草案の制作にとりかかりなさい!」
「……文言は変えますよ」
「もちろん君の言葉で存分にやりたまえ。類まれなるその文才で、逐一ネチネチさりげない嫌味を利かせるのも忘れないように」
ついには話し合いに参加せずに隅の方で真面目に事務作業に勤しんでいた書記にまで絡みだした二人の暴走っぷりを見やりながら、デレクがこめかみを掻いた。
「……なんというか、生徒会ってのは愉快なところだな」
「ええ、まあ……」
多分あれで、湿っぽくなりそうな空気を切り替えてくれているのだろう。カトリーヌが変に気負わないように。
はしゃぐ会長と副会長を呆れた目で眺めながらも、カトリーヌの口元は我知らずうっすらと笑みの形に緩んでいた。




