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(9)少しずつ動き出す

 過ぎゆく日々の傍らに、カトリーヌはソキウスから追加でもらった試作品の端切れを常に持ち歩くようになった。疲れた時、浮かない時、何も考えたくない時──まあカトリーヌはほぼ常時そんな感じなのだが──暇さえあれば人目のないところで光に透かして無心で眺めるのが習慣になった。

 放課後はできる限り大判のほうの布地を持って、池畔で踊る。よっぽどの用事や事情がない限りソキウスはそこにいて、いつものように他愛ないおしゃべりをして、踊りを見守ってくれる。


 最近はもっぱら例の新作布地について意見を交わしている。


「あんまり強い生地じゃないから、まずは髪飾りとか、ドレスのワンポイント飾りとか、そこから売り込んでいく予定なんだ。ただ今後のためにもっと幅広い使い方も考えておきたい。それこそ、最初に言ったショールみたいな」


「……ニッキーとレッスンしてて思ったけど、ステージ衣装に合うと思うのよね。発色がいいし、透けたり重なったりして表情豊かに演出できるから、遠目から見てもかなり映えるんじゃないかしら。使いどころもいろいろありそうだわ」


「いいねそれ! となるとやっぱり、柄も入れたくなってくるなぁ」


「織り込めないの?」


「仕上げに特殊な薬剤を使って透け感を出すからね、最初に見込んだとおりの柄を出すのがかなり難しくて。強度問題とあわせて、そこは今後の研究次第ってとこ」


「ふうん……柄か……」


 確かに、透ける生地にうっすらと何かの柄が浮かび上がれば、用途の幅は格段に広がるだろう。

 商業化のためのアイデアをああでもないこうでもないとつらつら話すソキウスの言葉を片耳に、カトリーヌは一人ひっそり、試作品を日に透かして物思いにふける。


 この布地に、柄をつけるとしたら、どんな模様がいいだろう?

 どんな柄を、自分は身につけたいのだろう……




 日々端切れを眺める習慣にそんな物思いが加わってから数日後、裁縫の授業でのこと。


「──よろしいですか皆さん。貴族の息女として備えておくべき技能は山とあります。昨今では奥様方が刺繍を嗜む文化もずいぶん廃れているようですが、どうせ無駄になるなどと腐らず、まずは学び、実践してみることが重要です。伝統は大切です。将来何が役に立つかはわかりません。苦手に感じたとしても、基礎的な図案だけは教養として身に着けておきましょうね」


 それは講師が生徒たちをなだめるための口癖のような常套句だった。なにせ講師自身も認めている通り、刺繍なんて時代遅れというのがもっぱらの風潮だ。生徒たちのやる気もいまひとつ。

 親から刺繍を受け継ぐなんて上等な環境にないカトリーヌも、いつもなら聞き流して、そこそこ及第が取れる程度にしか力を入れていなかった。

 が、今にしてみると少し後悔のようなものが滲んでくるのを感じる。もっと身を入れて学んでおくべきだった。


 布地に図案を入れるにしても、素人のカトリーヌにはアイデアがないのだ。基礎とされる図案は確かに習ってきたが、シンプルすぎるし古臭くて垢抜けないうえ、興味もなかったからたいして身についてもいない。明らかに蓄積が足りていない。

 もっと琴線に触れるような図案をどこからか調達できないか、図書館に行って画集を借りてみようか、などとつらつら思い巡らせながら漫然と針を持つ手を動かしていた、その時。


「そうそう、今度、学外から講師がいらして特別な講義をしてくださいます。参加は任意ですが、この件は保護者の方にも連絡が行きますので、よく話し合って出欠を決めてくださいね」


 ええ~という不満の声で手芸室が騒然となる。それだけ刺繍が苦手な女子が多く、それを心得ている保護者の意向で特別講義に押し込まれる可能性が高いと見ているわけだ。

 しかしこれは、カトリーヌにとってはチャンスである。


 カトリーヌは講義直後、すぐに特別講義への参加意向を講師に表明した。講師は何事にも積極的とは言えないカトリーヌからの申し出に驚きはすれど、受講を歓迎してくれた。

 ただし、保護者の許可は当然必要となる。


 帰宅後、カトリーヌはさっそく父を捕まえて、特別講義参加について交渉した。

 家庭内がうまく回っていると見せかけたい父にすれば、ダンスの特別教室同様許可しがたいものだろう。実際少々渋られたが、今回はカトリーヌにも勝算があった。

 ダンスと違って、刺繍の家庭内継承文化はかなり廃れてきている。親世代からしてすでに技術が失われているケースも少なくない。子供らが嫌がっても、「この機会に」と受講させたがる保護者はそれなりにいるはずだ。その中に高位貴族が一人二人混じったところで気にされるような世相でもない。

 それに、否応なく互いの試技が見えてしまうダンスと違って、刺繍は個人のもの。手元を覗き込まれるとか、見せっこしようとか、講師が無駄に注目を集めさせるとか、そういう無神経なアクシデントでも起こらない限り、そうそう腕前は露見しないはずだ。侯爵家の娘がまともに技術を継承していないという事実など、他の生徒は知る由もないし、学園の講師は口が堅い。


 ……と、以上のように論理的に「諭した」のち、


「すでに講師には参加する意向を伝えてあります。あとから親の許可が下りなかった、となるほうが外聞が悪いと思いますが」


 極めつけに淡々と追い打ちをかけてやると、父は嫌そうな顔をしながら「好きにしろ」と突き放し、講義についての書類もろくに読まずに乱雑にサインをして、さっさと書斎に引きこもってしまった。……娘に言い負かされて拗ねる狭量な姿がどれほど滑稽か、いい大人がもう少し自分を客観視できないものか。


 ちなみにこの件で、少々意外なところから意外な反応があった。


「えっ、あっ、カドレッドその講義受けるんだ!?」


 受講を決めた翌日に事情を話すと、それこそよっぽど意外そうにソキウスが目を瞬いて驚いていた。


「何。私が刺繍をしてたらそんなにおかしいかしら?」

「いやいや全然! そっかぁ……うん、すごくいいと思う!」


 なにやら一人で納得しているソキウスの横顔が、なんの屈託もなく純粋に嬉しそうだったのは、やけに印象に残っている。




 ともあれ、カトリーヌが自らの手で勝ち取った特別講義の日はあっという間にやってきた。

 初回にはやはり結構な人数が集まった。全学年から寄せ集められて、三十人足らずといったところ。毎回は出席できない生徒もいるだろうから、全体の人数はもっと多いだろう。

 カトリーヌはいつもの地味な三つ編み姿で、群衆の一人としてその場に馴染んだ……つもりだった、のだが。


「お静かに。こちらが皆さんに講義をしてくださる、ミセス・マトローネです」


「本日より皆さんの講師を務めます、マトローネと申します。よろしく」


 つんと澄ました雰囲気の貴婦人は教員の紹介に応えて受講生らの前に出ると、講義室を一通り見回したのち、カトリーヌの姿を捉えてすっと瞳を細めた。


「……えぇ?」


 思わずカトリーヌの口からぼやきが漏れる。


 硬く、冷たく、探るような……どうあっても好意的とは言えない視線が、確かにカトリーヌ一人を見据えていたのである。


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