第108話 思い上がりの独り善がり
「旦那様! 意識が戻られたのですね! 良かったです! 今回は本当にもうダメかもと思いました」
「トゥール卿! 気が付いたのですね!」
私と執事のリプトさんがトゥール卿に駆け寄る。トゥール卿はまだ身体が動かせないのか、頭と視線だけを動かして、私たちの顔を確認する。
「すまない、レイチェル嬢にもリプトにも迷惑を掛けたようだね。二人の声はちゃんと私に届いていたよ、お陰でこうして再び意識を取り戻すことができたよ」
そう言って、トゥール卿は私たちに弱々しい笑顔を作る。
「何を仰いますか、旦那様、私たちは旦那様の健やかな生活を送る為に生きております。迷惑だなんて微塵も思っておりませぬ」
「そうですよ、私も私の事を友人と仰って下さったトゥール卿の友情に答える為に、当然の事をしたまでですよ」
リプトさんと私がトゥール卿に微笑みかけて答える。
「あぁ、私は本当に良き人々に恵まれて幸せな人間だよ…リプト、私の身体を起こしてくれないか、大切な御令嬢の前だ、失礼をしたくはない」
トゥール卿はそう言って上体を起こそうとする。
「いえいえ、トゥール卿はまだ完全ではないご様子なので、そのままで結構ですよ」
「いや、大切な友人に重大な話をするのだ、寝たままの姿ではできないよ、リプト、頼む」
「はい、旦那様…」
私が制止するのも聞かずに、トゥール卿はリプトさんの手を借りて、上体を起こして私に向き直る。
「さて、オードリーに私の容態を告げないようにした話だったね」
トゥール卿は息を吹き返しはしたものの、まるで私に遺言でも残すような表情を向ける。
ここは彼の意思を尊重して、黙って彼の話を聞いた方が良いだろう。私は頷いて同意を現す。
「レイチェル嬢、オードリーにとって、今は昔からの演劇を続けていく為の重要な時期だと思うのだよ、現にオードリーはオペル座の舞台で主役の座を勝ち取っている。そんな娘の大事にな時期に私の事でいらぬ心配や足手まといにはなりたくないのだよ」
確かにトゥール卿の仰ることは筋と道理が通っているように聞こえる。でも、何か…何かを、見落としている気がする。
私はその見落としを、前世を合わせても僅か18年の人生を振り返って見つけ出そうと思い出す。
トゥール卿はこんな青二才の私を友人だと言ってくれたので、その彼の意思は尊重したい。彼の娘に対する献身的な親心も本物だと思う。それは間違いない。
尊重すべき意思と、本物の親心。しかし、何かを見落としている。それに気が付かないと、トゥール卿とオードリーの二人はシャツのボタンを掛け違えるように進んでいき、最終的には分かり合えないままの死別と言う最後を迎えてしまうかもしれない。
そんな事をさせてはダメだ。それでは大きな禍根を、心に大きな傷を残してしまう。
でも、すぐにトゥール卿を納得させる上手い言葉が思いつかない。私が前世でちゃんと父親の存在に向き合わなかった為だ。気に食わなかったから関わらなかったし、深く考えようともしなかった。しかし、今そのツケがこんな所で回って来るなんて思いもしなかった。
私はようやく無知で幼稚な自分自身の姿に気が付いた。私の事を大切な友人と言ってくれた人に対して掛ける言葉も思い浮かばないなんて、私は学園に入れただけで思い上がっていた愚かな一人の人間でしかない。
無知で幼稚で愚かな私でも今ここで、言葉を紡がなければ、トゥール卿とオードリーが不幸な結末に向かってしまうと感じる。この感覚は間違いではないことだけが私には分かっている。
なぜ、分かっているのか… あぁ…そうか…そうだった…
「そんなのダメです…」
私は自然と言葉が漏れていた。
「そんなの絶対にダメです…」
「レイチェル嬢…」
独り言の様に言葉を口にする私に、トゥール卿は私に言葉を掛ける。
「そんなのトゥール卿には良くても、オードリー嬢には良くないです!」
私は頭で考えているのではなく、心の赴くままに言葉を口にしていた。
「役者とは他人を理解し、その胸の内の思いを自分も感じる事で、ようやくその人物になり切って演じられると思います。なのに、一番身近な人の思いを推し量れない様では、今は良くても役者なんてやっていけませんよ!」
私はオードリーの友人でもあるのに、その友人の父親であり、私自身の友人でもあるトゥール卿の前でオードリーの事を論う。
「それに…それに…後になってその人の思いに気が付いた時にはもう取り返しがつかないのですよ!! そんなものを背負ってどうやってその後の人生を送って行けばいいんですか!」
私は思いのたけをそのまま口にしていたために語気が荒くなり、かなり感情的になっていた。
「トゥール卿が亡くなってから、その想いにオードリー様が後で気が付いても、もう取り返しはつかないんです!トゥール卿はそんなものを娘さんに…オードリー様に背負わせるおつもりなんですか!!」
トゥール卿は語気を荒げる私の言葉を、目を見開いて聞いていた。執事のリプトさんは声を上げる私と、言われたままの自分の主の間で、どうすべきかと顔を行き来させていた。
こんな小娘が、こんな私が、私の人生の何倍も生きてきた人物に、声を荒げていうなんてかなり失礼な行いだ。でも、私は二人の事を…そして自分自身の事を思うと声を上げずにはいられなかった。
「あぁ…レイチェル嬢…」
トゥール卿は身体をわなわなと震わせる。
「私は…私は…思い上がって、独り善がりな事を考えていたようだ… 自分自身が我慢をしていれば、全て娘の為になると考えていたが、それは過ちであったとようやく気が付く事が出来たよ… 私の思い上がりと独り善がりの為に、娘に…オードリーに大変な重しを背負わせるところだったのだな…」
ベッドの上はぽたぽたと濡れていた、トゥール卿が涙をながしていた。そして、私もいつしか涙を流していた。
「私は…私は本当に幸せ者だ…本当に良き友人と知り合えた…」
「はい…旦那様、レイチェル嬢は誠に旦那様の良き友人でございます」
リプトさんも動揺に瞳を潤ませていた。彼も主であるトゥール卿とオードリーのもどかしい関係に心を痛めていたのだろう。それがようやく解消されそうになっているのだ。
「レイチェル嬢、本当にありがとう… 私は娘にこの事を伝えようと思う。リプト、オードリーの所へ使いの者を出してくれるか?」
「少し、お待ちいただけますか?トゥール卿」
トゥール卿がリプトさんに使いの者を送らせるのを私は言葉で止める。
「どうしたのかね?レイチェル嬢」
「その役目、私にやらせてもらえませんか?」
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