005:皇女の苦悩
「本日も御勉学にお励みなさり、お疲れ様でした、殿下」
「ええ」
ルチルは本日分の授業を終え、エルフリーデにエスコートされながら、自らに割り当てられた寝室兼私室へと歩んでいた。
宮廷育ちのルチルにとって、私室と寝室が兼用というのには慣れないが、今は疎開中のため仕方ないと割り切っている。
未だ幼いと言える年齢だが、その辺りを割り切れるだけの情緒は育っているようだ。
「帰ったわよ! クォーツ一号、二号!」
「オ帰リナサイマセ」
「オ帰リナサイマセ」
それに、この部屋には彼女の気に入りの《《おもちゃ》》もある。
ミナカミから小間使いとして与えられた、二体の魔導人形だ。
何が琴線に触れたのかは本人のみぞ知るばかりだが、彼女は魔導人形をいたく気に入っている。
名前までつける有様だ。
なんとミナカミに強請り、会話機能までアップグレードで後付けさせる始末である。
完全にペットか何かのように扱っている。
「オ掃除、完了シテオリマス」
「チリ一ツ残ッテオリマセン」
「ご苦労っ! 今日も可愛らしいダンスを見せてくれるかしら!?」
「ハイ」
「仰セノママニ」
ルチルがそう命じると、クォーツ、と名付けられた魔導人形達はカクカクとした動きを始める。
皇女が学ぶような社交ダンスではなく、完全にロボットダンスである。
「はわぁ……」
それを、彼女はえらく気に入っている。
こうして暇さえあれば踊らせるほどに。
「(な、何が良いんだろう……)」
ルチルの侍従たるエルフリーデには良さが理解できないのか、かといって敬愛する殿下の趣味を否定するなど言語道断であるので、ただ黙って彼女の後ろに控えて、奇妙なダンスを踊る魔導人形と、それを見つめるルチルを、見守っている。
端から見ればものすごく奇妙な光景だろう。
だが、宮廷を離れてから、与えられた宿舎での半軟禁生活の中で、この光景は掛け替えのない日常にもなっていた。
事実、宮廷に居た頃のルチルは勉学ばかりで、趣味らしい趣味というものが無かったのだ。
こうして表立って好きなものに出会えたのは、エルフリーデからしても喜ばしい誤算と言えた。
それを共有できないのは、護衛として心苦しくもあったようだが。
やがて無骨な踊りを終えると、二体の魔導人形は恭しく礼をする。
それにルチルは大喜びで拍手で返すのだった。
「いつも通り素晴らしいダンスだわ!」
「オ褒メニ預カリ光栄デス」
「恐悦至極ニゴザイマス」
「(礼儀はなってるんだよな……、この魔導人形達……)」
余談だが、魔導人形に組み込まれるプログラムは、それを書き込む魔導師による影響が大きい。
要するに、魔導師次第で魔導人形の性格が左右されるのだ。
ミナカミがプログラミングをしたので、このように恭しい魔導人形が出来上がっているだけで、本来の用途に用いられる魔導人形は最低限の会話くらいしか返さない。
この辺は、皇女殿下に献上する魔導人形だから、というわけではなく、単純にミナカミが凝り性だからである。
“まぁ感情豊かなら喜ぶだろう”とプログラミングを凝った結果と言える。
元々無言の魔導人形すら可愛いと思っていたルチルが、想像以上にのめり込んだので、正解だったか不正解だったかは、わからないが。
「殿下、そろそろ……」
「えぇ、分かっているわ。クォーツ一号、二号。休んでよろしい」
「失礼致シマス」
「マナ充填モードニ移行シマス」
部屋の隅にある充電器に座し、動かなくなる魔導人形達を尻目に、ルチルは卓に向かい教本を広げる。
彼女が私室に戻ってからは、塾では教えられない範囲の勉学をする時間だ。
主に帝王学、礼儀作法の座学となる。
どちらも教わろうと思えば、教えられる内容ではあるのだが、“帝都の流儀がある”という帝室側の主張により、こうして自主学習に留まっている。
実際、カリキュラムとしての内容は違うものの、分野はアンナと同じ物を授業として取り扱っているため、帝王学などは明らかに村娘向きではないので、バッティングせず助かった、とはミナカミの弁である。
「…………」
静々と黙読し、教本のページを捲る。
それを、護衛たる従者はただ黙って見つめている。
疎開してから、日常となっている一幕である。
礼儀作法はともかく、帝王学の教本は、こうして疎開してから読み始めたものだ。
まずは根幹の理解から始めなければいけないため、エルフリーデもあれやこれやと口出すをする暇がない。
今日も食事の時間までこうして読み続けるのだろう。
エルフリーデがそう思っていると、不意に教本が閉じられる音が部屋に響いた。
「……殿下?」
「ねえ、エル」
「は」
「こうして、ワタシが帝王学を学ぶことに、何か意味があるのかしら」
「…………と、申しますと」
どうやら本日は、普段通りとは行かないようだ。
エルフリーデは姿勢を正し、ルチルにあらためて向かい合う。
「だって、そうでしょう? 継承権を持っていたお兄様方は亡くなられて、お姉様方はとっくに隣国に嫁いで。ワタシ自身もいつかは嫁入りする身だと教育を受けてきて、いきなり帝王学を学べ、だなんて。おかしな話だわ」
「殿下、それは……」
「本来なら、男児で年上のライナルトお兄様が次期皇帝になるのが習わしでしょう?」
「…………御意に申します」
「それなのに……。まるで《《ワタシが皇帝になる可能性がある》》と言われてるようなものだわ」
「────!」
ソディア帝国第三皇女、ルチル──、アウレリア・ベッセル・ツ・ソディアは、聡明な童女である。
次期皇帝がほぼ決定していた帝国において、自らの役割は嫁入りし、諸国との関係を繋ぐものだと理解していた。
そしてその聡明さは、その環境が一変した今も、一切曇りはしていなかった。
薄っすらと、感じ取っていたのだろう。
帝都に残った皇子と皇女、どちらを擁立するかで、国が割れていることも。
第三皇子ライナルト派か、第三皇女アウレリア派か、派閥争いが激化していることも。
「……………………」
エルフリーデは、何も答えられなかった。
貴族ではあるが、一介の騎士であり、皇女の護衛という身分でしかない。
自らが政治に、況してや皇女の進退に、どこまで口を挟んで良いか。
本来ならば、ただ意見するのも越権行為である。
皇女が産まれてからの護衛という立場、まるで姉妹のように育ってきた彼女たちだが、どうしても越えられない身分の差というものが、今うず高く聳え立っていた。
「ワタシは……、ジークヴァルトお兄様が皇帝になるとばかり思っていたわ」
ジークヴァルト・ローラント・ツ・ソディア。
軍事演習の際に《《事故死》》した、継承権を持つ第一皇子、帝室の長兄である。
第二皇子のジルヴェスター・ベルトホルト・ツ・ソディアと共に亡き者となり、国が割れる原因となった事件の被害者だ。
彼らは《《きょうだい》》想いであり、アウレリアの元にも足繁く通い交流をしていた。
アウレリアも良く懐いていた、自慢の兄であった。
皇帝になるのはこういう人物だと、心の底から思っていた。
「ワタシは、ジークヴァルトお兄様のようにはなれない」
「殿下……」
「どれだけ帝王学を学ぼうと、皇帝になんて、なれないのよ……」
「……………………」
室内を悲痛な静寂が包む。
否定してほしかったのか、肯定してほしかったのか。
それはアウレリアの──、ルチルの胸の内にしか、分からないことだった。
◆
「なれるんじゃない?」
「……は?」
翌日の授業の日、昼休み、昼食の時間。
学友のアンナと(ミナカミが用意した)昼食を取っている際の事だった。
ルチルは昨日のことを不意に思い出し、誰に聞かせるでもなく独りごちていた。
“──皇帝になんて、なれるのかしら”
と。
アンナに聞かせるつもりはなかった。
実際、アンナが聞き取れる声量ではなかった筈だった。
が、何の因果かアンナは聞き取ってしまい、脊髄反射で何も考えず返事を返した。
珍しく、今日はエルフリーデが不在だったのが功を奏したのかも知れない。
もし居たら、ひどい口論が始まってしまった可能性もあったからだ。
「?」
聞いた形になってしまったルチルが逆に固まり、アンナは不思議そうに首を傾げる。
そして、焼き立てのパンを口に運び咀嚼している。
あまりに呑気すぎるその姿に、ルチルはかっと頭に血が登った。
「あ、貴女ねえ! いくら政治に疎いからと言って、そんな無責任な事言わないで頂戴!」
「え、無責任だったかな……」
「……なんですって?」
何か意図があって発言したのだろうか。
未だ短い付き合いではあるが、年上の、この絶妙に頼りにならない、しかし友誼は結べつつある、学友の言葉に耳を傾けてみよう。
そう思ったルチルだったが。
「あたしなりに、ルチルちゃんはいい子だから、頑張れば皇帝陛下にだってなれるよって、思って言ったんだけど……」
「…………」
聞くだけ無駄だったかも知れない。
一瞬そう思ったが、ルチルは、はたと気付く。
そういえば、政治に疎い、どころの騒ぎではなく、彼女は帝都で何が起きてるかすら知らないで発言しているのだと。
だから、単に応援してくれているだけなのかもしれないと。
「それ、励ましてくれてるの?」
「えっ、うん」
「……そう」
そうだった、良くも悪くも、眼の前の人物は単純なのだった。
笑いたければ笑うし、怒りたければ怒るし、困りたかったら困る。
それが友人と一緒なら、一緒に行動に起こす。
その単純さを、少しは見習うべきなのかも知れないと、ルチルは思った。
「そう…………。とりあえず、礼は言っておくわ」
「そういう時はちゃんと“ありがとう”って言うんだよ!」
「う、うるさいわね! 分かってるわよ!」
脊髄反射で話をしすぎるのも、流石にどうかとも思ったが。
「………………ありがと」
「どういたしまして!」
でもなんとなく、こういう友人も、悪くはないのかな、と。
そう思った。
◆
「密偵からの定時連絡はまだ来ぬか」
「は、そのようで。ダミアン閣下」
時は少し遡り、ルチルとエルフリーデがアゼ村に疎開してから数日経った頃。
帝都の宮廷内、薄暗い部屋にて密会する男が居た。
ダミアン・アウグスティーン・フォン・バルシュミーデ。
彼女らに密偵を尾行させた、先代皇帝からの帝国の重鎮であり、恰幅の良い初老の男性である。
いかにも神経質そうな、眉間に皺の寄った表情と、整えられた白混じりの髭が、彼の性格を端的に表している。
彼は私室にて、側近と共に苛立たしい声を潜めていた。
「全く……、ライナルト第三皇子殿下に御即位して頂くには、あの小娘の動向を逐一知る必要があるというに……。何をしておるのだ。何のために、《《ジルヴェスター》》派を焚き付けたと思っている」
「閣下、お声が少し大きゅう御座いますぞ。戸は立てられぬと申します」
「わかっておるわ。愚痴くらい吐かせい」
「しかし閣下……」
側近がダミアンを諌める。
彼が第三皇子派閥の主流であるのには、理由があった。
ダミアンは爵位で表すと、公爵の位を戴く大貴族である。
親族には現皇帝の側室がおり、その子こそが第三皇子ライナルトなのだ。
要するに、自らの親族を次期皇帝にしたい。
そのために、第二皇子派の派閥を焚き付け、謀殺騒動を起こさせ、今度は邪魔な第三皇女を排除すべく、動いているという訳だ。
端的に言えば、現在帝都を渦巻いている暗雲の、中心人物である。
その彼の、途中まで上手く言っていた企みが、中途半端に躓いている。
神経質な彼は苛ついていた。
まだ愚痴を吐き足りない、と思った時、密やかに私室のドアがノックされた。
「入れ」
入室してきたものは、宮廷に放っていた草の者であった。
「どうした」
「は、閣下が放った密偵ですが……」
「ようやく書状の一つも寄越したか」
「いえ、その、……只今、帰還しました」
「……なんだと?」
思わず豪奢な椅子から音を立て立ち上がるダミアン。
密偵には火急の用無き以上は帰還するな、と命じてあったからだ。
放って数日で火急になるとは、明らかに異常である。
「……通せ、でなければ事情もわからん」
「は、はい」
しばらくして、再度ノックの音が響く。
入れ、と命じて入室してきたのは、成る程確かにダミアン自身が放った密偵であった。
しかし、慌てた様子も無ければ、何かに襲われて傷ついたような装いでもない。
ただ、ばつが悪いのか、視線は泳ぎ、身動ぎしている。
その様子を見て不思議がるが、まずは話させねばならないと、ダミアンが口を開く。
「……どうした、何故帰還した?」
「はっ、その件なので、す、が…………」
「?」
事情説明しようとし始めた密偵の様子が、急激におかしくなる。
手足は震え、目は血走り、終いには口の角から泡を吹き始める始末。
「あ、ああ、あ、ああ、あ、い、いけない、いけません、関わっては、あの、あれに、あぁ、い、いけ、いけない」
「なんだ、何があった」
「い、いけ、いげっ、お、おぼええええ…………、え、げ……」
「き、貴様! 閣下の御部屋で粗相を!」
密偵が吐瀉物をぶち撒け、そのままどたんと音を立て倒れ伏し、側近が激昂する。
私刑をくれてやろうと側近が密偵に近寄ると、異変に気付く。
「き……、気絶しています」
「………………」
ダミアンの心情を一言で表すならば、困惑であった。
何一つ要領を得ないどころか、嘔吐し、気絶までするとは、本当に尾行した先で何があったのか。
不可解極まるとはこのことである。
「い、如何なさいます、閣下」
「……子飼いの宮廷魔導師に見せよ。魔導による影響の可能性もある」
「は、ははっ!」
側近が部屋の傍にいた小間使いに掃除を命じると、密偵を抱え退出する。
小間使いが文句一つ言わず汚物の掃除をしている様を視界の端に捉えながら、ダミアンは思案する。
これ仮に魔導が関わってなかったらどうしよう、と。
しばらくして。
子飼いの宮廷魔導師から送られてきた診断書によると、魔導の影響はない、というものだった。
「……………………」
「……どうします? 閣下」
「……………………………………」
側近の手前出来なかったが、ダミアンは頭を抱えたかった。
頭を抱えたかったが、そこはそれ、権謀術数渦巻く宮廷で、重鎮とまで呼ばれる程、のし上がった器である。
動揺を表に出さず、淡々と現状を動かすよう取り計らう。
「計画を前倒しにする。例の指示を出せ」
「か、閣下! それは時期尚早というものでは……」
「良いか、不測の事態は既に起きているのだ。時期尚早などという時期は過ぎ去っていると心得よ」
「は……ははーっ! お言葉のままに!」
側近はダミアンの言葉に深々と最敬礼をすると、急ぎ足で退出していった。
「それに……クク、いざとなれば……わしには《《これ》》もある……」
ダミアンの手中で、宝玉が怪しい光を放つ。
宮廷の空は、分厚い雲に覆われていた。
◆ダミアン・アウグスティーン・フォン・バルシュミーデ
【性別】男性
【種族】祖人
【身長・体重】172cm 80kg
【年齢】67歳
【好きなもの】地位 権力
【嫌いなもの】自らの足を引っ張るもの
【特技】権謀術数
【食事の嗜好】贅を尽くしたもの
【性格】傲慢
【一人称】わし
【武器】剣と盾
・ソディア帝国貴族。
公爵の爵位を持つ大貴族であり、重鎮。
親族に皇帝の側室がおり、前皇帝時代から様々な政策を打ち立てているため、現皇帝からの信も厚い。
が、その実は親族を取り立てることで自らの地位を盤石にしたいだけの俗物である。
妻子がいたが、子は戦場で、妻は病気で亡くしている。
周りからは妻子を亡くしてから人が変わったように権力に執着するようになったと言われているが、真意は不明。




