021:それぞれの帰路
──帝都宮廷、城門前。
髪を解き、ドレス姿のアウレリアと、礼服のエルフリーデ。
いつも通り不審者なミナカミに、普段着のアンナ。
対極的な二組が、門を境に立っていた。
ミナカミとアンナは、事件が起こった当日は、アウレリアの私室に招かれ数日を過ごし、(と言ってもミナカミは当然同じ寝室を与えられず、アンナに至っては緊張で良く寝付けなかったようだが)翌日、アゼ村に帰る手筈になっていた。
つまり、二組の別れの日、ということになる。
「今まで色々世話になったわね、先生」
「ツインテール、止めたのか。似合っていたのに」
「もう、無邪気な田舎村の生徒じゃいられないもの」
くすり、と上品に笑みを浮かべる。
どこか朗らかさが垣間見えたのは、村での生活の影響だろうか。
「アンナ殿、今思い返しても、あの時は見事であった。是非、将来は帝国騎士の道を目指して頂きたい!」
「あ、あはは……なんか知らないけど、エルフリーデさんと仲良くなれてよかった!」
「うむ! 貴殿のような勇敢な者と友誼を結べることは喜ばしい!」
「な、なんかなー?」
相変わらずエルフリーデのアンナを見る目は一変したままであった。
やる時はやるタイプだと、見直したということだろうか。
「派閥争いは鎮火したわ。疎開はこれでおしまい。お互いの生活に、戻らなくちゃ」
「ルチルちゃんは……これからどうするの?」
「馬鹿ね、もうルチルじゃないわよ」
「でも……、あたしの中じゃ、ルチルちゃんだよ」
「…………そう」
アウレリアは、その言葉に優しく微笑みを返した。
「ワタシね、一から帝王学をしっかり学び直そうと思うの」
「それって……」
「別に、ライナルトお兄様を蹴落とそうって訳じゃないわ。ただ、もし、いつ《《選ばれても》》いいように、心構えだけはしておこうってこと」
「……うん、良いと思う」
「なれるかしら、国をより良くするような、そんな人間に」
「なれるんじゃない?」
「あはっ、いつか聞いた言葉ね。無責任な人」
「むっ、だから、あたしなりに……」
「分かってるわよ、もう」
どちらともなく、ゆっくりと右手を差し出す。
身分の差を湛えたそれは、確かに、しっかりと、力強く交わされた。
「それじゃあね、アンナ。楽しかったわ」
「うん、あたしも! また来てね! また一緒に授業受けよう!」
「ふふ、そうね。機会があったらね」
名残惜しむように手は解かれ、別れの時が訪れた。
二人の目に、涙はなかった。
ただ再会の約束をし、これからは互いに離れた道を歩むだけ。
アンナは歯を見せ、にっ、と笑うと、回れ右して帰り道を歩みだした。
「あ、ちょっと待った」
「はい?」
と思ったら、野暮な声に阻まれた。
思わずズッコけかけるアンナがいた。
「なんだい先生ぇー!!」
「いや、もう少しで着くと思うんだよ。宮廷内に帰るのはもうちょっと待ってくれない?」
「はぁ? 待つって、何をよ」
「何ってもちろん……、あ、来た」
「あ…………!!」
帝都を駆ける、無骨で小柄な影が二つ。
石畳を軽快に鳴らしながら走るそれらは、紛れもなく、皇女殿下の寵愛を受けた存在。
シルエットが徐々に鮮明になっていくに連れ、アウレリアはどんどん破顔していった。
「デンカー」
「デンカー」
「クォーツ一号! 二号! どうして!?」
アゼ村でアウレリアが可愛がっていた魔導人形ニ体である。
ミナカミの指示が飛ばされたことにより、急いで村から帝都まで、休まず駆け抜けてきたようだった。
切らす息もないのに、肩で息をしているように見えるのは、凝ったプログラミングのおかげだろうか。
そういう所に彼女が気に入る“けなげさ”というものがあるのかもしれない。
「いや何、餞別の一つも無しは薄情だろう? 気に入っていたようだから、先生からのプレゼントだ」
「~~~~~~っ!! ありがとうっ、先生っ!!」
「大事にしてやってくれ」
「……なーんか、あたしの時より感情表現強くない?」
「まあまあアンナ殿、殿下の数少ないご趣味ですので……」
アウレリアは喜びのまま、無骨な魔導人形と手をつなぎ、くるくると回り踊る。
それはまるで、人形劇のような、絵本から飛び出たような。
愛らしくも、どこか非現実的な。
見るものを和ませる、独特の雰囲気があった。
◆
あれから数日後。
ルチルちゃんとお別れしたあたし達は、アゼ村に帰ってきて、いつもの日常へと戻っていた。
「なんだか、おとぎ話みたいな時間だったねえ」
「まあな。長いようで短い半年だった」
要するに今日も塾で授業なのです。
その前に、ふと思い立ったあたしは、先生と思い出話をしていた。
まだ思い出にするような時間は立ってないかも知れないけど、それだけ、ただの村娘であるあたしにとって、何度でも思い出したくなるような日々だったってことなのだ。
「帝国のお姫様がやってきて、一緒に授業して、一緒に化け物退治して、だもんなぁ」
「ねー。本にしたら売れるんじゃないかな?」
「駄目だ。陛下から極秘だと言われただろう?」
「ありゃ、そうだった」
きっとルチルちゃんは今もお勉強を頑張っているんだろう。
あたしよりも、もっと難しいお勉強を。
「あーあ、こうして結局また一人で勉強かぁ~」
「いいじゃないか別に。友達くらい村にも居るだろう」
「同い年の子、居ないんだもん。みんな年下ばっかでさ」
「ルチル君だって同い年ではないぞ」
「ルチルちゃんはべーつー」
だったら、あたしも頑張らなければ。
将来なにになるかとか、なにをするかとか、そんな事はまだ思いつかないけど。
ルチルちゃんが頑張ってるならあたしも頑張る。
それくらいはしなければ、と思ったのだ。
「それじゃあ、今日は算術の授業をするぞ。そろそろ、三桁の足し算は出来るようになってもらわないとな」
「ゔっ、はい……」
………………。
……頑張るったら、頑張るぞっ。
◆
「ふう……」
ソディア帝国皇帝、マルクス九世は私室で独り、ため息を付いていた。
強国の名君として名高い彼だが、流石に今回の一件は“堪えた”ようだ。
貴族諸侯たちの手前、常に威厳あるべし、と。
鋭い眼光を絶やさず、時に柔和な笑みを見せるその相貌は、ひどく濁り、げっそりと疲れ果てたものになっていた。
どかりと音を立てて豪奢なソファーに乱暴に腰掛けると、もう一度重苦しいため息を付く。
「…………」
額に手をやり、首を擡げる。
いかにも頭痛が酷い、といったような有様だ。
頭の中で、ああでもない、こうでもない、と、宛もないことを考えては消していく。
ひとしきり憂鬱な顔をして、それらを振り払うように頭を乱雑に掻くと、何処へでもない虚空へと言葉をかけた。
「居るのだろう、ケイ」
その言葉に呼応するように、調度品の影からひっそりと姿を表したのは、ミナカミであった。
マルクス九世はそれに驚くこともないどころか、目を見やる事もなく、当然のように対応していた。
「相変わらず《《かくれんぼ》》が上手いな、マルクス」
「幼少の砌はそれだけが楽しみだったものでな。知っているだろう?」
「まあね」
皇帝陛下の私室に、誰にも気づかれること無く現れた不審者一名。
しかも名前を気安く呼び、タメ口で声をかける。
それを何を咎めるでもなく、マルクス九世は視線も合わせず、背中に向けて会話を続ける。
「懐かしいな。こうして直接、遠慮なく言葉を交わすのは幾年ぶりだ?」
「お前が皇帝に即位する前だから、もう25年は経つだろう」
「そんなにか。時が経つのは早いものだ。息子たちも、大きくなっていたものだと言うのに」
「……今回のことは、残念だった」
「そう言ってくれるか。であれば、奴らの無念も多少は報われよう」
「多少か」
「多少だよ、貴様の言葉なんざ」
「そうだな、私の言葉程度、多少で十分だ」
「そうとも」
二人は旧来の友人のように、身分の差を感じさせない言葉を交わす。
方や、虚空を見て。
方や、背中を見て。
「で、どうだ今は。塾なんぞ、似合わんものを開きおって。貴様が先生など、大きく出たな」
「あぁ、自分でも似合わないと思っているよ。それでも、慕ってくれる生徒が出来たのは幸いだった」
「アンアンナ? といったか。勇敢な娘子であった。将来は我が軍の兵に欲しいくらいだな」
「アンナね。それは噛んだだけ」
「なんだ、そうだったか。道理で変わった名前だと思っていた」
「将来は帝国兵ね。あの子が将来をそう望むのならば、まぁ、な」
「ほう、止めんのか。死に親しい職業だぞ」
「自主性を重んじる教育をしているものでね」
「ふん、つまらん」
「教育なんて、される側はいつもつまらないものだろう」
「それもそうだ。余のアウレリアはどうだった? つまらなそうにしていたか?」
「優秀な生徒だったよ。手放すのが惜しいくらいには」
「嘘をつけ。皇女など持て余す、と。内心思っているだろうが」
「バレたか」
「バレバレのおべっかなど使うからだ、阿呆め」
「それでも、優秀なのは事実だよ。彼女は聡明だ」
「……そうか。あの子が、か」
マルクス九世は少し俯くと、またため息を付く。
「そういうお前はどうなんだ、ルチル君とは」
「ルチル……。あぁ、アウレリアが使っていた偽名か。なんだ、どうなんだ、とは」
「そのままの意味だよ。上手くやれているのか」
「小姑か、貴様」
「似たようなものだろう」
「チッ、目の上のたんこぶめ」
「舌打ちなどするものではありませぬぞ、陛下」
「やかましい、こういう時は少しくらいさせろ」
普段の威厳ある姿ではなく、子供のように破顔するマルクス九世。
しかし、すぐにそれは一転して、表情を引き締め、親の顔に戻る。
「上手くか……。どうだろうな、やれているのだろうか……」
「というと?」
「第一皇女にも、第二皇女にもそう接してきたが、彼女たちは嫁入り前提で育てられるものだ。私も、蝶よ花よと愛でてはいるが、最後は政治の駒としてしか見ていない。そのような親、親として良く見られるものだろうかね」
「生まれついての身分というものがある」
「それを良く思わない子も居るだろう。生まれついての宿命など御免被る、と。嫌気が差すこともあるかも知れない」
「それを尊重するべきなのが、“良き親子”だと?」
「あくまで一般論だ。一人の親として聞きたい」
「今更育児の悩みか? 六人も産ませておきながら?」
「今更だからだよ」
今度はミナカミが俯く番だった。
マルクス九世は、短期で二人の子を亡くしている。
それも、次期後継として目を掛けていた、愛子を。
まだ、その傷も癒える時間は、経っていないはずである。
なんと声をかけるべきか。
少し悩んでから、静かに口にした。
「……なら、私も、一人の《《人間》》として言おう」
「聞こうか」
「どんな関係であろうと、親子が互いに存命で、互いを想っているのなら、それは幸せだ。と、思う」
「ふむ、根拠は?」
「経験則さ」
「経験則、か。そうか。……そうか」
無言の時が流れる。
だが、悪い空気ではなかった。
やがて、やはり視線は合わせないまま、マルクス九世が呟く。
「第三皇子、あれもな。悪い子ではないのだ。ただ、凡庸に産まれてしまっただけで」
「王の器ではないと?」
「ハッキリ言うな。だが、正直に言えば事実だ。第一皇子達からは可愛がられていたが、競争相手としては見られていなかった。それが現実だろう」
「だからお前は、可愛がっていないとでも?」
「馬鹿を言うな、どれだけ凡庸だろうと我が子だ。愛しくない訳がない」
「そうか、それは失敬」
「おう、打ち首獄門市中引き回し首吊りの刑に処す」
「なんだそのミックス処刑は」
互いに、ははは、と小さく笑い合うと、どちらともなく、また、ため息が流れた。
「処刑……か。……ダミアン公もなぁ、未だに思うよ、何が正解だったのか」
「ルチル君に手を掛けさせたことを、悔やんでいるのか?」
「それもある。が、まぁ、それはあれの成長に繋がったろうから、それは良い。愛国心の話だよ」
「あぁ……」
「奴は奴なりに、国を思って事を起こしたのだろう。それが我々には害意に映ってしまっただけで」
「害意を感じたなら、敵でいいんじゃないか?」
「そう簡単に割り切れるか。相手は親の代から続く重鎮だぞ」
「そうか……、なら今のは迂闊な言葉だったな、すまん」
「おぉ、もっと謝れ」
「すまーん」
「はは、誰が許すか阿呆め」
「酷いな、お前本当に皇帝か?」
「皇帝陛下様じゃ阿呆。……これでも、曲がりなりにもな……」
「………………」
「……此度の事件、何が悪かったのであろうな」
「…………私には、それを計る権利はないよ」
「知っている。知っているうえで、意見を求めているのだ」
「……そうさなぁ」
“いや……、違う、それも違う”などと、独り言をいくつかぼやいた後に、ミナカミは結論付けるように口にした。
「機運だろう」
「結局は、そこか……」
「帝国を思う気持ち、天運の巡り合わせ、長いものに巻かれたい欲求、誰も悪くないそれらが、悪いタイミングで絡み合った。それだけの話なんじゃないか」
「それだけ、か。それだけの事で、第一皇子と第ニ皇子は死んだのか」
「……運が悪ければ、誰だって命を落としえるさ」
「そういうものか?」
「戦場だって同じ事が言えるだろう?」
「……それも、そうだな。……はぁ、全く」
「どうした」
「……つくづく思うが、《《国》》というものは化け物だ」
溜まったものを全て吐き出すように、天を仰いでそう吐き捨てた。
その吐息には、様々な複雑な感情が混ざり合っていたが、それらは誰に当たるでもなく、霧散して消えた。
「こんな化け物を、ちっぽけな一人の人間に背負えと命じるとは。祖霊も酷なことを仰る……」
「それを承知の上で、即位したんだろう?」
「わかっている。わかっているが、弱音を吐きたくなっただけだ」
「珍しい」
「余とて弱い人間なのだ。弱音もあれば嫌気も差す」
「……もうすぐ、次に託せたのにな」
「全くだ……。天運に意思というものがあるのならば、よほど余の事が嫌いらしい……」
とうとう、マルクス九世はがっくりと俯き、両手で顔を覆った。
双肩からは力が抜け、肘で顔を支えるような姿勢になる。
「……ったく…………」
「…………」
「俺が何したってんだよ……」
「マルクス……」
「クソッ…………」
「……何したって、そりゃ、多数の兵の命を預かったにも関わらず失わせたり、戦争したり、他国の領土をもいだり、色々したんだろう」
「そういうことじゃないわい!! 傷に塩を塗り込むような真似をするな!! 外道か、貴様!!」
悲痛な空気を振り払うように、ぐわっと顔を上げて吠えるマルクス九世。
苛烈なツッコミが出来る辺り、幾ばくかは元気が戻ったようだ。
「ハァー、全く全く。貴様に真面目な話をするほうが馬鹿らしくなってきたわ」
「馬鹿らしい話のほうが好きだろう、お前」
「そうだがなぁ。立場や威厳というモンがあるだろう。今となっては、貴様のような阿呆としか、馬鹿らしい話なぞできんわ」
「いいじゃないか、他にもしてやれば」
「何?」
「愛する娘と息子にも、してやれよ。馬鹿らしい話」
「────…………」
呆気にとられたように、ぽかんと口を開ける。
思わず口角から漏れるように、ふ、と微笑が出た。
微かな含み笑いは、やがて大笑へと変わっていった。
「は────、はは、はっはっはっはっは!! そうか、そんなもんか! そんなもんでよかったか、親子関係なんぞは!」
「少なくとも、私なら嬉しいね。親と馬鹿らしい話で笑えたら」
「そうかそうか! わっはっはっはっは!! いや、盲点であった! ははははは!!」
「…………」
「はははは! 馬鹿らしい話か! いや、本当に、してやればよかったのにな! あの子ら、二人にも……!」
「……………………」
「はは、ははは…………!」
マルクス九世は、笑いながら泣いていた。
その背中を、何も言わず、ミナカミはただじっと見つめていた。
しばらく、二人だけの部屋に、泣き笑いが響く。
いつまでそうしていただろうか。
ともすれば、交わした言葉の数よりも多く、笑って泣いていたマルクス九世の元に、控えめなドアをノックする音が届いた。
は、と気を取り直したマルクス九世は、乱雑に目元を袖で拭うと、威厳ある声で入室を促した。
「入れ」
「お楽しみの最中、失礼致します、陛下」
「なんだ、大臣か」
「……おや? 使用人とでも談笑していたのでは?」
「なに、ただの思い出し笑いだ。気をやった訳ではない。許せ」
「い、いえ、何もそこまでは言っておりませぬが……」
「で? 何の用だ」
「は。此度の一件について、今後の進退を元老院と────」
大臣の入室と同時に、ミナカミの姿は、綺麗さっぱり消えていた。
姿が消える最後まで、二人の視線は合わないままであった。




