020:乱心者の末路
『グハァァァ…………素晴ラシイ……素晴ラシイ、チカラダァァア……』
獣人の呪具。
獣人は、古の時代、分布の拡大という生存戦略のため、別種の生物と交わり祖人と袂を分かった、元となる動物の外見を色濃く残した人類種である。
これは、彼らが発明した、捨て身の決戦兵器だ。
────魔物という存在が居る。
魔物とは、“魔に侵された生物”と言い、体内にマナを取り込み過ぎ、マナ飽和症が末期まで進行した生物のことを指す。
マナが生命体に欠かせない体内エネルギーだが、取り込みすぎると体調に異変が起きる。
それを越えてなおも取り込むと、肉体組織が変異し始め、脳に異常が起こり、理性を失い、本能だけで暴れる凶獣と化す。
これを総称して魔物と呼び、各国で傭兵が雇われ、討伐対象とされる存在である。
獣人の呪具とは、人為的に魔物に成る道具。
宝珠に溜め込んだマナを一気に体内に取り込み、理性を失った化け物と化して、自らの生と引き換えにその場の敵を打ち倒すのだ。
それをダミアンは、一息に飲み込んだ。
『ガァ、ハァァアア……! アァ、ガッ……! チガ、ラァ…………!!』
獣人は、常人である祖人に比べ、頑強な肉体と、強い精神力を持つ人類だ。
それが理性を失い魔物になる呪具を、祖人が使用すれば、どうなるか。
『アァ……!? アガッ、ガァ、ガアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
一介の祖人であるダミアン・アウグスティーン・フォン・バルシュミーデの理性は、変質した脳により、あっという間に消滅した。
ここに居るのは、もはやダミアンという人物ではない。
ただの一匹の、魔物である。
『アァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!』
「…………!」
“アウレリアの小娘を亡き者にしてくれる”そう言った筈の魔物は、見境無くその場にいるものに襲いかかる。
まず目標にしたのはマルクス九世だった。
「陛下ッ!!」
「む、うっ……!」
その狂った腕がマルクス九世を害す間に、二枚の盾が割り込んだ。
「卿ら!!」
「しくじるなよ、エルフリーデ卿……!」
「そういうバルトルト大臣閣下こそ、腕は鈍っていますまいな……!」
「ほざきおるわ……! 老骨とて甘く見るな、化け物ォッ!!」
『ガアアァアアッ!!』
「陛下! 今のうちにお逃げを!」
「う、む……! 増援を呼んでまいる! しばしのうち、耐えよ!」
「御意!!」
「お任せあれい!!」
二人の騎士は、片手に盾を、片手に剣を持つ、帝国流の剣術で魔物に逼迫する。
その腕前は、人知を超えてしまった魔物相手にも、けして劣りはしない。
腕を、爪を、牙を、盾で往なし、剣撃は頑強な皮膚にしっかりと切り傷を刻む。
一撃一撃が致命傷には至らなくとも、時間をかければ討伐できる。
そう思える攻防ではあった。
が、本来魔物とは、専門の知識とノウハウを叩き込まれた、傭兵により討伐されるものである。
対人戦闘しか学んでいなかった騎士にとって、理性のない魔物の動きは、読みにくくて仕方がなかった。
『グアアアアアアッ!!』
「しまっ……、殿下ぁ!!」
人類ならば可動しようがない足の動きで、奇妙な格好のまま跳ね跳ぶ魔物。
肉弾と化したその先には──アウレリアの姿があった。
「────ひっ」
動けない。
ただでさえ、眼の前で人間が変異する様に、ショックを受けていたアウレリアである。
況や、それが猛烈なスピードでこちらに飛んでくるや。
恐怖と衝撃で、足がすくみ、手元にある剣も盾も、どうしようもなかった。
このまま死んでしまうのか。
諦観の思いがよぎった瞬間である。
「さぁせるかぁぁあああ!!」
『グァアアッ!!』
「なにがぐあーだよ、ぐあーって言いたいのはこっちだよ!!」
「……アン、ナ」
「アンナ殿ッ!!」
割って入ったのは、護身用の長杖を無理矢理盾にしたアンナであった。
彼女は実は、地域柄、魔物を見たことがある。
と言っても遠目にであったり、村の防衛用の大型魔導人形により、仕留められた死体であったりだが。
少なくとも、見ることに関しては、アウレリアに比べれば、耐性は付いていた。
だからだろうか、咄嗟に行動ができたのは。
否、それだけではない。
「あたしの友達に……、手ぇっ出すなぁぁっ!!」
『ガァッ!!』
気合と共に魔物を押し返す。
年の離れた、可愛い妹分。初めて出来た学友。
アウレリアを──《《ルチルを》》護らなければ。
その一心で、アンナは心を奮い立たせ、その場に立つことが出来ていた。
が。
『グァォオゥッ!!』
「あ、ヤバ」
悲しいかな、騎士との違いは鍛錬の練度の差にあった。
力任せに押し切るだけなら、農作業で鍛えた体で可能であっても、殺意という本能を持った《《攻撃》》には反応できない。
その目は自らに迫りくる凶爪を捉えたまま、体は固まっていた。
鋭い金属音が響く。
「うん、今のはカッコよかったぞ、アンナ」
「先生ぇーっ!!」
魔物の爪牙を受け止めたのは、ミナカミの長杖であった。
「友人を護るのが友人の仕事なら、生徒を護るのは先生の仕事だ。私の生徒に手を出さないで貰おう」
「だったらもっと早く割って入ってよお!!」
「今まで陛下が安全に避難できるよう誘導してたんだ。私は私で仕事してんだぞ」
「そうなの!? ごめぇん!!」
「とはいえ、不手際でお前達を危険に晒したのは事実。汚名返上とさせて貰おうか」
長杖の穂先から魔導の刃が顕現し、魔物の体に傷を刻み込む。
突き、払い、薙ぎ。まるで槍術のように、魔物が動く先を読み、的確に一撃一撃を加えていく。
思わず魔物が飛び跳ね逃げようとした先に、振り払われた石突きがしたたかに打ち付けられ、その場に縫い付けられる。
魔物特有の不可解な挙動を理解している、熟練の傭兵も舌を巻くであろう攻撃の数々。
その連撃は魔物に反撃させる隙を与えず、逃げる隙も与えない。
まさに、背後の生徒を護るべく与えられる、攻防一体の型であった。
「ミナカミ殿、助太刀致すッ!!」
「殿下に無礼を働いた狼藉者、生かして置けぬわッ!!」
「おどりゃ、ようやってくれたのう! あたしにも一撃いれさせろ!!」
身動きの取れない魔物に、ここぞとばかりに群がる騎士二名と村娘一名。
方や剣を的確に振るい、方やぶっきらぼうに鈍器として杖をでたらめに打ち付ける。
前者はともかく後者は効果があるのか曖昧であったが、農作業により鍛えられた体躯による殴打は、痛みそのものは与えていることだろう。
剣撃と打撃が、槍撃に合わさり、確実に致命傷へと繋がっていった。
『グガァ……、ア、ガ……ァ……!』
「まだ息があるかッ!」
それでも魔物とはしぶとい生命力を持つもの。
ましてや獣人の呪具によって変異した個体は、戦い続けるためのスタミナを過剰に付与される。
とっくに死んでもおかしくない魔物は、本能のままにふらふらと、凶器である爪を振るい続ける。
その姿は、どこか哀れみを覚えるものでもあった。
「いい加減、おとなしく……しろぉっ!!」
『グァアッ!! ……ァ…………』
アンナの長杖による振り下ろしを脳天にモロに喰らい、流石に参ったのか、昏倒する魔物。
ずん、と、重い音を響かせて、謁見の間に倒れ伏した。
「おお! 見事な一撃でしたぞ、アンナ殿!」
「え? あ、ど、どうも? えへへ」
エルフリーデがやけに手放しでアンナを褒め称えている。
口調も多少敬ったものになっているようだ。
先程の身を呈した盾代わりの行為に感銘を受けたのか、以前より心なしかアンナを見る目が変わっているように見えた。
「皆の者、無事か! …………むっ、これは」
「陛下!」
そこに増援の兵を連れたマルクス九世が押っ取り刀で現れた。
慌てて兵達が魔物を取り囲み、槍で抑え込む。
そうして、その場は一時は、落ち着くこととなった。
『グ……ァ……ガ…………』
兵達の槍によって地に押し付けられている魔物は、息も絶え絶えだが、まだ死んでいない。
脅威の生命力と言えた。
「此奴は……、本当にダミアンなのか……」
マルクス九世が遠巻きに息を潜めて言った。
無理もない。人間が魔物に変質する様を間近で見せつけられたのだ。
嫌でも眼の前の魔物が、かつての重鎮であると信じざるを得なかった。
「……陛下は、魔物の成り立ちについてはご存知で?」
「ん? あぁ、確か……、マナ飽和症の末期症状を指すのだったな」
「ご明察の通り。この者が先程飲み込んだのは、それを無理やり起こす呪具ですよ」
「なんと……、愚かな真似を……」
ミナカミによる説明を受け、“この魔物は自主的に魔物になったのだ”と、再認識させられる。
「そこまで……、そこまで余と余の子らが、憎かったのか……」
皇帝という立場上、憎しみを受けることは慣れている。
だが、こと重鎮によるもの、それも愛娘まで対象となると、幾ばくか堪えるものがあったようだ。
『アガ……ァ…………』
その問いに返事はない。
もはや理性が掻き消えた魔物が、理性ある返事をすることはもはや無い。
ただ、本能のままに呻きを漏らすのみであった。
『…………テ……イト…………ニ…………』
「! ……なに?」
そう、本能のままに。
『ア……、……ンネ…………イ………………』
「………………」
「……今のは……」
「本心、でしょうね。《《彼》》の」
「…………」
誰も、何も言えなかった。
ただ本人は、真摯に国のためを思って、行動した結果が、これ。
あまりにも惨い。そう考えたのは誰だったか。
静寂と、ほんの少しのうめき声だけが、謁見の間に満ちていた。
「────……もう良い、楽にしてやれ」
「陛下」
「……はい、御心のままに」
苦心が限界を迎えたか、魔物に背を向けて、誰に指示するでもなく呟いた。
その言葉に、場を代表してか、エルフリーデが剣を構えた。
「……魔物と言えど、脳天を貫かれれば死ぬだろう」
そうして頭部に番えられた剣を、そっと抑える手がひとつ。
「待って、エル」
「…………殿下?」
「ワタシに、やらせて頂戴」
それは、今まで震えて動けなかった、この場で最も幼い子供の手だった。
「アウレリア、無理をするな」
背を向けていたマルクス九世が振り返り、思わず、と言った様子で声を掛ける。
いくら剣術を指南させているとはいえ、未だ幼い娘である。
なるべくその手を、血で穢させたくなかったのであろう。
「無理なんかじゃありません、お父様。これは、ワタシがやらなくてはならないのです」
「……どういう事だ」
「此度の一件は、ワタシの不徳が招いた事態。原因の根幹であるワタシが、首謀者に誅伐を下すのは、当然のことでしょう?」
「それは……」
そうじゃない、と親心では言いたかった。
だが、皇帝としての冷徹な視線は、その通りだと説いていた。
結果、愛娘を止めようと上げられた腕は、静かに降ろされていた。
「殿下、こちらを……」
「良いのよ」
「しかし、殿下の愛剣を魔物の血で汚すなど……」
「魔物でも、我が国の臣下よ、エル」
「……はい、仰せのままに」
自らの長剣を手渡そうとしたエルフリーデが、やんわりと諌められる。
アウレリアが、鍛錬の際にも愛用している、自らの剣を抜剣すると、先程のエルフリーデを真似てか、頭蓋にと充てがった。
『アァガ…………、ガ…………』
「……さようなら、ダミアン・アウグスティーン・フォン・バルシュミーデ卿。貴方のような愛国心を持ち、我が国をより良く出来るよう、ワタシなりに努力するわ」
『ガ……ア…………、デ…………』
肉と骨を貫く音が、轟いた。
『……ン、カ………………。……────』
何を思い、何のために暗躍したのか。
最期は何を思い、暴れていったのか。
逆臣だったのか、能臣だったのか。
それらは本人以外には分からないまま、魔物は息を引き取った。
「………………」
沈痛な空気が流れる中、誰のものでもない黙祷が捧げられる。
するり、と驚くほど綺麗に脳天から剣が抜かれると、血振りもされないまま、その剣は鞘に収められた。
血振りの動作を知らなかっただけなのか、何か思うところがあったのか。
ただアウレリアは、愛剣を仕舞うと、少しの間目を瞑り、その亡骸から離れていった。
「────さて、陛下」
「ちょ、先生、何してんの」
ぽふん、ぽふん、と。
手袋と手袋が合わせられる音が驚くほど軽く、そして驚くほど軽薄な声が、謁見の間に広がった。
全員がミナカミを“なにしてんだこいつ”という目で見ていた。
兵士達は、目を丸くして呆然としていた。
無理もない。
“皇帝陛下が親書を送った相手”という情報を知っているものですら白い目で見るのだ。
それを知らない兵士たるや。
もはやこの場にいるのが可哀想なレベルである。
が、その後口にされた言葉は、至極真面目なものではあった
「化け物を倒して、はい、めでたしめでたし。とはいかないのが現実です。かのお方が殿下の身柄を狙い、あわよくば亡き者にしようとしたのは事実。騒ぎが宮廷に広がる前に、関係各所を洗いざらい捉えなければ、いま宮廷に蔓延る膿を取り除くことは出来ますまい」
「────……は、ま」
「…………、……う、うむ、そう、…………そう、だな」
そりゃ確かにそうなんだが、空気ってもんが。
誰もが思わずそう言いたかったが、確かに好機は好機。
今を置いて、帝都に立ち込める暗雲を払う絶好の機会は訪れまい。
少しの時間をかけてそう判断したマルクス九世は、努めて冷静になるため、二、三度頭を振って、兵に号令を出した。
「────そうだな。その通りだ。ダミアン・アウグスティーン・フォン・バルシュミーデの臣下、私兵に至るまで、大広間まで引き立てて参れ! 今すぐにだ!」
「………………。え! あ、は、はっ!! た、ただいま行ってまいります、陛下!! み、皆の者、続けい!」
増援として連れてこられた中で、隊長であろう兵が、少しの間、読み込み時間を挟んでから代表して答える。
そのまま慌ただしく謁見の間を出、宮廷内にも慌ただしさは波及し、大捕物が始まった。
直属の臣下の者はもちろん、私兵の一人に至るまで、まさに全員が所狭しと大広間に集められた。
流石に遠縁の者である、マルクス九世の側室までは引っ立てられなかったが。
────そこからは、快刀乱麻である。
魔物に変異したダミアンの死体を前に、マルクス九世が直々に翻意ある者を探り出したのだ。
我が娘を害さんとする者はこうなるぞ、と、魔物を指さして。
そして始まる大暴露大会。こいつが第三皇子派閥です、いやお前も、それを言うならお前だって、醜い責任の押し付け合いとも言えた。
その場で怪しいものは一律に捉えられ、軽い事実確認の後、即座に処刑された。
さらに、処刑された者は晒し首にされ、“みだりに第三皇女を擁立し派閥争いを加速させるものは同じ末路となる”とお触れが出された。
お触れを出した側がびっくりする程の人数が、罰を恐れた身内により差し出され、両派閥の主だった顔ぶれは、呆気なく処されることとなった。
こうして、第一皇子及び第二皇子の崩御を皮切りに、帝都を渦巻いていた陰謀は、幕を閉じたのである。
それらの全てが、ダミアンの乱心した、ほんの数日のうちに起こった出来事であった。




