15話目 動き出す、凶兆④
「で、何が現地集合なんだ!あいつは!!」
見藤、怒りの悪態は秋の澄んだ空に消えた。そこに煙谷の姿はなかった。
見藤と久保が降り立ったのは無人駅から、さらに地元を運行している一日に数本しかないバスを乗り継いだ、田舎の寂れた役場だった。手続きを終えると、役場から職員が運転するバンに乗って目的の地域へと向かうのだそうだ。
見藤はスーツのジャケットを整えると、その背にバックパックを背負い直した。今回は数日間の宿泊だ、そして、その荷物の中にはいつもの道具を忍ばせている。彼は密かに、使わないことを祈る。
一方、久保は学生らしく動きやすい普段着に宿泊用の荷物を背負う。猫宮はいつもの猫又の姿だが一般人には視えないように気配を消しているようだ。久保の足元を軽快に歩いたり、気まぐれにぴょん、と彼の肩に乗ったり。
そうして、職員に案内された二人は白塗りのバンへ乗るように促された。揺れる車内、見藤と久保は職員から仕事の内容を聞かされる。
「いやぁ、助かりますよ。あの地域は過疎化が進んで、こうして外部からお手伝いをしてもらえる方々を呼ばないと、夏の間に伸び放題になった草むしりすら出来なくて」
職員の説明を受け、久保が相槌を打っている。更に、職員が言葉を続ける。
「あぁ、でも、今回のお仕事は慰霊碑参りの代行も一緒ですね。残りのもう一日は天候によって中止の場合を考えておりますので予備日です。何もなければ一日休日となります。そして、その翌日にお帰り頂くと言う流れですね」
「そうなんですね、頑張ります」
「ありがとうございます」
「ところでこの辺りは――」
まず今日は一日移動、そして宿泊。明日からの仕事となること、内容は先の会話の通り、草むしり。そして明後日は、山の中腹に建てられた慰霊碑の参拝代行だ。
この地域では高齢化によって参拝すらもままならないというのだ、そのため参拝も外部からの働き手に依頼しているという。
こういう時、久保のコミュニケーション能力は素直に関心する、と見藤は会話を進める二人を眺めながら考える。
そうして、久保と職員は助手席と運転席で他愛ない会話をしながら、バンはあまり舗装されていない道を走る。
見藤が窓の外へ視線を向けると、それはどこか懐かしい田舎の田園風景だが、どこか閉塞感を感じさせる。そして、車で走っているというのに、どこからともなく感じる視線は一体何なのか。怪異か、人か、分からない。見藤は目的地に到着するまで目を閉じた。
◇
そうして、目的地に到着したのは夕刻前だった。
「着きましたよ、お疲れ様です」
「ありがとうございました」
バンはとある民家の前に横付けされた。見藤と久保が案内された民家は、こうした外部からの働き手を宿泊させる場所のようだ。造りは古く昔ながらの茅葺屋根で、縁側や土間があるようだった。
出迎えてくれた老夫婦とその息子だろうか、息子と言っても五十代後半から六十代の初老だ。職員とその者達は軽い挨拶を交わすと、見藤と久保にも挨拶をする。
そして、今日は既に夕食を用意してあるというのでご相伴に預かることになった。風呂も離れにあり、要は民泊のような形だ。
老夫婦からは、田舎のため身の回りの生活には不便をかけるが、明日明後日とよろしく頼むと頭を下げられた。それに見藤と久保もつられて頭を下げる。
「明日の地域の草むしりと、明後日の慰霊碑参り代行は滞りなく準備を進めていますので」
「分かりました。毎年ありがとうございます」
そんな会話を職員と老夫婦は交わしている。傍から見ればただの進捗伝達なのだが、見藤は少し気になったようで懐疑的な目をしている。
煙谷とキヨからの情報では怪異関連の調査であると断定されてはいるが、過去の事件、そして今回の事象に人の手が全く介入していないという確固たる証拠もないのだ。――見藤にとって、最初から疑う方が楽なのだ。
◇
そして翌朝、久保が目を覚ますと隣に見藤はいなかった。
綺麗に畳まれた布団がそこにあるだけだった。部屋の隅に置かれた見藤の荷物、そして掛けられたジャケットはそのままだったため、久保は少し安心する。ふと、視線を下げると猫宮は久保の布団の上で丸くなっている。
「どこに行ったんだろ……、見藤さん」
久保が身支度を終え、居間に行くと縁側から見える光景に少しばかり驚く。見藤が軒先から少し離れた所で薪を割っていたのだ。軽装だが動いていると少し汗をかくのか、時折額を拭っている。近くには既に綺麗に割られた薪が多く束ねられている。
どうして薪を割っているのかだとか、その薪を割る見藤の動きに一切無駄がなく綺麗に薪が割れている、それはどこで培ったのか、など一気に色々な疑問が浮かび上がってくるが、とりあえず声を掛けておこう―― 。久保はそう思い至ると、声を張り上げた。
「見藤さん! おはようございます。どうしたんですか、それ」
「お、久保くん。お早う。いや、早くに目が覚めたんで……その、手伝いだ」
「そう、なんですか」
「気にするな」
見藤が言うことには、早朝起床すると老夫婦の息子が薪を割る際にぎっくり腰になってしまい、身動き一つできなくなったと言うのだ。そして、そこで何故薪を割っているかというと、今日は一斉ガスの点検で一日ガスの供給が止まってしまうという。
昔は風呂屋があったため、こういった時は皆、風呂屋の世話になっていたそうなのだが、そこも廃業してしまったらしい。その息子の代わりに、見藤は外で薪を割っていたのだ。
(体は覚えているもんだな……)
薪を割りながら、見藤は懐かしさを感じていた。
今日、明日の台所で火を起こす分、風呂を沸かす分、大体の必要な量は感覚的なものだが予測はできるというもの。その先にある、思い出はそっと胸の奥に閉まった。
そうして、見藤は一人で薪を割り終えてしまった。
すると、今度は土間で火を起こし、米を炊く見藤に感心する老夫婦というなんとも珍妙な光景が繰り広げられた。流石の老夫婦も、外部からの働き手がここまで昔の生活に馴染めるというのは驚きを隠せない様子だった。
見藤からすれば、それは老夫婦への善意などでは全くなく、ただ自分と久保が残り三日少しでも快適に過ごすための投資をしたに過ぎない。
「いや……、俺がガキの頃もこうして米を炊いていたもので。……とてつもなく、田舎の出ですから」
――そう言って、遠慮がちな笑みを浮かべ、はぐらかす見藤の表情はどこか寂しげであった。
そして、久保はその一連の出来事を見て、見藤が不思議と機器類が苦手な理由がどことなく分かった気がしたのであった。
「薪も今日明日程度ならもつでしょう。手斧は片付けておきます」
見藤はそう言うと、老夫婦に手斧を返す場所を教えてもらい、そこへ向かった。そこは道具ばかり収納された小さな蔵だった。
見藤は言われた通りの場所に手斧を戻そうとするが、そこで目に入る一か所に纏められた、やけに錆びついた手斧や鎌。経年劣化にしては少し黒味が強く、なにやら刃の部分に付着物があるのが見て取れる。
キヨの情報、この村で起きた昔の事件が頭を過ったが、部外者に簡単にこうも気取られるようなことはしないだろう、あまり深く考えるべきではないのかもしれない――、と見藤は憶測を払拭するように首を横に振った。




