5話目 真夏の肝試し、廃旅館の開かずの間②
一方、その頃。山間の一角、鬱蒼と茂る木々に囲まれ、寂れた土地。
見藤は額に浮かぶ汗を拭きながらぼやいた。
「本当に、この時期は怠いな……」
その言葉は猛暑への不満か。それとも、遠巻きに作業を眺め、時間を持て余している男――、煙谷への苛立ちか。見藤自身も分からないほどだ。
うだるような暑さの中、見藤は地面にしゃがみ、呪いを施していく。紙へ丁寧に文字列と図を描き、紙の中央で破く。
すると、煙谷が口を開いた。
「珍しく同意見だね。こんな時期じゃなきゃ、君と一緒に怪異・心霊対策なんて真っ平ごめんだよ」
見藤はちらりと煙谷を睨み、言葉を返す。
「死霊の類はお前の専門だろうが」
「だからって、君と同行は最悪。まだ終わらないわけ? 暑いったらありゃしない」
「黙ってろ」
見藤と煙谷は、とてつもなく馬が合わなかった。見藤が右と言えば、煙谷は左と言う。思考も、行動も正反対――互いにそう言い張る。
かつて、怪異と霊の対処を巡って衝突し、依頼を失敗させた過去。その件が二人の間にわだかまりを残していた。それでも、仕事となればきっちりこなす。どこか似た者同士の二人だ。
煙谷はレンタカーに寄りかかり、退屈そうに作業が終わるのを待つ。顎まで伸びたソバージュヘアを軽く払うと、左手首の深緋色の数珠がカチャリと鳴った。
彼の風貌は黒髪。白い肌にそばかすが散り、細身の長身にゆったりとした黒い服が、夏の暑さを助長させていた。
かく言う見藤もネクタイこそしていないが、スーツ姿で人のことは言えない。それでも、煙谷の軽薄な態度にはどうにも苛立ちが募る。
すると、煙谷は煙草を取り出し、ふかし始めた。
「君が怪異対策。僕は心霊対策。きっちり棲み分けてると思うんだけどね。どういう訳か、こうして毎度一緒になるなんて……最悪」
何度目の悪態か。見藤は苛立ちを舌打ちに昇華する他なかった。
見藤が怪異を専門とする傍ら、煙谷は霊を専門とする祓い屋だった。怪異という認知次第で実体を得る存在とは異なり、霊とはそのままの意だ。
死後の世界へ旅立たず現世に留まる霊魂――未練や負の感情に呑まれた悪霊を成仏させ、祓うのが彼の仕事だ。
怪異と霊、似て非なる存在。それ故、二人はライバル関係にあった。
すると、煙谷がふと口を開いた。
「それにしても、怪異に喰われる霊も可哀想だよね。成仏できず、言葉通り消滅するんだから。あの世に渡り、地獄で現世での罪を償えば輪廻転生――、生まれ変われるのに」
問題はここにある。災害による犠牲者の増加や、人の恐怖心が集団的な認知を生み、新たな怪異が誕生する。生まれたばかりの怪異は力が弱く、認知が薄れれば消える。
あるいは、猫宮のような生物から妖怪へと転じた特殊な存在に喰われることで、均衡が保たれる。だが、そのバランスが崩れ始めたのだ。
何らかをきっかけとして、怪異が霊魂を喰らい、エネルギーを得て実体を持ち始めた。
煙谷いわく、霊魂はエネルギーの塊だ。それを喰らった怪異は、通常より早く力を得る。そうなれば、人里に影響を及ぼす怪異の数は増え続ける。
しかし、そんな煙谷の説明を、見藤は話半分でしか聞いていない。怪異対策――、自分の依頼をこなすだけで十分だと言わんばかりだ。
煙谷もまた、過去にないこの現象を調査するため、渋々見藤と行動を共にしていた。
作業に没頭する見藤。すると、煙谷が呆れたように声を掛ける。
「ねぇ、僕の話聞いてる? 本当に嫌な奴だよ」
「お前ほどじゃないさ」
突然、見藤のポケットから着信音が響いた。久保が設定したメロディだ。
煙谷はからかうように、鼻を鳴らした。
「君、機械に疎かったんじゃなかった?」
「うちの助手は優秀でな」
「ふーん」
煙谷のにやついた視線を無視し、見藤は電話に出る。しかし、話が進むにつれて先程の言葉は覆されることになる。
見藤は呆れたように、言葉を溢した。
「君なぁ……」
『本当にすみません!!』
電話の向こうで久保が叫ぶ。見藤が困っている様子が面白いのか、煙谷はにやにやと笑っていた。
見藤は事情を聞くと、場所を尋ねる。
「ったく……その場所は?」
『八十ヶ岳の麓の廃旅館です……。実は、東雲も一緒に――』
帰ったら説教だ、と見藤は心に決めた。車内の書類を乱雑に捲り、八十ヶ岳の資料を探す。その場所に心当たりがあったのだ。
見藤はその資料を目にすると、不敵に笑った。
「君は本当に運がいいな」
『え?』
「次の仕事場だ。明後日には間に合いそうだ」
遊び半分で心霊スポットに赴く者が被害を受けようと、見藤には関係ない。だが、久保が関わっている以上、放置はできない。見藤は深い溜め息をついた。
八十ヶ岳――その名は八十神に由来する。八十神とは数多の神々を指し、中には悪神というのも含まれる。
人の信仰や認知により力を得た怪異が神として祀られ、時に悪戯に厄災を振りまく。善良な神だったものが、認知の変化で悪神に堕ちる場合もある。――迷い家がいい例だろう。
見藤や煙谷のような者は、そうした場所を定期的に調査し、情報をキヨの店で共有するのだ。
煙谷は電話越しに聞こえきた地名に、物思いにふけるように呟いた。
「地名に隠された真実なんて。現代じゃ、ほとんど意味を成さないからなぁ」
時代が移り変わり。地名の意味が薄れると、その場所がどういった経緯でそう名付けられたのか、後世に伝える役割も薄れてきた。
そうすると、認知により存在を得る怪異たちは、存在を維持しようと行動するようになる。不幸をばら撒き、きっかけを作る。死の連鎖へと誘い、霊魂の捕食へと至る。
悪霊もまた、同じように死の連鎖を生み、生者を道連れにしようとする。
煙谷は廃旅館の過去を思い出した。
「八十ヶ岳の廃旅館って、あれか。四半世紀前の一家心中。開かずの間を誰かが開けてしまったがために、不幸が襲った――っていう」
「宿泊客を惨殺した後の一家心中だ。その後、心霊スポットとして名を馹せ、二次的死者多数。お前の仕事が山ほどありそうだな」
煙谷の言葉を、見藤が引き継いだ。――心霊スポット、その言葉に煙谷は辟易とした表情を浮かべる。
「…………やだなぁ、面倒になってきた」
「きっちり働け」
見藤がそう言い放ち、資料を確認する。そうして、二人は車に乗り込んだ。




