6.失敗しましたわ
ブクマ、評価ありがとうございます。見てくださる方がいると思うと筆が進みます…かなり単純な性格なので、ブクマ数や評価が増える度にやる気を出す系の人間です。
今回はようやくお相手が結構喋ります。今回もよろしくお願いします
何故受けたんだとひたすら小言をぶちぶちと零す侍女を宥めながら、なんとか支度を終えた。なんとも失礼な返事をしたにも関わらず、相手は気を悪くすることもなく「喜んで茶会を開こう」と返事をくれた。有難い事だ。
「今から病気になりましょう」
「それ好きね」
この優しい侍女は主を病気にするのがお好みのようだ。もう何度も繰り返すやり取りだが、心配してくれているのはよく分かっている。
ぶつくさ文句を言う癖に、手はしっかり動かされ、セレスの黒い髪は美しく編み込まれ、青いリボンを飾られた。ドレスもリボンと同じ青だ。
「ありがとうティナ。大丈夫よ、少しお話をしながらお茶をして、それで帰るだけだから」
納得する筈も無いのに、真直ぐ目を見ながら笑う主に何も言えないのか、ティナはぐっと唇を噛んで視線を逸らす。
先の婚約破棄の件は、ティナが一番怒っていた。セレスがウィリアムの事を大切に想っていた事も、誕生日の贈り物に悩む姿も、一番傍で見ていたのだから。幼い頃から傍にいて、主でありながら妹のようにも思える大切な人が、毎日涙を零す姿は見ていられない。だからこそ、この縁談にあまり良い気はしないのだ。使用人の分際で、この家の主に意見をした事を、ティナは後悔していない。
「お嬢様、ティナはお嬢様を大切に想っております。いつかお嬢様がお嫁に行くときもお傍におります」
「突然どうしたのよ。嫁ぐ気はまだ無いわ。アラン様がどんな方なのか、書面だけじゃよく分からないもの」
困ったように笑うセレスだったが、ティナの言葉は嬉しいようで、にっこり微笑んでティナの手を取った。
「ありがとう、貴女は侍女だけれど、私の大切なお友達よ。一緒にいてくれるだけで、私は強くいられるわ」
本当は怖いくせに。約束の日が来る毎に食欲が無くなり、眠りも浅くなっていたくせに。精いっぱいの強がりでまだ微笑んでいる。本当なら、あの男に罵詈雑言を並べ立て、相手の女に報復したって良い筈なのに。自分の居場所が無いのならとあっさり身を引いて、良いようにあれこれ噂を立てられようとも、誰にも何も言い返さず、困ったように笑うだけ。それがどれだけ辛い事か。見ているしか出来ない自分の立場の歯痒さを、ティナはここ暫く噛み締めていた。
◆◆◆
話が違う気がする。そう思った時にはもう遅い。にこにこと機嫌よく微笑む男は、テーブルの向かい側で嬉しそうに微笑んでいる。対照的に、セレスの表情は少々強張っていた。
「ゴールドスタイン様。少々お話が違うようですわね」
「茶会だろう?何か可笑しいかな」
茶会ではある。確かにテーブルの上に広がっているのはティーセットだし、香ばしい香りの焼き菓子や、ベリーがたっぷりのタルトなどが飾られるように並ぶ。だが客人がセレスだけ、というのは予想外だ。
「これでは普通の縁談ではないですか」
「申し訳ない。だが私はセレスティア嬢とゆっくり話をしてみたかった。気分を害されただろうか?」
害したと言ったらどうなるのだろうか。背後に立つティナから何とも言えない殺気のようなものを感じるが、来てしまったし座ってしまったのだから、もう諦めて話をするだけした方が良いだろう。それに、申し訳なさそうに眉尻を下げる顔に「はい不愉快です」と言える程、セレスは強くなかった。
「いえ、少々予想外だっただけですわ。不愉快などではございません」
「そうか!」
ぱあ、と顔を輝かせ、執事に早くお茶をだとか、ひざ掛けを渡してやってくれだとか、あれこれ指示している姿が面白い。
「セレスティア嬢は甘いものはお好きかな?私が女性を呼んだと、シェフが大喜びで支度をしたんだ」
「まあ、そうなのですね。後程お礼をお伝えくださいまし。甘いものは好物ですの」
何となく子犬を思わせるアランの雰囲気に、少し強張っていた表情筋が緩む。年上の、しかも騎士相手に子犬を連想するのは可笑しな話なのだろうが。
「良かった。先日は急に縁談の申し込みをしてしまったから、嫌がられてしまっているんじゃないかと心配だったんだ」
「あの、何故私を?最近の社交界での評価は知っておいででしょうに」
「ああ、あの不名誉な二つ名の事かな?あれは不愉快だ。何故君が悪し様に言われなければならないんだい?」
本気でそう思っているようで、アランはふん、と小さく鼻を鳴らしながら言う。
「男の浮気を許せぬ妻は不出来な妻だとか、一度の遊び、婚姻前の悪戯等と言う輩はいるが、それはただの言い訳じゃないか?愛しているのは君だけで、彼女は遊びなんだ!等と言われても信じる気にもならないし不快なだけだろう?」
過去に女性関係で何かあったのではと邪推してしまう程、アランは眉間に深い皺を刻みながら力説する。そのおかげか、背後から漂っていたティナの殺気は薄れたようだ。
「セレスティア嬢、貴女は何も間違っていない。むしろ婚約段階で相手の男が馬鹿な事をしてくれて助かった」
「助かった…?」
言葉の意味が分からない。あれだけ辛い思いをした出来事に、助かったとはどういう了見だろう。そんなセレスの困惑をよそに、アランはにこやかに微笑みながら紅茶を含んで飲み込んだ。セレスもそれを真似して一口含んだ。
「馬鹿な事をしてくれたおかげで、俺は君に求婚出来る」
危うく口に含んだ紅茶を吹き出すところだった。何とか飲み込み、改めてアランの方を見る。先程まで貴族面していたくせに、一人称まで変わっている。取り繕うことをやめたのだろうか。
「あの、仰っている意味がよく分かりません」
「あの日、庭でセシリアと話している君を見て一目惚れしたんだ」
少しも照れた様子を見せることなく、にこやかに、穏やかにアランは言葉を紡ぐ。紡がれる言葉はセレスにとって甘く、優しく、だからこそ素直に全てを受け入れて飲み込むことは出来ない。
「申し訳ございませんが、私の話を知っていらっしゃるのならばお分かりでしょう。私は今、殿方を信用する気もありませんし、何処かに嫁ぐつもりもありません」
「それは困る。俺はもうセレスティア嬢以外を妻に迎える気はない。跡を継ぐのは兄上だが、仮にも辺境伯子息が一生独身ではいられない」
「では、私以外を」
無茶苦茶だ。大体、一目惚れなどという不確かな感情が何時まで続くのか。もしも飽きられてしまえば、きっと元婚約者のようにあっさりと自分を捨てて何処かへ消えていく。
それが恐ろしくてたまらない。恐ろしいから、初めから受け入れたりしないのだ。
「君は俺が本気だと思えないのだろう?もしくは、すぐに飽きると思っている」
その通りだ。分かっているのなら、さっさとこの場を切り上げて帰らせてもらいたい。だが、それは叶わぬ話。椅子から立ち上がったアランが、ゆっくりとセレスの足元に跪き、手を取りながらにこりと微笑む。
「あの馬鹿な元婚約者とその浮気相手のことなんて忘れさせてやろう。もう二度と傷付かなくていい、穏やかな幸せを君に贈るよ」
アランの温かい手が、セレスの手を優しく握る。逃げようと思えば逃げられる程度。それでいて、信じてほしいと言わんばかりにしっかりと握る力。
どうしたものかと視線をうろうろとさ迷わせるが、深緑の瞳は真直ぐにセレスを見つめ続ける。困り果てた末に、チラと侍女に助けを求めるように視線を向けるが、何も見えませんと目を閉じられてしまう。裏切者めと心の中で毒づくが、今はどうにか返事をしなければ。
「本気で仰っているのなら、証明してくださいませ」
「証明」
「私は殿方を信用しておりません。嫁ぐ気もございません。ですが、本気で私を妻にと望むのなら、その気にさせてくださいませ」
我ながら無茶な要求だ。だがこれで、格下のくせに何を生意気な事を言うのだとか、面倒だとか思って諦めてくれないだろうか。そんな期待を込めてアランを見据える。
「良いだろう、望むところだ」
「はい?」
「セレスティア嬢が俺の妻になっても良いと思わせれば良いのだろう?任せろ、明日からお望み通り励もうじゃないか」
にこやかに微笑みながら、握っていた手をぱっと放して席へと戻っていく。あれもこれもと楽しそうに考えているようだが、セレスはそれどころでは無い。穏便に「お断りだ」と言うよりも、はっきり断った方が良かった。完全に失敗したと理解した時にはもう遅い。
「これから宜しく、セレスティア嬢」
随分と厄介な相手に気に入られたらしい。小さく吐き出した溜息は、アランには聞こえていないようだった。