結婚初夜のカトレアちゃん2
しばらく私が言葉を失っていると、マリアさんは「あら」と口元に手を置いた。
「ごめんなさい、ちょっと話が急すぎましたね。分かりやすいように、こちらの時間軸の状況について説明しましょう」
マリアさんがパチンと指を弾く。すると、かつてアージュさんがそうしたように、壁に鮮やかな光景が映し出された。
「これは六年前、カトレアちゃんと旦那様が初めて出会った武術大会の映像です」
そう言って手で示された先には、闘技場で熱狂する観衆と、剣を打ち合う武人たちの姿がある。一合、二合と剣戟がぶつかり合う度に、どっと歓声が湧き上がった。
そんな光景を眺めるうちに先刻の驚きは吹っ飛んで、かわりに懐かしさで胸が満たされていく。
「すごい、当時の大会ってこんな感じだったんだ! 私、六年前のことをあんまり覚えていなくって」
「でしょうね」とアージュさんがぼそりと漏らす。
「そして、こちらが当時のカトレアちゃんになります」
マリアさんが指先をくるくる動かすと、観客席の一部が拡大される。
そうして現れたのは、両手を組んで真剣な表情で試合を見守る父様と、エド兄様、トリス兄様。試合に参加していたモル兄様はここにはいないようだ。
……そして肝心の私は、父様の膝の上にちょこんと腰掛けていた。
思っていたより小さい。髪と瞳の色は相変わらず平々凡々だけど、目はくりくりと大きく丸くて、ほんのり赤みを帯びた頬は滑らかでぷっくりしている。大きな父様の膝に乗せられているせいもあってか、その姿は人形のように見えた。
「わっ、これが六年前の私? うわあ、私ってこんなに可愛かったんだ!」
「……」
「ふふ。カトレアちゃんは可愛くてとってもお利口さんと評判のお嬢さんだったんですよ」
「そうだったんですか? えへへ。怒られてばっかりな気がしていたけれど、案外知らないところでは褒められていたものなんですね」
「……」
アージュさんは何も言わない。私の愛らしさに驚いているのだろうか。
――なんて考えていると、映像の中で小さな私が「ああ」と弱々しい声を漏らした。
「お父様。わたくし、目眩がします……」
……え? “お”父様? “わたくし”?
「なんだと?」
私の不自然な発言に違和感を覚えたのだろう。案の定父様はぐわっと眉を動かして、私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫かカトレア! 他にどこか辛いところはないか⁉︎」
は?
「すまない、剣術大会はお前には刺激が強すぎたな。配慮の足りない父を許してくれ」
「いいえ、お父様。わたくしの方こそ、バルト家の人間でありながら、貧弱で恥ずかしいかぎりです。でも、剣の音が頭に響いて……」
「無理をするな、お前は女の子なのだからな。とにかく、どこか静かなところに移動しよう」
鳥肌が立つほど優しい声でそう言いながら、父様が私の体を抱えて立ち上がろうとする。
それを、隣に腰掛けていたエド兄様が首を振って制した。
「もうすぐモル兄さんの試合がある。親父はここにいろよ」
「しかし……」
「カトレアなら、俺とトリスで面倒をみるからさ。ほら、トリス」
エド兄様に促されて、トリス兄様は頷きながら立ち上がる。そして、慎重な手つきで父様の腕から私を受け取るのだった。……それも、お姫様抱っこで。
一方の私は、そうされるのがさも当然のような顔でトリス兄様の腕の中におさまると、潤んだ瞳で兄様を見上げる。
「迷惑をおかけしてごめんなさい、トリスお兄様……」
「馬鹿を言うな。お前のためなら、このくらいへでもないさ」
「トリスの言う通りだ。余計な遠慮なんてしないで、辛いときは兄ちゃんたちに甘えろよ」
「エドお兄様……ありがとう……」
…………。
…………。
…………。
「……なんですかこれ、キモチワルイ! そしてすごく腹がたつ!」
「いくら似ている歴史と言っても、時間軸が違いますからねぇ」
マリアさんは当たり前でしょうと言わんばかりの調子で、私の叫びをさらりと受け流す。
「時間軸が変わったことで、バルト家の家庭環境にもささやかながら変化が生じているんです。こちらの時間軸では、カトレアちゃんはお淑やかで体の弱いお嬢様で、家族からベタベタに溺愛されているんですよ」
「わ、私が……?」
体が弱い? 溺愛されている?
そんなの、ありえない。
茫然と壁の光景に視線を戻せば、トリス兄様が幼い私を大事そうに抱える様子が映し出されている。……それも、お姫様抱っこで。
「……」
「では、カトレアちゃんと旦那様の出会いまで場面を飛ばしますね」
言葉を失う私を置き去りにして、映像がパッと切り替わる。
今度はトリス兄様に抱えられていたはずの私が、壁際で不安げに立ち尽くしていた。
「……この私は何をしているんですか」
「医務室に向かう途中で色々あって、お兄さんたちとはぐれてしまったんです。それで自分がどこにいるか分からなくなって、途方に暮れているんですね」
「ええっ。それなのに、どうして動こうとしないんですか? 迷子になったなら、さっさと兄様たちを探しにいけばいいのに」
マリアさんもアージュさんも何も言わない。
幼い私は画面の中であいも変わらずオロオロしている。けれどその場にとどまっているだけで迷子問題が解決するはずもなく。
そうする間にも幼い私の顔色はどんどんと青ざめていき、ついに彼女はふにゃふにゃと床に倒れこんでしまうのだった。
「君、大丈夫か」
すぐさま私に駆け寄る人影がある。輝く銀髪が目に眩しい。
今よりだいぶ線が細いけれど、あれは見間違えようもない――
「クリュセだ!」
「その通り。こちらが六年前の旦那様になります」
もう一度、マリアさんが指を弾く。すると映像はクリュセが私を助け起こしたところでぴたりと静止した。
手を取り合って見つめ合う、六年前の私とクリュセ。
全く記憶にないドラマチックな二人の姿が、目の前で煌々と輝いている。
「――こうしてカトレアちゃんと旦那様は出会い、恋に落ちました。……ほら、見てください。二人とも、うっとりとした顔で見つめあっているでしょう? お互い一目惚れだったそうですよ」
「あの……私の場合とかなり違うんですけど」
「そうですね、時間軸が違いますから。こちらの時間軸では、お二人はこの出会いを切欠に、密かにお付き合いを始めるのですよ」
「え。こんな、お子さまの時分から……?」
私なんて、この時期裏山を駆けずり回っていた記憶しかないのに。
こちらが泥んこになってはしゃいでいる間に、あちらのカトレアはそんなにませた生活を送っていたというのか。なんて小生意気な。
「そして交際六年目、ついにお二人は式を挙げることになります。こちらが結婚式の様子です」
さらに場面が移っていく。マリアさんの白い手で指し示された先では、私が式を挙げたのと同じ聖堂で、あちらの私とクリュセが眩い光に照らされながら互いに見つめあっていた。そして――
「あー! あー! あーっ! キスした! 唇に!」
「ふふ。結婚式ですからね。美男美女でお似合いですよね」
だ、駄目だ。さっきから私の衝撃がマリアさんにまるで伝わっていない。そういう問題じゃないのだ。
複雑で苦々しい感情を噛み砕きながらもう一度画面を見れば、幸せそうな二人を大勢の参列者たちが祝福していた。
そんな、そんな。
「私はほっぺただったのに……。ウェディングドレスが私のよりずっと豪華……。それに参列者もいっぱい……。エド兄様もモル兄様もいる……」
「なんだか可哀想になってきました」
ずっと沈黙を守っていたアージュさんが、辛抱ならないといった様子で口を挟む。
「マリア、これ以上カトレアちゃんの幸せな結婚式を見せつけても、カトレアさんの心を抉るだけですよ。早く次に行きましょう」
「あら、ごめんなさい。……では更に、ループ開始時点まで時間を進めますね」
場面は私の自室に切り替わる。当然ながら、柱にしがみついて泣き叫ぶ私の姿なんてどこにもない。
あちらの私は鏡台の前に腰掛け、テレサに髪を梳かれにこにこしていた。
髪を艶々に整えてもらったところで、彼女は後ろに立つテレサを見上げる。
「テレサ。わたくし、今日は旦那様のお部屋へは行かないことになったの。もう横になるから、テレサも早く休んでちょうだい」
「まあ、大事な結婚初夜なのに何を仰るのです」
そうだそうだ。言ってやれテレサ。
「さっき、目を回して倒れそうになってしまったの。そうしたら、旦那様が『今日は疲れているだろうから、ゆっくり休んだほうがいい』とおっしゃってくれて」
「それなら仕方ありませんね」
……テレサ。
「お嬢様には何よりお体を大事にして頂かないと。無理をしてお風邪をひいてしまったら一大事ですからね」
「あら、それはちょっと大袈裟よ」
「大袈裟なものですか。ほら、お休みになると決めたのなら、はやくベッドに横になってください。しっかり休んで、明日は元気なお姿を旦那様にお見せしないとですよ」
テレサに背中を押されて、私はベッドへと移動する。
私が寝具の中に潜り込む姿を見守って、テレサはほんのり目を細めた。
「旦那様がお優しい方で良かったですね。こんなにお嬢様を大事にして下さるなら、私も安心してバルト領に戻れるというものです」
「ええ、あんな素敵な方と結婚できるなんて夢みたい」
あちらの私はテレサの言葉に大きく頷く。そして、頬を赤らめながらうっとりとした声音で言うのだった。
「わたくしはきっと、世界一幸せなお嫁さんだわ」





