1-12:暗緑の森
夜も更けた頃、フェルナンは自身の祝福の気配を辿って、拠点に辿り着いた。蔦で屋根を作るなんて、エルネスはきっとセナの反応を見て遊んでいたのだろう。頭が痛い。
ウスタージュが、上手くフォローしていると良いんだが。
そう思いながら蔦の隙間を潜ると、すぐ問題の男に声をかけられた。
「お疲れさまです、フェル。首尾はどうですか?」
「…………黒点は見つからない。でも、キナ臭いったらないな。新しい足跡と靴が片方落ちていた」
「…………それは、黒かもしれませんね」
「収穫だったな、フェルナン」
「今回ばかりはハズレを期待した――――」
顔を明かりの下、囲いの中央へと向ける。そこには荷物と、二頭の荷馬の姿があった。馬があんな所で休むのは珍しい光景だ。
「セーナはすっかり馬に懐かれていましてね」
「あそこに居るのか?」
「ウスタージュもな」
ダヴィドの補足に、フェルナンは僅かに肩の力を抜いた。どうやら彼は健闘したらしい。
「お前も休め」
差し出された剣を受け取り、もう一度光の下へ視線を向ける。何かの違和感を感じた。
「気になるなら、見てくれば良いでしょう?」
「…………」
別に、気にしてはいない。面倒事の塊で、手が掛かる上に生意気だ。
けれど――――
「怪我をしたのか?」
「乾燥魚を手で掴んだんですよ、あの子は」
「馬鹿じゃないか?」
「賢い筈が無いでしょう?」
そうだった。賢い筈がない。思わず開いた口を、ぎゅっと噛み締める。言っても仕方の無い事だ。あの娘には、まともな知識が無い。それはもはや確定だった。
「フェル。落ち着いて聞いて下さいね。セーナにはまだ、黒色病の可能性があります。血の止まりが異常な程、早いんです」
「――――もしもの時は、俺が」
「待て待て、そうじゃない」
言いかけたフェルナンに被せるように、ダヴィドが口を挟んだ。殺すために拾ったんじゃない、と言われなくとも分かる。分かるが、その役割分担は早めに決めておいた方がいい。こっちにだって、心の準備をする時間が欲しいのだ。
「フェルは、セーナ達の傍に行って下さい。朝になったら、これからの計画を話します」
「俺達は、ここで暫く反省だ」
思わずダヴィドを見た。フェルナンは彼の顔に浮かぶ苦笑に、嫌な予感を覚える。この人の口から、反省なんて言葉が出る日が来ようとは。そう思ったら、身体が動いていた。
中央に駆けて行く後姿を見て、エルネスは寂しげに目を細くする。
「安心しろ。フェルに切らせるくらいなら、俺がやる」
「やめて下さい、そんな話は…………」
「無用な心配だと思うがな?監禁されて育った人間が、あんなに豊かな表情をするものか」
「…………セーナは、よく分かりませんからね」
森の朝は白い霧に包まれていた。
ひんやりと澄んで気温が低く、暖かい馬の体が心地よい。これで毛並みが柔らかかったら文句無しなのに、そう思って星南は身体を起こした。
「ゴハン」
真っ先に声を掛けて来たのは、枕にしていたナディーヌ号だ。辺りを窺うと、蔦のドームは既に無い。近くで大の字に転がっているウスタージュを覗き込めば、ぱちっと琥珀色の瞳が開いた。
「寝坊だぞ、セナ」
「おはようございます…………」
「朝っぱらから、もごもご話すなって」
「…………すいませんね」
ウスタージュは、呻きながら身体を起こした。鎧が擦れて、すっかり耳に慣れた金属音がする。
「身体がバキバキだぁ。頸甲くらい取れば良かったー」
「大丈夫?」
「なんだなんだ。寄るな触るな、ほら、消毒と包帯変えておけ」
巾着袋を渡された星南は、ムッとした顔でウスタージュを見た。彼は私の事を、馬鹿だと思っている。それでも良いと考えていた少し前の自分を、殴ってやりたい。馬鹿にされるのは、気分が悪い。とてもイラッとする。
「何時か絶対、見返してやるんだから!」
「もごもご話すな」
「もごもごじゃありません!日本語です!!」
「じゃぁ、あれは何だ?」
「木っ!木ですよ、木ーっ!!」
「おうおう、怒るなって…………」
もう嫌だ。どうして、短い単語ばっかり言わせるの!?気分は確かに、ハンカチを噛み締めてキーッとやりたいくらいだ。むしろ異世界でハンカチでキーッ、が通用するところがやるせない。
共通語を教えようとしたウスタージュと、努力した星南。越えられない自動翻訳の壁の前に、二人は一夜にして屈した。聴力の残念な子というレッテルが貼られたのだ。
「ケンカをしないで下さいね?」
「セナは意外と短気っス」
誤解だよ。その誤解を、誰か訂正させて。項垂れる星南に歩み寄ったエルネスは、背に落ちたままのフードをそっと被らせた。そのまま頬を包まれて、びくりと背筋を伸ばす。覗き込むように近づいた顔は、整い過ぎていてアップが辛い。すぐさま、目線を明後日の方向に逃がしてしまった。
「これからギリギリまで北上します。セーナ、頑張って歩いてくれますね?」
「はい」
「ウスタージュ。ナディーヌ号の装備を整えて殿を頼みます」
「了解!」
「行きましょう」
顔から手が離れてほっとする余裕も無く、手首を掴まれた。不格好に包帯の巻かれた右手は、広がる濃紺の袖から伸びる指がしっかりと絡んでいる。エルネスはローブも手袋もしていなかった。詰襟の下に広がる二枚の飾り襟。左右対象に下へと並ぶ十個の銀ボタンまで、全て、自分と同じデザインの制服だ。
にも拘わらず、この差。
着ているか着られているか以前に、月と鼈と言うべきか。誰かが見比べていなくても、隣は居心地が悪い。どうして、よりによって彼とだけ同じデザインなのだろう。そこにフェルナンの作為を感じてしまう。
しかも、エルネスの爪は艶やかに黒かった。ちゃんと手入れをしているのだろう。放置イコール年齢の自分と比べて、歴然の差だ。
居たたまれない。
全身で私のコンプレックスを刺激してくるつもりでしょうか。流石に受けて立てません。
「エ、エルネスさん?」
呼びかけてみると、淡い瞳が見下ろした。昼間の彼は白い霧とも相まって、穢れなど知らないような白皙の美しい男性だ。実に罪深い。無害に見える。
「靴擦れする前に着きますよ。そこでセーナは待機です」
「あの、手を…………」
掴まれた手首を上げて主張してみても、彼は微笑みを崩さなかった。そればかりか、後で巻き直しましょう、と余計な事を言われる。それで星南が黙ってしまうと、再び歩き始めた。樹齢の予想が出来ないくらいに、太い木々。彼らはここへ、何をしに来たのだろう。鳥の声さえ聞こえないのだから、他の動物がいるとも思えない。
星南はまだ、討伐ギルドがどんな組織かを知らなかった。
石皮靴がザクザクと音を立てて苔を踏みしめる。先頭を歩くフェルナンとダヴィドは、無言だった。青である二人は、人族を殺める事にそれなりの耐性を持っている。この国で討伐ギルドと言えば、王国軍の補佐のような仕事までさせられている、と有名だ。そのせいで、星南を拾う事になった。
全ては偶然の積み重ね。
けれど偶々が重なり過ぎると、気味が悪くなるものだ。フェルナンは遂に足を止めた。
「引いた方が良くないか?」
「引く暇があるなら、さっさと進め」
「ダヴィドさん――――」
緩やかにウェーブするオレンジ色の髪を揺らせて、ダヴィドは首で否定した。任務の方が優先だ。目視出来ない程後方に居る、エルネス達を気にする事はないだろう。手早く終わらせて、帰る方が賢明だ。
現場を若い二人に見せたくないなら、尚更のこと。
血の臭いがする。霧が晴れたら、とんでもない修羅場を拝めるかもしれない。まるであの雨の日の、天界の庭のように。昨夜は感じられなかった異変が、二人の前には広がっていた。
「二の剣を抜いておけ」
ダヴィドが警告する。感知に長ける彼が、鞘からスラリと白銀の刀身を抜いた。二の剣は、弔い用の特殊な剣――――人を切る為の剣だった。
「来たぞ、霧を払え!」
鋭い指示と共に、濃紺のローブが足元に落とされる。同時にフェルナンは指を鳴らした。
『神の作りし 始まりの色 春の地を染め 初めを謳い 手折るものには屈する勿れ――――古き緑』
上に飛んたダヴィドの下を、色を乗せた右手で横へと薙ぎ払う。空気が動いて視界が晴れた。巨木の森。足元の苔は枯れ果てて、茶色に変色している。フェルナンは迷わず二の剣を抜いた。
「どうなってんだ」
横から飛んで来た短刀を叩き落とし、近付く気配に剣を向ける。犬人だった。ダヴィドの向かった方では、剣光の軌跡しか見えない。もとより加勢は不要だろう。
「何の心算だ」
「逃げた蛇人のガキを、何処に隠した?」
その言葉を聞いて情報収集に切り替えたフェルナンは、表情を変えずに一瞥を返した。天界の庭と、この森は繋がっている。わざわざこんな所まで探しに来たというのか。
――――セナを?
「知らないなら、死ねッ!」
そのまま飛びかかって来た男は、上半身の大きな狼種の犬人だった。先発隊の奴らが、天界の庭で仕留め損ねたに違いない――――切り結んだら不利になる。その攻撃を後ろに引いて避け、素早く剣を鞘に納めた。その様子に、相手の男は分かり易く油断を見せる。
「討伐ギルドの剣士様が、命乞いでもするってか?」
嘲笑を浮かべ、先程までの勢いを無くして歩み寄って来た。更に後方に距離を置き、フェルナンは何かを呟いていた口元に、ニッコリとした笑みを浮かべる。
『木蔦の緑』
「ぐっ!?」
「お前は生け捕りにしてやるよ、昼寝でもしてろ」
言い捨てて踵を返し、ダヴィドの方へ向かう。突如、地面から生えた蔓植物に締め上げられた男は、泡を吹きながら意識を失った。本来木蔦の緑という色は、屋根を作るものではないのだ。
はぁー、とダヴィドは辺りを見回して溜息をついていた。
犬人を四人切ったが、その奥には狐人の死体が五つも転がっている。仲間割れ、と言うにはモノが無い。
「ダヴィドさん、一人生け捕った」
「フェル、この状況をどう見る?」
「同士討ち、か?」
狐人は全て、胸を一突きにされて事切れていた。五人とも同じ手口だとすると、相当油断していたか、相手が手練れでも無ければ難しい。
「骨は無かったと思うが」
「全くなって無かったな」
同じ意見を交わした二人は、首を傾げた。この犯行が先程の犬人だとは思えない。
やはり、何かが変だ。
「お前はセナを連れて、アングラードへ戻れ」
「了解」
「警戒しろ。ギルド内に居るかもしれん」
「居るだろうな」
暗緑の森には、霧より深い疑惑が満ちていた。




