1-10:草食
この二人、仲いいなぁ。
星南が呆れた視線を向ける先で、ダヴィドとエルネスは肩を叩き合いながら、笑い出してしまった。何がそんなに面白かったのだろう。行き場がないので、蔦に覆われたドーム端のナディーヌ号に寄り添った。彼女は、五月蠅いわね、と大きく尻尾を揺らせている。そこへ、茶色い荷馬のアデール号もやって来た。
「こんばんは?」
声を掛けてみると、彼女はぱちぱちと緑の瞳を瞬いて顔を寄せてきた。ナディーヌ号が、挨拶よ、と相槌のような事を言ったので、星南も目を瞬く。
「私の言葉、分かる?」
アデール号は、差し出した星南の手に鼻ずらをすり寄せた。それだけだ。
なんか、嫌な予感がする…………
聞く方ドンと来い、話す方は馬一頭、とかだったらどうしよう。ここの神様はかなり、いい加減だ。馬一頭くらい居ればいいんじゃね、くらいのノリで適当な特典の付け方をされていても、おかしくはない。
「ね、ねぇ、ナディーヌ号?」
恐る恐る星南は尋ねた。アデール号は何を話しているのか、と。
「セナ、スキ、イイニオイ」
「って言ってるの?」
「ソウ」
ちょっと神様ーっ!!
「あのね、私、アデール号とはお話し出来ないみたい」
「ソウナノ」
「そうなの!」
ブルルと茶色いアデール号が鼻を鳴らした。残念、と言ったらしい。こうなると私は、ナディーヌ号という通訳無くして、馬ともマトモに会話が出来ない事になってしまう。ガックリと項垂れて灰色の毛並みにしがみ付くと、馬が好きですか、とエルネスの声が聞こえた。
「セナのせいで、腹が減ったぞ」
「もう鞍を外して休ませましょう。貴女も何か食べますか?」
思わず、地面に置かれたままの鍋を見てしまった。塩味の苦渋風味紫キノコスープだ。とても食べられそうにない。
「…………あれ、ではありませんよ?」
エルネルはよしよしと、星南の頭を撫でた。不味かったでしょう、と笑うから頷いて肯定する。
「ウスタージュは、からっきし上達せんな」
「フェルナンが教えているんですよ?」
「それか…………」
手早くダヴィドはアデール号から荷物と鞍を外して、ナディーヌ号の傍にやって来た。
「まともな物を食わせてやる。例えば、こんな物とかな」
彼がナディーヌ号の荷物から取り出したのは、何かの包みだった。それをペリペリ剥いて差し出された星南は、勢いで受け取ってしまったが、色が赤い。まさか辛かったりするのだろうか。
あんまり得意じゃないな。
それをもって躊躇している間に、二頭の荷馬は思い思いの場所に移動してしまう。再び、ダヴィドとエルネルに囲まれた状況の出来上がりだ。
「おやおや、見た事がありませんか?」
「大人のオヤツだからな。セナにはまだ早いか?」
「ほら…………そういう事を言うから、幼いと思われるんですよ?」
「俺は事実しか言っていないぞ」
大人のオヤツって何!?
ますます、食べてはいけない物のように思えてきた。味以前に、危ない物が混入していそうだ。
「大丈夫ですよセーナ、それは酒のツマミです。少し塩辛いかもしれませんが、あの鍋の中身よりは美味しいと約束します」
「あの鍋を超える代物は、早々作れないだろうがな」
「まったく、材料の無駄遣いですね」
酒のツマミ…………
例えば、サラミ的な?タコじゃない、タコさんウィンナーって方が全体的に似ている気がする。
「…………」
「意外と用心深いな。ほら、見てみろ。同じものだ」
「三人で食べれば、より美味しいですよ」
食べる事は決定らしい。包装を剥いて、ダヴィドが真っ先に口に入れた。エルネスも食べている。二人を見上げて、星南も女は度胸と噛み付いた。とても硬い。味は塩辛いサラミに似ている。
「中々いけるだろう?」
「た、たぶん…………」
「無理に合わせなくても良いんですよ。所詮ツマミです」
エルネスがくすくす笑って言うと、ダヴィドは、やれやれといった様子で前髪を掻き上げた。
「お子様には早かったか」
「若いと、味覚が敏感ですからね」
「それじゃあ、若いセナはもう寝ないといけないな」
「えっ?」
さっき起きたばかりなのに。
それに、ここは森の中だ。今は蔓のドームが出来ているけれど、野外である事に変わりない。
「私が膝を貸しましょうか?」
「は?」
「昔話を聞かせてやろうか?」
「えっ…………」
星南は思わず後退った。
「まだ、添い寝が必要な年齢でしたか?」
「なら俺は、子守歌か?」
「いやいやいやいや…………」
この人達に囲まれて眠れる自信はゼロに等しい。グラマー専門らしいダヴィドさんはともかく…………チラッとエルネスの方を向くと、彼は白皙の美貌に妖艶な笑みを浮かべた。
「大人の添い寝をご所望ですか?」
ひぃぃぃっ!!
「セナに俺は、まだ早いぞ?」
それは知ってます!
寝れる筈が無い。この二人は色んな意味で、寝かせるつもりがあるように見えなかった。結局、星南はおろおろ狼狽えて笑われ、ナディーヌ号の傍に逃げるしか無くなった。
ウスタージュ、フェルナン!お願い早く帰って来てーっ!!
切実に願いながら、大きな灰色の体に身を寄せる。足を折りたたんで座り込んでいた彼女は、横腹にくっついた星南を青い瞳で見下ろした。
「ねぇ、ナディーヌ号」
「ナニ」
「この森って、どういう場所か知ってる?」
「ミズ、ガ、チカイワ」
「水?」
そういえば、前にも言われた気がする。喉が渇いたという意味では無さそうだ。
「水が近いって、どういう意味なの?」
「チカイノ」
「誓い、の?」
「チカイノ」
駄目だ、やっぱり分からない。この世界の情報をどうにか入手しないと、そろそろ疑われてしまいそうだ。
「帰りたい…………」
「カエル?」
ナディーヌ号が、長い顔を近付けてきた。何故、彼女とは話せるのだろう。
「羨ましいですね。ナディーヌ号は、セーナと内緒話ですか?」
「…………エルネスさん」
所詮は広くないドームの中だ。折角逃げて来たのに、もうエルネスに近寄られてしまった。
「ダヴィドのせいで、すっかり警戒されてしまいましたね」
そう言いながら、彼は直ぐ近くに膝を突いた。
「ブラシのかけ方を教えましょう。ナディーヌ号も、お気に入りのセーナにして貰いたいでしょう?」
「そう、かな?」
「ソウネ」
ナディーヌ号はブルルと鼻を鳴らして立ち上がった。渡されたブラシを手に、星南はナディーヌ号を見上げる。
「結構堅いけど、いいの?」
「イイノ」
「いいですかセーナ、決して馬の後ろに立ってはいけませんよ」
「は、はい――――」
エルネスに腕を引かれて立たされ、ナディーヌ号の正面に連れて行かれる。そのまま、ブラシを持っている手をバンザイするように伸ばされた。
「まずは、ブラシを見せる事。蹄の世話は私がやりますが、いずれ覚えて下さいね」
「はい」
「嫌な事があれば、馬は側面へも蹴る事があります。ブラシだけでは無く、必ず逆の手も身体に添えて、安心させてあげて下さい」
「はい」
「力加減は、ナディーヌ号に聞いて下さいね」
ん?
星南はエルネスを見上げた。青白い光の下、青みを増した瞳が静かに見下ろしてくる。
「どうしました?」
「い、いえ…………」
気のせいだっただろうか。何かが少し、引っかかったような気がした。硬いブラシをナディーヌ号の体に当てる。灰色の毛並みも、今は少し青っぽい。
「ソコ、チガウ」
「えっ?」
「コッチ」
彼女は首を伸ばして催促した。隣にはまだエルネスが居る。背中に冷たい汗が流れた。とてもマズイ。今はとてもマズイ状況だ。ここで下手に話しかけたりしたら、馬と話せる事がバレてしまうかもしれない。
「ナディーヌ号、セーナはまだ下手くそですが、蹴らないでやって下さいね?」
「イイワ」
そう言った彼女が、つぶらな青い瞳をこちらに向けた。バレないとか、無理じゃなかろうか。青くなる星南に、エルネスが手を伸ばす。咄嗟に後退ってしまうと、おやおやと苦笑された。
「ブラシを貸して下さい。手本を見せましょう」
「…………は、はい」
考え過ぎだろうか。自分の行動を恥じて、星南はすぐにブラシを差しだした。その手が腕ごと掴まれる。ぎょっとする間もなく引き寄せられて、恐怖に目を閉じてしまった。
「…………セーナ、目を開けて下さい?それでは、何も見えませんよ」
そっと目を開くと、灰色の毛並みが見えた。立ち位置を移動させられたようだ。距離を置きたい。腕を放して欲しい。背後に立つエルネスが怖くて首を竦める。
「リラックスして下さい。変に気を張ると、馬も嫌がります」
「…………はぃ」
リラックスって何だっけ。まるで二人羽織のように背後から手を拘束されているのに、気を抜けるかって?とても無理な相談だ。
「青石の国という国は、水の神に愛された土地なんです」
「えっ?」
唐突に話し始めたエルネスを、星南は振り仰いだ。
「今は亡き水の女神は、多くのものを創造しました。その中には、ナディーヌ号の親である水馬も含まれます」
「…………は、はい」
「水馬の主食は、海藻と魚です」
「はい?」
馬が、海藻と魚を食べるの?
海藻はともかく、魚って馬が食べても良いのだろうか。草食じゃなかった?それとも嘘?何かの笑いを取る場面?私はどう反応したらいいの。
ここでナディーヌ号に確認したら、それこそ万事休すだ。星南はとうとう動揺が隠せなくなった。何故エルネスが、腕を掴んだままなのかを、知るよしもない。
「ブラシが終わったら、乾燥魚をあげましょうね」
言われたナディーヌ号が、ふさっと尻尾を振った。こういう時に限って、彼女は何も言ってくれない。そして、エルネスの表情も微笑みのまま動かなかった。疑問符が頭の中を回る。異世界人だと開き直ってしまいたい。でも、言葉が通じない。
ものを知らないお馬鹿と思われるのは、ある意味、好都合だ。そのまま聞けば良いのだから。
けれど一般常識が無いと分かったら、流石におかしいと思うだろう。まさか、異世界人だとは考えないかもしれないけれど。
私の他に、異世界の人が居るのだろうか。
その人は、どんな扱いを受けているのだろう?
「さぁセーナ、しっかり手を動かして下さい」
やっと背後からエルネスが離れた。そのままダヴィドの方に向かう後姿に、心底ほっとする。
「イヤ」
ナディーヌ号が文句を言った。星南は後ろに気を付けながら、疑問を矢継ぎ早にぶつける。
異世界の馬は、草食では無いようです。