【第50話】四人と、ひとりの約束
「本年度、終業式を執り行う」
学院長の声が、講堂に、静かに響いた。
一年前、この同じ講堂で、私は「ヤンキー猫理論」を胸に、入学式に臨んだ。
……あれから、色々あったわね。本当に、色々。
演習で旗を十二本取って、学院新記録を作った。カンニング事件で、審問会に立った。学院祭で、怪物と呼ばれた男に、名前をつけた。ミスコンから弾き出されて、代わりに舞台を塗り替えた。ドレスを切り裂かれて、メイド服で舞踏会に出た。そして——命を、削られていると知った。
一つ一つは、忘れられない出来事だったはずなのに、こうして並べると、まるで、他人の一年みたいに思える。香盤表なら、もう、書き切れないほどの一年だった。たぶん、それだけ、駆け抜けたということね。
「今年度、学院史に残る記録がいくつも生まれた」
学院長の声が、続いた。
「入学直後の演習における、獲得旗数の新記録。……そして、後期中間試験における、不正行為の解明。学院祭における、前例のない演出。冬の舞踏会における——」
言いかけて、学院長は、一瞬、言葉を止めた。会場中の視線が、こちらへ、集まるのがわかった。
「……いや、これは、別の機会に語るとしよう」
隣で、ディーン様が、声を殺して笑っていた。
***
式が終わって、講堂の外に出ると、初夏の風が、頬を撫でた。
「首席、ブライアン・シリル」
発表された成績優秀者の中に、ブライアン様の名前が呼ばれた。拍手が起きる中、彼は、いつもの片眼鏡を押し上げて、静かに一礼した。
「おめでとうございます」
「……当然の結果です」
「一位を取ったのに、あまり嬉しそうじゃありませんわね」
「勝ち方を、選んで勝ちましたから」
彼は、少しだけ、口の端を上げた。
「二番でも死なない、と言える一位のほうが、今の私には、価値があります」
隣では、ディーン様が、木剣を肩に担いだまま、こちらへ来ていた。
「なあ、エミリア。俺、夏の間、実家で稽古つけてもらうことにした。……父上が、初めて、自分から誘ってきた」
「まあ」
「向こうも、変わったんだろうな、ちったあ」
彼は、照れくさそうに、頭をかいた。
「二年目は、剣術の授業でも、首席狙うぞ。読み書きは無理でも、剣なら誰にも負けねえ」
「応援しておりますわ」
***
「アッシュ様は、夏、どうなさいますの」
「屋敷に戻る」
短い答え。けれど、その声には、以前のような、乾いた響きがなかった。
「弟に、会いに行く」
「……そう、ですのね」
「もう、逃げない」
彼は、掌を見た。弟を壊した、あの手を。
「壊すことしかできない手だと、思っていた。……今は、少し違う」
彼は、私を見た。
「お前と踊った手だ」
その時、マリーが、少し急いだ様子で、こちらへ駆けてきた。
「お嬢様。……クリス様から、お手紙が届いておりました」
差し出された封筒は、薄い。開けると、中には、短い一文と、押し花にした白い小花が、一輪だけ入っていた。
『修道院付属校に、無事、移りました。……先日のこと、まだ、お礼も謝罪も、うまく言葉になりません。いつか、言えるようになったら、また、書きます。——クリス』
私は、しばらく、その一文を見つめた。
まだ、友達ではない。でも、敵でも、ない。
言葉にならないものを、言葉にならないまま送ってくる。……そういう不器用さ、嫌いじゃないわ。
「お返事、書きますの?」
「ええ。……気の利いた文句は、まだ思いつかないけれど」
***
「お嬢様」
マリーが、隣に来て、小さな声で言った。
「私、来年度は、三年生になります」
「そうね。……あなたは、私より一つ、お姉さんですもの」
「進路のこと、少し、考えないといけません。……文官コースか、淑女コースか。母は、私に、決めろとは言いませんが」
彼女の声には、迷いが滲んでいた。
「マリー」
私は、彼女の手を取った。
「何を選んでも、私は、あなたについていくわ。……順番、逆かしら?」
マリーは、少し笑って、それから、目元を拭った。
***
夕暮れ、中庭の噴水のふちに、五人で腰を下ろした。
ディーン様、ブライアン様、アッシュ様、ロブ様、そして私。
あのサバイバル演習の初日、三人と隊を組んで、旗を取りに走り回ったこと。その夜、罠にかかった迷子を——変装した「エマ」の姿で――拾い上げたこと。まさかその迷子が王子で、まさか、この四人が、一年経ってもまだ隣にいるとは、あの時は、思っていなかった。
「なあ、来年も、こうやって、集まろうぜ」
ディーン様が、皆を見回して言った。
「私は、来年、必ず、二番から一番の景色を、当たり前のものにしてみせます」
ブライアン様が、静かに言った。
「俺は」
アッシュ様が、少し考えて、言った。
「壊さない練習を、続ける」
「エミリア」
最後に、ロブ様が、口を開いた。夕陽が、彼の銀髪を、赤く染めていた。
「俺は、来年も、目立つほうを選ぶ」
「よろしいんですの? また、噂の的になりますわよ」
「なる。……お前の隣にいる限り、それは、避けられないだろうしな」
彼は、私を見て、少しだけ、笑った。
「四年後の約束は、忘れていないだろうな」
「……あら、覚えていて、損はしませんもの」
「では、私も」
私は、立ち上がって、皆を見回した。夕暮れの光の中、四人の顔を、順番に見ていく。
演習で拾った、迷子の王子。読字困難と戦う戦士。二番を恐れていた頭脳派。壊すことしか知らなかった巨躯の少年。
——この一年で、私は、ちゃんと、友達を作れたのね。
前世で、現場のADとして、たくさんの人と関わってきたはずなのに。心を開いて、対等に、誰かと笑い合ったのは、たぶん、初めてだった。
「来年も、目立って、暴れて、悪評を利用して、皆様を巻き込みます」
私は、いたずらっぽく、笑った。
「覚悟なさって」
***
噴水の水しぶきが、夕陽を受けて、小さな虹を作っていた。
一学年、終業。
香盤表の最後のページに、私は、こっそり、こう書き足した。
——第一部、無事クランクアップ。第二部、ご期待ください。
窓の外、初夏の風が、次の一年を、運んでいた。




