事件
チャイムの音が鳴る。
女が「はあい」と返事をしてドアを開けると、スーツを着た見知らぬ男が「わたくし、こういうものです」と名刺を差し出してきた。
「私、セールスはお断りよ」
女はそう言ってドアを閉めようとした。
「いえいえ奥様、わたくしはそのような低俗なものではございません。実はわたくし、」
「お断りよ」
男がいい終わらないうちに、女はドアを閉めた。
チャイムの音が鳴る。
女が今度こそ宅配便かしらと思い「はあい」と返事をしてドアを開けると、スーツを着た男が「わたくし、こういうものです」と名刺を差し出してきた。
女は不快そうにドアを閉めようとして。
機械音がウィーンと響いた。
女は男の顔を見た思い出した。
「あなたは…!」
「そうです。わたくしはあなたが先日テロリストに捕まったときに助けた者です。わたくしはあなたの命の恩人なのですよ。」
女は言われたことをそうかもしれないと思った。いや、たしかにそうなのだ。女は先日、たしかにこの男に命を救われた記憶がある。
けれど。
「ありがとう。でも私、セールスはお断りなの。」
女はドアを閉めた。
チャイムの音が鳴る。
女が今度こそ宅配便かしらと思い「はあい」と返事をしてドアを開けると、スーツを着たかつての恩人が「わたくし、こういうものです」と名刺を差し出してきた。
女はいい加減にしてと思いドアを閉めようとして。
機械音がウィーンと響いた。
女は男の顔を見た思い出した。
この男は恩人であり女の兄であった。
「兄さん…!」
「そうです、私はあなたの兄です。あなたをずっと可愛がってきました」
女は言われたことをそうかもしれないと思った。いや、たしかにそうなのだ。女は幼い頃からこの兄と暮らしていた記憶がたしかにある。自分を大切に育ててくれた兄。
けれど。
「兄さん、でも私、セールスはお断りなの。」
女はドアを閉めた。
チャイムの音が鳴る。
女が今度こそ宅配便かしらと思い「はあい」と返事をしてドアを開けると、スーツを着た恩人である兄が「わたくし、こういうものです」と名刺を差し出してきた。
女はしつこい兄に嫌気がさしドアを閉めようとして。
機械音がウィーンと響いた。
女は男の顔を見た思い出した。
男は女のかつての恋人だ。
女は男を兄さんと呼んでいたが、それは男がかつて孤児院で共に育った年上の存在だったからだ。血の繋がりも全くない。女は年頃になり男と交際し、そして別れた。
「義高さん…!」
「そうです、わたくしは義高です。兄妹のように支え合い育ち、そしてかつて愛し合った義高です」
けれど。
「義高さん、でも私、セールスはお断りなの」
女はドアを閉めた。
チャイムの音が鳴る。
女が今度こそ宅配便かしらと思い「はあい」と返事をしてドアを開けると、スーツを着た恩人であり兄である義高が「わたくし、こういうものです」と名刺を差し出してきた。
女は義高に舌打ちをしてドアを閉めようとして。
機械音がウィーンと響いた。
女は男の顔を見た思い出した。
男は女の会社の取引先の重役だ。
「佐藤会長…!」
「そうです、わたくしは佐藤です。あなたの会社の取引先の重役です。わたくしの話を」
けれど。
「会長、私、セールスはお断りなの」
女はドアを閉めた。
チャイムの音が鳴る。
女が今度こそ宅配便かしらと思い「はあい」と返事をしてドアを開けると、スーツを着た恩人であり兄であり取引先の重役である佐藤義高会長が「わたくし、こういうものです」と名刺を差し出してきた。
女はさっそくドアを閉めようとして。
機械音がウィーンと響いた。
女は男の顔を見た思い出した。
男は女の昨夜の殺人を見ていた人物だ。
この男には殺人の写真を撮られてしまっている。
「貴様…!」
「そうです、わたくしはあなたの殺人を見ていたものです。あの写真を警察に突き出されたくなければわたくしの話を」
女は男を殺した。
チャイムの音が鳴る。
女が「はあい」と返事をしてドアを開けると、宅配便を渡された。大きな斧に大きな鍋、そしてシャベル。
女が昨夜殺した死体をバラバラにして溶かして埋めるため通販サイトで購入した品々だ。
それにしても。
目撃者がいたとは驚いた。
そんな事はなかったはずだが、何故だかあの男の顔を見た瞬間にその記憶を思い出したのだ。
けれど。
記憶にあるなら間違いはない。
女は昨日殺した死体と、今日殺した命の恩人であり、幼い頃から慕った兄であり、かつて付き合った恋人であり、取引先の重役であり、殺人現場を見た男を、彼が手にしていた「記憶製造装置お売りします」と書かれたチラシごと溶かした。
End.




