9、封印
「……上手く誘き寄せたようだ」
龍霊は呟く。佐紀達は、上手く封印の術式が刻まれた場所に、斬也くんを誘き寄せる事が出来たらしい。
「準備は良いな?」
「はっ! 万端にございます!」
龍霊は背後の法力僧に尋ねる。彼の背後には多数の法力僧がいた。いや、彼だけでなく、世界中に散らばる照命宗三万人の法力僧達との作戦だ。
「では、始めるぞ!」
「はっ!」
龍霊の号令とともに、全員が手に数珠をかける。通信担当の僧達が、携帯電話で世界中に連絡し、そして、経を読み上げ始めた。
「おやおや、行き止まりみたいだねぇ」
佐紀達が逃げ込んだ場所に、斬也くんが入り込んでくる。周囲はビルに囲まれ、逃げ場がない。完全な袋小路である。
少なくとも斬也くんにはそう見えているはずだ。
(これでいい)
が、成治達にとっては違う。
ここが、斬也くんを封印する場所だ。ここに逃げ込む事は当初の予定通りであり、全て作戦通り。三人は順調に事を運んだのだ。
(あとは出来る限り、時間を稼ぐ! 佐紀はあたしが守るんだから!)
木葉は斬也くんを睨み付ける。あとは龍霊達が斬也くんを封印するまで、どうにかして時間を稼ぐだけだ。ここからが、この作戦の本番である。
「名残惜しいが、最後の鬼ごっこは終わっちゃったよ」
作戦を完遂し、生き延びる為には、ここに封印の術式が刻まれている事を、斬也くんに気付かれないようにしなければならない。
「いや……助けて……」
それには演技が必要だ。自信があるように見せてはいけない。怖がっているふりをして、斬也くんの目を騙そうとする佐紀。
「何? まだ生きたいの? それは出来ない。僕はお前を殺したくて仕方ないし、もう充分時間はあげただろう? 僕はこれ以上お前との関係を続けたくない。わかったら死ね」
斬也くんは佐紀目掛けて飛び掛かり、巨大な日本刀を振り下ろした。素早く木葉が飛び出し、佐紀を救出する。
「佐紀は殺させない!!」
「ふん、お前か。お前もずっと殺したかったんだよ」
予想通りだった。斬也くんは、木葉も憎んでいる。自分の前で佐紀との友情を見せつけた木葉を、斬也くんは決して許さないのだ。
「お前らのそれ、本当にムカつくんだ!!」
日本刀を赤く光らせる斬也くん。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」
だがその時、成治が斬也くんの腹を殴り付けた。その両手には、最初に行ったあの寺でもらった数珠が掛けてある。これは龍霊に法力を込め直してもらい、対斬也くん用の武器にしてもらったのだ。
斬也くんは霊体と実体を使い分けている。霊体の時は物理攻撃が効かず、斬也くんからも攻撃が出来ない。法力を使った攻撃は出来るが、日本刀を使った攻撃は出来ないのだ。
だから斬也くんは、日本刀を使った攻撃の瞬間だけ実体化する。何の力も持たない人間が斬也くんを攻撃するには、その瞬間を狙うしかない。
ところが、この特別な数珠を纏った拳で攻撃すれば、常人でも斬也くんにダメージを与える事が出来るのだ。
「その攻撃は、使わないんじゃなかったのか?」
だが、所詮は牽制くらいしか出来ない。時間稼ぎの為の、応急処置的な攻撃手段なのだ。事実、今の拳も斬也くんを少し怯ませ、攻撃を中断させるくらいしか出来ていない。
「……殴った……」
だが、成治の拳が斬也くんの精神に与えたダメージは、想像以上だった。
「僕を殴った……ああああああああああああああ!!!」
助けてくれると、最後まで自分を想い続けていると思っていた相手から攻撃を受けて、斬也くんは錯乱した。
「嘘だったんだな!? 反省してるって言ってたのは、嘘だったんだな!? やっぱりお前も、僕の敵だったんだ!!」
「嘘じゃない!!」
わめく斬也くんに、成治は一喝する。
「君がそうなった事を悔やんでいる気持ちは嘘じゃない。今だって、後悔の気持ちが渦巻いてる。でも私は、死ぬわけにはいかないんだ! 身勝手だってわかってる! だがそれでも、私は死ねない! でも、反省してるのは嘘じゃない! それだけはわかって欲しいんだ!!」
本当は死ぬつもりだった。だが、自分が死ぬだけでは何も終わらないとわかり、まだ自分を必要としてくれている人の存在を知って、死ねなくなった。しかしそれでも、斬也くんを悼む気持ちは消えていないという事を訴える。
「ううう……嘘だぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
斬也くんはわめきながら、日本刀を振りかぶり、振り下ろす。
だが、成治の服のポケットから、数珠と同じく寺でもらった護符が飛び出し、半透明な壁を作り出してそれを防いだ。
「がぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
斬也くんは左手を向け、法力の衝撃波を放つ。
「うあっ!!」
護符も、護符が作った壁も、呆気なく消し飛び、成治は近くの壁に叩きつけられた。
「父さん!!」
「次はお前だぁぁぁぁぁぁ!!!」
成治にとどめを刺す前に、佐紀を殺そうとする斬也くん。
しかし、その間にシャサが姿を現し、割り込んだ。
「「シャサさん!!」」
助けに来てくれた。そう思って、二人は安堵する。
(今こいつは精神を乱している。私が割り込めば、こいつをもっと足止め出来るはず!)
「シャサさん!? 何をしているんですか!?」
読み通り、斬也くんはシャサの登場に動揺している。
「使い魔になる代わりに、あなたは僕の復讐に協力し、邪魔はしない。そういう契約のはずです! 僕の復讐はまだ終わっていない! 邪魔しないで下さい!!」
「私もそのつもりだったけど、あなたは強すぎた。だからこの人達に協力して、あなたを封印する事にしたの。いつ飼い犬に手を噛まれるかわからなかったし、自分の使い魔に殺されるなんて嫌だもの」
「そ、そんな……そんな……あなたまで!!」
ストレートに自分の考えを伝えるシャサ。彼女の目的を聞き、斬也くんはさらに激しく動揺する。
「シャサさん、ストレートすぎるよ……」
「あれ精神崩壊狙ってるわね……」
木葉の予想通り、シャサは斬也くんの精神崩壊を狙っていた。
余裕があるように見えるが、実は斬也くんの精神は極限まで追い詰められている。ここからさらに追い詰め続ければ、精神崩壊を起こして廃人になるのではないか。そうなれば余裕で封印を成功させられる。それがシャサの考えだったのだ。
「……やっぱり、僕に味方なんていないんだ」
「ん?」
木葉は斬也くんの反応に、違和感を感じる。
「あんたは危険すぎるのよ。だから用済み! これ以上迷惑かけない内に、さっさと封印されちゃいなさい! こんな危険すぎるやつに、味方なんて出来るわけないじゃない」
「シャサさんストップ!! それ以上言っちゃダメ!!」
そうと気付かず斬也くんを煽り続けるシャサを、慌てて制止する木葉。
だが、遅かった。
「ううううアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
斬也くんが咆哮を上げ、さらに二回り巨大化したのである。
シャサがやった事は、斬也くんを精神崩壊させるどころか、その憎しみをさらに膨れ上がらせた。その結果、増大した憎しみの影響で、斬也くんはさらに強大な存在になったのだ。
斬也くんが日本刀を光らせる。
「やばっ……!!」
驚いたシャサはすぐ飛び上がる。
「アアアアアアアアアアアアア!!!」
斬也はシャサ目掛けて、日本刀の突きを放つ。日本刀から真紅に輝く、巨大な光線が放たれた。シャサはどうにかかわす事が出来たが、光線は大気圏を突き抜けて宇宙に飛び出し、射線上にあった人工衛星を消滅させた。
今の斬也くんは、もはや怨霊などというカテゴリーに括れる存在ではない。邪神や魔王の類いである。
「あ、これ終わったわ」
木葉は投げやりに言った。
さすがに人工衛星が消し飛ばされたところは見えなかったが、今までよりも遥かに高い威力と射程の光線、そしてこの巨体を見れば、そう言わざるをえない。
無理だ。ここまで強大になった斬也くんを相手に、時間を稼ぐ事など。そもそも封印出来るかどうか自体、怪しい話だ。
シャサが余計な事をしたせいで、三人の生存は不可能になり、世界の破滅は確定した。あの女こそが本当の悪魔だろうと、木葉はどうでもいい事を考え、全てを諦めていた。
だが佐紀だけは、諦めていなかった。
「駄目だよ木葉。諦めちゃ」
「佐紀……」
「龍霊さん達が、もうすぐ斬也くんを封印してくれるはずだよ。頑張らないと!」
もうかなり時間は稼いだ。ここまで時間が経過すれば、あと少しで封印出来るはずである。
「桐也!! 止まりなさい!!」
「ガァァァァァァァァァ!!!」
シャサは斬也くんを止めようと命令を繰り返していた。主従関係にある以上、主が命令すれば、使い魔は契約の力で止まる。が、契約の力を完全に上回っている斬也くんは全く止まらず、シャサを殺そうと日本刀を振り回している。
「斬也くん!! 私、負けないから!!」
斬也くんの前に飛び出し、啖呵を切る佐紀。斬也くんの苦しい気持ちは、よくわかる。だが、殺されてやるわけにはいかない。それに、今まで斬也くんがやった事を許せないという、怒りの気持ちも芽生えていたのだ。
「ウガァァァァァァ!!!」
しかし悲しいかな。斬也くんと違って、普通の人間である佐紀は、思いだけではどうにもならない。斬也くんは佐紀が反応出来ないほどの速度で、横に日本刀を振った。
「佐紀!!」
目を覚ました成治は、ポケットに入っていたもう一枚の護符を投げる。それと同時に、佐紀の服のポケットから、二枚の護符と二つの数珠が飛び出し、あの半透明の壁を作る。
だが、斬也くんは先刻までとは比較にならないほど、強くなっていた。
法具一つで防げた攻撃も、威力が段違いに跳ね上がり、佐紀を防御壁ごと押しきったのだ。
「ああっ!!」
「「佐紀!!」」
呆気なく吹き飛ばされる。数珠も護符も、今の防御壁で力を使いきり、黒ずんでしまっている。法具五つを使ってなお、今の斬也くんの攻撃は防ぎきれない。
斬也くんは憎しみを込めた目で佐紀に近付き、日本刀を振り上げる。そんな彼女を守る為、木葉は駆け寄って抱き締める。成治も動きたいが、壁にぶつけられた時、どこかを骨折したらしく、激痛に立ち上がれない。
(いかん!! 一拍間に合わん!!)
術式の上で起こっている事を、龍霊は全て把握している。封印の術式は完成まであと一歩というところまで来ているのだが、この攻撃を防ぐまで間に合わない。今龍霊が別の術を使えば、封印の術式は崩れてしまう。
「グェァァァァァァァァァ!!!!」
そんな事など知らず、斬也くんは佐紀と木葉に向けて、とどめの一撃を振り下ろす。
だがその時、一発の銃声が鳴り響き、鉛弾が真横から日本刀を叩いた。
それにより、斬也くんの日本刀は、二人から少し離れた場所に刺さる。
「!?」
驚いた斬也くんが顔を向けると、そこには岡村の姿があった。戦いに気付いた岡村が、どうにかしようとやって来ていたのだ。
岡村は、霊についての知識などない。斬也くんに物理攻撃が効かない事もわかっている。
だが攻撃する瞬間だけ実体化するという事にだけは予想を付けており、斬也くんが佐紀を斬りつける瞬間を狙って、日本刀を撃ったのだ。
「……ガァァァァァァァァァ!!!」
斬也が日本刀を振り上げ、刀身が光り始める。全方向に光線を飛ばし、この辺り一帯を消し飛ばすつもりだ。
「喝!!!」
だが、龍霊はそんな時間を与えなかった。
やっと完成したのだ。斬也くんを封印する為の、その術式が。
「ガ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
斬也くんの足元からその術式は発動し、斬也くんの力を奪っていく。
「どうして!!! どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!! どうしてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
斬也くんは日本刀を落とし、蹲って苦しむ斬也くん。彼が苦しむに従って、その姿は人間に戻っていく。
同時に、落とした日本刀のそばに、光り輝く長いものが出来上がっていった。その長いものが構成されていくのに比例して、斬也くんの身体が光の粒子に分解され、消えていく。
「どうして、僕ばっかり……」
佐紀と木葉を睨み付けてそう言うのと、斬也くんの姿が完全に消えるのは、同じタイミングだった。
光の粒子は、日本刀に吸い込まれていく。全ての粒子を吸い終えると、日本刀は独りでに浮かび上がり、長いものに刺さった。
ここでようやく光が消え、長いものが何なのか、全貌が明らかになる。
黒い光沢を放つ、鞘だった。斬也くんは封印され、鞘に納められたのだ。
「警部!!」
少し遅れて、神内がやってくる。岡村は、斬也くんが封印された鞘を見て呟いた。
「終わったらしい」
しばらくして、龍霊がやって来た。龍霊は日本刀を見て、ゆっくりと言う。
「――悲劇と言うより他ない。同級生からも、教師からも、親からも見捨てられ、苦しみ抜いた末、報われん最期を迎えた。生き地獄であっただろうな……」
それは斬也くんを、藤宮桐也を悼む言葉。彼は不幸であり、その生き様はまさしく悲劇だった。誰にも味方してもらえず、悪魔に利用され、結果、大殺戮まで引き起こしてしまった。一体彼が何をしたというのだろうか。彼はなぜ、こんな仕打ちを受けなければならなかったのか。
気付けば、シャサ以外の全員が合掌し、桐也に弔いの念を捧げていた。
「シャサ。これをお前の世界に持ち帰れ」
「えっ!?」
龍霊からの突然の命令に、シャサはぎょっとする。
「本当なら本山で永遠に供養してやらねばならんが、自分が本来いるべき世界で眠った方が魂は安らぐだろう」
「……」
「嫌とは言わせんぞ。事の発端はお前なのだ。お前がつつき回して使い魔になどしなければ、今回の事件は起きなかった。責任は、最後まで取れ」
「……わかったわよ」
半ば脅迫に近い形で、シャサは日本刀を受け取った。
「くれぐれも言っておくが、利用しようなどとは考えん事だ。もしこの刀を引き抜けば、彼の魂は目を覚まし、即座にその者を斬り捨て、また大災厄を引き起こすだろう。永遠に鞘に納めたまま、魂を供養するのだ」
桐也は封印されただけで、憎しみを失ったわけではない。今は眠っているが、引き抜いて起こせば、また同じ事が起こる。今度は止められない。
「……人間の魂なんて、二度と利用するもんですか」
シャサはそう悪態をつくと、日本刀を持って姿を消した。