俺と彼女と風邪
家に帰れば昨日と同様彼女はもう眠っているようで親子丼とお澄ましをあっという間に平らげた。
風呂も同じでただ夕刊が無かったことだけが少し気がかりだったが。
寝坊してしまった事を思い出し早めに床に就くこととした。
翌日、七時前に目が覚め伸びをしながら部屋を出る。
トイレと洗顔・歯磨きを済ませリビングに行ってようやく俺は異変に気づく。
昨夜の食器はそのままだし、カーテンも閉めっぱなしだ。
キッチンにも居なかった。
「笹川君?」
名を呼んでみて帰ってこない。
あれ、そういえば昨日は朝以来姿を見ていない。
とりあえず着替え、寝室の向かいの部屋をノックする。
「笹川君?」
これじゃあ昨日とまったく逆だなと思う。
しかし返事は返ってこない。
いよいよ昨日と同じだと、含み笑いをしながらそっとドアを開けた。
なんだ、この所帯じみた部屋はと最初思った。
いつの間に買ったのかこたつなんかある。
部屋の奥のベッドの上の彼女を見つけそっと近づきまずカーテンを開けた。
部屋が明るくなり彼女の顔がよく見える。
ん?
なんか赤くないか?
「笹川君?」
そぉっと体を揺らすとはぁっとやけに色っぽい吐息が漏れる。
思わずごくりと喉を鳴らした。
「笹川君、朝だよ」
何度か揺らすと彼女の目が薄らと開く。
とろんっと潤んだ瞳が俺を見ている。
顔が赤くなり心臓が早くなる。
「笹川君」
もう一度名を呼ぶとその手がしっかりと俺のジャケットの裾を掴んだ。
ぱくぱくと口が開閉を繰り返す。
ぽってりとした唇がつやっぽく光りそっとそこ顔を近づけていく。
「れ……い」
掠れた声でそう呼ばれる。
確かに今彼女は俺を名前で呼んだ。
「あたま、いたい」
「へ?」
邪な考えが吹っ飛ぶ。
なんだこのチョーク食ったババアみたいな声。
や、ちがう。
手を額に持っていくと沸騰しているヤカンのごとく熱い。
「風邪か?」
ようやく把握すると本当に物凄く辛いらしく涙が一筋流れ落ちた。
そして小さく頷く。
なんてこった、と舌打ちしたい気分になりながら、ちょっと待ってろと言い置き部屋を出る。
そのまま携帯を取り出し裕樹に電話をする。
「もしもし、俺だ」
『何だよ、詐欺かよ』
「いや、違う。今そんな余裕が無くて」
『おう、で、どーした。脳内彼女が死んだか』
「いや、脳内じゃないてか、彼女じゃないけど」
『で、何』
「ごめん、今日休む。ちょっとお前に任せる」
『あ?何言ってんの、無』
あー、はいはい、そうですね。無理ですよね。
でも分かってるからこそ一応電話したんですよ。
と勝手に切りついでに電源も落とした。
そのままリビングへ向かい上着を脱いでネクタイを取る。
ソファへそれらを投げ捨てキッチンからありったけの氷を取り出してボウルへ入れた。
冷蔵庫に冷えていたミネラルウォーターも持つ。
そのままテレビボードの引き出しの中から体温計と風邪薬を取り出し小脇に挟み、洗面所でタオルと水をボウルへ入れて彼女の部屋へ戻る。
「笹川君、大丈夫だ」
うんうんうなされている額に絞った冷たいタオルを置いてやる。
口に体温計をつっこみ電子音がしてから取り出すと熱は38.5℃もあった。
「こりゃ一大事だ」
呟き頭のタオルをまた冷たくしてやる。
手が宙を彷徨えばそれを掴んでやり涙を流せば指で拭ってやった。
ようやく少し落ち着いてそっと揺り起こす。
何度か控えめに揺らすと気づいたようで目を薄らと開ける。
「さ……くま、さ」
ガラガラ声でそう呼ばれ笑顔を見せると彼女は安心したように瞬きをした。
「すごい熱だよ。薬、飲めるかい?」
こくこくと頷く彼女の背に手を差し入れて起こしてやりミネラルウォーターと錠剤の薬を渡す。
それを受け取りのろのろした様子で彼女は顔を顰めながら飲み込んだ。
水をごくごくと顰めたまま飲み終えるのを待ちまた寝かせてやる。
ごほごほと咳を繰り返しながら潤んだ目で俺を見る。
「ごめ、なさっ」
その言葉に頭をそっと撫でてやる。
まだ熱い額とじっとり汗ばんだ肌。
張り付いた前髪を払ってやりそっと脇に撫で付ける。
「大丈夫、疲れが出たんだよ。俺がついてるからとりあえず寝なさい」
こくこくと頷きまたうとうととし始めるのを見て胸を撫で下ろしもう何度目になるか分からないタオルの交換をした。
ごほごほっと咳き込み起きると昨日寝た時よりもずっと体が楽になっていた。
頭には生ぬるくなったタオル、ベッドの脇には……眠ってしまった佐久間さん。
彼は私の手をずっと握っていてくれたらしかった。
「佐久間さん」
名を呼んでみてようやく自分の声が枯れている事に気づく。
全身もじっとりと汗を掻いていて気持ち悪い。
このままだとせっかく下がった熱もまたぶり返しそうだ。
「あの、佐久間さん」
もう一度呼びかけて物凄く喉が痛いことにそれ以上は断念した。
体を揺らすと小さく呻いて彼が目を覚ます。
「あぁ、悪い、寝てしまった。調子はどうだ?」
さっと繋いでいた手を離されて心がきゅっと締め付けられるような気がした。
それでもにこりと笑うとよかったよかったと頷く。
「あのお風呂に入りたいんですけど」
こんな声恥ずかしいなぁと思いながら小さく呟くとあぁとすぐに立ち上がり部屋を出て行った。
のろのろとベッドから出て替えのパジャマを用意し座って待っているとコンコンとノックがされて一言風呂が沸いたよといわれそっとドアを開けるともうそこには彼は居なかった。




