9-2
ヘルメットの下で、ユートは息をのむ。握った手に汗がにじんでいる。
モニター越しに存在する巨大な生物――赤い鱗の東洋龍の姿に、思わず目を背けたくなった。
「まったく……宇宙空間に生物がいるってだけで異常事態だってのに」
モニターが映し出すのは、想像上の存在とされていた龍だ。
静止軌道上に存在するロゼ・マナタイトの塊に巻き付いた長大な生物は、鋭い瞳でファルコンを捉えていた。
「ドリー、アッカ、この状態でも大きさは測定できるか?」
『待ってて、今データを送るから』
返事とともにモニターが更新される。龍のような生物の、おおよその大きさが転送されてきた。そのデタラメさに、思わずユートはモニターから目を逸らす。
「うわ、これならファルコンごと一噛みにされちまうな」
予想される頭部の大きさだけでも、ゆうにファルコンの3倍以上はある。
(ドラゴン――西洋の竜はワンドガルドに落ちた時に遭遇した。あれも生物としてはデタラメだけど、かわいいもんだ)
ユートの脳裏に交戦時の記憶が蘇ってくる。
神経接続越しに伝わって来た威圧感。吐き出された火球の温度。思わず冷たい汗が背筋を伝う。
(どうする……また交戦する必要があるのか?)
映像を拡大する。口から伸びる巨大な牙。軽く触れただけでも吹き飛ばされそうな爪。なにより、かつて遭遇した個体が火球を吐き出したように、奴が何をしてくるか分からない。
(相対距離は……)
モニターに表示される対象との相対距離は徐々に近づいている。
(どうする……どうする、このまま接近をするか、それとも『諦める』か)
拠点で眠っているライカの姿を思い返す。
苦悶を浮かべながら眠り続ける彼女の呻き声を思い出す。
ここで引き返すと言うのは、彼女を放棄するのと同じだ。
「……それは、絶対に出来ない」
口に出していたのは無意識だった。
コントローラーを強く握りしめて、震えを無理矢理抑える。
「アッカ――」
そして、交戦の指示をしようとした時だった。
――鳥、いや、人間か――
「っ……」
ユートに、声が『届いた』。
耳を通した振動ではない。純粋に、『意思』そのものが彼の脳内に届いたのだ。
(ライカが倒れた時と同じだ、耳で聞いていると言うより、脳が直接認識してる……)
二度目だと言うのにまったく慣れない違和感。
――その様子では人間、直接魂に触れられたことに慣れていないな――
「魂だとか触れるだとか、そっちだけ分かる言葉で語らないで欲しい」
吐き出しそうな嫌悪感を押さえつけて、ユートは精一杯の強がりで返す。
『アニキ、どうしたってんだよ』
通信越しにコマンドたちの困惑する声が届いた。
「アッカ、そっちは『聞こえて』ないのか」
『ドドドド、ドリー……どうしちまったんだアニキは? まさかストレスで狂ったのか?』
「ちげえよ!」
『アッカもユートさんも落ち着いて!』
『ユート、落ち着いて状況の報告をお願いします』
人工知能たちがユートの状況に混乱している。そこで、ユートは自分自身が興奮していることに気が付いた。
(落ち着け、みんなを余計に混乱させちゃだめだ)
頭が徐々に冷えてくる。ユートは口を開く。意識して声を抑える。
「声が聞こえた……たぶん、あの龍から……」
モニターに映る龍の瞳がまっすぐにユートを捉えている。
声に混ざる圧倒的な存在感。それが、巨大な生物からのコンタクトだと信じさせた。
『真空は音を伝えないのに!?』
「ああ、俺だって信じたくないよ」
通信機の先にいるAIたちも異常を認識していた。
『オ、オレッチも何も聞こえない』
『同じだよ。コロニー語はもちろん、グォォォォォン、とかガォォォォンとか、叫び声も聞こえない』
やはり、音声での情報はコマンドたちに伝わっていなかった。
『ユート、おそらくあなた……『人間』だけに交信をしているのでしょう』
シーナの推測に、ユートはヘルメットの中で首肯する。
「やっぱり、シーナ達の意見も聞けない状態か」
――何を求め、母なる大地を離れ、不格好な翼でここまで来た――
再び届く威厳に満ちた声。その言葉を聞いた時、ユートの脳裏に浮かんだのは、一人の少女の姿。
(ここに来た理由……そんなの、ライカを助けるためだ)
ユートは握っていた操縦桿を緩める。
目を瞑り、内なる自分に問いかける。
(俺の目的は……ライカを助ける……そのために、やることは)
必要なものは何だろう。それは、目の前の龍を倒すことだろうか。
(戦う必要はあるのか?)
その問いに答を見つけた時、ユートは目を見開いた。
「……アッカ、ドッキングの解除を」
『アニキ、それって戦うって事か?』
「違う。ともかく頼む」
指示は即座に実行された。ファイターユニットの機首が分離すると、ユートを乗せたエクステンションマッスルが姿を見せる。
――なるほど、鳥ではなく人であったか――
即座にファイターユニットと分離すると、背部のスラスターを利用して宇宙に飛び立つ。
既に目的の星は目の前にあり、赤い龍は静かにユートを見つめている。
龍と比べれば、10メートルの巨人が、まるで小人のようだった。
龍が首をこちらに近づける。地上であれば息遣いさえ聞こえてきそうな距離にある。それは、その気になれば、お互いに攻撃できる距離。
「ファルコン、リキッドメタルバックラーを排除する」
その距離で――ユートはあっさりと武装を解除する。
『なっ……』
通信機から仲間たちの驚く声が届く。けれど、ユートは迷うことなく右腕のバックラーを排除すると、両手を上げる。
「声の主、この通り俺は武装を解除した。これを、戦う意思がないことの証明として受け取って欲しい」
そう、手を向けるつもりもない、完全に攻撃の意思がない状態である。
――ならば、その両の腕を斬り落とすべきでは――
だが、龍はそれでは足らないと言う。
――拳があれば殴ることが出来る。戦うことは出来る――
だが、ユートは首を横に振る。ユートの意思をそのまま反映するファルコンもまた、首を横に振る。
「それは出来ない。俺たちがここに来た目的を果たすには、手が必要だ」
マナタイトを持ち帰るには、手で採掘する必要がある。
戦闘機であるファイターユニットにはそんな便利な機能はないし、コマンドたちでは大規模な作業は出来ない。
星の一部を砕くには、手が必要だ。
「住処に勝手に立ち入ったことは謝ります。けれど、俺は――」
――ク……ククッ――
不意に、笑い声が届いた。
「……何がおかしいんだよ!」
真剣な訴えを遮られたユートは思わず声を荒げるが、目の前の龍は動じず――
――おかしい……おかしいのは――
「ガハ、ガッハッハハハハァ! このワシそのものじゃよ」
大声で笑い始めた。
先ほどまで鋭くとがっていた目を細めて、牙をだらしなく剥き出しにして大笑いをする。
「え、聞こえる?」
そう、笑い声が聞こえたのだ。空気を震わせ、鼓膜に音が届いたのだ。
「なんで宇宙なのに音が通じるんだ?」
『アニキ、こっちも聞こえた』
『グォォォォン、とか化物の鳴き声だけどね』
そして、聞こえて来たと言う現象には、コマンドたちも驚いていた。
だが、それ以上におかしいのは、目の前の龍が、急に態度を変えたことだ。
「え、えーと……」
「いやあ、久方ぶりに人と話したもんでな、悪戯心が湧いちまったのう」
先ほどまでの威厳に満ちた声は、気が抜けて近所の爺さんの声のようになっていた。
ポリポリと爪で角をかくと、とろんとした瞳で龍は語る。
「改めて名乗らせてもらおう。我は赤星を住処にワンドガルドを観察する龍聖、ロゼルロン」
ロゼルロン、それが龍の名だった。
「ガハハ、でもまあ、名乗ったのは大分昔だから間違ってるかもな!」
再び、大声で笑う。
もはや、宇宙で何故声が通じるのかも、ユートにとってはどうでもよかった。
「俺は、ラグランジュⅣ7番コロニー所属、強化人間アンリミテッド-10、ユート」
そして、ユートも当たり前のように名乗り返す。
一気に身体から力が抜けていく。
先ほど身構えていた自分が、本当にバカらしくて、気が付けばユートも笑っていた。




