7-3
はじまりは無。
時の流れも星の光もない、完全な無の世界。始まりすら訪れない無の地平が全てのはじまりだった。
世界に最初に生まれたのは『闇』。無であった世界に闇の静寂が訪れる。
泥のような、水のような、闇の地平に波紋が生まれる。存在の輪の中から生まれ出たのは『杖』だった。
杖は、自らが生まれ落ちた世界が、あまりにも孤独で暗い事を悲しんだ。
温度もない闇の中で杖は願った。寄り添える存在が欲しい、と。
杖の願いに応じて、闇の中に『光』が生まれる。
光は集まると『陸』となり杖を支えた。
杖は感謝すると、陸に何が欲しいのかと問いかける。
陸は答えた。身を満たす『海』と包み込む『空』が欲しい、と。
杖は快く応じると、再び光が放たれる。光の粒子は確かな形をもち、大地に海と空が生まれた。
やがて、世界には生命が満ち、命は『営』を生み出す。
◆◆◆
コロニーの地上拠点、ユートの私室。
机の上に古びた本が幾つも並んでいる。表紙に記された文字は、コロニー共通語ではなく、異世界――ワンドガルドの物である。当然ながら、頁に記された文字も地球の物とは異なる。
「……なるほど、だからこの世界の曜日は、『闇』から始まり『営』を休息日として指定してるのか」
だが、読み進めるユートにはまったく関係ない。
話す言葉、聞く言葉と同様に、目に入った文字も自動的に翻訳することが可能な状態であった。
『ユート、読書に熱中するのも悪くはありませんが、しっかりと翻訳の記録もお願いしますね』
「大丈夫、ちゃんと覚えてるって」
室内に取り付けられたスピーカーから聞こえてくるシーナの声に、ユートは手を動かしながら答える。
ユートの手元にはキーボード。モニターには本の内容をそのままコロニーの言葉に訳した文章が並んでいる。今まさに、ユートの手によって読み込んだ文章の翻訳が記録されていく。
「コロニーでは地球と同じように、月曜日から日曜日を一週間としてたけど、ここだと『闇曜日』から始まって『営曜日』になるんだね」
机の上に開かれた本は、この世界の子供たちが社会の成り立ちについて学ぶ本である。
その中で、一週間の単位が伝説を交えて記されていた。
月火水木金土日
↓
闇杖光陸海空営
週の終わりが休息日であることも地球と同じで、周期も同じである。ユートは、これも大地から見る天体の動きがワンドガルドと地球とで似通っているからだと仮説を立てている。周期を図るうえで、7で区切るのが都合が良かったのだろう。
「他にも、春が『火の季節』、夏、秋、冬と『水、土、風』の季節っていう風にこの大地では言うんだな」
『宗教的な意味合いが強いのでしょう』
ユートが読んだまた別の本には、以下のように記されていた。
◆◆◆
火の季節――草花は太陽の火から熱を受け取り、大地に芽吹く。
水の季節――太陽の恵みとともに、大気が潤いを宿す。熱とともに雨が降り、命は育つ。
土の季節――火と水の恵みは大地へ宿り、営みは恵みを収穫する。風の渇きが徐々に近づく。
風の季節――大地は乾き、命の火は消し飛ばされる。熱も去り、風が雪を運んでくる。
ワンドガルドでは、季節を火、水、土、風に当てはめていた。
これは、魔法を扱う上で熱と潤いが重要な要素を持つためであると本に記されていたが、当のユートは未だに感覚がつかめていない。
ただ、そういう物であると受け入れた。
◆◆◆
ライカの家を訪問した帰り、ユートはこの世界の常識について学ぶ方法はないかとライカに質問をした。
ライカは家の奥からいくつもの本を抱えてくると、それをユートに渡す。
年季の入った本であったが、表紙に埃はなく、作りもしっかりしていた。
――私も小さい頃に読んだ本なんだ――
そう言って、ユートに快く貸してくれた。
ユートは拠点に戻るとさっそく読み始める。
本の種類は様々。ワンドガルドの成り立ちを語った神話や、誰もが知る古い童話。一般常識から地域ごとの特色など、未知の情報が様々に記されている。
ユートは読書に没頭した。
気が付けば食事も忘れていて、シーナにどやされた挙句、コマンドたちが椅子から引きはがすまで続いた。
◆◆◆
翌朝、ユートは普段よりも少し遅めに目覚めた。
「ふぁ~ぁっ」
大あくびをして空を見る。今日も快晴であった。
ちょうど、水晶の部屋の扉が開いた。木の扉で、中から出て来たのはライカだった。
「おはよう、ユートちゃん!」
「ライカ、おはよう。昨日はありがとう」
二人挨拶をすると、ドリーたちがやってきた。
「ユートさん、朝ごはんの用意は出来ているけど。ライカさんはどうかな?」
ドリーたちはコロニーの言葉で喋っているので、ライカには通じない。そうではあるが、ライカはアッカたちに手を振って挨拶をする。アッカ達も当然のように振り返した。
「ライカ、よかったら一緒に朝ごはん食べる? あっちの休憩所に用意してあるから」
「うん、それじゃあご一緒させてもらうね」
朝の時間は、和やかに過ぎていった。
◆◆◆
食卓での主な話題は、昨日読んだ本の内容。
ユートが質問をすると、ライカはさらに詳しく補足をしてくれる。
いつの間にか食べるのは終わっていたけれど、話は続く。コマンドたちは二人の食器だけ片付けると、それぞれの仕事に戻っていく。
「それで、出来たら新しい本が読みたいんだけど」
「え、もう読み終わったの? 凄いね、勉強熱心なんだ! もちろんいいよ!」
『翻訳作業もあるのだから、程々にしてくださいね』
「はーい、わかってます」
わざとらしい返事。シーナは溜息、なんて茶化さずに受け入れた。
◆◆◆
水晶の部屋を通ってライカの家へ。
案内された部屋に入ると、ユートの鼻を古い紙の臭いが擽る。
部屋の両脇に並べられた書架には、いくつも本が並べられている。その全てが、ユートが知らない知識を記している。
「えーと、ちょっと待ってね」
ライカはその一冊を手に取る。背表紙を目に近づけて、マジマジと確認する。
(……そう言えば、ライカって細かいものを確認する時に、凄い凝視するよな)
ふと、ユートは一つの考えに至る。
手に持ったタブレットを起動し、アプリを選択するとライカに画面を見せる。
「……ライカ、ちょっといいかな」
「はぁーい、何かな」
タブレットの上には、小さな円がある。ただ、真円ではなく一部が欠けている。
視力検査などで使う、記号だ。
「これ、どこが開いてるか分かる?」
「えーと……上かな」
「なるほど」
タブレットに表示された記号は、右が開いていた。
「ライカ、本を運び終わったらちょっと付き合ってもらっていい?」
◆◆◆
ライカと一緒に水晶の部屋を通り、拠点に戻る。
すぐにシーナに連絡をすると、拠点の一室で視力検査を行った。
その結果、ライカの視力は両目が0.3。日常生活においてはそこまで不自由ではないが、車の運転などの集中を要する作業には不足する段階であった。
「ライカ、メガネは持ってる?」
「ううん。まだ持ってないけど」
ユートは手を叩く。どこか楽し気に口の端を持ち上げる。
「なら、ちょうどいい」
『ええ、少しは私たちもいい所が見せられますね」
すぐさま万能工作機を用意すると、作業を開始する。
「うーん、確かに近眼気味だけど、つけるほどかなあ」
「まあまあ、気にしないで。俺たちも、たまにはいいカッコしたいし」
『そう言う事です。我々の文明の生産能力を見せつけてやりましょう!』
ワンドガルドにもメガネは当然あるが、すぐに作れるかと言うと話は別である。
ただ、ユートたちの文明は違う。資材さえ十分であれば、一時間もかからず作成が可能なのである。
万能工作機に入力されたCADデータから即座にフレームが作られる。レンズの加工が行われ、ライカに合わせた調整が行われる。
その工程を、ライカはぽっかり口を上げながら眺めていた。
そして、メガネが出来上がる。
ユートは慎重に持ち上げると、ライカにそっと手渡した。
ライカはゆっくりとメガネをかける。
「……わぁ……」
視界がレンズを通すと、ライカは思わず感嘆の声を漏らした。
くっきりと世界に映るのは得意気に笑う少年。通信機越しでは、シーナが得意気に喋っている。
「凄いね、こんな簡単に度があうメガネが作れちゃうなんて」
ライカはまじまじとユートの顔を見つめる。
「うんうん。メガネが無くても分かってたけど、やっぱりユートちゃんはカッコいいし可愛いね!」
思わず、ユートは赤面して視線を外した。




