12.商人ギルド
砂薔薇の海賊衆との一件は紙の月新聞の一面を飾り、またたく間に町中の人の知るところとなった。クラーケンの奇妙な生態の話は町を越えて轟き、研究機関にまで持ち込まれることになったらしい。ただしその習性が求愛行動であるか否かについては、今後の議論が待たれる。
短い滞在期間を終えて、右京は再び旅立つことになった。海猫のスプーン亭の面々は、薄暗いうちから店の外に並んで彼を送り出す。
「父上、体にはお気をつけて。あと海賊にも」
「ああ。お前も根を詰めすぎないようにな。母さんをよろしく」
「親父さん、教えてもらったレシピ早速試してみますね」
「ああ。町の皆もきっと喜ぶに違いあるまい」
右京は大きな掌で十六夜とパコの頭を撫でくりまわす。十六夜が「父上、俺たちはもう結構いい年です!」と抗議の声を上げると、右京は「そうであったか?」と惚けた。
「全く、いつまでも子どもだと思ってたら大間違いだよ」
女将が右京の前に進み出て、首に腕を回す。右京は女将の膝の下に手を入れて、軽々と抱き上げた。
「優秀な奥さんのお陰で立派に育っているようだ。愛している、麗しのシャルロッテ」
右京は女将を抱き上げたまま軽快に回った。早朝の散歩をしていた老人が、二人に驚いて飛び退る。
「往来で何をやっとるんだ、あの人たちは」
十六夜は気恥ずかしそうに額を押さえ、ニーナはパコの袖を引く。
「パコ、彼らは何をしてるのですか」
「うーん。愛の交歓、かな」
「彼らは番い。つまり交尾をしているのですか」
「それ、十六夜の奴に言ったらショックで倒れかねないからやめてね」
ひとしきり愛妻と睦み合った後、右京はニーナに視線を向けた。「ニーナ」腰を屈めてニーナと向き合う。厳しい顔立ちからは想像もつかない、穏やかな声色で語りかけてくる。
「私の、新たな家族。私のことは父と思ってくれて良い。また、ゆっくり話そう」
***
「ギルドの集まりに参加したいと?」
ニーナの申し出に、十六夜は目を丸くした。
「それくらいお安い御用だが、いったいどういう風の吹き回しだ? 君はそういうことに全くの無関心だと思っていたぞ」
「私は知らないことが多い。もっとこの世界のことを知りたいのです」
サルマンによって投げ入れられた火種は、ニーナの中で燻り続けていた。体の奥で燃え続ける火が、無性にニーナを追い立てる。この火を消してはならない。自分を侮ったサルマンを見返してやりたいという思いもあるが、それだけではない。このまま何一つ知らないままでいれば、いつか致命的に何かを取りこぼしてしまいそうな予感があった。ニーナの真剣な眼差しを受けて、十六夜は二つ返事で頷いた。
「そうか。あいわかった。では俺についてくるといい」
学びたいと吐露したニーナに、ギルドの定例会の見学を勧めたのは右京だった。青珊瑚町の経済はギルドを中心に回っている。その在り方に触れることで、社会を知るきっかけになるのではないかということだった。
商人ギルドは職業別ギルドの連合体だ。醸造業ギルド、漁業ギルド、パン屋ギルド、家具職人ギルドなど、さまざま職能を持つ事業者が所属している。それらの代表が一堂に会して行われるのが、月に一度の定例会であった。
十六夜は宿屋ギルドの代表として定例会に出席していた。海猫のスプーン亭の主人は本来女将であるが、近頃は後継ぎとしての経験を積むべく、十六夜が代わりに公の場に顔を出すことが多いようだった。
「よお、お嬢ちゃん。よく来たな。話は聞いてるぜ!」
ヤン・トンが気さくに声をかけてくると、十六夜が「ヤン・トン殿。ぜひ彼女の勉強に力を貸してやってください」と頭を下げた。そのようすをしばらく見つめていたニーナも、見よう見まねで頭を下げる。
商人ギルドの定例会は庁舎の会議室で行われる。普段は町の役人が会議をする場所だが、今日は商人ギルドのために開放されていた。十二人がけの円卓には既にドロンゴが着席しており、十六夜とニーナの姿を見ると片手をあげた。最後にやってきた紡績工場長が席に着くと、さっそく話し合いが始められた。
議題は多岐に渡る。まずは市場の動向。何らかの要因から、ある品物の価格が高騰または暴落した場合、適宜相場の調節を行う。迅速な対処が必要な場合は、定例会を待たずに緊急集会が開かれることもある。
次に新商品の開発や新事業の提案。町の発展への寄与が期待されるものは、ギルドを通じて議会に補助を要請し、予算を獲得することができる。なお事業者同士で手を組む場合は、互いにギルドに加盟していることが条件となる。
そして情報交換。業者間のトラブルから眉唾ものの噂まで、あらゆる情報が飛び交う。先の砂薔薇の海賊衆との一件についても話題に上った。
「ニーナ殿、ついてきているか?」
休憩時間になると、十六夜がニーナに声をかけてきた。ニーナは首を振る。議論の内容は、今のニーナにとって難解すぎた。
「いいえ、ちんぷんかんぷんです」
「ちんぷんかんぷん? はは、君は正直だな」
十六夜は笑って眼鏡を押し上げた。会議中はずっと難しい顔をしていたが、今は少しだけ表情を和らげている。
「あなたも何か議題を?」
「ああ。宿屋ギルドからは相場の是正を提案する」
「相場、是正?」
首を傾げているニーナに、十六夜は説明を加えた。
「ギルドに所属している宿屋は三段階で評価され、それに応じて相場が定められている。ちなみにうちの宿屋は二つ星だ。二つ星の宿の宿泊料は三つ星の宿の下限を上回ってはならず、一つ星の宿の上限を下回ってもならない」
ニーナは海猫のスプーン亭の様相を思い浮かべた。ある程度の広さもあり、設備も整っているように思える。料理も美味と言って差し支えないだろう。それを上回る三つ星の宿とは、大層豪華なものなのだろう。
「しかし評価が三段階というのはやや大味すぎるという声が上がっている。ロープにぶら下がって眠るような宿も、最低限の寝食が保証されている宿も、星一つという評価が下されれば相場を等しくしなければならない。そこで評価制度を五段階に改定し、より公平な料金設定を可能にするように求める、いうのが宿屋ギルドからの提案だ」
「なるほど」
ニーナは想像した。粗末な宿と、少しだけましな宿。二つの宿泊料が同じくらいであれば、客は後者を選ぶだろう。前者は商売上がったりだ。逆に宿側としては、粗末な宿より少しだけましなサービスを提供しているのにもかかわらず、粗末な宿と同じくらいの宿泊料しかもらえないのは損である。
ニーナが少しずつ理解を示しはじめるのを見て、十六夜は満足気に頷いた。
「そうだ、住民権を得れば君もいつか開業することが出来るようになるぞ。もしやりたいことあればの話だが」
「やりたいこと……」
十六夜の言葉を聞いてニーナは考えこむ。この世界のことはまだわからないことだらけだが、宿の仕事は好きだ。爺が見つかったら、一緒に仕事をするの良いかもしれない。今までニーナの世話をしてきた爺と共に働くというのは、なかなかに面白い想像だった。
「私は宿の仕事を楽しいと思う」
「そうか」
「カリンがそう教えてくれた」
「……そうか。君が望むなら、一年と言わず好きなだけうちにいるといい」
十六夜の声色は優しい。出会った頃はどこか冷たい印象があったが、今は十六夜が感情豊かな人間であることがわかる。
──ニーナちゃん、そのこと誰にも言っちゃだめだ。特に十六夜の奴には。
ニーナがこの町で忌み嫌われている人狼であることを知ったら、十六夜はどうするのだろうか。ニーナは穴が空くほどに、隣に座る青年の顔を見つめた。十六夜は愛想がいいとは言いがたいが、無闇に誰かを嫌ったり、爪弾きにしたりする性分には見えない。パコは何を思ってあんな風に言ったのだろうか。
「ニ、ニーナ殿? 俺の顔に何かついているか?」
「いいえ、何も」
「……? そ、そうか。ならば良いのだが」
居心地悪そうに視線を逸らす十六夜の両肩に、突然後ろから大きな手が置かれた。ドロンゴが満面の笑みを浮かべて、二人の顔を覗き込んでくる。
「何やらただならぬ雰囲気じゃないか、お二人さん」
ドロンゴが含みのある声でからかうと、十六夜は大真面目に聞き返した。
「ドロンゴ殿。ただならぬ雰囲気とはどういうことでしょう」
「おいおい、そんな風に言葉もなしに見つめあってたら、そりゃあもうただごとじゃないって思うだろ?」
「む……そういうものなのですね。勉強になります。ニーナ殿、わかったか?」
「いいえ。何のことか皆目見当もつきません」
打っても響かない二人を交互に見て、ドロンゴは深いため息をついた。
「ああ、いやいい。私が悪かった。綺麗さっぱり忘れてくれ。そんなことより十六夜君。それにニーナ君も」
真剣な眼差しを受けて、ニーナはドロンゴに向き直る。
「先日は君たちにつまらない思いをさせてしまったな。申し訳なかった」
「先日?」
「サルマンさんとのことさ」
ドロンゴは砂薔薇の海賊衆とのいざこざのことを言っているらしい。しかしそれがどうして謝罪につながるのか、ニーナにはよくわからなかった。
「何故謝るのです」
「本当なら、私たち大人が片をつけるべき問題だった。君たちに尻拭いをさせてしまい、面目次第もない」
ニーナは十六夜のようすを窺った。十六夜もまた、困惑した風に固まっている。
「ドロンゴ殿、顔を上げてください。我々のような若輩者に頭を下げる必要などありません」
動揺した十六夜がドロンゴを止めようとしたが、彼は手を振ってそれを制した。
「相手の年齢を見て誠意を見せるか見せないかを決めるような人間は、信用に値しないさ」
我々商人にとって信用は命綱だからね。ドロンゴは付け加える。
「ドロンゴ……さん」
ニーナが辿々しく敬称をつける。
「しかし、私はあの場で、いてもいなくても変わりがありませんでした。サルマンは私を歯牙にもかけようとしなかったのだから」
「そうだな。君の発言が何かを左右したわけではない。君の言葉は向こう見ずで浅慮な、子どもの戯言にすぎなかった」
しかし、とドロンゴは続ける。
「君があのいけ好かない海賊にぴしゃりとやってくれて、私は胸がすく思いだったよ。何を隠そう、私を含めたギルドの連中は皆、右京船長の大ファンなんだ。彼はこの町が誇る最高の船乗りさ」
上機嫌なドロンゴが切り揃えられた口髭を撫でつけた。ニーナと十六夜は思わず顔を見合わせる。十六夜の戸惑いの色が、ささやかな喜びの色へと変化する。
「ドロンゴ殿……」
「まあ、そういうわけだ。右京船長が不利益を被るようなことがあれば、我々商人ギルドは座り込みをしたって構わない。そのときはいつでも力になるさ」
「座り込み? どこに座るというのですか?」
「どこにって? そうだな。例えばこことかね」
ドロンゴは磨き抜かれた床を靴で鳴らした。意味を図りかねて、ニーナは小首を傾げた。