19:そんな敵は想定していませんっ!
心臓の音がやけに大きく聞こえる。
屋根の上で待つこと数十分。静寂に包まれていた森がにわかにざわめき始めた。鳥も獣達も闇夜に関わらず皆逃げていく。
(いよいよ…来る…)
魔物達は既に、リアンの仕掛ける睡眠魔法の射程区域に入ってきている。だが魔法を発動しているにもかかわらず、無力化出来ているのは全体の3分の1程度。恐らくはレベル差がありすぎるせいだろうが、予想よりも少ない成功率にリアンは唇を噛んだ。
――ドドドド…
地面が微かに揺れる。
迷宮から溢れ出た魔物の多くはラス達率いる冒険者ギルド側で抑えられているはず。しかし、それでもなおこちらに流れてくるものは相当数いるようだった。狂ったような雄叫びを上げて、群れた魔物が津波のように押し寄せてくる。
(うひぃぃ…なんなのあの量…)
建物自体は空間を遮断しているため問題ないが、それでも魔物達の凶悪なまでにむき出しの殺気は如実に伝わってくる。いくら安全性の高い屋根の上にいるとは言え、恐怖を感じないと言えば嘘だった。
とはいえ、ここで怯むわけにはいかない。自分が何も出来なければ、危険に晒されるのはタルマだ。
リアンは眼下に広がる地面に巨大な物理防御魔法を形成すると、それを下から思い切り打ち上げ、魔物達を一斉に吹き飛ばした。先程冒険者ギルドの男にやったものと同じ要領だ。流石に魔物相手に十分なダメージ、…とはいかないようだったが、それでも宿に入り込もうとしていた魔物は怯んでいる様子だ。防御魔法で繰り返し足元を吹き飛ばすと、僅かに彼等の動きが鈍くなった。
(このままなら、なんとかなる、かも…?)
この辺りの避難は、タルマを除き既に終えているらしい。ならば、リアンの役目はこの建物を守ることだけだ。
魔物を倒せずとも、こうして凌いでいればいつか助けは来る。
だが現実はそこまで甘くはなかった。
「ギャァルォォォォ―――!!」
つんざくような金切り声に、リアンは思わず耳を塞ぐ。見れば翼を持った虎のような魔物が二頭、月を背に真っ直ぐこちらへ飛んで来るところだった。
「何あれ…本気で化け物じゃない…!」
リアンの背筋が冷たく凍りつく。飛行型の魔物もいるだろうと予想はしていたが、遠目にもわかる魔素の量。あれは到底自分が敵う相手ではない。
上空から急降下するように襲いかかる魔物に、リアンは即座に防御魔法を展開した。しかし魔物の爪は、それを易々と切り裂くと、あろうことかリアンの身体もろとも薙ぎ払う。服が引きちぎれる嫌な音と共に、胸のあたり焼けつくような痛みが走った。
「いっ…つぅ…っ!!」
レベル差がありすぎるのか、それとも魔物の力が桁外れなのか。いずれにせよ力比べでは確実に自分が負ける。
リアンは仕方なく、空間遮断を応用して二体を巨大な立方体の中に封じ込めた。翼持ちの魔物がそれに気づき、中で狂ったようにもがき暴れるが、もう遅い。リアンは空間を小さく狭めると、中の魔物ごと押しつぶした。
「ふぅ…」
魔力の欠落に、軽い眩暈を覚えて息をつく。
自分がまだ生きているという安堵と、生き物に似た何かを殺してしまった罪悪感が混ざって、苦い気持ちがこみ上げる。
だが、感傷に浸っている暇はなかった。翼持ちの魔物に目を盗られている隙に、眼下では大変なことが起こっていたからだ。
空間遮断したはずの建物が、メキメキと音を立てて歪み始めたのだ。
「なっ、…どうして!?」
恐らくは魔法の耐久力のせいではない。リアンの集中力が欠けたせいで、魔法の維持が上手くいかなくなったのだろう。
リアンは慌てて建物を二重、三重の物理防御魔法で覆い隠すが、魔物にもどうやらある程度知恵のあるものがいるらしい。群れの一部が仲間の身体を踏み台に、上へと上がってこようとしていた。狙いは無論リアンだ。
さらに上空からも、先ほど倒した翼持ちと同型の魔物が数匹、一直線にこちらへ向かって飛んでくる。
(ああもう次から次へと! …一体どうしたら…)
腹部からじっとりと血が流れ出ているが、痛がる余裕もない。
ひとまず鼠返しの要領で、屋根上に上がって来られないよう防御魔法を展開する。が、流石にここまで乱発すると魔力もジリ貧だ。
(防戦一方は、そろそろ限界か…)
リアンは鞄からポーションを取り出すと、まずは体力と魔力を回復した。
そして考える。
上空から襲いくる飛行型以外に、迷宮から出てきた魔物が、これ以上増える気配はない。
ならば、血の穢れの発動覚悟でここにいる敵全てを道連れに出来れば、少なくともこの建物とタルマはなんとか守り切れるかもしれない。空間遮断は、魔石でしばらくの間持たせることが出来る。
リアンはスキルウィンドウを開くと、いざという時の為に構築しておいた魔法式を呼び出した。その名も『天撃』。天から降り注ぐ雷をいくつも召喚し敵を滅ぼす、超広範囲殲滅魔法だ。
魔力消費は激しいが、魔法そのもののレベルが高い為、恐らくこれなら翼持ちの魔物にもダメージが通るだろう。いずれ自分に攻撃魔法が撃てるチャンスは一度きり。――賭けるなら今だ。
(私が倒れても、持ちこたえてね魔石さん…)
ラスからもらった特大の魔石に建物を守る魔法を刻み込むと、天窓の中へと放る。
自らの命を賭すことに、不思議と迷いはなかった。少なくとも、魔王の生贄などという訳の分からない理由で殺されるよりはずっといい。
リアンは深く息を吸い込むと、目の前に特大の魔法陣を形成する。
そこに注ぎ込まれる膨大な魔力量がわかるのだろうか。魔物達がにわかに騒ぎ始める。
――だがもう遅い。
リアンが放つ魔法にしては異様に長い時間をかけて、巨大な魔法陣が完成した。
「…私の全力をっ、…喰らえっ…!!」
その日、空は雲ひとつ浮かんでいなかった。
だが、上空がきらりと瞬いたかと思うと、昼が訪れたかと見紛うほど眩しい光で溢れかえる。続いて衝撃波と轟音。リアンは思わず目を瞑り、腕で顔を覆った。薄く目を開いた時、リアンが見たのは真っ黒に焼け焦げ、魔素となって消えゆく翼持ちの魔物の姿。やはりこの魔法は効いたのだ。
次いで、二撃目、三撃目。白き雷は容赦なく辺りに降り注ぎ、見る見る内に魔物の波が焼き払われて行く。
だが、その様子をリアンが見届けることはなかった。魔法を撃つことと引き換えに得た強烈な目眩と吐き気。世界中の苦しみを全て内包したかのような呪詛に、既に全身が犯されていたからだ。
「ぐぅ…っ…」
リアンはその場に崩れ落ちると、微かに残った意識で願った。
(タルマさん…、どうか無事でいて…)
――魔物達の気配が消えてゆく。
そして、自分の命も…。
あの魔法でどれだけの数を殲滅出来たのだろう。自分の役割はちゃんと果たせただろうか。タルマは無事だろうか。ラスとルシアは…。
(ああ、…ラスにもっと、魔法教えてもらいたかったな…)
リアンの意識は苦痛と共に闇に飲まれ…、
――そして、最後に何も感じなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おい、起きろ!」
身体を強く揺さぶられる。
リアンは切羽詰まったその声に呼ばれるように目を覚ました。だが強烈な怠さから、指一本たりとも動かすことが出来ない。かろうじて喉の奥で僅かに呻くのが精いっぱいだ。
「ぅ…」
「よし生きてるな。…ちょっと待ってろ」
パキンと音がして、何かが口腔に流し込まれた。だが今のリアンにそれを自ら飲む力は残っていない。口の端からそのまま液体が流れ出すと、「チッ」と舌打ちが聞こえた。
すると、今度は唇に柔らかいものが押し当てられる。濡れた何かがリアンの歯をこじ開けると、舌を押さえつけて喉の奥深くに直接液体が流し込まれた。
「ん…ぅ」
「飲め」
思わずごくり、と嚥下すると薬液がリアンの身体中を巡り、速やかに回復を開始する。薄目を開けると、そこにはもはや見慣れたラスの姿。だがその瞳は不機嫌そうにつり上がっていた。
「…ラ、ス…?」
「お前は全く…、無茶しやがって」
ラスははぁっと深く息をつくと、指でリアンの額を弾く。
「いだぃっ!」
「痛いのは生きてる証拠だ。良かったな」
「うぅぅ…良くない。鬼ぃ…、マジひどい…」
「あれだけ追い詰められたくせに連絡してこないお前が悪い。ったく、何のために俺が…」
額を抑えながら上体を起こすと、そこは先程まで戦っていた屋根の上だった。遠くの空が白んできている。永遠にも一瞬にも思えたハードな夜だったが、ようやく全て終わったようだ。
リアンは一番気になっていたことをラスに尋ねる。
「タルマさんや村の人達は?」
ラスはリアンの隣に座ると、片膝を立てて頬杖をついた。
「全員無事だ。迷宮の入り口にもルシアが結界を張ってる。――あれでしばらくは持つだろ」
「そう…、良かった」
それきり、リアンは黙りこくる。
思えば思うほどにとんでもない夜だった。まだ生きているのが不思議なくらいだ。
否。ラスがここへ来ていなかったら、間違いなく自分は死んでいただろう。
――それでも今こうして、ラスと夜明けの空を見ている。
柔らかな朝の日差しを浴びて、リアンはぽつりと呟いた。
「生きてるって素晴らしいね…」
「そう思うなら自爆覚悟とか二度とすんな」
「……うん」
リアンは小さく頷くと、ラスに弾かれた額をもう一度さすった。
痛みはもうないはずなのに、何故だかラスに言われた言葉が心に刺さり涙が出そうだった。
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