18:攻撃を受けておりますっ!?
「どうして避難してないの…!?」
日もすっかり暮れた夜。
タルマの元へ帰ってきたリアンは、事の始終を話し終えた後、それでもなおここを離れないと言うタルマの言葉に茫然と立ち尽くしていた。
迷宮の封印が今日明日にでも破られることがわかり、ギルドを介して避難命令が出たのがつい二刻ほど前。村人達は一部を残してギルドに集合。万が一魔物に襲われた場合に備えて、冒険者達が守りやすいよう身を寄せ合っていた。
当然タルマにもその知らせは届いているはずで、だからリアンはギルドでずっと待っていたのだ。…だがいつまで経っても彼女が冒険者ギルドに来る気配はない。いよいよ心配になったリアンは、急ぎ宿へと帰ってきたというわけだった。
宿に着くと中から灯りが漏れている。まさかと思い玄関にのドアを開けると、客のいない食堂をせっせと片付けているタルマの姿があった。リアンはあまりにいつもと変わらないその様子に、思わず言葉を失う。
「…タルマさんどうして…。避難の話、聞いてるでしょ? 早く行かないと…」
「あらリアン、おかえり。――そうかい、帰ってきてしまったんだね」
「当然でしょ、タルマさんいつまで経ってもギルドに来ないんだもの。…一人であんなところにいられないよ」
タルマはエプロンで手をぬぐうと、困ったように笑ってリアンの身体を優しく抱きしめた。
そして、思ってもみないことを言う。
「私のことはいいんだよ。リアンだけ先にギルドにお行き」
「なんで…? タルマさんは? どうして避難しないの!?」
「ここが私の家だからさ」
「何言ってるの、家なんかより命が大事で――」
「裏に、主人と娘が眠っているんだよ」
「―――え…」
リアンはぽかんと口を開けたまま固まった。
ゆっくりと頭がタルマの言葉の意味を理解する。だが喉の奥に何かが詰まったかのように、それ以上声が出ない。タルマはテーブルの席に座ると、懐かしいような寂しいような顔で遠くを見た。
「ここは元々主人と二人でやってた宿だったんだけど、家族三人で食べていくには少し厳しくてね。暇な時はあの人も冒険者の真似事みたいなことをしてたのさ。…亡くなったのはいつのことだったかねぇ…」
「……」
「主人も娘も、みんな魔物に連れていかれちまったよ。――亡骸は酷いもんだったけど、残ったものだけ裏に埋葬して。…だから、どうしてもここから離れられないのさ…」
タルマ曰く、よくある話だと言う。
この村だけの話でもない。魔物は魔素溜まりから自然発生する災害みたいなものだ。どこにでも現れるし、現れれば退治されるまで人に危害を加え続ける。タルマみたいな経験をした人間も、この世界には少なくないのだろう。
リアンはようやく理解した。
(タルマさんは、二人と同じ場所に行きたいんだ…)
きっと家族のことを思えばこそ、自ら死ぬことは選べない。だからせめて、同じように魔物に殺されて同じように眠りにつきたいのだ。
リアンは今まで全く気づかなかった自分を恥じた。居なくなった娘の衣服。女手一つで切り盛りしている宿。…少し考えればわかることだったのに。
ある日突然家族を奪われて、一人きりになったタルマ気持ちは計り知れない。
だからリアンは口を出すべきではないのだろう。…しかし、だからといってこのまま見過ごすわけにもいかない。
なぜなら、タルマはリアンがこの世界に来て、最初の拠り所となった人だからだ。
母のように優しく接してくれた、唯一安心できる女性だからだ。
「タルマさん」リアンは卑怯だと自覚しながらも言った。「まだタルマさんと知り合って一カ月だけど、私では家族にはなれない? ――私のために逃げてはくれられない?」
「リアン……」
たかが一カ月。
けれど毎日のように言葉を交わし、笑顔を交わして生きてきたのだ。
ここで彼女を置いていこうものなら、リアンは今後一生後悔すると思った。
タルマはリアンの言葉に驚いたように目を見開くと、やがて目尻に涙が浮かべる。椅子に腰かけたタルマの頭を、今度はリアンが抱きしめた。
「…馬鹿な子だね…アンタは」
いつもは大きくて温かなタルマが震えている。リアンはタルマの心中を察して、少しだけ抱きしめた腕に力を込めた。彼女がこの夜の後も穏やかで健やかな人生を送れるよう、そう願いを込めて。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局その日は夜もだいぶ遅くなったため、翌夜明けと共に冒険者ギルドへ向かうことにした。
夜明けを待ってからが良いと言ったのはタルマだ。正直リアンは一刻も早く移動してしまいたかったが、この世界は夜も夜で危ない。道中そこらの魔物に強襲される可能性を考慮すると、夜の間だけ宿屋に籠るという選択肢も一理あった。
リアンはタルマと食堂のテーブルに着き、客がキャンセルした豪勢な食事を囲んでいる。
タルマには日々宿の仕事がある。だからリアンが彼女と夕食を取るのは、実は今日が初めてだった。
「タルマさんと夕飯一緒だなんて、なんか不思議な感じ」
「そうだねぇ。私もいつもは働いてる時間だから、変な気分だよ」
「ふふっ」
二人で取る夕食は、今が緊急時でさえなければ楽しい時間だった。食事の合間に、思い出すように語られるタルマの家族との話も、とても温かい。二人はいつもはしない話をたくさんした。…そして、いつもは出来ない話も。
「――タルマさん、聞いて欲しいことがあるの」
「ん? なんだい、改まって」
心に決めたにも関わらず、リアンはためらいがちに重い口を開いた。
「私ね、ほんとは記憶喪失なんかじゃないの」
だがタルマの反応は予想と違うものだった。「そうかい」と言葉すくなに言うと、曖昧に笑ってスープを口に運ぶ。
「…驚かないの?」
「そりゃこう見えて、宿屋の女将として人を見る目だけはあるつもりだからね。そんなことだろうと思ってたよ」
「…そっか…」
「何か事情があるんだろ? 言える時が来たら聞かせておくれ」
「…うん」
リアンもタルマに倣って、スープを一口飲む。
「タルマさん」
「ん?」
「私、ここに居ていい?」
リアンの言葉にタルマが吹きだすように笑った。
「私とアンタはもう家族なんだろ? ならここはもうアンタの家だ」
「――うん…!」
リアンは残りのスープを飲んだ。
いつもと変わらぬタルマ特製スープだったが、それは少しだけ優しく涙の味がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
月が巡り、夜が深く深く更けてゆく。
屋根裏部屋のベッドで、リアンは掛け布団にくるまっていた。口元からは微かな寝息。意識は完全に眠りの淵に沈んでいる。
――が、
『リアン』
耳元で声が響くと共にぱちりと目を見開いた。
次いで、ベッドから上体を起こすとさっと布団を剥ぎ取る。その下から現れたのは普段着。いざと言う時のために、服も靴も鞄も全て身に着けたままベッドに入っていたのだ。
全てはこの時に備えて。
『ラス、聞こえてる』
『封印が今解かれた。ある程度こっちを片付けたらすぐそっちに向かう。それまでなんとか持ちこたえろ』
『わかった』
冒険者ギルドにいるはずのラスの声が聞こえるのは、言うまでもなく魔法によるものだ。
タルマの元に向かう際、万が一にと彼が掛けてくれたのだ。おかげでこうして離れていても意思の疎通が図れる。
リアンは天窓から静かに身体を乗り出すと、そのまま屋根へと上がった。
そしてはるか迷宮の方角を見て思わず呻く。
(なんて魔素量…、聞いてたよりヤバそうだけど…)
闇夜の中でも空が七色に揺らめき、魔素が天へと立ち上っている様がわかる。
リアンは武者震いに身を震わせるとその場に跪き、建物全体を空間遮断魔法で覆った。次いで周囲に探知と自動追尾式の睡眠魔法を広く張り巡らせる。遮断魔法は物理防御系魔法とは異なり、空間と空間を完全に断絶させる魔法だ。
魔物も光も音さえも、これよりタルマの眠りを妨げるものは何一つとして建物の中へは入れない。
リアンはそう胸に誓うと、己のステータス画面を念の為確認した。迷宮の中で、リアンのレベルは5から18まで上がっている。その上、ラスにはだいぶ楽をさせてもらった。レベルは低くても、しばらくの間凌ぐだけの魔力残量は十二分にある。
(来るなら来なさいよ…。この建物は、指一本触らせないんだから…)
音は聞こえずとも、闇の彼方に存在している魔物の気配は手にとるように感じる。
リアンはごくりと唾を飲み込むと、これから押し寄せる嵐に立ち向かうため息を殺して待った。
お読みいただきありがとうございました。
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誰かとする食事っていいですよね。