330 魔王城への帰還初日
大変お久しぶりの投稿となりました。失踪したわけではありません。体調面で執筆が出来なくて、ようやく回復してきました。
今回のお話は長くなりましたので分割します。続きは明日投稿の予定です。
美咲と友達になったおかげで弥生の学院生活もそこそこ順調に回り出した模様。ひとつだけ思うようにいかない点を挙げるとしたら、時折美咲の口から厨2言語が飛び出すおかげで弥生の理解が追い付かなくなるケースがあるくらいか。「弥生とは普通に話をする」と宣言した美咲ではあるが、長年身についた習い癖というのは一朝一夕に改まるわけではない。難解な厨2言語に帰国子女の日本語能力が追い付くはずもなく、頭の上に???を浮かべる弥生の態度で美咲は「またやらかした」と気付いてドモリながら普通の言葉に訂正する日常が繰り返されている。とはいえこの問題は二人の関係にはさしたる影響を与えてはいない。
こんな小さなやらかしすらも二人にとってはある意味話のネタになるようで、徐々に笑い声が響くようになる。それだけではなくて弥生自身徐々にクラスの他の生徒とも言葉を交わす機会が増えいるよう。こんな感じで弥生は取り立てて支障のない学院生活を送っている。ただし聡史の方針により当面ダンジョンには入らないので依然としてレベルは1のまま。基礎実技の時間になると精魂尽き果てるまでシゴかれる状況は継続中。とはいえ弥生にも徐々に授業に徐々に慣れていき、今後もなんとかやっていけそうだという自信を持てるようになっていくのであった。
◇◇◇◇◇
そしてあっという間に時間は過ぎて木曜日を迎える。明日は異世界に向かうという日の夜、特待生寮の自分のベッドで美鈴は大きなため息をついている。
(はぁ~… いよいよ明日から魔族の国…)
自らが従える魔族たちの元に向かうという前夜にしては、いささか美鈴の表情が暗いように映るのは気のせいだろうか?
本来ならばもっと頻繁に魔族の様子を見に行って本当に平和が保たれているのかを確認する必要があるのは美鈴自身も重々承知。それがなぜ今回のように1年近くも放置されていたのかといえば、ぶっちゃけてしまうと美鈴自身の気が進まなかったから… という一点に他ならない。
そもそもなぜ大魔王である美鈴が、いわばホームともいえる魔族の国に向かうのをこれほどまでに躊躇うのか? その理由は極めて個人的な美鈴の事情に他ならなかった。
(勘弁してほしいわ、大魔王として振る舞うのは本当に嫌なんだから…)
知っての通り美鈴の職業は押しも押されぬ〔大魔王〕。これ自体を彼女は否定するつもりもなく受け入れている。だがその中でも美鈴にとって我慢がならない事象がある。それは、魔族たちの前に立つと美鈴自身まったく意識をしていないのに仰々しい言葉の数々が口から飛び出すという点であった。普段美咲が発する厨2発言の数々を生暖かく見つめていながら、魔族たちの前では自分の口から同様の発言が飛び出してしまう… この現象に美鈴の自尊心は甚く傷つけられている。現に魔王城に滞在時においては、夜自分のベッドで膝を抱えながら「あの発言を記憶から消し去りたい」と何度も布団を被ったままで転がり回っていた。
そして今回こそはあのような仰々しい厨2言語を発せずに普段通りの言葉で魔族たちに話をしようと心に決めている。それは自分の精神的な安寧を保つためには必須の条件でもあった。だが油断すると大魔王モードに入り込んで厨2病患者と捉えられかねないフレーズの数々が無意識に発せられそうな極めてイヤな予感もある。
(保険はなるべくたくさん掛けておいた方がいいに決まっているわね)
ともかくこのような理由で今回美鈴は決心している。此度のナズディア王国訪問に際してはクルトワを前面に押し出して自分は陰に隠れていようと。フィリップやエリザベスといったごく少数の側近には顔を見せるとしても、他の魔族の前に表立って立つことはせずに済ませておきたい… これが美鈴の偽らざる本心でもある。
もっと簡単に言ってしまえば、越後のちりめん問屋の隠居に扮して諸国を漫遊するご老公のように行動しようというわけ。この考えはまだ誰にも明かしてはいないので、移動の途中で聡史たちには説明する予定となっている。
(この作戦が上手くいけばいいんだけど…)
魔族の国は平穏に治まっているのなら自分が表に立たなくてもクルトワひとりに任せて大丈夫だろう… まあこれは予断の段階であって実際現地に赴いてみないと何とも言えない面はあるものの、ひとまずは自分の中での方針が定まったのに安堵して美鈴は目を閉じるのであった。
◇◇◇◇◇
そして迎える金曜日の朝、この日は美鈴とクルトワが異世界に出発する日。もちろん同行する聡史と明日香ちゃんもすっかりと用意を整えて迎えのワゴン車を待っている。
だが何かがおかしい。聡史と美鈴は必要な荷物をアイテムボックスに収納しているので手ぶらのまま(美鈴やカレンは小型のアイテムボックススキル獲得済み)なのだが、明日香ちゃんとクルトワの背中にはこれからビルマのジャングルに進駐する旧帝国陸軍の兵隊かと思わせる巨大なリュックが存在感を主張している。
この姿に桜が呆れた表情でツッコミを入れる。
「明日香ちゃん、何もそんな大荷物を持っていくこともないでしょうに…」
「桜ちゃん、お言葉ですが私だって好きでこんな大荷物を背負っているわけじゃないですよ~。クルトワさんの国にはお菓子なんてないですから、こうして必要な分を持ち込まないといけないんです」
必要な分のお菓子って… その姿はまるで一時話題になった爆買いを終えた中国からの旅行客のよう。リュックだけでは収まり切れないお菓子は両手に持った旅行カバンにまでギッシリと詰め込まれている。遠足のオヤツは500円までと決めておけばよかった感が桜の胸中に過るのは致し方なし。
「まったく… ダンジョンを通っていくんですから、そんな恰好では戦えませんよ」
「はい、ですから戦いはお兄さんと美鈴さんに任せしますよ~」
「呆れてモノが言えませんわ」
桜の表情は「もう友達ヤメてもいいかな?」といった感じか。まあそれくらい呆れているといえばわかりやすい。
「それじゃあ車が来たから乗り込むぞ」
「お兄様、美鈴ちゃん、どうぞお気を付けて」
「ああ、俺が不在の間は弥生の件は桜に任せたから」
「桜ちゃん、いってきます」
桜に見送られて聡史と美鈴がワゴン車の車内へ。
「桜ちゃん、私たちにはお見送りの挨拶はないんですか?」
「明日香ちゃんとクルトワさんは戻ってきたら覚悟しておいてください。ボクサーの減量並みにキッチリ体重を絞って差し上げますわ」
「戻ってくる気持ちが失せるようなことは言わないでくださいよ~」
桜から厳しい現実を突き付けられた明日香ちゃんとクルトワは死んだ魚の目になりながらワゴン車へ。こうして聡史たちはナズディア王国へと出発していった。
◇◇◇◇◇
さて、こちらはナズディア王国。クルトワを伴った美鈴が魔王城の実権を掌握して、ついには権力を思うが儘に振るっていた宰相を追い出すに至り、宮廷内は落ち着きを取り戻したはずだった。さらに加えて囚われの身だった魔王を古代遺跡から救出して魔族全体に人族との講和が伝えられたり、エリザベス大公を新たな宰相に擁して人心を一新した政治体制に改められたと記憶している。
だがあれから約1年ほどが経過すると、魔王城内はいくつかの原因で落ち着かない状況が垣間見られる。その主たる原因は大きく挙げて3点だが、まず1点目は当初1か月程度で回復するであろうと見込まれていた魔王の容体が一向に元に戻らないこと。
元来魔族というのは知的生命体の中でも魔力に最も順応した種族であって、その細胞の隅々まで魔力によって活性化されている。これが人族に比べて魔族が身体的特性や魔法能力において非常に優れている要因といえよう。
ところが魔王はレプティリアンに囚われの身となって長期間体内の魔力を余さずに吸い上げられていた。その影響は甚大で元通りに回復するには数年、もしくは数十年の歳月を要するかもしれないとの見解が打ち出されている。この状況が明るみに出ると魔族の中には大きな動揺が広がるのもやむを得ず。多くの臣下たちは魔王のいち早い快癒を祈る態度を表明するが、中にはこの機に乗じて新たな支配者を擁立しようと策略を巡らせる不届き者が暗躍し始めるのも無理のない話かもしれない。現に魔王城には最高権力者の大魔王が不在で、その次の権威の持ち主である魔王がこのような状態とあらば、不心得な家臣の間にこのような一種のお家騒動が起きてもおかしくはないかもしれない。
二つ目の要因は現在政治に関しては美鈴の命によってエリザベス大公が宰相を務めているが、実は彼女の権力基盤がさほど盤石でなないこと。その最も大きな理由として挙げられるのは大公の最大の後ろ盾である大魔王が魔王城を去ってから1年近くに渡って姿を見せない点といえよう。当初は1月に一度顔を見せるとは言っていたものの、美鈴自身も日常の諸々に追われていたのとあまり気が進まなかったのが相まった結果、ナズディア王国訪問が伸ばし伸ばしになったのはちょっと不味かったのかもしれない。その分の様々な負担や軋轢がエリザベスに圧し掛かっており、政務に関して中々に苦労をしているらしい。
3つ目に挙げられるのが、魔族たちは慢性的な食糧不足のさ中にあった。実は人族を相手に侵略を繰り返していたのは、食料を収奪して自国の経済を支えるためという魔族側の事情を否定できない。それが大魔王の強権によって人族との講和を結ぶに至り、ナズディア王国は不足する食料を得る最も手っ取り早い手段を失っている。もちろんエリザベスを中心に作付面積を拡大させたりと努力をしているものの、一朝一夕に深刻な食糧問題が解決を見る兆しは一向に現れてはいない。
要は美鈴の想像以上に魔王城の内部はドロドロとした権力争いが繰り広げられていると考えてもらいたい。レプティリアンが扮した宰相を成敗したからといって、宮中に蠢く膿をすべて出し切ったわけではないらしい。
もちろん魔王が健在だったり美鈴が度々顔を出していればこのような事態は避けられたかもしれないのだが、現実はそうそう上手くいかないもの。当たり前だが日本にしばらく滞在している美鈴やクルトワは、ナズディア王国がこのような状況に陥っているなど知る由もない。
◇◇◇◇◇
魔法学院を出発した聡史たちは伊勢原駐屯地へと出向き、そこからヘリに搭乗して一路出羽ダンジョンへ。そのままダンジョンの最下層を経由して、あっという間に魔王城が見渡せる異世界のダンジョン出口にやってくる。すでに一度このルートを経由して魔王城に凱旋を果たした経験があるだけに、まったく戸惑う様子は見られない。前回と違うのは、依然として明日香ちゃんとクルトワが大荷物をしっかりと自ら携えている点だろう。両名とも「これだけは他人には任せられない」という決死の表情で異世界に持ち込んでいる。
そんなクルトワに、美鈴が声を掛ける。
「クルトワ、当初の予定通り私はこの地には来ていないことにしておきますからね。フードを目深に被って仮面で顔を隠して従者のフリをしていますから、魔王城に到着するまではあなたが矢面に立って対応するんですよ」
「美鈴様のご命令でしたら従いますが、なぜそのような回りくどいことをするのでしょうか?」
「私が表に出るよりもクルトワのほうが宮廷中に与える刺激が少ないでしょう。大魔王が戻ってきたとなったら大騒ぎになるに決まっているじゃないの」
美鈴にしてはなんだか取って付けたような言い訳を口にしている。「厨2発言が飛び出るせいで自分を殴りたくなる」とは大魔王の立場としては明かせないらしい。だがこの程度の薄っぺらい言い訳でクルトワが納得するとは思えない。
「美鈴様の尋常ならざる気配によって家臣たちにすぐ気づかれてしまうと思いますが」
「その点は安心してもらって大丈夫よ。聡史君から魔力を欺瞞できるアイテムを貸してもらったから、そう簡単には見破られなはずよ」
クルトワとしても、ここまで美鈴に強硬に申し付けられると逆らう術はなさそう。もっとも彼女としても大魔王の名代にして魔王の娘という自覚があるので、強いて美鈴の言いつけを無碍にする意思はない。
「わかりました。それでは当面はいかがいたしましょうか?」
「ひとまずはダンジョンの詰め所にいる兵士にあなたの到着を告げて、フィリップを呼び出してもらえるかしら。彼から魔王城の現状を聞き出してからその後の行動を決めたいわ」
「それではこのまま兵士たちに告げて参りましょう」
クルトワが一歩二歩歩き出そうとするのを見た美鈴が何かに気付いたように声を掛ける。
「クルトワ、ちょっと待ちなさい」
「美鈴様、どうかしましたか?」
「あなたはその大荷物を背負ったまま外に出ていくつもり?」
「こ、これは私にとって大切なものですから、いくら美鈴様のご命令だとしても手放すわけにはいきません」
これでもかというくらいにお菓子が詰まったリュックと手提げカバンを何が何でも手放すまいと抵抗するクルトワ。さすがにこんな爆買い中国人旅行客のような姿で魔王の娘を兵士の詰め所に向かわせるのはいかがなものかと美鈴が引き留めたのだが、クルトワは意地でも手放そうとはしないよう。そこまでお菓子が大切なのかとツッコミのひとつも入れてやりたい気分の美鈴だが、あまりにクルトワの目が真剣過ぎてどうやら諦めたらしい。
「わかったわ。ともかく私の来訪を秘密にしてもらえばそれでいいから」
「美鈴様、どうかお任せください」
クルトワがダンジョンの出口に向かうと、美鈴、聡史、明日香ちゃんの三人はオペラ座の怪人に見間違いそうな白い仮面で顔を隠してローブを纏ってから目深にフードを被る。魔王城においては身分の低い護衛は時としてこのような姿を取るケースが多いので、クルトワの近習であろうと誰もが納得するはず。
しばらく待っていると、ダンジョンの入り口の詰め所から数人の兵士がやってくる。
「クルトワ殿下からお話は伺いました。従者の方々もどうぞ詰め所にお入りください」
無言で頷く美鈴たち。兵士たちの話しぶりから察するに、どうやらクルトワは上手いこと話しをまとめてくれたよう。そのまま詰所の最も広い部屋に通されると、そこにはすでにソファーに腰掛けるクルトワの姿が。
「美鈴様、すぐに魔王城に向けて伝令が発つそうです。一時間もしないうちにフィリップが迎えの馬車を寄越してくれるでしょう」
「クルトワ、グッドジョブよ。第一関門は順調に通過したようね」
大魔王の正体を勘付かれずに無事に迎えの馬車の手配が終わってと聞いて、仮面の下の美鈴の表情は満足そう。その横ではすかさずクルトワの隣に座った明日香ちゃんが、荷物の中からチョコレートクッキーを取り出してパクパク食べ始めている。
「パフェじゃないのは残念ですが、しばらくはこれで我慢ですよ~」
「明日香ちゃん、歴史の授業で習いましたよ。フランスのかつての王妃様は『パフェがなければクッキーを食べればいいじゃない』という歴史的な格言を残したそうですね」
「クルトワさん、その通りですよ~。お腹が空いたらお菓子を食べれば世界中が平和になります」
これぞいい加減極まりないEクラスクオリティー。授業で先生がきちんとした知識を教えても受け取る生徒側は適当な覚え方しかしていないので、このような一般常識を逸脱したデタラメが横行する羽目に… 横で聞いている聡史と美鈴は、敢えてこの二人の会話に口を挟むつもりはないよう。お菓子を口にしてご機嫌なままでいてくれればいい… ちょっと突き放した態度で生暖かく見ている。
さて明日香ちゃんとクルトワの二人はずいぶんなモノの言いようをしているが、クッキーだって十分カロリーが高い点を忘れないでもらいたい。この調子て食べまくっていると、あとからとんでもない後悔に見舞われる気がする。ひとりでクッキーを頬張る明日香ちゃんに対してもちろんクルトワも黙って見ているはずもなく、一緒になってあっという間にひと箱を食べ終わっている。さらに次のクッキーの箱に手を伸ばそうとして、さすがに美鈴がストップをかけるに至る。誰かが止めないと、この二人はあるだけ食べてしまうのでは… このように不安を抱かざるを得ないのは桜に限った話ではなさそう。
「明日香ちゃんとクルトワは、もうその辺にしておいた方がいいわよ」
「美鈴さん、私たちの生きがいを邪魔しないでください」
桜がいないせいかいつにも増して強気な態度に出る明日香ちゃん。その横ではクルトワも首を大袈裟にコクコクする始末。桜とは違って二人の体重がどうなろうと美鈴は構わないのだが、せっかく顔を隠す意味で被った仮面を取り外して明日香ちゃんがお菓子を食べる様子に苦言を呈したくなるのも致し方ないよう。
「明日香ちゃん、クルトワの従者に見せかけて人間が魔王城に紛れ込んでいるのを勘付かれないようにしているのに、おやつの度に仮面を外していたらいつ誰に見られるかわからないでしょう」
「美鈴さん、お言葉ですが、私は絶対におやつを諦めたりしません。もし仮に顔を見られたりした場合、相手の意識を奪うか記憶を消し去るかして対処しますよ~」
「なんだかずいぶん物騒な手段を考えているけど、もしかして桜ちゃんの影響かしら?」
確かに明日香ちゃんの言っている内容は美鈴の危惧通り物騒そのもの。だが美鈴は忘れている。これはけっして桜のせいなどではない。むしろオヤツが欠乏するとバーサーカーに変貌を遂げる明日香ちゃん自身の本質的な部分から来る危険な発想だと断言できる。
こうして美鈴が止めるのも聞かずに明日香ちゃんとクルトワが二箱目のクッキーを空にしたちょうどその時、詰め所にフィリップが率いる迎えが到着する。部屋のドアがノックされると、親衛隊騎士団長の礼服を身にまとったフィリップが立っている。
「クルトワ殿下、お久しゅうございまする。殿下のお越しを首を長くして待っておりました」
「フィリップ、出迎え感謝いたします。そんな所に立っていないで中に入ってください」
「忝いお言葉に感謝いたします。それでは失礼をいたします」
室内に一歩足を踏み入れた途端に、フィリップは「おや?」という表情を浮かべる。そのままこれ以上ない程の恭しい態度で絨毯の上に片膝をついて最高の礼を執る。
「大魔王陛下、何のお戯れかは知りませぬが、そのようにお顔を隠されても無駄ですぞ。このフィリップの目は誤魔化せませぬ」
「まあ、完璧に正体を隠したと思っていたのにちょっと残念ね」
美鈴は笑いながら仮面を外して目深に被ったフードをたくし上げる。その目は簡単に正体を見破られたこの事態に即してやや不安げに映る。彼女の本心としては「なんだか先行きが思い遣られる」といったところであろう。
「大魔王様は私を試したのですか?」
「フィリップを試したわけではないわ。こちらとしてもあまり今回は大ぴらな訪問とはしたくない事情があるのよ。それよりもいつまでも床に膝をついていないで、そこの空いている席に座ってもらえないかしら」
「それではお言葉に甘えまする」
ソファーに腰を下ろすと、傍らに座っている聡史が手ずから紅茶を給仕する。カップを受け取ったフィリップとしては、これには苦笑いを浮かべるしかない。仮面をつけていようとも聡史から発せられる気配が尋常なものではないと、優秀な武人である彼には伝わっているよう。まあ美鈴の隣に座っているので、何も言われなくともその正体はわかり切っている。
「さてフィリップ、私が不在の間のナズディア王国に関して変わった事柄はないか訊かせてくれないかしら」
「左様でございますか… そのなんと申しましょうか…」
生粋の武人であるフィリップにしてはいつになく歯切れの悪い態度。どうも主君の耳に入れるに際には頭を悩ます問題があるようなムードを漂わせている。
「フィリップ、言葉を飾らずに有体に教えてほしいのよ。私が欲しているのは真実のみですから」
「承知いたしました。実は国内全体の問題として、今年も秋の収穫時期を目前にいたしまして穀物備蓄が尽きようとしております。エリザベスも心を砕いて何とか作付面積の拡大に努めておりますが、思うような成果が上がっておりませぬ」
「その点は心配しなくていいわ。国民全体が丸々二月は暮らせるだけの穀物は用意してあります。民を飢えさせないのは為政者としての最大の務めですから」
事前にクルトワからの聞き取りで、マハティール王国程の規模ではないにせよ小麦や豆類、保存のきく野菜等の援助物資は準備している。元々魔族の人口はマハティール王国に比べて3分の1程度なので、聡史がひとりで運んでもさほどの重労働ではなかった。
「これはありがたきご配慮。大魔王様の寛大なる御心に深く感謝いたします。これで問題の半分は解決いたしました」
「半分とはどういうことかしら?」
「大魔王様のお留守を預かる身でありながらこのような報告を申し上げるのは心苦しいのですが、お申しつけ通りに有体にお話いたします。事の発端は魔王陛下のご病状が思わしくないという点にありまする」
「えっ、父上がまだ臥せっておられるのですか?」
フィリップの口から「魔王陛下」というフレーズが飛び出た途端に、驚いた表情のクルトワが食い付いてくる。例の古代遺跡に虜囚の身となっていたのを助け出されて以来1年近くに渡り音信が不通であったので、父親の状況を耳にしたクルトワが驚くのも無理はない。
「はい、当初は1か月程度で元気を取り戻すと見られておりましたが、いまだ床から起き上がるのも中々ままならないご様子にございます」
「フィリップ、そのような状況を見越して私がエリザベスを宰相に任命して政治の実権を彼女に託したはずですが」
「もちろん大魔王様の仰せの通り最初のうちは魔貴族たちもエリザベスに従っておりました。ですが大魔王様が魔王城を去って日が経つにつれて『大魔王様はいつ戻ってこられるのか』やら『大魔王様はもう戻ってこないのではないか』といった不満の声が次第に大きくなりつつあります」
「なるほど、それでその中心にいる人物は誰なのかしら?」
「さすがは大魔王様です。何もかもお見通しとは恐れ入りました」
「烏合の衆の意見など所詮は羽虫の囀りに過ぎないわ。何者かが中心にいなければ大きな声には成り得ないのは世の常でしょう」
「まさに大魔王様の仰る通りでございます。そもそもの発端は例の宰相に与した者たちでした。大魔王様によって宰相の正体が暴かれて以後は彼の者たちは謹慎するようにという沙汰が下りましたが、またぞろ水面下で動きをはじめまして、大魔王様のご不在と魔王陛下の健康がすぐれぬのをいいことに権力の奪取を画策しておりまする」
「奸臣というのはどの宮廷にも蔓延るものよ。宰相失脚の折に彼らに温情を掛けたのは私の間違いだったようね。それで、彼らが新たに擁立を目論んでいる中心人物とは何者なのかしら?」
「はい、それは魔王陛下やクルトワ殿下の縁戚にあたりますローエンタール侯爵です」
「そんな、まさか叔父上が…」
クルトワが言葉を失っている。彼女の父親、つまり現在の魔王の実の弟が権力の座を狙っていると聞けば、彼女の心中も穏やかではいられないであろう。
「フィリップ、その侯爵とやらは人の上に立つ器なのですか?」
「大魔王様、とんでもありません。魔王陛下の弟君ながら、情けないほどに凡庸と評しても余りある人柄。強いて誇れる点があるとすれば、陛下やクルトワ殿下との血縁であるという一点に付きまする」
「凡庸な者がそんな高望みをするとその身を滅ぼしかねないわね」
「御意にございまする」
「まあいいわ。宮廷貴族たちの叛意など取るに足らない話よ。それよりも大切なのは私の精神的な安定… ゲフンゲフン。じゃなくってクルトワが一人前の為政者として独り立ちする件よね」
「大魔王様、殿下を為政者としてお立てになられるのですか?」
「今すぐにという話ではないわ。でもその下準備はしておいた方がいいと思うのよ。したがって今回の訪問はクルトワが私の名代としてひとりでやってきたということにしておいてもらいたいの。なるべく私は表には出ないようにして、こっそり陰からクルトワにアドバイスするわ」
「それは構いませぬが… 大魔王様に忠誠を誓う者も多数おりますゆえに、一目でもそのご尊顔をお見せいただけたらとは思っておりまする」
「まあそれは帰る間際にでもということにするわ。ともかく私の来訪はあなたとエリザベス以外には秘密にしておいてほしいの」
「大魔王様のお考えでしたら異は申しませぬ。誰にも知られぬように極秘裏にルノリア宮にお入りいただけますように手配いたします」
「お願いしたわ」
こうしてフィリップの了承を取り付けたこともあって、一行は迎えの馬車に乗って魔王城へと向かう。もちろん美鈴の存在は伏せて、クルトワが単独で戻ってきたという先触れが魔王城内に通達されたのは言うまでもない。
◇◇◇◇◇
魔王城は久方ぶりのクルトワの帰還に沸き返っている。フィリップによってもたらされた報告は瞬く間に広がって、宮廷内は蜂の巣を突いたような大騒ぎの様相を呈する。
「今回はクルトワ殿下おひとりのみのご帰還か」
「しばらくぶりにあの可愛らしいお顔を拝見できるとあらば、今から楽しみで仕方がない」
「それにしても大魔王様がご一緒でないのは至極残念であるな」
「ああ、その点はワシも実に残念に思っておる。久方ぶりに尊いお姿を拝見できると思ったが、なんともぬか喜びであった。そもそも大魔王様はこの魔王城を支える屋台骨。出来ることであれば常に城に常駐していただきたいものではあるが、我々には想像もつかない遠い世界にいらっしゃるお方だ。あまり無理は言えないであろう」
このような内容が宮廷に籍を置く噂好きな魔族たちが口々に話すもっぱらの挨拶代わりとなっている。大魔王に関する話題は至極妥当であるが、クルトワに関する認識はどうやら以前のままのよう。魔族たちにとって彼女はいまだに子供扱いというか、精々頑張っても人気アイドルがゲリラライブに出演程度の微笑ましい姿のままらしい。人のイメージというのは中々ぬぐえないモノ。ましてや寿命が人間の何倍もある魔族にとっては、1年程度の不在は歳月の流れのうちには入らぬとでも言いたげ。
だが美鈴としてはクルトワは自分の名代として周囲に認めてもらわなくては困る立場。いつまでも子供扱いに甘んじさせているわけにもいかないので、今回の滞在中に大いにその成長した姿を目に焼き付けてもらおうという目論見もある。
ということで廷臣たちの喧騒に出迎えられながらクルトワ一行が乗った馬車は魔王城の門をくぐっていく。先導するフィリップは正面に聳える魔王城を素通りして、王族の私的空間であるルノリア宮へ一直線。そのまま王族の身の回りの世話を務める関係者だけに出迎えられて内部に消えていく。
このクルトワ一行の行動に肩透かしを食らったのは、ひと目その姿を見ようと待ち構えていた廷臣たち。だが彼らは宰相のエリザベス大公から出された「日を改めて謁見の間でクルトワ殿下の帰還の挨拶と大魔王様からの書状を読み上げる」との通達を耳にして納得した表情で各自の持ち場へと戻っていく。というよりも、クルトワのお披露目がいつになるのか気が気ではないようで、仕事どころの騒ぎではないよう。気もそぞろに業務に全く身が入らぬ様子がそこいら中で見て取れる。エリザベスから「そのような腑抜けた態度では、クルトワ殿下を通して大魔王様に報告申し上げざるを得ない」とキツイお達しを受け取って渋々業務に精を出し始める有様。
そんな廷臣たちの様子を知ってか知らずか、旅装も解かないまま応接室のソファーに腰を下ろすクルトワ一行。ちなみに明日香ちゃんとクルトワの両名はルノリア宮付きの侍女が預かると申し出ても絶対に大荷物を手放さずにこの部屋に持ち込んでいる。見事なまでのお菓子への執念がこちらにも伝わってくるというもの…
そこに部屋のドアをノックする音が響く。侍女がドアを開くと、そこに立っているのはエリザベス大公に他ならない。彼女はクルトワの前に跪くと、久方ぶりの再会の口上を述べる。
「殿下、お久しぶりにございます。魔王城に務める一同首を長くして帰還をお待ちしておりました」
「エリザベス大公、お元気な様子で何よりです」
型通りの挨拶が終わると、エリザベスもソファーに腰掛ける。侍女が紅茶を給仕すると目配せをして席を外すように促す。この部屋に残ったのはクルトワ一行とエリザベスとフィリップのみ。つとエリザベスが立ち上がると、おもむろに美鈴の前に跪く。
「大魔王様、尊き御身のご帰還を心待ちにしておりました」
「フィリップに続いてあなたにもあっさりと見破られましたか。これでも細心の注意を払って魔力を隠したつもりなんですが」
「これでも元を正せば武人の端くれ。大魔王様の魔力を見間違うはずなどございませぬ」
「まあいいわ。色々と事情がるので、私がやってきた件はいましばらく内緒にしておいてもらえるかしら」
「大魔王様の仰せのままに」
「さあ、いつまでも床に跪いていたら話も出来ないわ。フィリップの隣に座ってちょうだい」
「それでは失礼申し上げます」
こうして美鈴から今回の訪問の目的が告げられる。その後にエリザベスから具体的な宮廷内の状況が報告された後、今後のスケジュールなどを詰めていく。その間聡史は無言でこれらのやり取りを聞いているが、明日香ちゃんは気もそぞろでお菓子が詰まった荷物をチラチラ。さらに話が30分を超えた辺りから完全に飽きてきてコックリコックリ舟を漕ぎ始める。一体何をしに異世界までやってきたんだとツッコミのひとつもいれたくなってくる所業をこれでもかと露呈。もちろんそんな明日香ちゃんの日頃の行いを知っているフィリップとエリザベスは敢えて触れないようにしている。異世界とはいえ一国の中枢が集まる話し合いの場で、このような明日香ちゃんの態度は〔ご立派〕の一言だろう。もちろんウエスト周りも大変ご立派になっている。
一通りの話が終わるとクルトワは侍女を伴って退席する。彼女の行き先はもちろん病床に臥せっている父親の元。2階の父の私室にそっと入っていくと、魔王はたくさんのクッションに体を支えられてベッドの上に上半身を起こしている。突然来訪したクルトワを見た魔王はやや顔色の悪いままに首を傾けて呟く。
「はて、我が娘によく似ているような気もするが、一体誰だろう?」
「父上、お気を確かにお持ちください。あなたの娘のクルトワにございます」
1年ぶりに再会した娘がわからない程に魔王の病状は悪いのか… いやそれは違う。魔王が抱く実の娘のイメージがあまりに目の前の人物と掛け離れているせいでクルトワ本人と認識できなかった。何と言えばいいのか、この1年間でクルトワの身長は5センチほど伸びた。栄養たっぷりの日本の食事を毎日三食口にしているのだから、育ち盛りで背が伸びるのも当然だろう。だがそれよりも問題は横幅。レベルが上昇して筋肉が付いたといえば聞こえはいいが、明日香ちゃんと一緒になって散々スイーツ三昧にうつつを抜かしたせいで、ほっそりとした儚げな面影などどこへやら。実の父親ですら見間違うほどの立派な体格になってあそばされている。
「本当に我が娘のクルトワだというのか? なんと申せばいいのか… せ、成長したな」
「父上、魔王の娘に相応しいように日々強くなろうと心掛けて鍛錬に務めておりました。おかげで今ではダンジョンの魔物など片手で捻る程になっております」
「左様か。それは良き知らせであるな。我が娘よ、久方ぶりであった。そなたの逞しき成長を嬉しく思うぞ」
「父上にお褒めの言葉をいただいて嬉しく存じます」
実際のところ魔王の本音は「こんなはずじゃなかったのに…」といったところかもしれない。兎にも角にも日本に留学してこんなクルトワが出来上がってしまったのを今更元に戻せともいえないであろう。
「父上、それよりもお加減はいかがですか?」
「良くも悪くもない。ただ日々こうして横たわって、ひたすら魔力の回復を祈るのみよ」
「ならばこちらをお飲みくださいませ。大魔王様からいただいた魔力ポーションにございます。味は最悪ですが、効き目は保証いたします。ただしいきなりたくさん召しあがるとお体に障りますので、少量ずつ数日に分けてお飲みください」
「左様か… 大魔王様からいただいたものなれば効き目も信用できるというもの。これ、一口飲ませてもらえるか」
そば付きの侍女を呼ぶと、小さなコップに移し替えられたポーションを口にする魔王。当然のお約束で一口吸い込んだ途端に、その表情が得も言えぬ渋い顔に変化。
「これはまた表現のしようもない大層な味だのう」
「父上、良薬は口に苦しです。飲んだらすぐに効果が表れるはず」
「むむ、言われてみれば確かに体の中で魔力が流れ出している気がするようだ。これはまことに効き目のある良薬。大魔王様に深く感謝をせねばなるまい」
「父上、少々お耳を拝借いたします」
クルトワは魔王に耳元に顔を寄せると、美鈴もこの地にやってきている件を明かす。当然ながら魔王にとっては寝耳に水なので、さすがに驚きを隠せないよう。
「なるほど、大魔王様は…」
「父上、それ以上はお口になさらないほうがよろしいかと」
「そうであるな。ワシはいまだベッドから起き上がれぬ身ゆえに、この件はそなたに任せるとしよう。病人は大人しくするのが世の常よ」
「父上、時間を見つけてお見舞いに来ますので、その際に状況はお耳に入れます」
「うむ、頼んだぞ」
「それではごゆっくりお休みください」
「ああ、そうさせてもらおう。そなたからもらった薬のおかげで先程よりも体に力が入る心地。もしかしたら明日には起き上がれるやもしれぬな」
「ご無理をなさらずに、どうかご自愛くださいませ」
「ああ、娘の言に従うとしよう。かように娘に諭される日が来るとは思わなんだ」
「それでは失礼いたします」
「ああ」
こうしてクルトワは魔王の部屋をそっと出ていく。久しぶりの親子の対面にしては時間が短かったが、色々と立て込んでいるのでそうそうゆっくりもしていられない事情がある。魔王にしても久しぶりの親子の対面に少々驚かされたので、一旦気持ちを落ち着かせる必要があるよう。
そんなこんなで、魔王城到着の1日目は静かに過ぎていくのであった。
前書きでお詫びした通り、11月の後半にコロナに感染という事態を迎えました。熱や咳といった症状は2週間で収まりましたが、その後ヒドイ倦怠感がずっと残ったままで1日の半分以上を寝て過ごしておりました。1月も後半になってようやく体調が復活してきたので、こうして小説にも手を付けようという意欲が取り戻せました。読者の皆様には大変お待たせして申し訳なく思っておりますが、どうかこのような事情をご理解いただけたら幸いです。
今回のお話の続きは明日投稿の予定です。すでに書き上がっているのでご心配なさらずにお待ちください。体調が戻ったこともありこれから先は順調に投稿できそうなので、今後ともこの小説をどうかよろしくお願いいたします。




