Logfile_001:CPUの熱量より高い視線
「ーーはい、左様でございますね。そちらの件につきましては、担当部署より折り返しご連絡差し上げます。……ええ、ご安心くださいませ。本日は三神が承りました。失礼いたします」
受話器を置き、完璧なスマイル声からスッと素の表情に戻る。
ピンクのデコネイルが施された指先でキーボードを軽く叩き、通話記録を保存してふぅっと息をついた。
「ミソラ~、今のクレーム寸前だったでしょ?よくあんな涼しい顔でさばけるよね。」
隣の席から声をかけてきたのは、同期の海月莉奈だ。
ショートカットの黒髪の隙間から、鮮やかなブルーのインナーカラーを覗かせながら、呆れたようにこちらを見ている。
「まあね。これくらい日常茶飯事っしょ。」
「はいはい。でも、その完璧な対応の裏で、あっちの島にいる『オジさん』たちの観察してるんだから怖いよね。毎年『トップオペレーター賞』を取るだけのことはあるわ。」
莉奈がからかうように肩をすくめる。その後ろの席では、黒髪のロングヘアを今日はシュシュでポニーテールにまとめている眞壁栞が、「もう、莉奈ちゃんったら」と真面目な顔で苦笑いしていた。
(…そう。あたしはプロ。どれだけ最高のオジさんを前にしても、トップオペレーターとしての完璧な対応は絶対に崩さない……!)
あたし、三神ミソラ・25歳。ギャル全開の見た目でコールセンターの最前線を張っているけれど、実は誰にも言えない秘密がある。それは……、重度の『オジさん愛好家』だということ。
くたびれたスーツ、哀愁漂う背中、渋い声、世間では煙たがられる層こそが、あたしにとっての最大のオアシスなのだ。
「でもさー、あのインフラチームの御八代さん?あの人は流石にナシでしょ。いつもボサボサだし、あのグレーのカーディガン、季節感バグってない?」
莉奈の視線の先には、インフラ保守チームのデスクがある。
そこには、ボサボサの黒髪に黒縁メガネ、そして野暮ったいグレーのカーディガンを羽織った御八代御一也(45)の姿があった。
「えー?そう?寡黙な職人って感じで、あたしは結構好きだけど」
「ミソラのストライクゾーン、マリアナ海溝より深いじゃん……」
そんな軽口を叩いていた、次の瞬間だった。
ピーーッ!!
フロア全体に、システム異常を知らせるけたたましいアラートが鳴り響いた。オペレーターたちのモニターが一斉にフリーズし、ざわめきが広がる。
「えっ、何!?サーバー落ちた!?」
「ちょっと、今対応中なんだけど!」
インフラチームの島を見ると、若手エンジニアの神楽坂陸(26)が、顔面を蒼白にして立ち上がっていた。
「す、すみません!俺が手順書読み間違えて、本番環境のデータベースにロックかけちゃって……っ!」
「馬鹿野郎!早く切り戻せ!」
チーム課長である三本木徳大(45)が怒鳴る。しかしパニックに陥った神楽坂くんの震える手では、キーボードを叩くことすらままならない様子だった。
コールセンターのシステム停止は致命的だ。緊迫した空気が張り詰めた、その時。
「代われ」
低く、だが喧騒を切り裂くような声。
御八代さんが、いつの間にか神楽坂くんの背後に立ち、その肩を掴んで退かせていた。
彼は席に座るなり、モニターを睨みつける。黒縁メガネの奥の瞳が、鋭い刃のように研ぎ澄まされていた。
タタタタタタタタタタッ!!
(え……っ!?)
あたしは思わず息を飲んだ。
画面から一切目を離さず、無骨な太い指先が信じられないスピードでキーボードの上を滑っていく。完全にノールックのブラインドタッチ。迷いが1ミリもない。普段の猫背が嘘のように、背筋をピンと伸ばしてトラブルに立ち向かう、その『働くオジさんの背中』。
(……やばい。かっこよすぎる……っ!)
わずか数十秒。ターンッ!と、ひときわ大きくエンターキーが叩かれた瞬間、アラートがピタリと鳴り止んだ。フリーズしていたあたしたちのモニターが、一斉に正常な画面へと戻る。
「……システムの復旧を確認。セッションの再接続、完了しました」
淡々と告げる御八代さんの声に、フロア中から安堵の大きなため息が漏れた。
「お、御八代さん……!本当に、本当にすみませんでした……!」
「手順書のインシデント項目を読み直しておけ。……三本木さん、事後レポートは後で上げます」
御八代さんはそれだけ言うと、ゆっくりと立ち上がった。
てっきり自席に戻るのかと思いきや、彼はなぜか、真っ直ぐにあたしたちオペレーターの島の方へと歩いて来た。
(えっ?なに?こっちに来る……?)
鼓動が早鐘を打つのを感じながら、あたしは近づいてくるボサボサカーディガンの姿だけをただ見つめることしかできなかった。
やがて、御八代さんはあたしのデスクの真ん前でピタリと足を止めた。
至近距離で見下ろしてくる、黒縁メガネの奥の鋭い視線。かすかに漂う、コーヒーとフリスクの匂い。
「……」
「……あ、あのっ」
あまりの威圧感と至近距離のオジさんオーラに、あたしが声を引きつらせた瞬間。御八代さんは眉間をわずかに寄せ、低く響く渋い声でこう言い放った。
「……そこのオペレーター。さっきから、CPUの熱量より高い視線を感じるんだが。僕に何か用か?」
(……っっっっ!!!!)
意味不明な理屈っぽいセリフ。
だけど、目の前で聞くその無骨なトーンと、圧倒的なプロフェッショナルの余裕。なにより、わざわざ「視線と言うノイズ」を直接確認しにくるその生真面目すぎる性分。
「いえっ!なにもないですっ!」
あたしは慌ててモニターに顔を隠したけれど、心臓のバクバクは限界を突破していた。
ーーあたし、三神ミソラ。
ーーこの瞬間、目の前に立つボサボサカーディガンのインフラエンジニアに、完全に恋に落ちました。




