第53話 服が小さくなったのは、洗ったせいではありません
未来の自分へ手紙を書いた翌朝、俺は朝食の支度をしながら、ラグナの服に妙な違和感を覚えた。
「ラグナ、ちょっと腕を伸ばしてみろ」
パンへ手を伸ばしかけていたラグナが、不思議そうな顔で右腕を前へ突き出す。よく見ると、以前はきちんと手首まで届いていた袖が、その少し手前で止まっていた。
「反対も見せてみろ。……やっぱり短くなってるな」
言われた本人もようやく気づいたらしく、両腕を交互に見比べる。
「服、小さくなった?」
「たぶん逆だ。お前が大きくなったんだよ」
その一言に、隣で食べていたフェルナが勢いよく両腕を伸ばした。
「フェルナも!? ねえ、お父さん、フェルナも大きくなってる?」
「食事中に腕を振り回すな。椀に当たるだろ。あとで全員見るから、今はちゃんと食え」
「でも今知りたい!」
「昨日背を測ったばかりなんだから、朝の間に急に伸びたわけじゃない」
それでも気になるらしく、フェルナは食事が終わるまで何度も袖口を引っ張っていた。気づけば他の六人まで自分の袖や裾を確認し始め、朝食の終わりには全員が「自分の服はどうか」と俺の周りへ集まっていた。
◇
朝の仕事へ出る前に、七人を順番に確認することにした。
最初はセレスだった。袖の長さはまだ問題ないが、肩周りが以前より少し窮屈そうだ。
「最近、動きにくくなかったか?」
「少しだけ。でも着られるから大丈夫だと思ってた」
「着られるのと、ちょうどいいのは違う。腕を上げてみろ」
セレスが両腕を上げると、服全体が引っ張られて裾まで一緒に持ち上がった。本人もそれを見て、ようやく納得したらしい。
「……ほんとだ」
「こういうのも言ってくれ。破れてから直すより、その前に分かった方が楽だからな」
「うん。ごめん」
「謝るほどじゃない。ただ、自分のこともちゃんと見るって、未来のセレスに書いたばかりだろ」
そう言うと、セレスは一瞬きょとんとしたあと、少し照れたように笑った。
「もう今の私からできてなかった」
「気づいたなら、今日からやればいい」
「じゃあ覚えとく」
続いてラグナを見ると、袖だけでなくズボンの裾まで少し短くなっていた。それを伝えると、本人はなぜか満面の笑みを浮かべる。
「やった! やっぱりいっぱい大きくなってる!」
「服が小さくなったのは確かだけど、昨日から急に伸びたわけじゃないぞ」
「でも前はちょうどだった!」
「それはそうだな」
ラグナが得意そうに胸を張った途端、横で待っていたフェルナが自分の袖を必死に引っ張り始めた。
「じゃあフェルナは!? フェルナのも短い!?」
「引っ張るな。服そのものが伸びる」
「伸びたら大きくなる!」
「そういう解決の仕方をするな」
確認してみると、フェルナも少し短くなっている。ただしラグナほどではない。
「ラグナの方がいっぱい小さくなってる?」
「服だけ見ればな」
「負けた!」
「だから勝負じゃない」
「じゃあいっぱい食べる!」
「食えば急に背が伸びるわけじゃない」
「いっぱい寝る!」
「それも大事だけど、競争のために寝るな」
その後も一人ずつ見ていくと、程度の差はあっても全員の服に成長の跡があった。ミレアは袖より肩周り、ノエルは裾、ユラはまだ少し余裕があるものの以前ほどぶかぶかではない。
最後にリシェルが自分の袖を眺め、昨日測った柱へ視線を向けた。
「昨日、背を測った時は分からなかった」
「服が小さくなってることか?」
「うん」
「背丈だけが成長じゃないからな。腕も肩も少しずつ変わる」
「じゃあ柱だけじゃ全部残せない」
「全部残さなくても、大きくなった事実はなくならないぞ」
そう答えたが、リシェルはすでに何か記録したそうな顔をしていた。たぶん後で板に書くのだろう。
◇
急ぎの仕事を午前中に終え、その日は七人の服を直すことにした。
全部を一から作り直す必要はない。縫い代に余裕を持たせてあるものは広げればいいし、袖や裾へ布を足せばまだ使えるものもある。
布箱を出した途端、フェルナが真っ先に赤みのある布を掴んだ。
「お父さん、フェルナこれ!」
「まだ何に使うか決めてないぞ」
「袖にする!」
「左右両方に足せるほどない」
するとフェルナは一瞬だけ考え、「じゃあ片方だけ!」と目を輝かせた。
「片袖だけ色が違うぞ?」
「かっこいい!」
「……まあ、お前が気に入るならいいけど、あとで変だったって俺のせいにするなよ」
「しない!」
こういう時だけ返事が速い。
その横でラグナは、色よりも生地そのものを確かめていた。厚くて丈夫そうな布を見つけると、迷わず引っ張り出す。
「ラグナこれがいい。破れにくい?」
「ああ、比較的丈夫だな」
「じゃあこれ! 木登りしても大丈夫?」
「引っかければ破れる」
「じゃあ戦っても?」
「何と戦うつもりだ」
「熊!」
「服を選ぶところから熊へ行くな。来てもまず俺を呼べ」
「ラグナも守る!」
これ以上続けると、服の修繕ではなく対熊戦の話になりそうだったので、そこで切り上げた。
◇
ミレアは新しい布を選ぶより、今着ている服をできるだけ残したいらしい。裾の近くにある、以前俺が当て布をした場所を指でなぞっていた。
「これ、まだ着たい」
「そんなに気に入ってるのか?」
「うん。最初はここ、直した跡が嫌だったけど、今は好き。この服でみんなと川へ行ったし、雨の日に棚も作ったから」
服そのものより、それを着ていた時間まで大事にしているらしい。
「なら裾へ布を足そう。肩も少し広げれば、まだしばらく着られる」
「ほんと?」
「ああ。ただ、いつかは作り直すぞ」
その言葉に、ミレアは少しだけ服を抱くような仕草をした。
「大きくなったら、これ捨てる?」
「使える布は別のものに使ってもいいし、小さく切って箱へ残してもいい」
「ああ。それなら、少しだけ残す」
「まだ今から切るなよ。今日着る服がなくなる」
隣で聞いていたノエルも、自分の袖を見ながら考え込んでいた。
「服は変わるけど、全部なくならない?」
「使い方を変えればな」
「木と同じ?」
「どういうことだ?」
「棚作った時、余った木は薪になった。小さいのは箱にも入れた」
「……まあ、似てるな」
何でも以前見たものと繋げて考えるのは、いかにもノエルらしい。
◇
せっかくなので、簡単な縫い方も教えることにした。
「先に言っておく。針は尖ってるから、振り回すな。床にも置くな。なくしたら、見つかるまで全員その場から動かない」
七人が真剣に聞く中、フェルナだけが慎重に手を上げた。
「走らない?」
「当たり前だ」
「家の中だから?」
「外でも針を持って走るな。転んだ時、自分や誰かに刺さるからだ」
するとフェルナは、文字を覚えた時に作った板を思い出したらしく、得意そうに頷いた。
「『なんでか考える』!」
「そうだ。だから今日は座ってやれ」
「分かった!」
以前教えたことを自分から持ち出してくるあたり、ちゃんと身についてはいるらしい。
◇
最初はセレスとミレアへ針を持たせた。二人とも慎重なので、基本を覚えるには向いている。
「表から入れて裏へ出す。次は少し先から表へ戻す。最初から綺麗に揃えようとしなくていい」
セレスは一針ずつ確かめながら進めていくが、糸を引くたびに布が少し寄った。
「これで合ってる?」
「縫い方は合ってる。ただ、少し強く引きすぎだな」
「緩いと取れそうで」
「強すぎても布が縮む。必要なだけだ」
少し離れて順番を待っていたラグナが、すぐに「必要なだけ!」と嬉しそうに反応する。
「お前はまだ針を持ってないだろ」
「でも知ってる!」
「知ってるのと、できるのは別だぞ」
「できる!」
「じゃあ後で試せ」
◇
そしてラグナの番になると、不安はすぐ当たった。
「お父さん、針曲がった!」
「どうやったら一回で曲げるんだ」
「布が硬かったから押した!」
「力で押し込むなって言っただろ」
「必要なだけ使ったつもりだった!」
「多かったから曲がったんだよ」
ラグナは曲がった針を見つめ、悔しそうに唇を尖らせた。
「強いのにできない」
「強いから何でも上手いわけじゃない。セレスは布を見ながら力を変えてただろ」
少し落ち込むかと思ったが、ラグナはすぐ顔を上げた。
「もう一回やる。今度は押さないで、布見てやる」
「それならいい」
二度目はかなり遅かった。それでも針は曲がらず、一針ずつ確実に進んでいく。
最後まで縫い終えると、ラグナは大きく息を吐いた。
「できた。強くしなくてもできた」
「違う。必要なところで力を抜けたからできたんだ」
「それも強い?」
「俺はそう思うぞ」
その答えが気に入ったらしく、ラグナは自分の縫った布を何度も表裏ひっくり返して眺めていた。
◇
フェルナには、最初から難しいことはさせない。
「フェルナも縫う!」
「分かってる。まずこの二枚を合わせろ」
言われた通り重ねるものの、片方へずれ、直したと思ったら今度は反対へずれる。
「難しい!」
「まだ針にも触ってないぞ」
何とか位置を合わせ、俺が仮止めしてから針を渡した。
「ゆっくりな。いつもの勢いでやるなよ」
「分かってる!」
そう答えた直後、小さく「あっ」と声が漏れた。
「刺したか?」
「ちょっとだけ」
指先には、ごく小さな赤い点が出ていた。
「痛いならやめてもいいぞ」
フェルナはしばらく自分の指を見たあと、首を横へ振った。
「もう一回する。次は指をここに置かない」
「怖くない?」
「怖い。でも、分かったからやる」
「なら続けていい」
そこからのフェルナは驚くほど慎重だった。一度痛い思いをしたせいか、指と針先を交互に確認しながら、少しずつ進めていく。
縫い目は曲がり、間隔も揃っていない。それでも最後まで終えると、大仕事を成し遂げたように顔を輝かせた。
「できた! これ、フェルナの袖にする!」
「本当に使うのか? かなり曲がってるぞ」
「使う! フェルナがやったから!」
それが何より大事らしい。
「じゃあ使うか」
「やった!」
◇
ユラも針を持ちたがったが、まだ手が小さいので、俺が横から手を添えて一緒に数針だけ縫うことにした。
「お父さん、もつ?」
「持ってる。ユラは布を見てろ。次はこっちから針を出す」
「ここ?」
「ああ。そう、そのまま」
針が表へ出ると、ユラは嬉しそうに笑った。
「できた。わたし、した?」
「半分な」
「おとうさんと?」
「ああ」
それだけで十分満足したらしい。
「はんぶん」
「前から好きだな、その言葉」
「おおきくなったら、もっとする。でも、おとうさんともしていい?」
「もちろん」
「じゃあ、一人でもするし、はんぶんもする」
「好きにしろ」
未来の自分へ書いた手紙にも、似たようなことが書いてあった。大きくなることと、一人で全部やることは、ユラの中では別なのだろう。
それでいい。
◇
夕方までかかって、七人の服はどうにか整った。
セレスは肩を広げ、袖を少し足した。ラグナは丈夫な布で袖と膝を補強し、フェルナは希望通り片袖だけ色が違う。しかも本人が縫ったため、よく見るとかなり歪んでいる。
「かっこいい!」
本人が満足しているので問題はない。
ミレアは元の服をできるだけ残し、裾だけ違う布を足した。ノエルは小さな当て布を何枚か組み合わせ、「形が全部違う」と気に入っている。ユラの服は大きく直す必要がなかったので、袖口へ本人が選んだ小さな布を足した。
リシェルだけは、直す前と直した後を板へ記録していた。
「何を書いた?」
「どこを直したか。それと、最初にラグナが間違えたこと」
見せてもらうと、
『ふくが ちいさくなったんじゃない』
『わたしが おおきくなった』
とある。
「そこまで残すのか」
「未来の私がまた間違えるかもしれないから」
「ラグナもう分かってる!」
向こうからすぐ抗議が飛んできた。
やっぱりリシェルだった。
◇
着替え終えた七人を並べてみると、朝よりずっと動きやすそうになっていた。
そして以前より、七人の服は七人それぞれのものになっている。
色の違う袖。
丈夫さを優先した当て布。
思い出として残した古い補修跡。
本人が選んだ布。
少し曲がった縫い目。
同じ家で暮らし、同じ俺が用意してきた服なのに、今日一日だけで随分と個性が出た。
「お父さん」
セレスが直した袖を見ながら言う。
「前は、お父さんが全部やってたよね」
「ああ」
「今日は自分でも直した。次はもっとできるかな」
「できるだろ」
「そのうち全部?」
「できるようになるかもしれない」
セレスはそこで少し考え、俺を見た。
「でも、分からなかったら聞いていい?」
「何度確認するんだ、それ」
「だって、自分でできるようになったら聞いちゃ駄目なのかなって、少し思うから」
「できるようになっても聞けばいい。自分でやるのと、人に聞かないのは別だ」
「じゃあ安心した」
セレスはそう言って、柔らかく笑った。
◇
夕飯のあと、フェルナは何度も自分の片袖を眺めていた。
「そんなに気に入ったか?」
「うん! お父さん、ここ直さないでね」
「縫い目がかなり曲がってるぞ」
「分かってる。でもフェルナがやったから、このままがいい」
「そうか」
「次に服が小さくなった時、これ見たら『昔のフェルナ、縫うの下手!』って分かる!」
「今もまだ上手じゃないぞ」
「次は上手になる!」
「未来の自分と比べるのが好きになったな」
「なる!」
勢いよく頷いたあと、フェルナはさらに思いついたように自分の服を掴んだ。
「これも未来まで残す!」
「服を?」
「着られなくなったら箱に入れる!」
「お前の箱、石でいっぱいじゃなかったか?」
その一言で、フェルナの動きが止まった。
「……服と石」
とても重大な選択を迫られたような顔で悩み始める。
しばらくは決まりそうになかった。
◇
夜、灯りを落とす前。
ユラは今日一緒に縫った袖口を、何度も指で撫でていた。
「気になるか?」
「ここ、まがってる?」
「少しな」
「へた?」
「最初だからな。俺だって最初は下手だったし、針で指も刺した」
ユラは驚いたように顔を上げた。
「おとうさんも、いたい?」
「当たり前だ」
「そっか」
なぜか安心したように笑うと、ユラは袖を胸元へ寄せる。
「じゃあ、これ、いい。おとうさんとしたし、わたしもしたから」
「ああ」
「だから、まがっててもいい」
そのまま満足そうに寝床へ潜り込んだ。
◇
七人の服は、これからも少しずつ小さくなっていく。
正確には、七人が少しずつ大きくなっていく。
柱へ残した背丈だけでは分からない変化が、暮らしの中にはいくらでもある。
高い棚へ手が届くようになること。重い薪を運べるようになること。料理を覚えること。文字を書くこと。針を持ち、今まで俺がやっていたことを、自分の手で少しずつできるようになること。
昨日できなかったことが、次の日には何でもできるようになるわけではない。
縫い目を曲げる。
針を一本駄目にする。
指を少し刺す。
それでも、その失敗を見て次を考える。
たぶん、そういう小さなものが何度も積み重なって、いつの間にか俺が「大きくなったな」と気づくのだろう。
「お父さん」
寝たと思っていたフェルナから、暗闇の中で声がした。
「何だ?」
「服をいっぱい大きくしたら、フェルナも大きく見える?」
「見えない。中身はそのままだからな」
「じゃあ大きい靴は?」
「転ぶ」
「髪を上にする!」
「それは背丈に入れない」
「ラグナの肩に乗る!」
「もうお前の身長じゃない」
「じゃあお父さんの肩!」
「もっと駄目だ!」
するとフェルナは布団の中で笑い、まだ何か言おうとしていたが、さすがに今日は針仕事で疲れたらしい。しばらくすると声は途切れ、やがて静かな寝息へ変わった。
大きくなるのを待つことだけは。
やっぱり。
まだ少し苦手らしかった。




