緋芽花・S・ホームズの事件簿~〝J〟に関する最終報告書~ 下
執筆者 ジョージ(巧門・マイクロフト・ホームズ氏より提供された資料より)
ここに書き残すのは、贖罪の記録だ。
1958年 初夏
私はある研究所に勤めていた研究者だ、主に遺伝子配列や隔世遺伝の研究をしていてその成果を病に苦しむ人々に役立てたいと考えていた、実験の成果も出ており安定した生活を送れている。
けど〝黒色の貴族〟と呼ばれるあの男が研究所に目を付け始めてから、何かが狂い始めたのだ。
その男は、今の契約金の五倍の資金援助をすると言ってきた。
もちろん、断る理由はなかった、資金は多いに越したことはないのだから。
けど、一つだけ条件を付けてきた、それは君達の研究で才能ある子供達を創ってほしいというものだった。
それは、少し前に作られた論文でバカバカしい机上の空論だった。
それにクローン技術、試験管ベイビー、どれもこの当時としては無理のある注文ではあったのだが無理を通してくれたらさらに倍の資金を提供しようと山のような札束を見せつけられては後には引けない。
幸い、今のご時世に子宮の提供には事欠かない、大金を見せつけて娼婦を買収すればいいだけの話だ。
〝黒色の貴族〟から提供された、様々な優秀な人材から取った頭髪サンプルを使って幾年も試行錯誤を繰り返した。
そもそも隔世遺伝とは先祖返りとも呼ばれているもので、両親の持っていない遺伝的特徴がその子に現れるというのもだ。
隔世遺伝は主に病気だが、酒が強いなどの特徴を受け継ぐこともある、私達はそこに目を付けた。まず優 秀な遺伝子のゲノム情報を解析し、その遺伝子操作した受精卵を母体に組み込んだ。
結果はどうなるか分からない、だが我々の生活の為にも必ず成功させなければならない。
2003年 秋
苦節四十五年、私が六十歳で主任になった年についに感喜の時が訪れた。
私達が作り上げたのは様々な才能を秘めた女の子達だった。
恐らく遺伝子操作に適応出来たのが女性の配列だけだったのだろうが、詳しい事は現段階では分かっていない。
はっきりとした要因はこれから詳しく解析をするが、実験は見事に成功だった。歌の上手い子や、絵の 上手い子など様々な才能を僅か五歳でほぼ100%の子達が発現した。
そんな中、ただ一人だけ発現しなかった子がいた、運動能力は平均して高かったがどれも驚異的とは言えない数値だった。
他の研究者達はさして気にした様子もなく、実験の成果を日々噛み締めていたが、この子が私達の実験が超えてはならない一線を越えてしまった事を証明してくれた。
それは、その子が調理の適性試験をしていた時に起きた。
普段おとなしかったその子が包丁を持った時、突如暴れ出したのだ。
いや、暴れ出したとは語弊があるかもしれない、その動きは洗礼されていたからだ。
まるで、訓練を受けた兵士のように無駄が無く、その教室にいた87人の子供、研究者を含む全員を5分足らずで皆殺しにしてしまったのだ。
その子に使われていた遺伝子は、唯一サンプル番号が無く〝黒色の貴族〟が直接渡してきた冷凍された 精子を使用したのだ。後で〝黒色の貴族〟を問いただしてみたら、その遺伝子はとある犯罪者の物だと分かった。
それは、今から八十年前にイギリスで捜査が打ち切りになった、この世で……もっとも、有名な殺人 鬼、ジャック・ザ・リッパーであることが分かった。
私達は開けてはいけない扉を開けてしまったようだ。
考えてみればこの実験結果は異常だ。ほぼすべてのクローン人間が与えられた才能を発現するなどありえない事だ。
だがこの結果に狂喜した他の科学者は、短命なクローン達を延命させる研究などに没頭していたが私は この研究に恐れを抱き、プロジェクトを離れることにした。
そして私は今でも追われる身なのだ。
あの〝黒色の貴族〟が裏切り者を許す筈もない。
それに、離れる際に私が担当した研究データをすべて消し、特定のDNAを消し去るワクチン作成の論文を持ち去って身を隠した。
そして残った件の子共達と共に〝黒色の貴族〟と研究者たちも忽然と姿を消してしまったようだ。
今でもあの研究所は続いているのだろうか? 今の私には知るすべがない。
だがこのプロジェクトは抹消されなければならない。
だから、この文章を手にしたか誰かよ、どうかこの計画を止めてほしい。
そして願わくはあの子達を止めてくれ、罪のない天使達を。
元〝天壌の輝ける者計画〟主任 ジョージ
※追記情報 サンプル0の被害報告書も記載しておこうと思う。
○月△日(金)被害報告書
サンプル番号0番による被害は甚大である、三十人いた天使達の半数が惨殺されてしまった。
ここに、被害及び生存リストを添付する。
(依頼主の指示によりサンプルにはコードネームが付けられている)
生存リスト
・サンプル1(魔唱の美声)某オペラ歌手から採取した頭髪を使用。
・サンプル6(疾風の騎乗者)レース中に死亡したバイクレーサーの体組織を使用。
・サンプル8(電子の毒女)某ハッカー自らが志願し、精子を提供。
・サンプル12(対なす至高幻想)サンプル内唯一の双子、シンクロ選手の卵子を使用。
・サンプル13(対をなす至高幻想)サンプル12の妹、姉の行動を完全再現可能。
・サンプル15(必中の旧き弾丸)銃殺事件で死刑になった死刑囚の精子を使用。
・サンプル17(夢幻の活字)毒殺されたエドガー・ポーの遺伝子を使用。
・サンプル21(純血の剣闘者)日本の剣豪の物とされる左腕から細胞を入手し使用。
・サンプル23(真を写しだす画伯)ダヴィンチ画伯の頭髪を極秘裏に入手し使用。
・サンプル25(復讐の人魚)有志内から採用、競泳選手の遺伝子を使用。
・サンプル28(怪盗王の末柄)アルセーヌ・ルパンの物とされる頭髪を使用。
・サンプル29(聖女の微笑)〝黒の貴族〟が教会から連れてきた修道女の卵子を使用。
・サンプル30(箱の中の希望)独身の上流階級の当主が自分の遺伝子を提供。
残りの天使達や所員はすべて喉元や腹部を切り裂かれて死亡した。〝黒色の貴族〟の指示で研究所ごと焼き払い、データや証拠はすべて隠蔽した。
また、卵子提供者の娼婦達及び不要な協力者たちもサンプル番号0番によって全て抹消済みである。
報告終了
執筆者 炬警部(〝J〟による最初の犯行に関する事件資料)
日付 2013年 七月十二日(土)
被害者の特徴
・身長 166㎝
・体重 50㎏
・身元 不明
・死亡推定時刻 深夜一時~深夜三時の間
・目撃情報 一人(近所に住む女性)
被害者は近くに住むホームレスで身元を確認する物は無く、辺りには被害者の頭部及び腹部から性器に 掛けて引き裂かれた胴体が通路を塞ぐように仰向けの状態で横たわっていた。
通路の幅は二メートル弱で、現場のすぐそばには被害者が住んでいたと思われる段ボール製の住宅があった。
事件当初、被害者はズボンを下ろした状態で発見されたことから用を足そうとした時に襲われたと推測されたが、現場付近で破かれたワイシャツの切れ端が見つかった事と事件前に人影が通路に入っていったとの目撃情報から被害者が〝J〟と思われる人物を襲った際に返り討ちにあったと思われる。だが、目撃情報の少なさやワイシャツの切れ端は量産ものであり販売店の特定は困難である為、報告書以上の事は分からなかった。しかし、被害者の体内から刃物の破片が見つかる。
これを分析した結果、被害者の血液以外のDNAが検出された。
また、事件二日後に捜査科のパソコンに事件に関する匿名のタレコミがあった。当時は単なる悪戯として処理されていたが、事件現場の詳細な報告がされていたのと凶器に関する情報も載せられていた。それは、かつてイギリスにいた伝説の殺人鬼ジャック・ザ・リッパーが使っていたとされる凶器の殺傷痕の詳細なデータも載せられていた。
これと今回の事件の殺傷痕を鑑定した結果、百年前の〝J〟の犯行に使われたナイフと一致した。
これによりこの被害者が〝J〟による最初の被害者であると断定された――
以下省略
執筆者 湖月 静歌氏
「朝……」
寝ぼけ眼で目が覚めた、ベッドから落ちていたせいか所々打ち身のように痛む、こんなに寝相が悪かったのは初めてだ、それに何だか肩のあたりがすごく痛む。
「静歌?」
「ああ……セフィリさん」
隣を見れば、何故か目の下にくまを作ったセフィリさんがいた。
「何でここに?」
「何でって、起こしに来たらあんたがお腹を出して寝ていたんだよ」
「仕事の時間は大丈夫なの?」
「大丈夫よ」
「そうなんだ、良かった……」
それからしばらく無音が続いた。普段には無い、妙にしおらしいセフィリさんがそわそわして私の方を見ている。
何か言いたい事があるんだろうか? そう言えば、昨日の現場で私を抱きとめてくれたのは誰だったのだろうか、艶のある髪に大きな瞳、童顔っぽいけどなかなかのイケメンだったと思う。
「あのね、静歌――」
静歌? そうだ――
「私の名前は、湖月静歌」
「え?」
キョトンとするセフィリさんをよそに、頭に浮かんだ情報が漏れる、何故そんな事を言うのか自分でも不思議に思う。
出会った友達の事やお世話になった先生の事や小学三年の時、プールで溺れそうになってセフィリさんに死ぬほど心配された事、そして、高校合格を誰よりも喜んでくれたセフィリさんの事など色々な出来事を思い出していく、それらは私の思い出だ。
なのに、実感が湧かない。
「私は、誰?」
「静歌……?」
自分は何者なのか、そんな事考えた事も無かった。
「私は――」
独白が言い終わる前に、セフィリさんに抱きしめられた、力強く、けど労わるように。
「忘れないで、私は静歌の味方だからね」
「……ありがとう、セフィリさん」
いつもは照れくさい抱擁が、私の不安を消し去ってくれた。気のせいだろうけど、それでも嬉しかった。
この余韻を私は一生忘れないだろう。たとえ、他の何かを忘れたとしても。
「ところで、時間は大丈夫?」
「……今日も、お願いします」
だが残酷だと思う、せっかくの余韻なのに時刻は正確に遅刻ギリギリを示していた。
それから三分という過去最速記録で着替えを終え、車を飛ばしてもらい朝のホームルーム五分前に教室に駆け込んだ。
「おっ! 遅刻クイーン、やっと来たね」
荒い呼吸のまま席に着くと、前の席の友人がモデルみたいに整った顔を歪めて茶化してくる。
「今日は流石に来ないと思ったよ、あーあ賭けに負けちゃった」
人を賭けの対象にするとは何事か、そう言い返したいが息が乱れ過ぎて上手く話せない。
「昨日より、早く……来たもん」
「ああ確かに、昨日なんかチャイム十秒前だったもんね」
「ちょっと黙ってよ、朧……息、整えるから」
「そうだ、賭けに負けたらあんたにも奢る約束だから後で飲み物でも買ってきてあげるよ」
「それは――どうも……」
それから息が整え終わるのにホームルームの時間を使ってしまった、熱血担任の話が終わってボサボサのままだった髪と格闘している時、スカートのポケットが震えた。
「ん?」
携帯電話の液晶を確認したら、そこには望美からのメールが届いていた。
「何、望美から?」
「うん放課後、空けといてだってさ」
飲み物を受け取りながら、文を下に送って行く。どうやら、放課後に話したい事があるから市営図書館に来て欲しいというものだった。
だが、言って本当に話してくれるのだろうか? あれだけ頑なに口を閉ざすことなのだ、私なんかが聞いたところで役に立てる自信がない。
「最近、望美と何かあったの?」
すると、後から画面を覗いていた友人が心配そうに眉を寄せていた。
「喧嘩したとかじゃないよ、でも……」
「何かを、抱えているようだった?」
「そんな感じなの」
「う~ん、難しいね、あの子の様子がおかしいのは気付いていたけど、何せ本心を隠すのが上手いからね、下手に横槍を入れると返ってよくない方に行きかねないし」
「そうだね……少し、心配だよね」
「心当たりは?」
「分からない、でも、きっと大切な事だと思う」
「そうだね、望美が打ち明けられない事だもんね」
「でも――」
「でも、信じてあげるんでしょう?」
「うん!」
でも、流石は朧だ。周りの事がよく見えている、私と望美と朧は高校一年の時に同じクラスで何時も三人一緒だった。友達を作るのが下手だった私や望美と辛坊強く一緒に居てくれた掛け替えのない友人の一人である。
「ところで、お兄さんは帰ってこられたの?」
「昨日、私の荷物を置きに帰ってきただけ、顔だけ見せたらすぐ署にとんぼ返りよ」
「例の殺人事件の担当なんでしょ?」
彼女の兄、京治さんは若くして警部にまで上り詰めた、まさにエリートだ。彼女のお父さんも有能な刑事だったが、彼女が小学校の頃に殉職している。また、お母さんは海外で婦人モデルをやっていて日本には京治さんと二人暮らしだ。
だが、そんな大変な暮らしにも関わらず二人ともそんな苦労は感じさせない、お父さんの気高い思想を受け継いだお兄さんは、お父さんに負けないくらいの活躍をしている。だがその分、今回の事件のように危険な仕事を任される事もある。
「気苦労が絶えないね、朧」
「全くだわ、たまには私を安心させてほしいものよ」
明るい口調とは裏腹に、彼女は本気で兄を心配している。多分、荷物を預けたのは家に帰ってくるお兄さんが見たかったのかもしれない。
「そうだ、昨日の殺人事件の現場、あんたの家の近くよね、大丈夫だった?」
「ちょっと、ショックで目眩しちゃってさ」
「へぇ~あんた、意外とナイーブだったんだ」
「うるさいわよ」
軽口を言い合いながら、次の授業の用意をしていた時だった。朧の端麗な顔が焦燥の顔色に変わった。
『二年二組の炬 朧さん、ご家族の方がお待ちです、職員室まで来てください』
「……朧?」
「兄さん?」
お互いに顔を見合った、嫌な予感に急かされた私と朧は職員室に向かった。だが途中、現代国語の先生に見つかったが無視して突き進む。
「おい、静歌! なんでお前まで行くんだ?」
「急に腹痛が起きたので、保険室に行ってきます!」
この様に無様な言い訳をしてやり過ごす。隣を走る朧の視線が冷たい、何故なら。
「……どうでもいいけど、頭を押さえながら腹痛は無いと思うよ?」
「言わないで!」
余裕がないのは私も同じだった。
「兄さん!」
一階にある職員室の扉を引き裂きそうな勢いで開ける、お兄さんの事でこれだけとり乱すなんてよっぽどお兄さんが心配なのだろう。
だが、現実は私達が思っているほど予想通りにはいかないものだ。
「いや~懐かしいね、京治君」
「全くですね、でもこの校舎は俺がいたころとちっとも変ってないし」
「京治君、お茶もう一杯どうだい?」
「あ、いたただきます」
「……」
「……」
二人とも言葉を失う。
何なのだろう、この緩んだ雰囲気は。
「来たか、朧」
でも、こっちには気付いていたのか急に険しい顔つきになった京治さんが場の空気を重くする。
「兄さん、その怪我は?」
「ああ気にするな、掠り傷だよ」
それは嘘だとすぐに分かった、何故なら真っ白な包帯に僅かながら血が染み出てきていたしそれに隠しきれない消毒液の匂いが漂ってくる。
「京治さん、どうしたんですか? こんな時間に」
「静歌ちゃんまで来たのか? 今、授業中だろ?」
「え!? えっと~き、気にしないでください!」
「いや、ワシは気にするんだけどね」
すると一緒に談笑していた校長が横やりを入れてきたが、出来るだけ視界に入れないようにして喋る。
「いや、丁度よかった、静歌ちゃんにも聞きたい事があったんだ」
「私にも、ですか? 私、何かしましたっけ?」
「そんなに警戒しなくてもいいよ、ただの質問だから」
「そうですか……」
「あんた、何か後ろめたい事でもあるの?」
「ここで騒ぐと余計怪しまれそうだから、ノーコメントね」
「君達、喋るなら椅子に座ったら?」
二人に椅子を勧めた校長は、警察からの連絡事項を他の先生たちに伝える為に退室した、どうやら京治さんはこれを伝えるために来たらしい。
「それで、聞きたい事って何ですか?」
「ああ昨日、君の家の近くで通り魔が出たのは知っているよね?」
「はい、私もその現場は見ていました」
「その後、何か変わった事はあったかい?」
「すいません、現場を見た後すぐに気を失ってしまって、よく分からないんです」
「そうか、体の方は大丈夫?」
「はい、何ともないです」
「無理なら言ってくれ、止めるから」
その配慮に、微笑んで返す。
「なら次だ、君はアネモネスさんと仲がいいみたいだね」
「アネちゃん、ですか?」
意外な名前が出てきた、どうしてあの子の名前が出てくるのだろうか。
「実は、過去全ての現場である詩が流れていたらしい、それは大変美しい歌声だったそうだ」
「詩? まさか、アネちゃんの?」
「そう、彼女のデビューシングルの二曲目に収録されているものだ」
「待って下さい、まさか、アネちゃんが疑われているんですか? 現場であの子の唄が聞こえただけで?」
「まさか、それだけで彼女を疑ったりはしないよ」
「それじゃあ――」
「ああ、被害者の死亡推定時刻の一時間前後位から約五分間に渡ってアカペラで歌われていたそうだ、現場の近くの民家から覗いていた住人は白無垢のような格好の彼女を目撃していて、あまりにも幻想的で夢かと思ったほどらしい」
「確かに、アネちゃんだったんですか?」
「それは何ともいえない、写真を撮っていた住民もいたらしいがどれもピンボケが激しくてはっきりとは映っていないんだ、だが彼女はその時間帯に丁度アリバイが無いんだよ」
「確かな証拠がないのに――!」
「だが、彼女の歌声を間違える可能性は低いとも言える、彼女は有名な歌手だ、彼女ほどの歌唱力を持つ人物がその辺にいるとも思えない」
「だからって――!」
「兄さん、それだけじゃないんでしょう? アネモネスが疑われている理由は……」
冷静な声が私の頭に掛けられた。隣を見れば、険しい顔をした朧が自分の兄を睨みつけていた。
「ああ、今から一年前に起きた事件の現場で唯一まともな目撃証言が取れたんだ、しかもその目撃者はこの学校の二年生なんだよ」
「私達と同い年なの?」
「一体、誰なんですか?」
朧と同じタイミングで詰め寄る、京治さんは少し躊躇いながらその子の名前を告げた。
「まさか――」
「……」
何も言えない私は、ただ椅子に背を預けて天を仰いだ。
そして、不意に携帯電話を開く。携帯電話の時間は一時限目の終わりを告げていたが、私が見ていたのは今日送られてきた一通の電子メールだった。
(あの子が伝えたいことって、まさか――)
不吉な気配が私を包んでいる気がした。
寒気がして振り返る。その視線の先、私の知らない誰かが嗤った様な気がした。
執筆者 白葉
「なるほど、これは常軌を逸しているね」
これが、マイクロフトさんから渡された資料を読み終えて漏らした感想だ。
「三十人がすべて、才能を開花……隔世遺伝を利用したとはいえ、確かに普通じゃない」
「どうするの?」
「とりあえず、与太話と斬って捨てるわけにもいかんだろ、何より兄上からの情報だ――」
「そうだね、これ以上ない情報源だ」
政府高官であるマイクロフトさんが裏も取らずに手に入れた情報とは考えにくい、なら、ここに書かれた情報の信憑性は高いという事だ。
「しかし、すごい事になってきたぞ……確かに、イギリス政府が青くなるわけだ」
シャルが呟き、日本で言えば合掌するようなポーズをとりながら、独白を始めた。
「どうしてだい?」
「考えても見ろ、そんなに優秀な逸材を有力な企業達が見逃すと思うか? それに〝黒色の貴族〟は政界にも顔が効くと思った方がいい」
「と、なると――」
「〝黒色の貴族〟の息のかかった奴らが世界の頂点に立つ」
「そして〝黒色の貴族〟いや――モリアーティ一族が世界の覇権を握る、か」
〝黒色の貴族〟とは、モリアーティ一族の別称だ、一般的には知られてないが彼等は様々な偽名を使って決して自分たちの存在を表に出さないようにしているのだ。
「それで、これからどうするんだい?」
「とりあえず、あの現場に行ってみる」
「あの、現場?」
「モリアーティがいた現場だ、何か残っているかもしれない」
だが、彼女自身分かっているのだろう、その現場に行っても直接モリアーティに繋がる証拠は残っていないと。
だが、今は僅かでも〝J〟に繋がる情報が欲しい。
しかし、案の定〝異端の魔女〟の事はおろか〝J〟の手掛かりさえ見つけることが出来なかった。
夏場である為、日が落ちるのは遅いとはいえ午後三時ともなればそれなりに日が傾き向き始める時間だ。
「仕方がない、次だ」
「次って、何処に行くのさ」
「〝J〟との戦闘現場を回った後、図書館に行く」
「過去の記事を見に行くの?」
「ああ、ロクな事は載ってないだろうが、一応な」
それから三十分後〝J〟との戦闘現場に着いた、そこは未だに戦闘の跡が生々しく残っていた。
警官隊の撃った弾痕の後に〝J〟に斬りつけられた刑事達の血の跡が負傷者の数が尋常ではない事を物語っていた。現場には未だに、野次馬や警官でごった返している、現場に顔パスで入った僕はシャルに昨日の状況を伝えた。
「僕が駆け付けた時には、ほぼ全ての警官がやられていたよ、あの優しかった刑事さんも含めてね、残った炬刑事も重傷で、しばらく事件の担当から外れるらしいよ」
「そうか、あの刑事さん……殉職したのか」
「葬儀は明後日だってさ」
「そうか、なら……亡くなった人たちへの手向けは、犯人逮捕の報告といこうじゃないか」
そう言って、シャルは名探偵ホームズとなり、現場にあるありとあらゆるものを観察し、犯人に繋がる手掛かりを集めてゆく。
「見てみろ、この足跡は警官の物じゃない」
すると、シャルは足跡が集中している場所にしゃがみ込んでいた。傍に行ってみると、血だまりの上を 歩いたのか辺りには赤色の靴跡が散乱していたが、その中に明らかに大人の体格に合わない跡が残っている。
「推定25㎝、犯人のかな?」
「断定は出来ないな、だが〝J〟の体格からして合致はする」
次にシャルは、路地の出口付近に向かう。
どうやらそこは、大通りに繋がっているらしくここをまっすぐ北に向かえば、僕とシャルが〝J〟と交戦した場所に出るようだ。
「やはりそうか」
「何がだい?」
「この入り組んだ路地、この周辺に住んでいなければまず気付く事はない筈だ」
「確かに、急にビルを建てているせいかな……複雑に入り組み過ぎて地図の作成が間に合っていないみたいだね、現にこの辺りのビルは最新の地図にも載っていない」
警部から借りた周辺マップには、載っていないビルがいくつか見受けられる。
「そんな場所だから、〝J〟は土地勘のあるとみていい、でなければいくら機動力があるといってもそう何度も警察を出し抜く事は出来ない」
「確かにね、これだけ捜査が大展開されているのにまだ犯人像すら、正確には出ていないしね」
「しかも、聞きこみの方も上手くは言っていない、何せ街は眠らないといってもこんな路地を覗く奴は少ない、何しろここら辺の住人はここが如何わしいスポットだと理解しているからな、物好き以外覗く事はないだろう」
そう言いながら、ビルの壁の弾痕を丁寧に調べていくシャルの背中を見て思う。
彼女とは、幼稚園からの付き合いである。小学校は違ったが、小学校卒業後はシャルと一緒にベイカー街でハドスンさんのアパートで二人暮らしを始めてからは中学、高校とずっと一緒だった。
小学校の頃から既に、天才の片鱗を見せていたシャルは友人が少なかった、天才は人を孤独にする、その事を僕は誰よりも分かっている。
何故なら僕が、ワトソンだからだ。先祖も、こうして現場や修羅場を共にしてホームズの輝かしい功績を後世に残してきたのだ。そして、誰よりも名探偵の隣にいて思う事は天才とはやはり孤高なのだということ。
周りの人達は誰も彼女の手を握ろうとはしなかった、ただ周りに輪を作るだけで、その中にいる彼女の闇を誰も覗こうとはしなかった。
誰かに来て欲しいのに、誰も傷つけたくないとゆう矛盾にシャルは今でも苦しんでいるのだ、だからこそ初めて彼女と話をした時に僕は誓った。
僕は誰よりもワトソンになろうと、誰よりもホームズの隣にいようと。
「この位でいいだろう」
そう言って思い出の中の彼女と立ち上がった彼女とが重なる。
「「行くぞ! 白葉!」」
そして、その笑顔と思い出の中のセリフとが重なった。
「了解、次は図書館だね」
ヘルメットを被りながら、シャルの隣に並んだ。
優しくて、ホームズという名前に潰されそうになっていた彼女が、自身の中にあるその闇に負けないように、せめて胸を張って彼女を支えようと改めて、あの時の誓いを胸に刻んだ。
そう、あの帽子を被せてあげた、あの夜の誓いを。
執筆者 緋芽花 八月十五日(土) PM4‥04
「ほぅ、中々じゃないか」
時間は午後五時過ぎ、白葉の端末で一番近い図書館の位置を調べたところ、ちょうど引っかかったのはこの地域では最大級の図書館らしい。それなりに期待して来てみたら、思っていた以上に広くて真新しい外観に思わず声が漏れた。
「そうだね、去年改装が終わったばかりらしいから、まだ新品同様だね」
白葉のフォローを頭の隅に置きながら、館内に足を踏み入れる。そこは、外の喧騒から切り離された、まさに静寂だった。
早速、受付にいた職員に二年前からの新聞があるかを尋ねたところ、二階の閲覧室に保存されているとの事だったが、生憎と新聞の読める閲覧室には先客がいるらしくそれが終わってからという事だった。
「ついてないね」
「だが、焦っても仕方ないさ」
部屋の前にある備え付けの椅子に腰かけて中の先客が出てくるのを待つ事になった。
目を閉じて意識を静寂に傾けた。
その時、中から言い争う声が聞こえてきた。
二人とも若い女のようで、一方的に片方がまくし立てており、もう一人は合間にしか喋れていないようだ。
「痴話喧嘩かな?」
聞き耳を立ててはいなかっただろうが、白葉も聞いていたらしくぽつりと呟いた。
防音が働いているらしく、くぐもって聞こえてくる。
断片的な会話に耳を傾けると――。
「……いや、どうやら当たりを引いたな」
「ちょっと、シャル!?」
困惑する白葉を無視して閲覧室の扉を開ける。
「失礼、何かあったんですか?」
「「!?」」
突然の来訪者に目を見開く二人、一人は栗色の髪をした女で、手に染みついた絵具からして彼女は画家を目指しているようだ、どうやら彼女が事件の参考人らしい。
そして、すごい剣幕で怒鳴っていたもう一人に目をやる。
「ん? 君は……」
「あれ? あの時の女の子だ」
後から私を止めようとした白葉も、彼女を見て同じ結論に達したようだ。
「貴方達、誰ですか?」
その件の子が、険しい顔のまま私達を睨みつける。
「邪魔しないでください、今取り込んでいるので――」
「そうはいかない、私達もその子に用があるんでね」
そう言って参考人に視線を送る。
「高嶺望美さんだね、現場の惨状を見た唯一の生き証人」
「……貴女、何者ですか?」
証人が警戒の色を見せてしまった。
目を細めて、私達を値踏みするように睨みつける。
「すまない、言い争う声が聞こえたもので、つい介入してしまったのだ」
「そんな事はいいんです、それで、彼方達は何者ですかと聞いているんです」
「やれやれ、警戒されてしまったようだ」
「当たり前だ、全く……君だって分かっているだろ? こうゆうのには順序があるんだ」
どうやら、余裕がないのは私も同じだったようだ。
この場は白葉に任せよう。
「すまない、紹介が遅れたね、僕は白葉・J・ワトソン、そして――」
「緋芽花・シャルロット・ホームズだ」
「ホームズ? まさか、シャーロック・ホームズ?」
証人の表情が凍り付く、それはまるで罪を前にした罪人のように。
「いいや、シャーロック・ホームズじゃないよ、確かに私は先祖の職業を継いだが、私はシャルロットだ、まぁ近しい者はシャルとも呼んでいるがね」
「その名探偵の末柄が、この殺人事件を解決しに来たって事?」
怪訝そうにもう一人が尋ねる、それには白葉の方が対応した。
「そういう事だね、ところで君、体調の方は大丈夫かい?」
「体調?」
「ほら、一昨日あの現場にいて倒れちゃった子だろ?」
「じゃあ、貴方が私を運んでくれたんですか? いや、あの……ありがとうございました」
その子の顔が綻ぶ、どうやら運んでくれた奴の事を気に掛けていたらしいくようやくお礼が言えてホッとしているようだ。
いや、別にそれはどうでもいいのだ、悩み事が解消されたのだ、それは喜ばしい事とだと思う。
(なのに、何なのだ!)
あの顔を赤らめて白葉をじっと見つめるあの視線は!
確かに白葉は中々のイケメンだ、本人には自覚がないようだが童顔にも関わらず、目には力強い物が宿っている。
だが、普段のにこやかな表情に隠れていて気付かない人も多い、それに外見は細身だが家系の関係上、3年ほど軍に行っていた事もあり体躯的にはむしろ鍛えられているのだ。
医者の家系で頭もよく育ちもいい、体は鍛えられているし顔は柔和な笑みがよく似合ういい男なのだから女性が寄ってくるのは必然だが――
「あの、ホームズさん?」
すると、証人がおずおずと尋ねてきた。その表情は何故か怯えていた。
「ん? どうかしたか?」
「あ、いや……どうして、ワトソンさんの方をじっと見ているのかなっと」
「ああ、気にするな……人を観察するのが癖なんだよ」
自分は、顔に感情が出ないように常に冷静でいるように鍛えられている。
特に事件に関わっている時は、感情が表に出てしまっては捜査に悪影響を及ぼしかねないからだ。
「ところで、私に聞きたい事とは?」
二人と和解したところで、改めて証人である望美氏に話を聞く事になった。
また、便宜上ホームズと言われるのは抵抗を感じるため、シャルと呼んでもらう事にした。
(三つ年上の我々に対して、あだ名で呼ぶことに抵抗を感じていた望美氏を説得するのには中々苦労した、どうやら彼女は頭が固いらしい)
「ああ、例の殺人現場で――」
「アネちゃんは犯人じゃありません!」
すると、腰掛けた椅子から勢いよく、友人である静歌氏が立ち上がった。
なるほど彼女が怒っていたのはそう言う事だったか。
「落ち着いてくれ、私は何もアドラーが犯人だと言っているんじゃない」
「だったら、望美に何が聞きたいんですか!」
「当時の殺人現場の状況さ、私もその現場に行ったがやはり証拠らしい証拠は見つけられなかった、そこで現場を生で見た彼女の話をぜひ聞きたかったんだ」
「それに今、アネちゃんの事をアドラーって呼びましたよね、何で彼女のフルネームを知っているんですか?」
「それなりに付き合いは長いからね、ところで、どうして君こそアネを知っているんだ?」
「私の、幼馴染ですから」
「なるほど、アドラーの家系は日本の方に定住したんだな、それなら納得だ」
大切な友人が疑われているんだ、誰だって怒る筈だ。
すると、今度は望美氏が聞いてくる。
「あの、アネモネスが犯人じゃなかったとしたら、あの子はどうしてあそこにいたんですか?」
「それは分からんが、あいつがこんな初歩的ミスで捕まるとは思っていない」
私の呟きに静歌氏は一瞬怪訝そうな顔をしたが聞くのを憚ったのかそれ以上言及してこなかった。
「話が逸れたが、望美さん……あの現場で見たことを出来るだけ細かく教えてくれないか?」
「細かく、ですか?」
「何でもいいんだ、死体の様子とか臭いだとか、気になった事なら何でもいいんだ」
「そう、言われても……」
約一分の沈黙の後、彼女が小刻みに震えだした。
どうやら当時の事を思い出しているらしい。
「余程の、トラウマか」
「シャル」
白葉もそれは分かっているため、小声で手短にすませる。
「分かっている、すまないが、もしもの時は――」
「分かっているよ、危なくなったら……止めるからね」
すまないともう一度、心の中で呟いた。
「では質問だ……君はあの時、何を見たんだい?」
「ば、バラバラになった死体」
「臭いは?」
「血生臭くって、その場で嘔吐を……」
「他に、何か感じたことは?」
「……そう、確か――倒れる直前に、彼女を見たの」
「アドラーをか?」
「ええ、そう――そうだ、あの時、綺麗な声で歌いながら――笑っていた」
「笑っていた?」
「ええ、とても綺麗すぎて、それが逆に怖かった」
「他は?」
「……――そうだ、あの時――私が、名前を呼んだ時、こっちを振り向いたら、あの子は泣いていた」
「泣いていた? 笑っていたのではなく?」
「そうです、あの時の表情は穏やかだったけど、涙が止めどなく溢れていたんです」
「それは、どうゆう――」
「シャル、これ以上は……」
白葉のストップが掛かる、アドラーの印象が強すぎて他に目が行っていなかったのだろう、それが目的だったともいえる。
「すまなかったな、ありがとう」
些か錯乱状態になってしまったようで、これ以上は何も聞けそうにない。
「彼方達の目的が何なのか分かりませんが、こっちの時間を取らせた以上、早く犯人を捕まえてくださいね」
望美氏を庇うように、抱きとめながら静歌氏が非難の目を向けてくる。
無茶な詰問を咎めているのだろう。送るよと、白葉が部屋の出口まで彼女達の背中を押していく、その背中に私は言った。
「無論だ……重ねられた犠牲者達の為にも、必ずね」
静歌氏は、何も言わずに退室した。
そうしてしばらく過去の記事を閲覧していた時、不意に端末が震えた。ここは、電話が使えるのでそのまま通話に移った。
「兄上か?」
『そうだ、捜査は順調に進んでいるようだな』
「ああ、お陰さまでね」
『先ほど手に入った情報をそちらに送る、例の研究がおこなわれていた場所から古い日記が見つかった、 殆どが風化してしまって読めなかったが一ページだけ読める所があったから、それを送る』
「分かった、助かるよ」
『文章から推測するに恐らくは〝J〟本人の物だろうな、報告書の作成に役立てるといい、それから――』
「何ですか?」
『余計なお世話かとも思ったのだが〝黒色の貴族〟の進捗があまりにも遅いので王室から助力するように指示が出た〝J〟の資料の後に添付しているから見といてくれ』
兄の平坦な声の中に、鋭利なものを感じた。
「まさか〝黒の駒達〟に関してか?」
『そうだ、君も〝J〟が〝異端の魔女〟に繋がっていると勘付いているのだろ? 〝J〟を調べていてその単語が出てきたので一緒に調べておいたぞ』
「ありがと、こちらに届き次第……目を通すよ」
『それから、君にある物を送くろうと思う。それを身に付けておけばきっと君の役に立つはずだ』
「ある物?」
『陛下からの贈り物だ、君だっていちいち警察に嫌な顔をされたくはないだろ?』
「つまり、イギリス政府公認の諮問探偵になれと?」
『そうゆう事だ』
「なるほど、それは便利だな。是非、活用させてもらうよ」
『なぁ、シャルロット……』
「兄上?」
『正直なところ、私は君がホームズを継いで良かったと思っている。だが、私の中にも君の中にも正義などとゆう大仰な物は無い筈だ、あるのは大切なものを守りたいとゆう気持ちだけだ』
「どうしたのだ、兄上?」
普段は機械のような兄上が、心なしか柔らかくなっているような気がする。
『けれど、私に人の痛みは分からない。けど、君なら分かる筈だ。いや、分からずとも知ろうとしていた筈だ』
「それは……」
『小学生の時から、すでに周りと違っていた私達は当然のように孤高だった。だが、私はその事を特に何とも思っていなかったし一人ひとりが違うのは当たり前で、そんな事で劣等感を抱くのは馬鹿げているとさえ思っていた』
「兄上……」
『しかし、君は歩み寄ろうとしていた。輪の中に入り、同じ痛みを共有したがっていた、それを見て確信した。君は優しいのだと、それこそが人を救うのだと、例えそれが自身の才能を恐れて周囲から傷付けられようと君は世界と関わっていける強さがあると思う』
まさか、兄上が私を心配してくれている? いや、兄上が心配するほど危険だとゆう事か。
『それに、君には最高の相棒がいるじゃないか。たとえ君が自身の闇に呑まれてしまったとしても、何度でも引っ張ってくれる頼もしい彼がいる』
「確かに、その通りです」
『だから――君は君のやり方を貫くといい、私も出来得る限りの助力はさせてもらう。頼んだぞ……名探偵、緋芽花・シャルロット・ホームズ』
「ありがとう、兄上……頑張ってみるよ」
そうして通話を切った。
「やはり〝J〟も〝黒の駒達〟の駒だったか、嫌な予感は当たる物だな」
夕方の光を見つめながら、私は呟いた。けど、その呟きは静寂の中に消えてしまう。
まるで、地平に沈む光の様に。
執筆者 白葉(追記)
ジェシカ・モリアーティ教授。
若干二十歳にして教授まで上り詰めた、まさに天才児である。
彼女を見た僕の印象はこうだ。
思慮深い目は人の心を覗きこめるほど深く、微笑みはどんな名女優も敵わない……芝居がかってはいるけど、決して演技では届かない笑みだったと記憶している。
しかし、彼女には後ろ暗い噂がある。
闇の世界を牛耳っているだとか黒魔術によって知能を高めただとか、よくない話は後を絶たないが、いずれも確たる証拠は挙がっていない。
そもそも彼女の経歴には謎が多すぎるのだ。
生まれは不明、だが大学に入学したのは彼女が十六の時だったと、当時の新聞は大きく取り上げたが誰もが彼女の経歴を遡ることはしなかった。
いや、出来なかったのだ、イギリスの研究機関が圧力をかけたせいである。
公的機関に黙認される女だが、政府はこの女を危険人物として見ているが先に述べたように犯罪の証拠が無いため警察を動かす事も出来ない。
それどころか、彼女は貧困層に惜しみない援助もしており市民権さえ得ているのだ。
また、彼女の容姿も彼女を後押しする、最近はモデル業にも手を出しており某有名雑誌にも毎号のように特集が組まれている程だ。
スタイルは肉付きの引き締まった八等美人といえば伝わるだろうが、なにより僕が注目したいのは顔である。
人々を堕落させる魅力に満ちた眼光、柔らかさがあるのに気弱さを感じさせない眼、普段は凛とした表情だが、時折見せるあどけない笑顔は人々を魅了してやまない。
是非、彼女の笑った時の蕾から花になった時に感じる、萌えるような口元や大きく吸い込まれそうな瞳に、気をつけてもらいたい。
(余談であるが、僕がこの報告書を作成する際に大量に購入した彼女の特集が乗った雑誌を見て、何故かシャルが今までにない重い殺気を立ち昇らせていた、空気が変わるほどの殺気というものを肌で感じた瞬間だった。またその翌日、何故か雑誌を捨てる日にシャルが自ら率先して読み終わっていた全ての雑誌を早朝に出してくれた、何か彼女に心境の変化が起きたのだろうか?)
無論、僕やシャルは彼女が起こしているであろう犯罪の調査も、並行しながら行っているが成果が出ていないのが実情である。
そんな底の見えない正体不明の彼女を、僕達はこう呼んでいる。
人々を美しき堕落に誘う悪の根源――
〝 異端の魔女〟と。
執筆者 緋芽花(追記)
〝黒の駒達〟そう呼ばれる者達がいる。
それは、女王である〝異端の魔女〟を守護する者達の総称である。
その者達は、女王の懐刀であり〝黒色の貴族〟に仇なす敵を排除するための暗殺部隊である、あるものはスパイとして紛れ込んでいた対抗勢力のリーダーを暗殺し、あるものは警戒厳重な会社から機密データを入手したりと〝黒色の貴族〟の繁栄を支えているのだ。
世界を裏から操り常に戦争と利益を生み出しているのだ。はっきり言って〝黒の駒達〟がいなければもっとたやすく〝異端の魔女〟を捕まえる事が出来るだろう。
闇に従う影、そう呼ばれる彼らだが、彼らが〝異端の魔女〟を捕まえる近道でもあるのだ。
〝異端の魔女〟は決して暗躍に直接関与することはない。
だが奴らは実動部隊だ、そこに〝黒色の貴族〟の障害があればどんな危険も冒すのが彼らである、奴らを捕える事が出来れば〝異端の魔女〟に一気に近づく事が出来る、そう思われた。
だが、そう上手くはいかなかった。〝J〟は全ての記憶を失ってしまった、もはや〝異端の魔女〟に近づく術は失われてしまったのだろうか?
だが、完璧主義者であるあの女が危険分子である〝J〟を野放しにするとは思えない。
そこで、しばらくは日本に留まり〝異端の魔女〟の動向を窺おうと思う。
私は別に世界を救いたいから動いている訳ではない、だが結果として私の行動は世界を救う事になるのだろう、何故なら〝黒色の貴族〟が企む事が小規模である筈がない。
〝異端の魔女〟が少し動いただけで国一つが無くなってしまったほどだ、一族全てが動いた時の恐ろしさは想像を絶する。
このままでは、罪のない多くの悲しむ者達が出てしまう。それは嫌だ、関係のない者が悲しい思いをしなければならないのは間違っている。
私はこれからも奴の挑戦を受けるつもりだ。そして、奴を破滅に追い込めるのなら。
命など、惜しくはない。
余談 執筆者 白葉
「その、君達に言っておきたいんだ」
「……」
「何ですか?」
何も言わなかった望美さんの代わりに、静歌さんが答える。
「彼女の事を、悪く思はなんでくれ、シャルは、誰よりもこの事件を解決したがっているんだ」
「分かっていますよ、解決できなきゃ白葉さん達だって死活問題なんでしょうから」
「いいや、僕達は誰かに雇われたわけじゃない、だから解決したからってお金がもらえるわけじゃない」
「なら道楽ですか? 趣味で人のトラウマを抉るなんて、ますます趣味が悪いですね」
「確かに、そう思われても仕方ないよね」
「違うんですか?」
「彼女は……誰よりも法の番人なんだよ、だから事件で人が傷付く事が嫌なんだ、そう、淡白に見えたのだって彼女にとっては受けて然るべき罰なんだ」
「どうゆう事ですか?」
「人に恨まれようと自分が傷付いて、事件が早く解決できるなら……彼女は自傷もいとわないだろうね」
「重ねられた犠牲者達の為に、ですか?」
「その事だけは覚えておいてほしい、彼女が誰よりも優しい人だって事を、ね」
執筆者 緋芽花
夕暮れも深くなり、図書館での話と調べ物を終えて警察の寄宿舎に帰ろうとした時だった、待ち伏せしていた炬刑事から耳寄りな情報が転がり込んだ。
「今日のアネモネス・アイリーンのスケジュールを聞いてみたら、丸一日オフらしいぞ」
との事だったので、早速、彼女を探しに行く事になった。
「でも、闇雲に探しても見つからないんじゃないのか?」
「大丈夫だ、行き先なら分かっている」
「例の殺人現場?」
「いいや、現場は警察が見張っているから、もうノコノコ来るような真似はしない筈だ」
「じゃあ、何処に?」
「さっきの湖月静歌を覚えているか?」
「ああ、覚えているよ」
「あの子、右肩を怪我していた」
「そうなのかい?」
「肩を上げる時に、僅かながら動作が遅かったからな」
「でも、それが?」
「昨日私が〝J〟に傷を付けたのも右肩だった」
「それは、偶然?」
「いや、これから行くところにアドラーがいるなら、それは確信かな」
「分かった、行ってみよう」
白葉が、止まっていたバイクのエンジンを掛けゆっくりと図書館の敷地を走っていく。流れる風景を見ながら思うのは、彼女がこの殺人を行う理由だ。
(仮に彼女が犯人だとしても、彼女には動機が無い)
脳内で渦巻いている情報を繋ぎ合わせていく。
(法を犯すには、それなりの理由がいる……なのに彼女にはそれを行う理由がない)
だが、私の立てた犯人像に当てはまるのは、今のところあの子だけだ。
(この事件のカギを握っているのは、アドラーと彼女を保護している人物、そして〝異端の魔女〟だ)
ならまずは、アドラーに話を聞こう。そう決意して顔を上げ、目的地を見上げた。
「ここは、アドラーの実家?」
家の表札を見て、白葉の困惑の声を上げる。そこは、彼女と初めて会った場所だ。
「ああ、彼女を送り届けた時に、気付いていただろ?」
「いや、全く……」
「そうか、幼馴染みとゆう奴なのだろう、彼女が必要以上にアドラーを庇っていただろ? 恐らく古い付き合いに違いない」
バイクに乗ったままの白葉を残して、家の呼び鈴を押す。数秒経って応対したのは意外にもアドラー本人だった。
『待っていたわ、ホームズ』
「私の聞きたい事は、分かるな?」
『ええ、分かる範囲の事なら、答えるわ』
「それで構わない、教えてもらおうか」
『いいわ上がって、ただしあなた一人で来てちょうだい』
「……分かった」
それで、会話は終了しオートロックの扉が開いた。
「白葉、すまないがここで待っていてくれ」
「……分かった、僕はもしもの時の為にあれを用意しておくようにレストレード警部に頼んでおくよ」
「あれって、あれか?」
「そうだよ、何せ〝異端の魔女〟が動いているんだ、きっとあの男も動いている筈だしね」
「〝忠義の魔犬〟セバスチャン・モランか」
「うん、この間は出し抜けたけど……油断は出来ないし、今のうちにやれることをやっておきたいんだ」
「そうか、なら私は事件の核心に迫ってくるよ」
「行ってらっしゃい、気をつけて」
白葉に見送られながら、家の玄関を開ける。中は薄暗く、明かりも乏しい。
「こっちよ」
短く、まるで誘うかのような声色だ。声の方に行けば、リビングと思われる場所に出る。
「やあ、アイリーン」
そして、正面にあるテーブルの対面に制服姿で座っている女傑、アネモネス・アイリーン・アドラーに気さくな会釈をした。
中は真っ暗で、唯一の光源はテーブルに置かれた三本のロウソクだけだが、そんな神秘的な雰囲気は彼女にはよく似合っていた。
「座って」
またしても短い彼女の誘い、だが、抗い難い言葉に、言われるがまま対面の椅子に腰掛ける。
「紅茶は?」
「結構だ」
「では、夕飯でも?」
「それも結構だ、それよりご両親は?」
「別邸で寛いでいるわ」
「なら大丈夫だね、気兼ねなく本題に入ろうか」
「せっかちね」
「急いでいるからな」
お互いの笑顔の奥に、手札を揃える。
「まず私が考えた犯人像は、一つ土地勘があること、二つ女性であること、三つこの近所である事、そして親族に、ある計画の関係者がいること」
彼女は何も答えない、ただ、張り付いた笑顔を浮かべているだけだ。
だが、気にしても仕方無い。
それに、そんな事を探り合っている時間も惜しい。
「では一つ目だ、君の家系であるアドラー家は〝天壌の歌姫計画〟に関与しているな」
「YESよ……もう私のような分家には関係ないけど、本家は大層お金を掛けたみたいよ」
「二つ目は、君は犯人を知っているな?」
「それを見つけるのは、貴女でしょう?」
「違いない、だが君は犯人じゃない、現場でお得意の歌を披露した理由は――」
「「鎮魂」」
二人の声が重なる。
「だがそれだけじゃない、君はある重要な事を隠したかった、その為に疑われる危険を冒してまであの現場で詩を歌った」
「それは何なの?」
「匂いだ、女性の香水とは以外と残ってしまうものだろ? 一時間経ったくらいじゃ匂いが消えてない可能性がある、だから君が現場に行き、わざと匂いを残した。犯人の痕跡を消すために」
「香水なら、誰でも着けているでしょう? それに被害者は全員女性なのだから色々な香水の匂いが残っていても不思議じゃない」
「ところが、その香水だけは誰も持っている筈がないんだ、何せ君がオーダーメイドで作らせた特別な花の香水だ」
「なら、私しか持っていないわよね?」
「いいや、もう一人持っている人物がいるじゃないか」
「それは誰?」
「〝J〟さ、昨日奴と一戦交えた時に匂ってきたよ、君と同じ香水〝魅惑の神花〟の匂いがね」
「香水なんて、どれも同じようなものでしょう? 名探偵の貴女だって間違えることくらいあるわ」
「確かに、私の嗅覚を科学的に立証したところで、意味はないな」
手強い、再確認された……彼女こそ先祖が認めた女傑、アイリーン・アドラの末柄だという事を。
「まぁいい、では三つ目だ、この辺りは以前空き巣にあった事があるようだな」
「ええ、四年前くらいかしらね、犯人は捕まったわ」
「だが、防犯意識が根付いていて、この辺りの住人は犬を多く飼っているようだな、それに裏路地に入る扉にも防犯対策が施されている」
「それが?」
「不思議だと思ってね、この辺りで起きた〝J〟の犯行の際にどの家の犬も吠えなかった、コリーとか番犬に役立ちそうな犬を飼っているのにだ」
「偶然でしょう?」
「だが、犯行が行われた場所の近くでも犬を飼っている家はあった、なのに犬が吠えなかったのは、犯人と顔見知りだったからだ」
「それも偶然じゃない? 犬なんて育ちによっても変わるし」
「だが、番犬として飼っている以上、ある程度の訓練はしている筈だ、従って犬が吠えなかったのはおかしいと言える」
「なるほど、流石は名探偵ね……確かに、通る人全員に吠えられるといくら防犯の為とはいえ迷惑だからって、ある程度の調教はしているようだわ」
「では、最後の質問だ、君の家系が関与していたあの計画に離反した者がいる筈だ、その人は今どこにいる」
真っすぐ、アネモネスの瞳を見つめる。
「私は知らないわ、ただあの〝黒色の貴族〟がそんな奴を見逃すとも思えないけど」
彼女もその視線には答えるが、やはり何も答えてはくれない。
「だが、その関係者は〝J〟の傍にいる筈だ、でなければ〝J〟はとっくに捕まっている」
匿い、隠蔽する者がいなければ、いかに土地勘があるとはいえ警察の目を欺き続けることは出来ない。
「それは恐らく、あの告発文を書いた科学者の血縁者だ、だが庇い続けるには愛がなければ出来ない、その人は〝J〟を愛しているのだろうな」
「肝心な事が抜けているわ、その犯人とは誰の事なの?」
「君こそまだ惚ける気か? 君は、この家からあの子を監視しているんだろ? だから現場に誰よりも早く駆けつける事が出来た」
そして、私の持っている切り札を出そうとした時だった。
『シャル、例の科学者が動いた』
無線から白葉の声が届いた。
「一人か?」
『ああ、買い物に行くって感じじゃないね』
「尾行出来るか?」
『やってみる』
「頼む、私もすぐに行く」
『ターゲットは僕達の座標で、F―12ブロック方面に向かっているからね』
「了解だ」
通信が終わり、改めて彼女の方を向く。
「相棒さんから?」
「ああ、例の科学者が動いた」
「なら殺される前に早く行った方がいいわ、いい加減、薬も効かなくなり始めているし焦っているのね」
「例のワクチンか」
「試作品だけど、あと、正確にはワクチンじゃなくて、ナノマシンだけどね」
「それが効かなくなるとは?」
「耐性が出来てしまうってことよ……貴女、魂は信じる?」
「唐突だな……私は科学の徒だ、確かな根拠があるなら、信じるが?」
「あると仮定して、一つの体に二つの魂は存在できない、また、片方の魂が悪さをしても記憶を完全に消すことは出来ない、なにせ何かを得るための情報源が一つしかないんだから」
「だから?」
「分からない? 体は一つなのだからいくら薬で記憶を消そうと、いずれは片方に流れ込んでしまう」
「つまり、二重人格障害のようなものか」
「科学的に言えばね、けどそれより、もっと生々しいものよ」
そして、瞳を揺らしながら、彼女は言った。
「血の呪縛……遺伝子には逆らえないってことよ、貴女のようにね」
「なるほど、覚えておこう」
椅子から立ち上がり、白葉の後を追う。
多分、これ以上突っ込んで話しても有益な情報は得られないと思う。それに、この機会を逃しても彼女は逃げも隠れもしないはずだ、まさに誇り高き雌豹。
「最後に、私からのお願い」
振り返らずに、歩いたまま彼女の願いを聞き届ける。
「あの子を止めて、あの子は可哀想な子なの」
それには答えず、首肯だけで返した。家から出て、白葉の後を追おうとした時、丁度いいタイミングで白葉から通信が入った。
『すまない、撒かれた』
「そうか、まぁ気にするな」
『やれやれ、僕も少し疲れているのかな……』
あいつの頭を掻く姿が容易に想像できた。
「仕方ない、一旦落ち合おう」
『了解だ、回収場所はF―09ポイントでね』
その後、白葉と合流した私は情報整理の為に署に戻ることにした、だが、やけに道が混んでおりアイリーンの家から一時間以上経ってから署に着いた。
着くころには夜の八時を回った所で部屋に入るなりベッドに直行する。
普段なら咎められる所だったが、白葉は何も言わずに最寄りの椅子に腰かけた。
「やれやれ、今日はやけに混んでいたな」
「そうだね、お祭りでもあるのかな?」
「祭、か……」
あの人混みは苦手だが、あの活気に満ちた空気は苦手ながらも、不思議と高揚させられるものがあった。
「どうしたんだい?」
「べつに……何でもない」
ベッドの心地良さが、疲労が溜まっていた体に睡魔を呼びよせる。手の甲がひんやりしていて心地いい。
(丁度いい、少し仮眠でも取ろうかな)
白葉は何も喋らない、静寂がさらに私の瞼を重くする。
そんな睡魔が呼び寄せたのは、幼い時の記憶、私がまだ中学生の時の、苦くも、温かい思い出だった。
執筆者 緋芽花(追記)
「ハロウィンパーティー、ですか?」
今は午後三時過ぎ、今日は確か十月三十日。
(この日は地元の小・中学生の子供達が各々お化けに仮装して各家を回り特殊な呪文を言ってお菓子を略奪する日だったと記憶している)
「いやいやシャルよ、楽しい催し物を略奪行為と一緒にするのはよくないんじゃないか?」
私の思考を呼んだ父は、真新しいビデオカメラを磨きながら呟いた。
ロンドンのあらゆる事件を解決してきた先代のホームズである偉大な父なのだが、今ではすっかり子煩悩と化しているのだ。
はっきり言おう、頭が切れるだけにとても対処が面倒なのである。
「そのカメラはいつ買ったんですか? 最新モデルの様ですが?」
「ああ、この日の為に新しく新調したんだ」
「何の為にですか?」
「それは、シャルのコスプレを後世に残すために買ったに決まっているじゃないか」
「育児日記じゃないんですから、あと仮装をコスプレと言い直さないでください」
「いいぞ、魔女っ子は~シャルみたいな可憐な娘がこれを着て似合わない筈はない! だから、この衣装を着てハロウィンパーティーに参加しなさい」
そう力説しながら取り出したのは、上下黒色の下はミニスカ、上は背中の空いたドレスとゆう何ともふざけた衣装だ。
魔女らしいといえばとんがり帽子と腰のあたりまであるマントの部分だけである。
秋も終わろうかとゆうこの時期に、この格好を娘にさせて恥ずかしくないのだろうか。
「嫌です」
「即答だと!? では拒否の理由を述べよ!」
「出なければならない理由がありませんし、これから学校の課題を終わらせたいので」
「課題とパーティー、どっちが大切なんだ!」
「課題です」
「学校でやりなさい」
「父親のセリフじゃありませんね」
「では夜にやりなさい」
「本当に親の言う事じゃありませんね、あとパーティーが終わるのは夜の八時じゃありませんでしたか? 明日、授業がある子に夜更かしを進めないでください」
「これは、お前の為でもあるんだぞ!」
「いい迷惑です」
(本当にいい迷惑だ)
実のところ、父の思惑は分かっているのだ。
代々、異常なまでの観察眼を有するホームズ家では観察眼の制御と鍛錬の一環として人混みに慣れさせようとする習慣があるのだ。
兄はそう言った苦労はしていないらしく受けた事は無いらしいのだが、私はまだその制御が上手く出来ていないのだ。
だからこれは訓練の一環でもある、それは理解している。
だが余計なお世話だ。
私には、私のやり方があるのだ。
「私はいきませんから」
「頼むよ~これを着ておくれよ~」
「いい大人が涙目でお願いしないでください、イラッとします」
「衣装を作った母さんも泣くぞ、いいのか?」
「母上のお手製ですか……てゆうか、グルだったんですね」
母は今日、婦人会の旅行に出かけているから一日不在である。
いつも唐突に居なくなる兄は何処に行ったかは知らない。
だから、この父の暴走を止めるのは私の役目なのだ。
「母上のお手製だろうと、着ませんし、いきま――」
そう言いかけた時、家の呼び鈴が鳴った。
父は、デスクに備え付けのモニターで来訪者を確認する。
「おお! 来たか、入ってくれて構わないよ、私達は書斎にいるから」
それだけ言って、父はモニターを切った
「父上のお客さんですか?」
「そうだが、君にも関係する人だよ」
「私にも?」
眉をひそめて、来訪者の靴音を確認する。
数は一つ、コツコツと木張りの床が鳴っているから、おそらく革靴で来ている。
足音は真っ直ぐ書斎に向かってくるから、何度もこの家に足を運んできているとゆう証拠だ。
(早足で来ているとゆうことは、父との待ち合わせの時間ギリギリだったとゆう事か、だが父の表情に変化はなかったから別に大幅に遅れたとゆうわけではないようだ)
(多分、この客は時間の規律を厳守する人間の様だ。それもいたって気真面目な人柄だろう)
(軍人かあるいは政治家か……確かに、それならば父の仕事の関係でそういった方面の人達とも面識があるから私が知っていても不思議じゃない)
そして気配が扉の前に立った。
それと同時に、木製の扉にノックが響いた。
(音が僅かに曇っていた……手袋をはめているから、やはり軍人かそれなりに教養のある人、上流階級の人間の様だ)
手袋をはめていることからして、少なくとも一般の客ではないようだ。
「入りたまえ」
「失礼します、シャルを迎えに来ました」
ちょっと待て、この声はまさか!?
「父上!?」
「今頃気づいたのか? まだまだ青いな、我が娘よ」
(くそっ! 今すぐそのドヤ顔を殴りたい!)
だが、それと同時に私は諦めていた。
どうやら私に、行かないとゆう選択は無くなってしまった。
入ってきたドラキュラ伯爵の格好をした白葉の、ほのぼの笑顔を見てしまったのだから。
場所 パーティー会場
「本当に似合っているよ、シャル」
「それはどうも」
あえて淡白に返す。
そうすれば、出かける時に散々父に写真を取られまくった事を少しは反省してくれると思ったのだが――
「いや~しかし、まさかシャルが自分から催し物に出るなんて言い出すとはね、僕も嬉しい限りだよ」
この様に、白葉には私の嫌味は届いていないようだ。
それと私は断じて言っていない、これは二人の両親が仕組んだ罠なのだ。
(だめだ、足がスースーして落ち着かない)
学校指定の以外のスカートを滅多に穿かない私は、馴れないミニスカに赤面をしてしまうのだ。
無意識の内に股になってしまう、そんな仕草をこの男は――
「寒いのかい? 辛かったら言ってくれ、上着を貸すからさ」
この様に、的外れの心配に少しイラッと来るが、この笑顔は本気で私を心配していると分かっているだ けに、何も言えない。
「お、そろそろかな?」
公園の中央にある柱時計の時刻は夜七時、あと三十分ほどでメインである仮装者達がお菓子をもらうために町内を歩きまわるイベントが始まる。
だが、私はこのパーティー会場に着いてからとゆうもの一刻も早くここから逃げ出したかった。
「どうしたんだいシャル、せっかくのパーティーなんだから楽しまなきゃ」
「……」
白葉の声が遠い。
(ああ、あの狼男は私のクラスメイトだな、その隣にいる魔女の三・四人の一団は同じ学校の上級生だ)
私の無意識が、会場中の情報を拾っていってしまい視界は右に左にせわしなく動いてしまう。
(あの出店の店主は日本人か、ああ、五歳位の妖精がりんご飴を落として泣いている)
ダメだ、制御しなくてはと意識すればするほど、今度は聴覚までも鋭敏になっていく。
(「ママ~早く~」「はいはい、待って下さいね」「ねえ彼女~この後、暇?」「すいません友達と来ているんで」「いいじゃん、行こうよ、友達と一緒にさ」「どうして分かってくれないの!?」「おいおい何を言い出すんだ?」「さっきあの子を見たでしょう!」「見てないよ、僕は君しか見てないよ」「パパ~あれ買って~」「いいぞ、どれがいい?」「あのお面!」「分かったよ、すいませんあれください」「はいよ!」「お譲さん可愛いね、一個サービスするね」「あはは、ありがとうおじさん」「ははは、何でフランケンなの?」「いいだろ、別に」「まぁ、似合ってるからいいけど、あはは!」)
脳内の処理が追いつかない、会場のBGMや人々の笑顔までもが私の邪魔をする。
「シャル、大丈夫かい? 顔色が悪いよ」
(「シャル? シャル!?」「あはは」「あはは」「あはは」「あはは」「あはは」「はは」「はは」「あはははは」「あはははは」「あは」「あはは」「シャル!?」「ははは!」「ははは」「あはは」「ははは!」「あはははは」)
「シャル!!」
その耳元で響いた声が止めになった。崩れ落ちる体は、大きな腕に支えられた。
「あっ……はく――ば……」
その後の事は分からない。
けど、気が付いた時には見知った寝室の天井を見上げていたからだ。
「いっつ!」
ズキリとこめかみの辺りが悲鳴を上げた。
どうやら、まだ起き上がれそうにない。
「今は、深夜一時位か」
体内時計で時間を予測し、次に部屋の壁時計を確認しようと首を動かした。
「何をやっているんだ? こいつは……」
そこにあったのは、無機質な文字盤ではなくよく見知った奴の寝顔だった。
後で聞かされた話だが、倒れた私を抱えて家まで血相を変えて走ってきた白葉は家の連中の忠告も聞かずに、ずっと私を看病していたのだと父に聞かされた。
「まったく、お前が悪いわけじゃないのにな……」
その寝顔に月の光が当たった。
本当に苦悶の表情が似合わない男だ。
「大丈夫だよ、白葉……」
そっと寝顔に触れると安心したような表情になる、そのまま伸ばした手をシーツがしわになるほど握りしめていた手に重ねた。
「おやすみ、白葉」
綺麗な月に見守られながら目を閉じた。
手の平にある温もりが私を包み、いつの間にかこめかみの悲鳴は無くなっていた。
執筆者 緋芽花 八月十五日(土) PM7‥40
「ああ、どうやら今日は花火大会があるようだ」
白葉の声が僅かな微眠みから意識を引きもどした。
時間にして十分位だろうか? 横を見れば電子端末で情報を検索していた白葉が目を輝かせながら呟いた。
「面白そうじゃないか、行ってみるかい?」
「白葉、分かっているだろ? 私は――」
「でも、君だって行きたいだろ?」
「それは――」
「大丈夫……僕がいるよ、言ったよね、何時でも君の傍にいるって」
本当に、この男のこの無邪気な笑顔には敵わないな。
「では、行くとしようか」
「了解だ」
白葉が先を行く形で、扉に手を掛けた時だった。ドアノブが、白葉が回す前に回転した。
「何だ、出掛けるのか?」
入口にいたのは、担当から外れた炬警部だった。顔の傷は目立たなくなってきたが、体の方からは、消毒液の匂いが漂ってくる。
「警部、怪我はもういいんですか?」
「ああ、お前が現場で応急処置してくれたおかげで、良好に回復中だ」
「そうですか、それは良かった」
「でだ、見回りの人数を増員してもらった、そこで今日お前たちには、大人しくしてもらうぞ」
「何故です?」
「お前達は部外者だ、他に理由がいるか?」
「ですが、そんな事を言っていられる状況じゃないのでは?」
「しかも、今日は年に一度の花火大会がある、そんな日に殺伐とした事件に関わる必要はない、お前たちには息抜きが必要だ。あれから満足に休んでないんだろ?」
「炬さん……」
「分かったらさっさと出かけて来い、もっとも、最初からそのつもりだったみたいだがな」
「はい、ありがとうございます」
「それから緋芽花、君用の浴衣を用意してもらったから、よかったら着ていけ」
「いや、私は……」
別にそこまでする必要性は無い、どんな格好で行こうと祭りは楽しめる。
「いいじゃないか、せっかく用意してもらったんだからさ、それに――」
「そ、それに?」
「君の浴衣姿、見てみたいしさ」
「はぁ……分かったよ、郷に入れば郷に従え、か」
「決まったんなら、一階のロビーに女性の警官を待たせてあるから、着付けてもらえ」
「何から何まで、ありがとうございます」
「気にするな」
それだけ言って、炬警部は出ていった。何でも、今日は妹の手料理が食べられるらしくいやに上機嫌だったと着付けを手伝ってくれた婦警さんが教えてくれた。
「へぇ~! よく似合っているよ、シャル」
これが、着替え終わった白葉が最初に言った言葉だ。生地の色は私の好きな緋色、帯はレモン色で、どちらも温かな色である。
髪を結わえようとも言われたが、流石にそれは断り、代わりに赤椿の髪飾りを貸してくれた。ロビーの綺麗な廊下に、下駄のカラカラとゆう音が響く。
「本当によく似合っているよ、シャル」
「うぅ……」
「シャル?」
「何時まで見ている、早く行くぞ」
白葉の視線が、何故かむずかゆくてスタスタと早歩きで出口を目指す。
「ちょっと、どうしたのさ!?」
後を追う白葉を気配で感じながら、湖の方に向かう。署からだと、駅の裏を経由した方があまり混み合わずに済むという炬刑事の助言を頭に置きながら、この周囲の地形を頭に記憶していく。
それから、すれ違う人々の癖のなど余計な情報も流れ込んでくる。
「どう? 今のところ」
それは私の体調の事なのだろう、正直なところ辛くはあったが我慢できないほどではない、それに何時までも人混みに不慣れでは捜査に悪影響を及ぼしかねない。
少しでも、人混みに慣れておきたい。
「大丈夫だ、だが、この着物とゆうのは中々に興味深い」
着物得有の、腹部の圧迫に最初はなれなかったが徐々に慣れ始めた時だった、約二メートル先の細い路地から四人の男達が出てきた。
地元の住人しか知らないような道から出てきたとゆう事は、恐らく花火大会に行く連中だろう。
その男達が私達を視界に収めた時、歪な笑顔で通じ合う。
「おい、てめぇら外人か?」
「外人がでかい顔をして歩いてんじゃねえよ」
「そうそう、どうしても歩きたいなら金落として歩いてくんない?」
「ねえちゃん、結構可愛いじゃん、ちょっと顔貸せよ」
「……あなた達、いきなりそれは失礼じゃなんじゃないですか?」
すると、白葉が私を庇うように前に出る。
「白葉?」
「大丈夫、まかせて」
白葉が笑う。
長年付き合っている私だから分かるが、あの笑顔の時は結構怒っている。
「おー紳士だね~」
リーダー格の男が、からかいの声を上げる。その挑発に、白葉が挑発で返す。
「そうですね、そこの路地の中で話しませんか? ここだと迷惑が掛かりますし、出来れば一度に済ませたいので、四人まとめてどうぞ」
四人の怒気の表情が面白いくらいに重なった。
「いいぜ、話そうか」
前に二人、後に二人と完全に囲まれる形で路地に入っていく。
それからすぐに物音が聞こえ始めた。
「大体、十分かな」
私の予想は、結構当たる。体内時計、十分ピッタリで白葉一人が出てきた。
「すまない、待たせたね」
「いいや、全然」
再び並んで歩きだす、ちらりと路地の中をのぞけば目を回して縄でぐるぐる巻きにされている四人の男達を発見、よくあの十分間にあれだけ顔の形が変形するほど殴れる物だ。
「ところで、体調は大丈夫? 着物には慣れた?」
「ああ、この締め付けにもだいぶ慣れたよ」
あんな事の後なのに、私の心配をする白葉に思わず顔が綻ぶ。
「そ、そうか……」
何故か少々赤い顔をしながら返事が返ってきた、だが歩きにくい下駄を履いている私に歩調を合わせてくれている。
「ふーん」
「ど、どうかした?」
「何でもないよ」
二ヤけていた顔を見られて、少し恥ずかしいくなって前を歩く。
「ほら、元気でしょう?」
「……確かに――こけないでよ?」
「大丈――にゃ!?」
そう子供みたいな注意をされて、ムキなって反論しようとして振り向いた時、反対から来た人にぶつかりそうになってしまった。
「シャル、大丈夫?」
「な、何とかな」
この年になって尻餅をつくとは思わなかったが。
「だから、前を見て歩こうって言ったんだよ」
呆れながらも手を差し出してくれる。
それを受け取りながら、服に付いた汚れを払う。
「変じゃないか? 乱れてないか?」
「別に、何処も変わってないよ」
「本当に?」
「無理して嘘吐いてどうするんだい? 相変わらず、綺麗だよ」
(……全く、無理をしているのはどっちだ)
僅かに顔緒が引き攣った。
多分腕を痛めているな、きっと、あの路地で襲われた時だろう。
「……白葉、おまえって奴は……」
(無理をしているはどっちだ、いい加減お前こそ私を心配させるな)
「? 何か言ったかい?」
「何でもない、おい白葉、お腹空かないか?」
「ん? そうだね、ちょっと空いたな」
「じゃあ、警部に聞いたおいしいピザ屋があるんだ、今から行かないか?」
「ピザ屋? 駅はいいのかい?」
「大丈夫だ、その店は駅前にあるらしい」
「そうなのか……なら、シャルに任せるよ」
「決まりだ」
いい返事をもらって、白葉の一歩前に踊り出る。
「おい、早く行くぞ!」
「はいはい、また急ぎ過ぎてこけないでよ?」
急かせる私、それを苦笑いで白葉が追う……決して速くはないけど、私の後を確かについてきてくれる。
これが、安心感なのかも知れない。
「どうしたの? 前見てないとまたこけるよ」
「むぅ……だったら――」
この私を子ども扱いしている事に少しムッとした、だから恥ずかしがると分かっているから、手を握ってやった。
「ちょっとシャル!?」
「さっさと行くぞ! その店、結構混むらしい」
急かすように、手を引く。白葉がこけそうなろうとお構いなしに引っ張っていく。
こんな無邪気になるのは生まれて初めてだ、たぶん祭りの雰囲気がそうさせるのだろう。
そう、祭とは一つの特異点だ、日常とゆう基準からは観測できないほどの活気と興奮が得られる。
だが、そんな特異点に生まれた、開幕から終焉までを描く劇には、必ず山場があるものだ。
そして、悲劇には人の死が付き纏うものであることを私達は痛感させられたのだった。
執筆者 湖月 静歌氏
図書館の一件から一言も喋れなくなってしまった望美を家まで送り届けて、一人家路に着く。
今年は、花火大会には行けそうもない。
「あーあ、何なのよ! もう!」
一人で頭を掻き毟っても、いい答えは見つからない。
家に帰ってくるなりベッドでのた打ち回ってみても、当たり前の話ではあるが状況は良くならない。
「そうだ、あれ呑まなきゃ」
それは小さな頃から、家から帰ってきたら必ず飲むように言われてきた小さな白色の錠剤だ。
何でも、特別な薬の様でいつもセフィリさんが用意してくれている物だ。
年齢を重ねるごとに飲む量が増えてきて、今では六粒も呑まなきゃいけなくなってしまった。
「ふぅ~これでよし」
どうせセフィリさんは帰りが遅いんだし、少し仮眠を取ろう。
そう思い、ベッドに寝そべって睡魔に身を任せる。
その日は、悪夢を見る事もなく熟睡してしまい、私はセフィリさんに起こされるまで眠り続けてしまった。
時計を見れば今は十一時を回わった所だった。
「セフィリさん?」
「静歌、起こしてごめんなさい、貴女にどうしても言っておきたい事があるの」
「いきなり何ですか?」
「静歌、何か困った事があったら、アネモネスに相談しなさい」
いきなり何を言い出すのだろう、それに艶のあるセフィリさんの肌が青ざめているような気がする。
それは、月明かりだけのせいじゃない。
「セフィリ、さん?」
「遅刻しないように早めに寝なさい、夜更かししちゃダメよ?」
何、だろ……この血生臭い匂い。
「朝食は毎日食べること、三食きっちり食べること」
「? セフィリさん――」
暗がりで気付かなかったけど、この臭いはセフィリさんから漂ってくる。それに、扉からベッドに続いている赤い線は、なに?
「他にも色々言いたかったけど、どうやら……お別れね」
儚げに笑った後、ごふっとセフィリさんが咳きこんだ。
その時、私の顔に霧のような赤い液体が掛かった。
「愛しているわ、静歌――私の天……使――」
そして、私を抱きしめるように倒れたセフィリさんは、頬擦りしてくることもなく、動かなくなった。
十秒後、現実を受け入れた私は――。
「うぁああああああああああああああん!」
セフィリさんと抱き合いながら、アネちゃんが来るまで泣き続けた。
執筆者 白葉
はっきり言って感嘆の一言だった。
空に上がる大輪は、大気を震わせる音共に消えていった。
「今日は微風が吹いているな、これなら、適度に煙をどかしてくれるだろう」
シャルの声も、途中で掻き消されてしまったが横顔を見る限り、花火に見入っているようだ。
シャルだけではない、行き交う人々の中で誰一人として下を向いている者はいない、みんなこの祭りを楽しんでいるようだ。
だが、一部の人々は人混みの中を見ていた、獰猛な狼達のように。
「凄い警官の数だね……」
「倍どころの話ではないな、おそらく四倍はいる」
「そんなに?」
「ああ、私服警官も含めればな」
力の入れ過ぎにも感じられるが、三十人以上の警官で包囲しても逃げられたのだから用心に越したことはない。
見ると、その中にはレストレード警部の姿もあった。
「けど、本当に〝J〟の正体はあの子なのか?」
「現状だけ見ればそうだ、だが確たる証拠は上がっていない、アドラーからも直接犯人についての証言は得られなかった」
「そうか……」
視線は花火に釘付けだが、警察の姿がちらつく度に殺伐とした雰囲気にさせられる。
「花火、綺麗だな……」
「そうだね」
「まるで人の命を表しているかのようだ、恐らく事件で亡くなった人達の鎮魂の意味もあるのだろう」
だから、殺人鬼が出ると分かっていながら花火大会を開催したのだろうと、シャルは言った。自称科学の徒に似合わない、温かな感情論だ。
「だから、白葉……」
「うん、分かっている」
彼女の言わんとする事を汲み取る、そして盗み見た彼女の瞳に映った、激情の色に思わず見惚れてしまった。
「絶対に、捕まえるぞ」
強い光を瞳に宿したシャルを見つめていると、視界にあの女性が映った。
僕が撒かれた、あの家に住んでいた人だ。
「シャル、先に帰ってくれ」
「白葉、どうした?」
「あの人がいた、多分例のワクチンを取りに行くんだと思う」
「待て、一人じゃ危険だ」
「大丈夫だよ、潜入先だけ確認したらすぐに戻るから」
「……分かった、何かあったらすぐに連絡を寄こせ、私も着替えてすぐに向かう」
「了解」
僕だって無理をするつもりはない。
だが、これ以上後手に回ってしまうと被害はさらに大きくなるだろう、それだけは避けなきゃいけない。
幸いな事にそれほど距離は離れていなかった為、すぐに見つけることが出来た。
(予想通り、F―12ブロックに向かっているな)
あそこら辺は確か廃工場が多くあったはずだ、多分そのうちの一つを無断で使用しているのだろうな。
(装備をしてこなかったのは、まずかったな)
今の装備は、ハンドガン一丁にスペアが二本と少し心許ない気がするが、僕の本来の愛銃はシャルのフォローに使うと決めているから今はこれで行くしかない。
五メートル先の彼女の姿が鮮明になるにつれて人気も消えていく、やがて彼女の背中を視界に捉えられる時には人の気配は無くなり、代わりに現れたのは得体の知れない重圧が津波のように押し寄せてきた。
まるで、闇とゆう壁が迫ってくるかのようだ。
科学者が入っていった工場は、外見は明らかに廃工場だ。だが、入っていった扉は軍でも使われている 最新式の物だ。
(余程、大事な物があるらしいな)
念のため、科学者の入っていった工場の座標と写真をシャルの携帯電話に送信しておこうと思い、電子端末を開く。
メールで、座標と写真を添付し送信ボタンを押す。
待ち時間などほんの二秒ほどだ、だが人が人を襲うのに二秒とゆう時間は長過ぎるのだろう。
ましてや相手は――
「こんばんは、いい月夜ですねワトソン先生」
頭上から掛けられる死神の声、完全な不意打ちの攻撃を避けられたのは軍で培ってきた経験と勘があっての物だ、それがなければ今頃はあのナイフが僕の脳天に風穴を開けていただろう。
転がるように前のめりに倒れる僕を静かに見下ろす影。
そう相手は、真っ黒なローブを着た伝説の殺人鬼だった、シャルの報告にあった様な加工声は使っていない様だ。
なるほど、確かに声はあの子に似ているが姿が見えない以上断定は出来ない、僕はシャルのような鋭敏な耳は持っていない。
「ジャック・ザ・リッパー、何故お前がいる」
「さぁ何故でしょう、まぁ強いてゆうなら、散歩ですかね」
「ナイフを持ってかい? 随分、物騒な散歩だ」
「護身用ですよ」
「その割には、刃渡りが随分長いじゃないか、法令違反だよ」
何とか転がって間合いを空けたとはいえ、三メートルの間合いなどこいつ相手では意味を成さない。
そうなると、頼みの綱はさっき頼りないと酷評してしまったハンドガン一丁だけだ。
腰に差してある拳銃を手で確認しつつ、安全装置に指を掛ける。
「さて、君と話す機会が不本意にも現れたわけだし、色々聞きたい事があるんだ」
「何かな?」
「どうしてこんな事を?」
「血の呪縛、かな」
「血の呪縛?」
「やれやれ、ホームズと違って一を聞いて十を知る能力は無いようだね」
「悪かったね、僕は彼女とは違うんだよ」
非凡な才能しか持っていない僕は、シャルのような人の考えには至れない、だからこそシャルは孤独になってしまうのだ。
「でもだからと言って、僕が何も出来ないと思ったら大間違いだよ」
「何が出来るんだい、君にさ」
「聞いた感じ、今の君はヴォイスチェンジャーを使っていないね、ならその声は肉声と言う事になる、さらにあの科学者の居場所はシャルに報告したし、もうすぐ来るだろうさ」
「あの女、つけられているとも知らずにのこのこ此処を嗅ぎつけられるとは、役立たずが」
「彼女を見つけられたのは偶然だしお陰で君の正体もこれで分かる、所で、君がここにいるのは偶然か?」
「いや、私がここにいたのは必然だ」
「とゆう事は、あの科学者を始末しに来たって事かい?」
「……先程の言葉は訂正しよう、君は優秀な助手だ」
「それはどうも」
「いい加減この体の主にも飽きた、変わりたいと願望を抱いているくせに肝心なところで尻込みするような臆病者に付き合うのはもう懲り懲りだ、さっさとあの女を殺して、この体を乗っ取るとしよう」
「そうはさせないよ、彼女は大事な生き証人――絶対に殺させはしない!」
そう叫んで、勢いよく体を反転させ科学者の入っていった扉に向かう、だが〝J〟が追いかけてくる気配がないのが不気味だ。銃を構えて、背後からの攻撃に意識を向ける。
「いいだろう、鬼ごっこだ、十秒数えるうちに逃げろ! 日本で鬼は、人を喰うものらしいぞ!」
〝J〟の愉快だと言わんばかりの嘲笑が響いた、そして闇に奴が飲み込まれた時に響いた、宣告。
「さぁ、狩りの始まりだ」
後からの声に恐怖しながらも目の前の扉を目指す、あれだけ強固な扉なら物理的に壊すのは不可能だ、少なともあの中に入っている以上は彼女の無事は確保される。そう判断して、隠れる場所の多い機械が並ぶブースに向かう。
「遅いよ、先生」
「くっ!?」
ぞわりと、背中を舐め回されるような感覚に恐怖し視線を送ると、自身の影かと重なるように付き纏う〝J〟の姿があった。
(速過ぎないか!?)
僕はそれなりに足の速い方ではあるけど〝J〟は十秒たってから余裕で追い付いてきて、しかもこの暗闇の中にいる僕をいとも簡単に見つけ出した。
やはり、百年前のロンドンで犯行を重ねていた時も真夜中に犯行を行っていた、夜目には慣れているとは思っていたけど、これ程とは。
(下手に銃を撃つわけにはいかないか、なら)
胸ポケットを探り、仕込んであった物を起動させる。
「全く、期待はずれだよ」
「! くぁ!?」
〝J〟嘆息が漏れたのと同時に左肩に鋭い痛みが縦に走った、思わず前のめりに倒れそうになるのを何とか受け身を取るが、勢いを殺しきれずに二回転ほど転がってしまった。
(出血が酷い、傷も深いか!)
慌てて自分の現状を確認する、致命傷はとりあえず左肩だけだ、受け身で出来た擦り傷自体は問題なさそうだ。
「余所見をしている暇はないぞ!」
〝J〟の攻撃は続く、斬られた左肩に鋭い斬撃が飛んでくる、それを銃身で受ける。
こと接近戦に置いて、二次元的な攻撃しか出来ない銃はその鋼鉄製を生かせば立派な打撃武器となる。
「なるほど、銃による近接戦闘も出来るのか」
「すごいだろ?」
「だが、君を見る限り得意ではないんじゃないか?」
「試してみるかい!」
膠着していた全身を、銃身を滑らせるようにいなしそのまま顔めがけて銃による打撃を試みるが残っていた体を曲げて見事にスウェーでかわされてしまう。
そして、がら空きになった胴に前蹴りが飛んできて、避ける事も出来ずそのまま吹き飛ばされてしまった。
それに、どうやら靴に鉄の仕込みがしてあるようだ。
(二メートルは飛んだかな、肋骨が二本亀裂、一本が完全に骨折)
倒れたままの状態で自身の体を確認する、満足に動く事も出来ないでいると近くで足音が聞こえて、ぼやけた視界で敵を確認する。
表情は窺えないが、敵は僕を嘲笑っている事だけは分かった。
避ける時もそうなのだが、この無駄を排除した動きは古武術得有の物だ。
無駄なく、敵を仕留めるための技術。
「やれやれ期待はずれだよ、そんな短調な攻撃しか出来ないのか?」
悔しいが、この距離の僕では〝J〟に勝てない。
だからこそ――
「僕には、僕の仕事がある」
「君に、何が出来るの?」
「そう例えば、君の声紋を記録して警部に送る事とかね」
そういって誇らしげに、胸ポケットに忍ばせていたボイスレコードを指差す、もしもの時の為に常に忍ばせている物だ。
最初に斬られた時に電源を入れ、さり気無く声の届く位置にまで転がったのだ。
「ついでに、動画も撮ってあるから、君の体の動きもシャルの参考にさせてもらう事にするよ、これはリアルタイムで自動送信だから、この端末を壊してもデータはとっくにシャルの元に届いている」
「……やられたよ、君は中々に強かだね」
そう呟きながら、逆手に持ち直したナイフを掲げた。
「さようならワトソン先生、この体の主は君の事を――」
「やめなさい!!」
掲げられたナイフを見つめていた僕が、驚きで目を見開く。
大声を出した人物は、すごい剣幕で高く上がった腕にしがみ付いていた。
だが、体格はしがみ付いた女性の方が大きいのに腕を下げさせることが出来ない、言うまでもなくしがみ付いていたのは例の科学者であるセフィリ博士だった。
「邪魔をする気か?」
「そうよ! 今までの殺人はあの子の望んだ事なのかも知れないけど、その男を手に掛けることは望んでいないわ!」
「そんな事、お前に分かるのか?」
「分かるわよ、私はこの子の――」
そう言い終わる前に、銀色の線が彼女の目の前を通り過ぎた。
「私の、何なのだ? 私はお前の事など、どうでもよかった」
「かはぁ!」
霧のような、小雨のような血が彼女の口から飛び出した、鎖骨から、腹までを一気に斬られたのだと、 前のめりに倒れていく被害者さえ気付くのに時間が掛かるだろう。
それ程躊躇いなく、無慈悲に切られたのだ。
だが、彼女は〝J〟の体にしがみ付き、おもむろに手に握っていた注射器を取り出した。
それを見た〝J〟は慌てて振り解こうとするがそれよりも早く注射器が〝J〟の心臓の近くに刺さるのが見えた。
「おのれ、死に損ないが!」
「冗談じゃないわ、あんたみたいな殺人鬼は私の子じゃない!」
「くっそ――」
注射が刺さり、崩れ落ちる〝J〟の体を抱きとめた博士がふらつく足取りのまま〝J〟を抱えて立ち去ろうとする。
だが、今も彼女からは夥しい血液が流れている。早く止血しなければ命が危ない。
「まって――」
搾りかすの声を出して呼び止める。すると、博士はこっちらも向かずに答えた。
「研究所の鍵は開けてある、あそこに行けば全てが分かるわ」
僅かな間のあと、彼女は言った。今にして思えば、それは遺言だったと分かる。
「この子を、お願いね」
その後の事は分からない、だが、幸運にも助かったらしく僕はこの事件の結末に立ち会う事が出来た。
けど、セフィリ博士だけは結末を見届ける事が出来なかったようだ。
それは本人にとっても、僕達にとっても加害者、被害者にとっても、悔いの残る結末だった。
(追記)執筆者 セフィリ博士
ここに記すのは、懺悔の記録だ。
私の家系は代々遺伝子を研究する一族だった、それなりにお金も稼いでいたらしく、私は全く不自由した覚えが無い。
特に祖父は、ある大きな研究に関わっていたらしくて研究から離れた後も莫大な報酬で生活に困ることはなかった。
だが、私が十歳の誕生日の時、祖父が私にくれた誕生日プレゼントは少し変わった物で、それは黄緑色の液体で満たされた小さな試験管にコルクの栓をしたネックレスのようなものだった。
「これ、なに?」
「お守りだ」
「お守り?」
「もしわしに何かあった時、それがきっとお前を守ってくれる」
その答えを知るのは、それから二十年後の誕生日の日だった。
その日は、とても強い雨が降っていて雫が玄関にまで吹き込んできていた。
もうケーキを囲む歳でもなかったので家族からプレゼントをもらって部屋で寛いでいると玄関が開く音が聞こえた。
どうやら誰かが会話しているようだ。外は大雨の筈なのにその主が祖父だとはっきり分かったが相手の声は聞こえなかった。
「はやりここを嗅ぎつけたか〝黒色の貴族〟の差し金だろ?」
「……」
「裁かれるのはわしだけでいいだろ、家族には手を出さないでくれ」
「……」
「頼む」
「……」
「それは都合が良過ぎるか、だが……お前を封じ込める術は知っている、いくらモリアーティ一族といえども主任の私がいなければワクチンに対する免疫を作ることは出来ていない筈だ」
「……」
「わしらは取り返しのつかない事をした、これから先、恐らく多くの血が流されてしまうだろう、君らの手によって、そして君の意志とは関係なしにね」
「……」
「だから、君が手を汚すのはわしで最後にしてくれ――」
会話の内容は分からなかったが、不安に駆られ扉を開けた。
それと同時に、落雷が家の明かりを奪い去った。
「おじい様!」
私の声に顔だけ振り向いた祖父は、最後に儚げに笑って前のめりに倒れる。
玄関のカーペットには大量の血液が染みついていた。
「父さん! 母さん!」
恐怖に駆られた私は、両親を呼んだが返事はない。
「まさか!」
急いで二階に上がり父の書斎を開けたが、そこにあったのは吹き荒れる風と血の海に沈む父と、腸を引き裂かれた母の遺体が横たわっていた。
私は、声もあげられないままその場に座り込む。
だが階段の闇がゆらりと揺れた気がして何も考えられぬまま駆け降りて自分の部屋へと逃げ込んだ。
息を整える暇も惜しんで、研究で使っている机の引き出しを開け、中から例の試験管を取り出す。
「これ、なの?」
確証はないが今は迷っている暇はない、その液体を全て注射器に流し込み終える頃に揺れながらこちらに来る人影を眼球が捉える。
その子は、まだ年端もいかぬ可愛らしい少女で、身に着けているものは雨の雫と手術着のような衣服と飾り気のないナイフだけだった。
雨水と血に濡れた顔で私の所まで来た少女は、か細い声で言ったのだ。
「お母さん……」
確かに聞こえたその声に押された私は、ナイフが私に届く前に注射器を少女の胸に突き立てた。
一瞬、痙攣したかと思うと少女はその場に倒れ込んだ、どうやら生きているらしくすやすやと寝息を立てていた。
後で分かった事だが、この薬は祖父が作った物のようで一時的に記憶障害と特定の遺伝子の覚醒を抑えるもののようだ。
その後、気絶していたらしい私とその子を保護してくれたのは同じプロジェクトに関わっていたアドラー家だった。
そこで私は、プロジェクトの事と祖父たちを殺した子の事と、私達の一族が犯した罪の全てを聞いた。
いきなり過ぎて理解が追い付かなったが、一つ分かっている事は、私はどうやら一族の罪を背負って生きていかなければならないようだ。
その一つとして、私はあの子に全力の愛を注ごうと決めた。
例え、家族の仇だろうと私の膝で寝息を立てるあの子を恨む事は私には出来なかった。
血の呪縛に縛られた彼女は何時また殺人鬼になるか分からない、だがあの子が裁かれるのは筋違いだ。
全ては、私達のような汚い大人が背負うべき罪だ。
なら……この記録を見た誰か、どうかあの子を止めて下さい。
私が名付けた天使……静歌を。
執筆者 緋芽花 八月十六日(日)PM11‥30
「なるほど、全て繋がったよ」
彼女の報告書を読み終えて、一人呟いた。ここは警察病院の奥、誰にも会話を聞かれないように炬警部が手配してくれたようで、隣は使われなくなった第二書庫があるだけだ。
そして、目の前で寝ているのは〝J〟に重傷を負わされた白葉、肩を斬られ、肋骨を三本折られ、真っ白なベッドに寝かされている。
「こんな物を録画するくらいなら、さっさと帰ってくればいいものを」
確かにこの動画は貴重だったが、お前がそんなになるまで手に入れなきゃいけないものじゃない。
「やれやれ、どうしたものか」
正直、常に冷静でいる為の訓練や教育による所もあるしさらに私は生まれつき表情が顔に出ない質なの だが……本来の私は沸点がそれほど高くない。
だから、相棒がこんな目に遭わせられて冷静でいられるほど、器用ではない。
「さて……」
白葉は、探偵である私にこんな事は望まないだろうが私は奴を許せない。
奴は多くの人を殺し過ぎた、たとえ本人がそれを意識していなくても罰を背負って生きていかなければならない。
白葉には言った、私は神のように……全てを許す事は出来ないと。
「罪人ならば、罰を受けるのは当然だろ? 白葉……」
語り掛けても、返事は返ってこない。
「寝ているのだから、当然か」
眠る間抜け面にそっと顔を寄せる、そして、静かに自分の唇を白葉の頬に僅かに埋めた。
「行ってくる」
それだけを言い残し、静かに病室を出た。
幸いな事にこの階では電子端末が使えるため、保険の為にレストレードに連絡を入れておくことにした。
二つ返事でこの事件の担当の警官隊を総動員してくれることになった。
その際の忠告は一つ。
『無茶はするな、でないと、お前もワトソンと同じ目に遭うぞ』
「全く、痛いところを突く」
さて、行くとしよう。
そう思い、帽子を手に取った時だった。
「ん?」
帽子の内側の縁に何かが挟まっていた、どうやら横折に入れられた紙の様だ。
色的には新しい物で、どうやら三日前くらいに入れられたもののようである。
「差出人は……白葉か」
手紙に目を通す、一体何が書かれているのか。
これを読んでいるシャルへ
君がこれを読んでいるって事は、僕が酷い目に遭っているって事だと思う。
いや、そうでなくても、迷った時に君にはこの手紙を読んで欲しい。
けど、僕が君に言ってあげられるのはこの言葉だけだ。
シャルに僕の宝物をあげた時に言った言葉と同じ物だけど、どうか受け取ってほしい。
シャル、君は僕の憧れだ。だから、何時までもその帽子が似合う名探偵で在ってくれ。
君の相棒 ワトソンより
「全く、あの馬鹿は……」
これから報復に行く奴に、こんな手紙を読ませるな。
これでは、私がかっこ悪い奴じゃないか。
「やれやれ仕方ない」
では、これから私は名探偵シャーロック・ホームズとして――
「決着を着けに行くか」
廊下に響く足音は私の一つだけ、だが――気配は一つではなかった。
「やあ、静歌さん」
軽く会釈を交わす、だがあちらの表情は凍りついている、まるで無表情が樹氷になってしまったかのように。
「少し、お話いいですか?」
「……いいですよ、ちょうど私も暇が出来た所です」
立ち話をしていて誰かに聞かれるとまずいので、話は第二書庫で話すことになった。
「さて、話しとは何かな?」
「……セフィリさんが、殺されました」
「それで?」
「犯人を知っていますね、教えてください」
「知ってどうするんだ?」
「殺します」
「……報復、かい?」
「いけませんか?」
「まずいと思うよ? 倫理的にも、法的にもね」
「いいから、教えろ!」
両眼から放たれるこの殺気、間違いないだろう。
この子は、本気だ。
「分かった、だがその前にいくつか質問をさせてもらうよ」
「そんな義理は――」
「無いかい? だったら、私にもない気がするが?」
「っ……」
「それに私だって、君と揉めたいわけじゃないよ、まずは冷静になって話そうじゃないか」
「……分かりました」
まずは相手を座らせて対等な目線で対話する。
「まず一つ目だ、君はセフィリ博士の過去をどれだけ知っている?」
「それは……」
言い淀むところを見ると、やはり自身の過去は殆ど話していないようだ。
「何も、話してくれなかったから」
「何も聞かなかったのか、自分の世話をしてくれた恩人なのだろ?」
「それは、聞いちゃいけないような気がして」
「では、彼女の仕事については?」
「それなら小さいころに一度だけ、セフィリさんの仕事場に行ったことがあるの」
「仕事場? 研究所か?」
「ええ、何か、遺伝子研究をしているとかで――」
まぁそうだろうな、知識とそれ相応の設備でなければ〝J〟を抑え込むことは出来ない。
「ありがとう、二つ目だ、もし君の探している犯人が君にとって大切な人物だったら?」
「それは――」
「殺せるかい?」
「…………」
前髪に隠れてしまった表情に、真っ直ぐな視線で問う。
「私、どうしたらいいんですか?」
「聞かれても困るな、君は、どうしたいんだ?」
「それが、分からないんです」
「だが、その答えは君にしか分からないよ」
「……」
時計の針が進む、やがて日付が15日から16日に変わろうとした時だった。
突如、彼女が語り出したのは図書館で望美氏から聞かされたアネモネスに関する情報だった。
きっと彼女はこう思っているのだろ。
ああ、アネモネスが犯人だったらどうしようと。
親友が犯人だとは思いたくないが、セフィリ博士を殺した犯人も許せない。
そんな背徳と道徳の中で苦しんでいるのだろう。
話を聞き終えて、彼女の覚悟を確認した私は彼女を一旦家に返し例の廃工場に集合となった。
「やれやれ……では……答えを求める人達に納得のいく答えを用意しようじゃないか」
一人気合を入れて、病院の駐車場に向かう。
確か、手筈ではレストレード警部が部下を手配してくれる事になっているが、そこにいたのは――
執筆者 白葉(追記)
僕が初めてシャルを紹介されたのは、僕が幼稚園に上がる少し前の事だった。
唐突にシャルの両親がマイクロフトさんとシャルを連れて僕の家を訪問してきたのだ、二人とも母親が日本人な事まで一緒であるから、当然の事のように両親同士は仲が良くリビングに行って談笑を始めてしまった。
お兄さんであるマイクロフトさんは父の書斎で医学関係の本を読み漁っていて、必然的に僕とシャルで遊ぶことになった。
彼女は何をするわけでもなく、庭で立ったまま空を眺めていた。
その寂しそうな背中に声を掛けた。
「何して遊ぶ?」
そう僕は聞いた。すると――
「君は、私に関わらない方がいい」
そう言われた。
「どうして?」
「私は、君達の中に入ることは出来ない」
その言葉の意味は分からなかったから、同じ問いをした。
「だから、どうして?」
「私が、ホームズだからさ」
「意味が分からないよ」
「…………私の中には闇があるんだ、誰も来られないほどの――覗けない、程の……」
言い淀んでしまった彼女、その背中はあまりにも寂しい背中だった。
「私は、自分の才能が怖い」
「才能が、怖い?」
「ああ、怖いさ……何時かこの力で人を傷つけてしまうかもと思うとね」
「君は、誰かを傷つけるの?」
「そんなつもりはない、でも、もしも自分が悪の道に踏み込んでしまった事を思うと――はは、情けないな……やはり私は、探偵に向いていないようだ」
まるで、泣いているようだった。
「そうだ、探偵なら兄がやればいいさ、自分の弱さに怯える私が人を裁く探偵になれるわけがない」
だが、最後に言った彼女の言葉に疑問を覚えた。
「探偵が、人を裁くのかな?」
「え?」
「お父様が言っていた、探偵は人を救う事が仕事だって」
「それは、依頼者側の視点ならそうさ――」
「僕も、同じ事を聞いたよ、でもお父様はその人の中には、犯人も入っているよと言っていた」
「犯人を、救う? バカな! それでは何の為に罪があるのだ?」
「罪は、許されなければ背負い続けてくしかない、それはとても辛い事だとお父様は言っていた、だから 探偵や警察は、犯人を捕まえて罪を贖わせるんだってさ、被害者だけじゃなくって加害者を救うために、罰があるんだって」
「…………なるほど、罰とはただの被害者の憂さ晴らしにあるわけじゃないって事か……」
そこで一分ほどの沈黙が続いて、喋り出したのは、やはり僕からだった。
「ねぇ、君の名前は?」
「言っただろ? 私はホームズだと」
「そうじゃないよ、君の名前は?」
「だから――」
「君は、シャーロック・ホームズじゃないよ」
「だったら何だというのだ!! 私は姫芽花・シャルロット・ホームズなんだぞ!」
怒りに任せて怒鳴った彼女が振り返った。その顔は、今にも泣きそうなのに、その目はあまりにも冷たかった。
だから、あえて僕は微笑みながら告げた。
「ほら、シャーロック・ホームズじゃない、君は君だ」
「!」
「君は言ったよね、誰も君の闇を覗こうとしないし来ようとしないって」
だったら、と、僕は彼女の手を握って隣に立った。
「ほら、僕だけはいつでも君の隣に立って、闇が君を呑もうとするなら、その度に引き上げてあげるよ」
僕の顔を見開いた目で見つめていた彼女は、不意に俯いてしまった。
横顔を覗いたら、何故か少し顔が赤かった。
「……ねぇ、貴方の名前は?」
「僕は、白葉・J・ワトソン、よろしくね」
「君は、変わった奴だ」
僕の手から離れた彼女の顔は相変わらず冷たかったけど、その目には僅かに光が灯っているような気がした。
その目を見た時に僕は誓った。僕だけは彼女の味方でいようと。
世界が彼女を否定しても、例え彼女が世界を否定しても僕だけはシャルの傍にいようと心に誓った。
彼女の傍にいられるなら、彼女を守れない位なら、彼女から誇りを奪う位なら。
この命など惜しくはない。
シャルには笑顔でいてほしいから。
だから、こんな所で寝ているわけにはいかない。
執筆者 緋芽花
「やぁ、シャル」
運びこまれた時と変わらない、白葉がエンジンの掛かっていたバイクに跨っていた。
あまりに予想外のサプライズに思わず顔が綻んでしまった。
「おいおい、傷が開くぞ」
「麻酔もしたし、激しい運動をしないかぎり大丈夫だよ、僕は遠くからスタンバイしているから」
白葉の背負っているのは大きなギターケースだが中身は狙撃用のライフルだ、奴が陸軍にいた頃からの愛用品である。
「何時の間に持ち込んだんだ?」
「いつの間にかバイクに乗せてあったんだ、置き手紙と一緒にね」
「何て書いてあったんだ?」
「『馬鹿は死ななきゃ治らない』だってさ」
「確かに……その通りだ――だが助かるよ、そろそろだろうからな」
「そろそろ?」
その時……電子端末が震えた、どうやら非通知の電話らしい。
「もしもし?」
『こんばんは、ホームズさん』
「モラン大佐か」
『あまり時間がないから、手短に用件を伝える、君の依頼人はもう到着しているよ。パーティーには遅れるな』
「拉致をした、の間違いでは?」
『何の事かな?』
「まぁいい、了解した」
『精々ワトソンと一緒に、いい服を着てくるんだな』
それで会話は終わった。
「魔犬から?」
「ああ、パーティーには遅れるなとさ」
「了解、急ごうか」
相棒の愛馬がうねりを上げ、夜風を割いていく。
走り、急ぎ、依頼人の元に向かう。
「シャル?」
「何だ?」
「あの子を囮に使ったのかい?」
「……だとしたら?」
「褒められた事じゃないよね?」
やはり、あの病院には〝異端の魔女〟の手先が入り込んでいたようだ。
だから、あえて私は彼女を一人で返したのだ。
「あの子を使えば、おそらくあの女を引っ張り出せる」
「必要悪だったと言うつもりかい?」
「怒るか?」
チラリと白葉の横顔を見上げた、その顔は呆れともとれる苦笑だった。
「そんなに辛そうな顔をした君を、怒る気にはなれないよ」
「……そう見えるか?」
「だから、これだけは言っておきたい」
「?」
言いたい事が読めず、首を傾げる。
「君は、確かに神にはなれない……けど、悪魔になるには優しすぎる――だったら……」
「だったら?」
そして、こいつは満面の笑みでこう告げた。
「僕の憧れた、強くてかっこいいヒーローになってほしい……これからも、そうあってほしい」
「善処するよ」
私は思わず笑ってしまった、今まで凍りついていた私の顔が綻んでしまった。
リラックス、出来てしまった。
そして、廃工場に着いた時には、すでに丑三つ時が始まっていた。
私は一人、指定された工場に入っていく。そこには、遮蔽物になるような機械は無く全て撤去されていた。
二十メートル四方の空間には私と、もう一人しかいなかった。
真っ黒で、丈が短く質素でありながら高級感を思わせるドレスを着て割れた窓から月光を浴びる湖月静歌氏、いや――
「Jack The Ripperか」
「こんばんは、相変わらずいい月夜だね」
「そうだな」
簡潔に答える〝J〟はやや警戒しながらも、余裕を崩さない。
「それで、もう始めてもいいのかい?」
「君が私の質問にすべて答えてくれるなら、会話の時間が欲しいけどね」
「どうぞ、時間はたっぷりある」
「では――」
空間に響く、私の足音は静寂の法廷に響く、槌の様だった。
「私が最初におかしいと思ったのは、君に初めて出会ったあの現場で、どうして防犯用に飼っている犬が吠えなかったのかという事だ、当然近所で顔馴染みの奴に吠える理由はない」
「正解だ」
「次にどうしてアネモネスが、現場に現れるのか? これは本人に確認を取ったが、現場にある香水の匂いを消すためだ」
「……」
これはブラフだ〝J〟もそれは分かっているのか何も言わない。
「そして、君の肩の傷、それは私が付けた傷だ。そして、最新の現場に残っていた足跡、それは君の通っている学校指定の革靴の後だ、踵の部分しか残っていなかったがはっきりと分かったよ」
「ほぉ、それはすごい」
「そして、警察の資料にあった二年前の〝J〟の犯行と思われる最初の殺人の被害者は男だった」
「で?」
「おかしいと思ってね、今までの被害者は殆ど女性だった、これは百年前の君の犯行にも共通する事だが、最初の被害者が男とゆうのはどうにも引っ掛ってね」
「……」
「資料によれば男は強姦しようとして返り討ちにあったと書いてある、だが刃渡りは法外の物であったため事件として捜査していた」
「だから、どうしたの?」
「血の呪縛とはよく言った物だ、本当に血の命令に従っているかのようだと、思ってね」
私は一歩近づく。
そして、彼女もそれに応えるように一歩近づいた。
「恐らくその強姦の被害者は静歌氏だろう。だが、その時に君が偶然に目覚めた。そして、その加害者を殺した。多分、静歌氏に眠る君が目覚めるには条件があるんじゃないか? 一つ、極度のストレス。二つ、防衛本能が働く事、そして――」
「そして?」
「薬の効果が薄くなること、だろ? だからセフィリ博士は薬を君に投与し続けた、気取られないようにするのは骨が折れただろうに……余程、静歌氏に気を使わせたくなかったのだろうな、だが――」
部屋の真ん中で立ち止まり〝J〟を見上げた。
「一度覚醒してしまった君をだんだん抑え込めなくなった、恐らく薬に対する耐性が出来てしまったんだろう、だから今回の大量殺人が起こってしまったんだ」
「……一つ訂正と、一つ追加だ――私が目覚めたのは確かに偶然だが、殺人を犯してきたのは主人の意志でもあった、彼女は大好きなこの街から、娼婦がいなくなればいいと思った、そしてそいつらがいなくなればこの街はきれいになる、そう思ったのだろう」
「では、君が犯行を重ねた理由は?」
「私はただ、母さんの中に帰りたかっただけさ」
「やはり胎内回帰か、精神異常でなければ百年前から続く一連の殺し方に説明が出来ない」
子宮を取り除くなんて猟奇的な事、まともな精神でやれる事ではない。
だが、私は彼だけを責められない、何故なら彼の背中を押したのは、モリアーティ一族なのだから。
「私は君を止めてみせる」
「出来るかい? 君が来る前、知らない男に薬を打たれたんだが、そいつの話だとその薬は体内に残っているナノマシンをすべて除去する効果があるようで、もっと強力なナノマシンを打たないと、私は消えないらしいよ?」
「つまり、君を殺すか、気絶させないといけないわけか」
伝説の殺人鬼を相手に中々きつい条件だ。
「だが、やってやるさ……私は探偵だからな!」
「いいよ、一緒に舞おうじゃないかホームズ! そして、君の鮮血で私を染め上げてくれ!!!」
そう叫んで〝J〟との間合いを詰める……それと同時に、奴もまた飛び出していた。
周囲の時間が遅くなる。
それは達人同士が感じる、究極の集中力の渦中。
(攻撃が速い……初戦の時より倍近いスピードで攻撃が迫ってくる)
初撃の縦振りのナイフをかわして、中段蹴りを入れるが威力半減以下で受け止められてしまい、右から左に持ち替えたナイフで喉を掻き切ろうとするのを、右にいなしそのまま裏拳を叩きこむが首をいなして威力を殺された。
月光を切り裂くような刃と緋色の軌跡を描いた拳が交錯する。
(次の手を考える前に凶刃が飛んでくる、これは中々きつい)
そしてまた奴のナイフによる突きが来て、私はそれを左に避けようとするが私の回避方向にガラスを突き破った銃弾が飛び込んできた
「くそっ! 狙撃か!」
一瞬で状況を判断し、突き出されたナイフの攻撃をバックステップで攻撃をかわし、間合いを開ける。
「白葉、モランが出た!」
『こっちも確認した、これから援護射撃に入る』
「相手の装備は?」
『相変わらずドイツ製のSL9SDさ、消音装置付きに照準器はどうやら暗視スコープに切り替えられるタイプで、風速やこちらとの距離まで分かるようだ、マガジンは三十発入りってところか』
「お前のM21といい勝負じゃないか」
『だけど僕の照準器は風速計の付いているタイプじゃない、狙撃精度はやや落ちる』
「でも、お前ならやれるだろ?」
『ああ、問題はない、今日は風速一メートルって所だろうしこれ位の風ならブレは経験で補える』
「頼んだぞ」
『任せて、君達の戦いは邪魔させないさ』
白葉との通信が終わって、静寂の闇を切り裂さく音は外から聞こえてきた。
交後に放たれる弾丸は、私の動きを牽制しようとする物と、それをさらに妨害するための物、装備もお互いに超一級品を使っているとゆう事は、モランと白葉の狙撃技術は高次元で互角だという事だ。
「やるじゃないか、少々彼の事を侮っていたよ」
「ああ、頼もしい相棒だよ」
一言の会話の間に、私はジャブとストレートのワン・ツーとローキックを放ち、奴は右手でナイフを振り切り、私が懐に入ろうとした時に一瞬で左に持ち替えて顔に目掛けて突きを放つがどちらも直撃はせず、私は頬を切られ、奴は右肩にジャブをくらった。
「やれやれ、これじゃ埒があかない」
頬の血を拭いながらぼやく。
「なら早く降参しろ、切り刻んでやる」
一方〝J〟は全く顔色を変えずに、ナイフを左右に持ち替えている。
(体力は無尽蔵か……長期戦になればこちらが不利か、なら――)
一か八か、やってみるか。
これに失敗すれば私だけでなく白葉も危なくなるが、警察が来る前に決着をつけるにはこの方法しかない。
「おいおい、隠れるのかい?」
歪な笑みで〝J〟が私を煽る。
その挑発を聞き流し、部屋の闇に身を隠して出来るだけ小さな声で白葉に通信を送る。
「白葉、聞こえるか?」
『何だい?』
「そっちの状況は?」
『はっきり言って、目が回りそうだよ』
やっぱり、私のフォローで手一杯か。
通信の向こう側では、白葉のマガジンの交換する音が聞こえる。
弾音が聞こえないところを見ると、恐らく相手も弾を装填しているところなのだろう。
「無茶を承知で、頼みがある」
『今更、無茶の一つや二つ増えたって変わらないよ、で? 何を思い付いたんだい?』
「白葉、そこから私の位置が確認できるか?」
『いいや……ここからじゃ無理だ、もっと西に行かないとね』
「行けるか?」
『厳しいな……何せ今は隠れているけど、顔を出せばまた撃ち合いになる』
「ならお前の見立てで、モランが次に弾切れになるのは?」
『僕が的になれば……五分後だ』
「十分だ、なら――」
小声で作戦を伝えると、息を呑む気配が通信機越しに聞こえる。
『随分、リスクの高い賭けだね』
「だが、短期に決着を付けるならこれしかない」
『……分かった、五分後に会おうね』
「承知した!」
気合と共に飛び出す。それと同時に、外での銃撃戦も始まった。
(狙い通り、奴の背後に付けた)
だが、奴は私に気付いている。夜目が効くのだ、当然だろう。
「不意を突いたつもりか!」
(これも狙い通り、振り向き様にナイフを構えた)
後、四分後が勝負だ。
(距離は三メートル、この距離なら二秒も掛からずに攻撃に入れる)
最初の攻撃は右ジャブ、これは左に重心を掛けて避けられ、さらに――
「隙だらけだ!」
予想通りに、ジャブを躱されて懐に入られた、そこからナイフで左肩を突き斬られる。
それは何とか肩を掠めていったが、少し深めに切られてしまった為か少し反応が遅れてしまった。
「くっ!」
(だが、斬られるのも予想通りだ)
後、三分。
「まだ、君の血が足りないよ!」
すると、ナイフを持った腕を曲げて背中を刺そうとするが、それを右に重心をずらして強引に避ける。
そして、開いている横腹に拳を叩きこむ。
「かはっ!」
〝J〟から空気が漏れる。だが、これだけでは止まらない。
後、二分。
「調子に乗るな!」
叫んだ〝J〟が私の足を払い、仰向けに倒されてしまった。そして〝J〟が大きくナイフを振り被った。
「これで、終わりだ!」
後、一分。
(そうだ、これで――)
西の窓に視線を送った。その時、外の銃声が止み――
『お待たせ、シャル』
呑気な相棒の声が聞こえた。
「チェックだ」
私が微笑み、ガラスを突き破る銃弾が〝J〟のナイフを粉々に砕く。
「な!?」
隙が、出来た。
〝J〟の腹を蹴り、素早く立ち上る。
懸命に間合いを離そうとするが、私がそれを許す筈がない。
飛ぶように跳躍し、一気に間合いを詰め奴の懐に入る。
(これで――)
「チェックメイトだ」
そして、渾身の力を左足に込めて、鳩尾目掛けて蹴り上げた。多分、数センチ体が浮いたはずだ。
「ぐふっ!」
〝J〟はどうする事も出来ずに、その鮮やかな蹴りを見届け、落下した。
『お見事』
白葉の声が耳に響く。
「私の勝ちだな」
「……くくく、私の負けか」
朦朧とする意識であっても嫌な嗤い方は変わらない。
「残念だったな、貴様の願いはここで潰える」
「何故……邪魔をするんだ、私はただもう一度やり直したかっただけだぞ」
「君の願いは歪んでいる、その願いのせいでどれだけの人が犠牲になったと思っている」
「では、お前達に願いを踏みにじる権利があるのか? お前たち法の番人はこの世のすべての善になったつもりか?」
「善があって悪がある、この仕組みは変わらないし全ての悪を消し去ることは出来ないんだよ、何故なら法が人を不幸にすることもあるからな」
「だったら、善とは何だ?」
「それは、私にも分からない……だが――」
「だが?」
「罪は、許される為にあると思う……どんな罪も背負い続ける事は辛い事だ、だからこそ法が人を裁くんだ、罰する為でなく罪を許すために」
「私の罪も、許されるのか?」
その問いに、私は頷く。
「それは重い罰だろうが、許されない罪はないと私は思っているよ」
「もし……あそこで握る手を間違わなければ、私はもっと違う人生を送れていただろうな……」
そして私は息を吸い、最後の宣告をするために言葉を練る。
(ああ……今日は、月の光が痛い――私は、こんなに詩人だっただろうか?)
「裁かれるとゆう事は、人であるとゆう事だ……安心しろ、これで……お前は裁かれる、例え枷は消えなくてもその重さを軽くすることは出来る」
〝J〟瞳が見開かれる。
まるで、罪を突き付けられた咎人との様であり……全てを許された、罪人の様であった。
「そうか……そう、か――」
それ以上何も言わぬまま〝J〟は気絶した。
最後に、儚げな笑みを残して。
(だが、このままでは誰もがハッピーエンドとはいかない)
〝J〟の安定した呼吸を確認して、白葉に連絡を入れておこう。
最後に私らしく、物語を締めくくる為に。
「モランは?」
『逃げたよ〝J〟が負けるのを見届けてからね』
「元々、遊びのつもりだったのだろう」
『これからどうするの?』
「とりあえず、ここは警察に任せよう、それからこの近くにアドラー家の奴らがいるから決着はついたと知らせてやれ」
『了解だ』
それだけ言って、彼女の体を抱き上げる。
「依頼は、果たしたぞ」
返ってくる返事も期待せずに呟いた。
そして――
「それからこれは、セフィリからのプレゼントだ」
眠る彼女に握らせたのは、濃い黄緑色の液が入った小さな子瓶だった。
それは、レポートと一緒に置かれていた特定のDNAを無害なものに書き換える完成されたナノマシンだった。
それは、セフィリからの最大の贖罪であり、最高の愛情であった。
執筆者 白葉
その後、駆けつけた警察に事情を説明し、聴取は二日後に取ることになった。
けど、肝心の〝J〟は先に来たアネモネスによって保護されていた。
屈強な男達が〝J〟を抱えた時、手に握った物に気付いたアネモネスが、それを手に取った。
「借りが出来たわね、ホームズ」
それだけを言い残して〝J〟とアネモネスは消えていった。
彼女とアネモネスがどうなったかは定かではない。
だが、アネモネスが彼女の生活を奪うとは思えない。
きっと、うまくやっているだろう。
だが〝J〟の行方を聞かれても答えることは出来ない為、炬警部やレストレード警部にこっ酷く叱られてしまった。
だが、最後には――
「全く、詰めが甘い! だからガキは好かん!」
「いいじゃないか炬警部、ホームズが〝J〟はもう現れないと言っているんだし、あれから殺人も起こっていないだろ?」
「ふん!」
と、許してくれたようだった。
僕はとゆうと、病院を勝手に抜けだし激しい運動の末、亀裂の入っていた骨が完全に折れてしまった。
再度入院をした時に担当の医者から「貴方、本当に医者ですか? ご自身の体が分からないわけじゃないでしょ?」と嫌味を永遠に聞かされた。
そして、事件から二週間後の今に至る。
「終わったか?」
病室に顔を出したシャルが、手元のノートパソコンに目を落とした。
「ああ、たった今ね」
「そう言えば、静歌氏から手紙が来たぞ」
「へぇ~なんて書いてあったんだい?」
「読むか?」
僕に手紙を差し出してきた。花柄の綺麗な封筒を開き、その活字に目を通す。
拝啓 シャルロット様・ワトソン様
シャルさん、白葉さん、お元気ですか? 私は元気です。
本当は病室に顔を出す筈だったのですが、セフィリさんの葬儀とかでいろいろバタバタしてしまい、お手紙とゆう形を取らせていただきました。
ホームズさんとの話の後、すぐに病院を出たのですがその後の記憶がなく、気付いたら自分の部屋で寝かされていました。状況が分からなくて、辺りを見回したらアネちゃんが私の事を介抱してくれていました。
私は驚いて彼女を揺り起こしたら、アネちゃんが、いつもと違う本当の笑顔で「おはよう」って言ってくれました。
その後、私にゆっくりと教えてくれました。
セフィリさんの死、連続殺人犯がホームズさんによって退治された事、そして世間を騒がせた、ジャック・ザ・リッパーはもう二度と現れないと。
アネちゃんが現場にいたのは偶然だと言っていました、だから、私はアネちゃんを信じる事にします。
ホームズさん、ありがとうございました。
多分、セフィリさんや亡くなった人たちが望む最も望んだ解決をしてくれたのだと思います。
今度、お礼にお二人を街へ案内したいと思います。白葉さんの怪我が治り次第、連絡をください。
では、またお会いになるその時までお元気で。
PS 白葉さん、今、彼女はいらっしゃいますか?
湖月 静歌より
手紙の最後には、アネモネスと二人並んで幸せそうに映る写真が添えられていた。
「アネモネスは、話してないんだね」
「ああ、世の中には知らない事が幸せな場合もある」
「似合わないよ」
「だが、事実だろ?」
「確かに、その通りだ」
「なぁ白葉――」
「分かっているよ、この報告書は僕が保管しておくよ」
病院の窓から光が差し込んだ。
それはまるで、時代の真実を暴くかのように。
かつて、終として捕まることのなかった殺人鬼の正体は、血の中に潜む遺伝子とゆう名の忌まわしい呪縛だった。
報告書を書き終え、一息ついたところで再びシャルがパソコンを覗きこんだ。
「ところで、その報告書のタイトルは何なんだ? まだ打ち込んでないようだが?」
「それは、出来てからのお楽しみだよ」
僕の悪戯なウィンクにいぶかしむ彼女の前で僕は最後の文字を打った。
以上 緋芽花・S・ホームズの事件簿 報告終了




