緋芽花・S・ホームズの事件簿~〝J〟に関する最終報告書~ 上
著者不明の日記(政府から提供された〝J〟に関する資料を掲載)
○月×日(△)
重かった瞼が上がってしまった。
どうやら、まだ死ねないらしい。
霧の都に相応しく、朝霧に包まれて目が覚めた。
ここはホワイトチャペルのスラム街、簡潔に言うならば戦場だ。
何もしなければただ死ぬのを待つだけ、そんな地獄に流れ着てはや三年になる。
こうなった理由は知っている、娼婦であった母親が自ら命を絶ったからだ。
知らない男達に抱かれ続けた結果、俺を身籠った。
俺とゆう自身の穢れの結晶と生きていくことに耐えられなくなった母は、最後の最後までこの世を恨みながら自分の喉をナイフで掻き切った。
そのナイフは今、俺の手に握られている。
切っ先の少し欠けた、銀色の刀身が腫れ上がった顔を写している。
何をするわけでもなく座り込んでいると、不意に影が俺を覆った。
俺は見上げ、そいつは見下ろしながら言った。
「初めまして、いい顔をしているね」
そいつを見た第一印象は、よく分からないだった。
顔はシルクハットを深めに被っているせいか、帽子の影に隠れてよく見えないからまるで闇そのものが紳士の格好をしているみたいだ。
何とか顔を見ようと目を細めるが、その闇には底が無い様でどんなに目を凝らしても顔を見る事が出来ない。
不気味に思いながらも、俺はそいつに問いかけた。
あんたは誰だと、そう短く尋ねた。
「〝黒色の貴族〟そう呼ばれている」
知らない名だった、それどころか名前ですらない。
手短に用件を尋ねると、男はふざけた事を言い出した。
「君の望みを叶えてやる」
俺は、歪に口元を歪めた。
ふざけるな、そんな言葉で何回騙されたと思っている。
そんな甘い言葉で体をバラされそうになった事もあるのだ、今さら他人の言葉が信用できるはずがない。
「いいのか? そんな顔になってまでここに居たいのか?」
鏡は無いが、自分の顔が原形を留めていないことは、熱を持った皮膚で分かる。
ついさっきも、食べ物を盗もうとして店主の親父にタコ殴りにされたのだ。
口の中を切ってしまったのか舐め馴れた鉄の味が口内に広がっている。
言いたいことは、それだけか?
そう凄んで見ても男は下がらない。
「救いが欲しくはないのか?」
こんな地獄に、救いがあるものか。
「だが同じ地獄なら、したい事をして生きればいいじゃないか」
したい事をしろ、それが出来れば苦労しない。何故なら、俺がしたい事は絶対に叶えられない。
「娼婦を殺したいか?」
違う。
「なら、お前を捨てた奴らを殺したいか?」
違う。
「なら、お前を殴った奴らを殺したいか?」
違う。
「なら、何を望む?」
そう聞かれた時、これが異常な事と知りながら、理性が口から出てきた声に塗り潰されてしまった。
もう一度やり直したい。
俺は――帰りたい、母さんの中に。
「分かった、その願いを叶えてやろう」
だが、男は手を差し出しながら、囁く様に言ったのだ。
まるで、自分に不可能は無いと言わんばかりに。
目を見開いた俺は、その声の魔力に魅かれて差し出された手を拒む事なく受け入れた。
「ようこそ、新たの地獄へ」
男はやや弾んだ声を出したが、やはり表情は見えずまるで闇が嗤っているようだった。
ロンドン警視庁 庁内 第三犯罪課
執筆者 蒼苑・L・樹九里警部
「冗談は、ほどほどにしなさい」
溜息を吐きながら、今時流行らない報告を言いに来た中年警部補を睨みつける。
「しかし警部、日本警察からの要望を冗談の一言で肩を付けてしまうのは……せめて報告書だけでもお読みになってください」
「二年前の犯行から被害は既に三十件を超えています、報道規制されていますからそれほど大きな問題に なっていませんがこれ以上の被害は日本の警察としても看過できない筈です」
「何が看過できないよ、こんな模倣犯丸だしの手口に引っかかるなんて日本の警察は無能なのね」
ここは次々と新しい紫煙が立ち込めている第三犯罪対策課。
日々、事件や上層部の小言などのストレスと戦う我々が、暴力以外で仕事中にストレスを現す方法が喫煙という手段しかない。
煙草を吸って体を壊すか、禁煙して体を壊すか、その二択に迫られたら寿命を縮めてでも早死はしたく ないという結論に達し、禁煙しましょうという署長の張り紙を断固の思いで無視する今日この頃である。
「日本の警察も、これがただの模倣犯の仕業じゃないことくらい掴んでいるはずです、だからこそ警部に 捜査協力をお願いしてきたのです」
「へぇ~」
私のやる気のない態度にも警部補さんはめげずに説得しようとしている、その必死過ぎる態度が鬱陶しい。
「でもね、日本で起きた猟奇殺人が〝J〟の犯行に酷似しているからって当時の現場責任者だったご先祖様の話を持ってこられても困るわよ」
「そこを何とかお願いします、もしかしたら百年前の事件を解決できるかもしれないじゃないですか」
仕方なく机に乗っけていた足を下にしまい、警部補の油まみれの顔を見据える。
「……それで、被害者の殺害状況は?」
「やる気に、なったのですか?」
「そんな訳がないでしょ、ただこれ以上無駄話をされて帰宅時間が遅くなるのは嫌なのよ、だからこれ以上ない理論でただの模倣犯だということを証明すればいいだけの事でしょ?」
「確かに、では最新の情報から……つい先日の被害者は、全身を鋭利な刃物で切り刻まれていました、これは〝J〟の犯行の中でもっとも残忍な殺され方をしたメアリー・ジェイン・ケリーと酷似しています」
「つまり、医学的に高度な摘出手術で殺されていたと?」
「そうです」
「しかし、メアリーが本当に〝J〟に殺されたかは疑わしいんだぞ? 今じゃITを使って世界中どこからだって情報を得られるんだ、犯罪マニアがその手の情報を使って類似した犯行を行った可能性は否定できない」
「確かにそうです、でも……私はこれが〝切り裂きジャック〟所縁の者の犯行と断言できます」
「その根拠は?」
「凶器です」
「凶器?」
「警部〝J〟の犯行で使われたとされる刃物の破片が被害者の体内から発見されたのは、ご存知ですよね」
「ああ、署に保管されているやつでしょう?」
何気なく言った一言で、警部補の意図を察する。
「まさか……」
「はい、日本の警察から送られてきた資料と照らし合わせた結果……百年前に使われた凶器の幅、形状が一連の犯行の殺傷痕と完全に一致しました」
「被害者に共通点は?」
「それが……女性の被害者が圧倒的に多いのですが一定していません、警察の資料によると最初の被害者は男性だとゆう事です」
「つまり、唯一の関連性であった女性だけが被害者とゆう情報も使えなくなったってわけね……そう、分かったわ」
面倒事になりそうだ、培った勘がそう告げる。
「急いで、出張の準備をお願いね」
「分かりました」
「さて……と」
すっかり暗くなってしまった空を見上げる。
私が心配――もとより何より面倒なのが、この事件があの子に知られる事だ。
「それから、この件はホームズには絶対に知らせないように手配して」
「いいですけど……無駄だと思いますよ、レストレード警部? もう彼女の相棒が掴んでいると思います」
苦笑なのか微笑んでいるのか微妙な表情を見せる警部補だった。
「……………念のためよ、全く守秘義務というものを分かっていないな、あの事件馬鹿二人は」
頭を抱えながら諦念の面持ちで再び空を見上げた、空には星が瞬いているのに新月の日の様に暗かった。
執筆者 白葉
この証言は〝J〟の現場を目撃した高嶺 望美氏と湖月 静歌氏との会話である
高嶺 望氏の証言
「静歌……一年前のあの日、あの裏路地で彼女を見た気がするのよ」
望美はその日、今まで延期に次ぐ延期で今まで買えなかった小説がようやく買えたのと言っていた。
放課後の居残りが終わって少し遅くなってしまったけど、買いに行ったかいがあるというものだと少し、はにかみながら話していました。
「早く帰って読みたい、そんなはやる気持ちを抑えながら早足で帰っていた時に限っていつもなら引っかからない信号に運悪く捕まってしまったのよ」
望美の視線は宙を見ていたんです、まるで思い出を見ているかのようでした。
「信号機は一向に変わる気配がない、こうしている間にも読みたいという衝動が込み上げてきてしまった私は仕方なく信号待ちをあきらめて細い裏路地に入ることにしたのよ」
すると、宙を見ていた望美の視線が少し揺らいだ気がしました。
「静歌も知っているとは思うけど、そこの裏路地通るのは初めてだったわ」
望美の家に続いているのは確かなのですが、人の往来がないことや不良のたまり場にもなっているので普段からあまり近づかないようにしていたし、今は夏も終わり冬場で日が落ちるのが早いこともあり来ない方が無難なのだがその信号は一度捕まるとなかなか青にならないので近道を選んだって言っていました。
「知っている静歌、恐怖とは一度気付いてしまうと嫌な想像をしてしまうものなのよ……それは—―同時に嫌な現実さえ呼びよせるものなのよ」
すると、宙を見ていた望美が突然、頭を抱えてしまったんです。
「ピシャッと水が弾ける音が聞こえて肩が跳ね上がった……でもどうやら水たまりを踏んでしまっただけと思ったのよ、この靴買ったばかりなのに困ったなって思って靴を見た時に凍りついたわ—―それは透明ではなく赤かったのよ……そして、鼻に付く血生臭いにおいを本能が捉えてしまった」
早口でまくし立てる望美の姿なんて、見たくなかった。
「あぁって喘ぎのような声が漏れてしまった……そこには年齢は二十歳の後半くらいの女達だと思う…… 今時の流行りのアクセサリーを付けた茶髪で如何にも今時といった感じの人達だった—―多分だけどここに屯っていたんでしょうね、近くには空き缶から煙草らしき煙が上がっていたわ」
そこで一旦、息をついた望美は少し冷静さを取り戻したんです。
「だけど……それが女で今時の若者とゆうことしか分からなかった……何故ならそこに何人いたのかも分からないほどバラバラにされた死骸が横たわっていたからよ、体の所々のパーツが壁に張り付いたり臓器の無い体があったり顔の半分が血だまりに浮かんでいたりとおよそ人が経験することが無いような死に様が私の目の前に広がっていた」
そして、再び頭と顔を覆って語りだした。
「きゃあああああって込み上げていた物が一気に叫びになった現れてしまった……思わず口を押さえたけど、そんな事でこの吐き気を抑えられるはずもなくて胃からせり上がってくる物を本能のままに出し続けてしまったわ」
私に語りかけているはずなのに、目に私は写っていませんでした。
「ぁ――はぁ――って息も絶え絶えになりながら買ったばかりの本も鞄も落としてその場にうずくまって……次第に目も霞んでいってもう目を開けてられなかった、体が目の前の現実から遠ざけようとしているかのようだったわ」
そこまで話して、ようやく狂乱から落ち着いた望美は私の顔を見ながらか細い声でこう言ったんです。
「そんな状況の中私は場違いな物を見た気がするの……歳は私と変わらないと思うけどよく見えなかったから分からなかったけど、小ぶりな顔なのにすっきりとした輪郭……控えめな花弁の様に付いた唇に顔を繋ぐ首は白く細長くて月明かりのせいで肌の色は一層白く見えたわ……着ている服は着物で色は白で帯も純白で白無垢のような出で立ちだったけどその白でさえも裾から見える手足の白さを隠すことは出来ないでいたし手の指も下駄から見える足の指も月明かりのせいで青白く変化していたわ」
望美がその話を始めた途端、何故か私から視線を反らして再び宙を見つめ始めた。
「それなのに表情は穏やかさが湛えられていて……儚いの一言で片づけられる物ではなかったし何よりも 際立つのは獣を思わせる金の瞳……それは永い時陽の目を見ることのなかった琥珀が日光ではなく月光を浴びて妖しく輝いているようにも見えた、魔性の美しさというものがあるのならまさに彼女がそうだ――存在しているだけで目を奪われてしまった」
その話をしている望美は、少し柔らかい表情を見せてくれました。
でも、すぐに苦い顔になってしまった。
「でも散々たる状況の中でその人は笑っていた、服の裾が血で汚れることも構わずに血だまりの真ん中で笑っていた――そして、私はその子を知っている気がしてその名前を口にした時――その人が振り返った気がしたけどそれを確認する前に私は気絶してしまったようでその後の事は覚えていないの、でも……その魔笑とその時に聞いた血塗られた路地に響く魔性の夜に相応しい美声を、今でも……忘れる事が出来なかった」
そして、望美は私に告げた。
「多分、あれは――アネモネスだったと思う」
同時刻 第二書庫室 シャルと湖月 静歌氏との会話
「これがあの時の、望美との会話です」
彼女は静かに、私の話を聞いてくれた。
「…………ねぇ、平凡でいる事は悪い事なの?」
突如、そう彼女は私に聞いた。
埃が漂う、第二書庫で月光を背にしながら寂しそうな顔で私に問い正した。
「どうゆう事ですか?」
「君は、特別な出来事に憧れているみたいだけど、何故?」
「何故って……」
「平凡が嫌いなの?」
「そうじゃないけど、特別になりたいって思う事は、いけない事なんですか?」
「特別に? 止めた方がいい、特別なんてロクなもんじゃない」
私の反論はあっさりと一蹴された。
「貴女はいいじゃない――」
(何でも出来て、何でも知っていて、私よりよっぽど――)
「頭がいい事が特別? だったら秀才も天才も全て特別になる……それはもはや平凡だね」
私の思いは見透かされていた。
「望美氏が見たその彼女は、私と同じ特別……人の輪から外れた〝特別〟だ」
「特別な事が、孤独なの?」
「常識から外れた特別は、輪に溶け込むことは出来ない。周りに輪が出来るだけだよ」
言われて、何故かアネちゃんの姿が思い浮かんだ。
保育園の頃の彼女にも人の輪が出来ていた。
でも、その中に溶け込む事は無かった……いや、出来なかったのだ。
「……」
どうして、私はアネちゃんのことを思い浮かべてしまったんだろう。
まだ、彼女がどう関係しているかも分からないのに。
「私の話はこの位でいいでしょう、それで? 君の願いはなんなの?」
「……」
私の、願いは…………。
「セフィリさんを殺した、犯人を捕まえて」
「いいだろ、君の依頼を受けよう……ただし、君にも協力してもらうよ」
そう言って彼女は口の端を吊り上げた、それは私を試しているかのように。
「聞こう依頼人、湖月 静歌――君は、この死神の仕掛けた盤上に踏み入る勇気がある?」
「Yes」
私は、短く答えた。
以上が、依頼人である湖月 静歌氏の依頼内容である。
これから報告するのは、助手 白葉・J・ワトソンと、私立探偵 緋芽花・シャルロット・ホームズが体験した事件である。
なお一部、執筆者が異なるページがあるがこれはワトソン及びシャルロットが加筆及び事件関係者に資料作成の協力をお願いした為である。
僕らがこの事件に関わった発端は、日本で起きた猟奇殺人の情報を僕が掴んだ事に始まる。
執筆者 緋芽花
ロンドン ベイカー街221B 八月十三日(火)
AM9‥15
「シャル! た、大変だ!」
静寂に包まれていた朝明け、霧の都の朝に相応しく濃い霧の中を新聞配達が精を出している時間だろうに、この男は何を騒いでいるんだ?
「白葉――うるさいぞ……もう少し寝かせろ、昨日も遅くまで見取り図や実験成果を確認していたから、眠いんだ――」
ロンドンの短い社交の季節も半ばまで過ぎた。
その短い季節を有意義に使おうと、優雅に惰眠を貪っていた私を無理矢理起こそうとする男――いや、うるさい相棒を……当然のように無視をする。
「シャル!? おい、シャル!」
「おやすみ……もう少し寝るから、依頼の方は適当に応答しといて」
シーツを被り直して、再び夢の中への進行を試みる。
「ちょっと! 起きてくれよ! もう九時を回っているんだよ?」
(……もうそんな時間だったか、まぁ関係ないな)
「zzz」
「シャル~?」
わざとらしい私の寝息に、この優男は強硬手段に出てきた。
「こらー!!! 起きろー!」
「…………はぁ~」
「ちょ!? 何だよ!! 人の顔を見て溜息を――」
「………………はぁ~~~~~~~~~寝る」
「二回目?! ちょっと! また寝ようとしないで、いい加減に起きようよ!!」
「むぅ……分かった、分かった、起きればいいんでしょ」
鼓膜にそんな大きな音を叩きこまれたら、眠気も吹っ飛んでしまった。
仕方なく、上半身だけを起こしボサボサの髪を掻き毟る。
「やれやれ、どうして規則的な生活が出来ないんだ、君は……」
「いいだろ、迷惑は掛けてない」
「確かに、爆発で僕が起きなかったって事は珍しく成功したようだね、おめでとう」
「べっ! 別にいつも失敗しているわけじゃないでしょう?!」
「へぇ~つい三日前、深夜二時に僕の忠告も聞かずに実験して、大爆発を起こした揚句にご近所様に平謝りして回ったよね、一緒にさ」
「……」
「そう言えば一週間前だっけ、解剖実験に熱中しすぎてハドスンさんの嫌いなカエルが逃げた事に気付かなんで大騒ぎになったよね?」
ちなみにアパート内に逃げた数十匹のカエルを一晩中探しまわったのだ。
「う……」
「まだ、例を挙げようか?」
「もういい! 起きればいいんだろ!?」
「良かった、頭も働いていないだろうし美味しい茶葉が手に入ったんだ、話は朝食を食べてからにしよう」
満足げに微笑むとドアの方に歩き出したと思ったら、突然こちらに向き直った。
その顔は何故か、少し怒っている。
「シャル? 以前にも言ったと思うけどワイシャツで寝るのは良くないよ? お腹を出して寝るのも感心しないな……君は女の子なんだから――」
「さっさと出てけ!」
言い終わる言葉を待たずに、枕を投げつけて追い返す。
鏡に映った自分の顔は少し赤い、本当にいつもと変わらない日常の始まりだ。
「全く、本当に変わらないな」
あの男はいつもそうだった、妙なところで気が回るくせに肝心なところで本心に気付かない。
七年一緒にいるのだから、ちょっとくらい変わった姿を見せてくれてもいいものだが生憎その兆候は見られない。
でも……いい所も、変わっていない。
「大体、私に淑女らしさを求める方が間違っている」
そもそも私は科学の徒だ、理由の分からないことは信じない。
だが、確かに存在する……白葉の事を思う時に生まれるこの感情の正体が分からない。
「君は……姫芽花・シャルロット・ホームズ、だろ?」
鏡の中の私に語り掛ける。
ボサボサだった髪は櫛を軽く通せば真っ直ぐに戻る、鳶色の目は普段からきついと言われるが今は特にひどい。
「まぁ寝起きの目なんてこんな物だろう」
手早く床に散らばった衣類の中から適当に掴む。
「くそっ、よりによって穿きにくいジーパンを掴んでしまった」
けど今さら選び直すのも面倒だ、コーディネイトも適当に済ませてしまおう。
クローゼットの前にあった邪魔な衣類をどかし、ハンガーに掛けてあったワイシャツに袖を通す。
ワイシャツは何時もあいつがアイロン掛けしてくれるおかげで、新品のように真っ直ぐだ。
そして、これまた適当に選んだ真っ赤なネクタイを締める。
ネクタイは、きっちりは閉めず適当に崩し、ワイシャツの裾は風が通るようにズボンから出す。
きっと白葉が見たら仕舞えと怒るだろうが無視だ。
そんな衣類との格闘に興じていると、窓から差し込む光が横顔を照らす。
思わず眩しくて相棒を追い出した扉の方に目が行く。
「あっ……しまった」
あいつが出ていった扉に視線を移した時、枕の下敷きになっていた古びたハットを拾い上げる。
男物のサイズの為、自分には若干サイズが大きいし薄汚れているけど私にとって掛け替えのない思い出だ。
「私は……私だ」
何よりその事を解らしてくれたのがあいつとこの帽子だ。
だから……私は、何時までもあいつのヒ―ローでありたい。
だから正義なんてゆうのは建前だ、義憤も法の番人である事も理由の一つにすぎない。
あいつが憧れる、強くてカッコいい名探偵であり続ける、それだけが私をこの仕事に駆り立てるのだ。
「でも……」
自分がこんなにも変われたのに、あいつがあんなに変わらないのはどこか不公平ではなかろうか?
あいつが、変わることと変えてはいけない事を教えてくれた筈なのに当の本人はいつも変わらずに私に笑顔をくれる。
そう思うと、何ともいえない、不条理な怒りが込み上げてきた。
「ふん!」
乱暴に帽子を扉に掛けると、リビングに行く前に鏡をもう一度見る。
その鏡の前には顔の赤い、不全とした顔つきの私が映った。
執筆者 白葉
「で? 何を騒いでいたんだ?」
朝食のトーストを齧りながら、不機嫌にシャルが尋ねてきた。もごもごと頬を膨らませてから尋ねてくる姿は如何にも子供っぽくて可愛らしいが、食べながら喋るのは行儀が悪い気がする。
「ちょっと、シャル――」
「おい、いい加減にお前の説教は聞き飽きたよ、ワトソン君」
「……読まないでよ」
「ふん、何年お前と同居していると思っているんだ?」
「はいはい、そうですか」
愚痴を適当に流しつつ、紅茶の香りを楽しむ。
「いいセイロンだな」
「へぇ~ご名答、流石だね」
一発で茶葉の銘柄を言い当てた、この味覚は流石である。
「で? 何の事件なんだ?」
「……」
「どうした? 人を叩き起こしておいて、今更黙秘は無いだろ――」
「シャル〝J〟が出た」
〝J〟そのイニシャルが出た瞬間、豚肉を挟んだパイに手を付けようとしたシャルの手が止まる。
「〝Jack The Ripper〟か?」
通称切り裂きジャックと呼ばれた、今から百十四年前にロンドンを震撼させた伝説の殺人鬼であり、当時の警察がついとして捕まえる事の出来かった殺人鬼である。
イーストエンドのホワイトチャペル地区を中心に娼婦をバラバラにして殺害した凶悪犯であるが、模倣犯も含めて容疑者候補が百人以上いたにも関わらず証拠や目撃情報が少なかったこともあり未解決のまま時効を迎えてしまった。
「ああ、それも事件が起こったのはロンドンじゃない」
「だろうな、私が知らなかった位だ……で、場所は?」
「日本、それもやつが狙いそうな風俗店が立ち並んでいる裏路地、しかも殺され方、手口が酷似している」
「だが、模倣犯の仕業なのだろ?」
「ただの模倣犯の仕業なら、君の有意義な睡眠の邪魔はしないよ」
「どうゆう事だ?」
「詳しい事は後で資料を渡すよ、それでだ……僕が君に一番知らせたい情報はね――」
「勿体つけるな」
「焦らないでよ、その情報って言うのは、ズバリ犯行に使われた凶器の事だ」
「凶器?」
「遺体の中から発見されたナイフの破片の材質が当時の〝J〟が使ったとされる凶器と完全に一致した、これは警察からの情報だ、間違いなよ」
「ほぉ?」
彼女の目の色が、変わった。
気だるい目から、鋭利な三日月の目へと姿を変える、事件を目の当たりにした時に見せる猛禽類の眼だ。
「本当は、朝ごはんが終わってから話をしたかったんだけどね、だって――」
「面白いな、詳しく聞かせろ」
「これだもの……」
彼女は事件の事になると、それ以外に思考を使おうとしなくなってしまうんだ。
「いいや、紅茶は頂くよ……美味いからな」
「お茶だけかい?」
「もちろん、パイも頂く」
「よかった、作った甲斐があるよ」
顔を綻ばせ美味しそうにパイを食べながら、シャルが自身の思考を整理するように尋ねてくる。
「けど、お前のさっきの説明の仕方だと、犯行を行っているのは、本人である可能性があるということか?」
「いや、否定は出来ないだろ? けど、可能性はほぼゼロだとも思う、仮に当時の〝J〟の犯行だとすると色々なところで矛盾が起こるよ? 年齢の事とか」
「しかし、それ以外に可能性がないなら――」
「それが例えどんなに奇怪でも、それが真実である、かい?」
「しかし、それは数多ある可能性を消去した末にたどり着く事だ」
「じゃまずは――」
「ああ、真実とは過去と現場と人間が教えてくれるものさ」
微笑んで席を立つシャル、食べ終わった皿をそのままにして部屋に帰っていく。
大方、出発の準備に入るのだろう。
それを見送り、テーブルの片付けにはいる。
それから、しばらくこの部屋ともお別れだろうから今日は丹念に掃除でもしようか。
「さて、これから忙しくなるね」
愚痴りながら、晴天の空を見上げた。
窓から見える外は眩しい、なのに流れる雲が速すぎて、まるで行き急がせているようだった。
それから一通り、部屋の掃除をし終えたところで――。
「ん?」
スラックスのポケットが震えた。
そこにしまってあったのは最新の電子端末である、夜遅くまで並んで買った甲斐があるというものだ。
何時、何処にいても最新の情報がリアルタイムで知ることが出来るのだから、世の中は実に便利になったと実感する。
「なに、なに……〝J〟の犯行と思われる事件の追加情報か――」
人とゆう同じ種族が、互いの命を奪い合う。
悲しい事だけど、でも……いかなる理由があろうとも贖罪はするべきだ、それは罪を犯した人を救うことにもなる。
そう――罪は……背負い続ける事の方が遥かに苦しい事なのだから。
「事件か?」
声に気付いて時間にして三十分、シャルはもう身支度を終えたらしい。
「相変わらず、持っていくものが少ないね」
「着替えと、最低限必要なもの以外持っていく必要があるのか?」
「そうですか」
何せ、ちょっと大きめなスポーツバックに入るくらいの荷物しか持っていかないのだ、そりゃ荷造りも早いわけだ。
それに、彼女の格好はこれまたラフだ。
シャツの隙間から見える引き締まったウエスト、清潔感あふれる白いシャツの上から深紅色のジャケットを羽織っている。
そして、幾多の事件を解決してきた……その優秀にして明晰な頭の上に乗った古びた黒色の帽子、それはかつて僕があげた帽子だ。
彼女が、自分を見失わないようにと思いを込めてあげた僕の宝物だ。
「それに僕は、まだ何も言ってないよ?」
「どうせ事件だろ? お前が端末を左の親指だけで操作するのは、事件が起きた時だけだからな」
「やれやれ、誤魔化せないね」
なんで分かったと、彼女に問う必要はない。
遺伝のなせる業なのだろう、彼女の記憶力や洞察力は常識に不在している、その業は彼女の強さの一つであり、また同時に彼女自身を圧迫する物でもあるに違いない。
シャルは強い人だ、だからこそ僕は彼女の支えになりたい。
その助力で……シャルが――自分らしく生きられるなら、これ以上に喜ばしい事は無い。
「どうした? 白葉」
僕の思案に気付いたのか、シャルが不思議そうに首をかしげた。
「いや……何でもない」
さて、僕は既に荷造りは昨日終えているからすぐに発てる。
気合を入れ直し、リビングに置いてあった荷物を手にとって僕達は新たな事件への準備を終えた。
「じゃあ行こうか、シャル」
「そうだな、ナビは任せたぞ、ワトソン君」
「もちろん、それから――」
「ん? どうした?」
先に走りだそうとした彼女が止まる。
そして、微笑みながら告げた。
「その帽子、似合っているよ」
「……当然だ、私は姫芽花・シャルロット・ホームズだぞ!」
行くぞ、と再び駆け出した彼女の背中と満面の笑みを追って、飛び出すように見慣れた我が家から駈け出して行った。
執筆者 湖月 静歌氏 八月十三日(水)
(此処は、どこ?)
虚ろな視界で周りを確認する、そこは記憶にない場所だった。
そこは、清潔すぎる白い箱の中。
机もイスもない。
ただただ白い壁に囲まれているから、ここが狭いのか広いのかさえ分からない。
(出して……)
清潔すぎる環境が、私の頭を狂わせてくる。
嫌だ、ここにいたくない……怖い、怖い!
(出して!!)
声なき声で叫ぶ。
目の前の壁が突然、長方形に切り取られる。
どうやらそこは出入り口の様であるが、内側にドアノブが無いためこちらから開ける事は出来ない。
入口の所に男が一人いる、どうやら外に待機しているようだ。
一方、入ってきたのは白衣を着た二人組で、両方とも男である。
「おい、さっさと終わらせるぞ」
「分かっていますよ、こんな危ない奴の検診なんて何時までもやっていたいわけないじゃないですか」
(いや……来ないで!)
そんな願いも虚しく着ていたと思われる真っ白な服をむしり取られ、変な薬品を打たれ、血を取られ、体の隅々まで調べられる。
その作業中、男達の会話が響いてくる。
耳を塞ぎたいけど体が動かない。
「そう言えば、この間の件の生き残り達に個体達に総称が付けられるらしいぞ」
「総称、ですか?」
「ああ、こいつら〝天壌の者〟って名付けられたぞ」
「ディーヴァ?」
「古代インド語で〝輝くもの〟って意味だ」
「へ~いいですね、プロジェクト名から取ったんですかね」
「だろうな、あとこの名前には、もう一つ意味があるんだが……これがまたいいセンスをしているんだ」
「もう一つ? なんですか?」
「天使と堕天使の原型だそうだ、東方では天使の意味であり西方では堕天使と悪魔がしばしば混同されて伝わっているそうだ」
「そうなんですか、詳しいですね」
「まあ全部〝黒色の貴族〟様が言っていたんだけどな」
「なるほど、でも、あの人も結構不気味ですよね」
「おい滅多な事を言うなよ、聞かれたらどうする」
「ですけど、いきなりあんな大金をチラつかせてこんな研究をさせるんだから、何を考えているか、分からないじゃないですか」
「そうだが、俺達が食っていけるのはあの人のおかげなんだぞ、俺達はもうあの人なしでは研究を続けられないんだ、あんまり機嫌を損ねる事を言うなよ」
「はいはい、分かっていますよ――」
そう若い男が軽口を突いた。
その時――薄暗い闇が人の形を作った。
「すまない、ちょっといいかな?」
「きょ、教授!」
「い、いつから……」
二人の顔が恐怖に歪んだ、こつこつと革靴を鳴らして入ってきたそれを人だとは思えなかった。
顔が見えない、表情が窺えないのとは違って深々と被ったシルクハットの影に隠れているせいかもしれないが顔があるかどうかも分からない。
まるで、影が人の衣服を着ているかのようだ。
「すまないが、急いで〝鮮血を浴びる少女〟を起こしてくれないか?」
「サンプル0を? ど、どうして?」
私を見つめながら、軽口を叩いた若い男が戸惑いながら尋ねた。
「話してもいいが、それを聞いてどうする?」
「あっ! いえ! わかりました」
「しかし教授! 彼女の調整は終わっていません、それにあんな事を起こしたのですから首輪をつけておかないと危険です!」
「なに、ちょっとした後始末を手伝ってもらうだけだよ」
狼狽している二人とは対照的に、落ち着いた声色で男達に指示を出す紳士の視線は真っ直ぐ私を見ていた。
(もう、嫌だ……)
射抜かれるような視線が私の心を握りつぶそうとする。
この陰の紳士は危険だ。
一見ただけで分かってしまった……理解、させられてしまった。
「さぁ……おいで」
けど、その一言……たったその一言に導かれるように――目の前に自分の手の甲が見えた。
そう――夢の中の私は、その手を受け入れた。
そして、夢を見る私は……深い眠りから覚めていった。
「ん……うにゃ?」
顔に温かな光が当たった、その光は朝の到来を運んできてくれた。
「なんだ……夢か……」
そんな事を自覚しながら、その温かなぬくもりで目覚めた。スズメが窓に止まってこちらを見つめている、まるで早く起きろと非難されているように。
「朝か……」
低血圧の私が目覚ましと同時に起きられるなんて、たまには悪夢を見た方がいいのかもしれない。
「何て、ね」
こうゆう事を言っていると、本当に見ちゃいそうだ。
「静歌! おはよう!」
「うわぁ!?」
深く考えている自覚はなかったが、いつの間にか来ていた人影に気づけなかったようだ。
「おばさん……何するんですか」
「あら、静歌が起きてこないのが悪いんじゃない」
「とっくに起きていましたよ、ただ、ボーっとしていただけです」
「そうなの? だったらシャワーでも浴びてきなさい、ご飯もう出来ているから」
「分かりました………………あの、おばさん?」
「私はおばさんって名前じゃありません」
「……セフィリさん?」
「なに?」
「いい加減、撫でるの止めてくれませんか?」
「もう少しくらい――」
「ダメです」
意見を一蹴されて、ものすごく不満そうな顔をして離れていくこの人は、家の全権を握っているセフィリさんだ。
おっとりした性格だったらしい母さんとは違い、古い付き合いであるセフィリさんはまさにしっかり者の典型である。
それなのに……私の事を溺愛しすぎて軽く周りから引かれる事があるのが傷だ。
(溺愛してくれているのは嬉しいんだが、人前で頬すりは止めてほしい)
しかも、四十歳になるとは思えないほどスタイルも顔もいいため女の子からは尊敬、男からは欲情の目で見られるのだ。
「ところで、学校生活のほうは順調なの?」
「もちろんですよ、セフィリさん。体調管理もばっちりです」
「そう……もう! 若いって羨ましいわ」
再び抱きついて頬すりを開始し始めた。
おばさんみたいな美人にされると、何だか照れくさい。
「止めてくださいよ」
「また、照れちゃって……そこがあんたのかわいい所なんだけどね」
「いえ、まだまだですよ、アネちゃんに比べたら、ね」
「……そうね、確かにあの〝天愛の歌姫〟はすごいよ……あのカリスマといい、天はあの子に二物も三物も与えているわ」
「……」
悔しくないと言えば嘘になる、保育園からの幼馴染みで、ずっと一緒だったのに私は平凡な高校生…… 片や、スポットライトを浴びる歌姫だ。
少しは悔しい、でも、それ以上に誇らしい。
「うん、アネちゃんは私の親友で私の目標なの、だから――」
「がんばりなさい、あんたならきっと追い越せるわ」
セフィリさんは、笑顔で言葉を引き取ってくれた。
「うん――あ!!!」
「ど、どうしたの?!」
突然声を上げた私に目を丸くするセフィリさんの顔を私は青ざめた表情で見た。
「ち、遅刻――――!」
「遅刻? あ――!」
「やばい! どうしよ!」
「いいから早く着替えちゃいなさい! 今日は私が送ってあげるわ!」
「お、お願いします!」
それからドタバタの着替えが終わり寝癖もセフィリさんの車の中で必死に直し、二十分しないうちに学校に着いた。
しかし、下駄箱で力尽きて全体重を下駄箱に預けた。
「はぁーはぁー、こ、今度から運動もするようにしよう――」
すると、この独り言に淡白なツッコミが帰ってきた。
「その前に、寝坊しない努力をした方が賢明だと思うよ?」
「あ、望美だ……」
声がして振り向くと、赤毛でアホ毛がチャームポイントの友達の高嶺 望美が呆れ顔で見下ろしていた。
成績優秀、品行方正の優等生、父親の実家が美術館の館長を代々してきた為か美術への関心がとても高い。
脇に抱えた、いつも持ち歩いているスケッチブックには彼女の見た風景がいくつも描かれている。
一度だけねだって見せてもらったが、それは素人の私が見ても温かさを感じる絵だった。
いや、私のような素人が見ても魅入られる程、彼女の絵には不思議な力を感じるのだ。
「所々よれよれね……どうせ君の事だから、寝坊でもしたんだろう?」
呆れの視線を送りながらも手を差し伸べてくれる、可愛げのない……可愛い私の友人。
「違うわよ、今日はセフィリさんと話していたか遅れちゃっただけだし」
「それでも、普段から早起きすればいいだけの話じゃないの?」
「うぅ……反省しているわよ」
「まぁいい、それより早く行こう、チャイムが後三十秒でなってしまう」
「ところで、何で望美がいるのよ」
引っ張り上げてもらいながら素朴な疑問を聞いた。
望美が遅刻とは考えられない、何せこの子は学園に入学して以来二年間、朝の七時以降に学校に入った事が無いのだ。
「別に、大した理由は無い……」
そう素っ気なく言われたが、顔が僅かに赤い。
「ひょっとして、心配してくれたの――」
「さっさと行くぞ」
スタスタと歩いていく友人の姿を見て疑問が確信に変わった。
「まってよ、望美!」
素直じゃない友人と並んで、何時ものにぎやかなクラスに向かった。
生憎、望美とはクラスが別なので教室の前で別れる。
「お、首尾よく連行されてきたな」
「人を動物みたいに言わないでください」
私の愚痴にクラス中から笑いが漏れた。
「遅刻にはしなんでやるから、早く席に付け」
今時にしては珍しい熱血教師である担任からとてもありがたい朝礼を聞いている最中のこと。
開けはなっていた窓から入り込んだそよ風に、寄り添うように入ってきたのは一節の詩だった。
この詩はあの子のお気に入りの歌だ。
確かデビューシングルのカップリング曲で、今どき携帯電話を持っていないあの子の為に慣れない文通をしていて、何故この曲がA面じゃないのか不満が綴られていたのを思い出した。
「そっか、今日は来ているんだ……アネちゃん、朝礼が終わったら会いに行こう」
窓枠に切り取られた青空を見上げながら、そう呟いた。
「いいか! 最近はおかしな通り魔が出没しているらしいから出来るだけ、一人での下校は避けるように、いいな!」
そんな言葉を聞きながら、屋上で歌っている彼女に思いを馳せた。
「……やっぱり来た」
屋上に来た私を見ないで彼女は真っ先にこういった。
まるで、最初に来る客人を知っていたかのようだった。
「呆れている?」
「いいえ、嬉しいわ」
微笑みが似合う彼女こそ若干十歳にして〝天愛の歌姫〟と呼ばれ、私の親友にして最大の目標であるアネモネス・アイリーン・アドラーである。
某国の大統領すら虜にする魅惑の声に、人の惹き付ける瞳は綺麗な琥珀色をしている。
彼女こそ魔性と呼ぶに相応しいと思う、そんな彼女だから異性は勿論、同性からも一目置かれるのに、何故かそれを避けいつも一人で外ばかりを眺めている。
みんなは、天才である彼女が自分たちを見下していると思い込んでいるようだけど、私はそうは思わない。
「忙しいの?」
「まあね、ここに来たのだって特に意味なんて無かった、だけど……どうしてかな……何故か急に――」
「急に?」
「貴女の顔が、見たくなったわ」
彼女が笑った、それは女の私でさえ、恋に落ちそうな美貌だった。
「じゃあね、静……」
それだけ言 って彼女は屋上から退場していく。
「目標ということもある、親友と思っている事もある、でもそれ以上に笑わせてみたいな」
微笑では無く本当の笑顔が見たいと思った。
考えてみても彼女の本当の笑顔を見た記憶は幼少の頃からの付き合いであるのに見たことが無かった。
「戻ろう」
そう思って腕時計を見れば、まだ始業までは十分以上あった。このまま帰ってもやることはない。
「いい風……」
自慢のセミロングヘヤーを風が優しく撫でる。
この街は、なんと言うか……時代に取り残されている――いや、時代に乗るのがとても下手なのだろう。
次々と生まれるビル群や、最新の流行が入ってきてもどうしても二番煎の気がしてならない。
でも、私はこの街が好きだ、複雑に入り組んだ駅前は未だに流行ってなさそうな雀荘や飲み屋が軒を連ねている。
最近では駅前をメインストリートにしようと実家が養蜂をやっている市長が道を綺麗にして、今ではそれなりに観光客も入っていると思う。
元々避暑地として有名なこの街は夏の風物詩である花火が有名で、湖の中の孤立した島から打ち上げる花火がとても綺麗で毎年必ず友達と見に行くほど地元の人にとってはかけがえのないイベントの一つなのだ。
八月ともなれば普段は閑散としている裏道が人で溢れかえるのだが、落ち着きのあるこの街にもいかがわしい店があるのも事実である。
特に、女性が体を売るようなあこぎな商売が、私は嫌いだ。
しかし、需要と供給が成立している以上その類の連中が消えることはないのだろう。それに、それがあっても有り余るほどこの街には魅力がある。
けど、魅力があるのに生かせない、そんな不器用な街を眺めていると不意に扉の開く音が聞こえた。
「あ……望美」
「先客がいたんだな」
柔らかく微笑んだ望美は鞄からスケッチブックを取り出し、四階から見える住む街をスケッチブックにおさめていく。
「あそこが大型ショッピングモールで……その左が雑木林、その手前は来年完成予定の、高級マンションで……」
スケッチをする望美を横目に風との対話に耳を傾ける、すると望美の視線が度々こちらに向いているのに気が付いた。
「どうしたの? 望美」
「えっ……いや――」
いつもと違う、自信の無い彼女の態度に少し戸惑う。
「らしくないよ、何かの相談?」
「…………アネモネスさんと仲がいいみたいね」
「アネちゃん? いきなりどうしたの?」
「さっきアネモネスさんとすれ違ったんだ、ほら私はアネモネスさんと同じクラスだしクラスでも浮いている彼女が親しげに話しているのって静歌以外に見たことないからさ」
「うん、だって幼馴染みだもん。どんなにアネちゃんが有名になっても、私はずっと友達だと思っているよ」
「そう、そうだよね」
「望美?」
「いや――何でもない、気にしないでくれ」
「え、でも――」
「そろそろ授業が始まるぞ」
そして、出かかった言葉を飲み込んで望美は逃げるように立ち去ってしまった。
「何なの?」
何か分からないまま、望美の後を追って教室に戻った。
「そう言えば、最初の授業って体育だったわね……」
教室について早々に次の授業内容を見て、ゲンナリした。
「いいじゃない、あんたは運動神経いいんだからさ」
「そうよ! それなのに我がまま言うなんて贅沢よ、静歌」
どうやら、友達に励まされるほど情けない顔をしていたらしい。
「今日の持久走に、運動神経は関係ないと思うよ」
「私はいいかも、だってダイエットになるし」
そんな友人の一言に、つい意地悪を言ってみた。
「知っている? セフィリさんに聞いたんだけど、夏に汗をかいても意外と痩せないらしいよ?」
「ちょっと! モチベーション下げないでよ!」
「あははは!」
「もう、そんな意地悪言う静歌は置いていちゃうんだから!」
「そうね、遅刻はしたくないし、あんたも早くしなさいよ」
次々と着替えに向かうクラスメイトが教室を後にしていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
転びそうになりながら、友達の背中を追った。
学園内 体育館
「うわ~暑い」
入って早々に漏らした言葉、静歌は軽くHPを削られた。
「はい、早く並んで~」
そんな私を尻目に、学級委員長の朧が仕切る中で持久走が始まった。
最初は、それなりに走っている人も見受けられたが、開始二十分が経った位から周りの生徒が根を上げ始めてくる。
「これ、生産性が見出せないね」
持久走なんて、ただ疲れるだけだ。
高校生にアスリート並の体力を求めてどうするのだろうか?
「静歌、喋る、元気が――あるんだ」
友達の一人にそんな事を言われた。
「こんなに走っていて、平気なの?」
「何で? 走っているだけでしょう、汗はかくけどそんなに疲れないわね」
「あんた、本気で、運動部でも入ったら?」
顔も真っ赤だ、これ以上は体を壊しかねない。
「大丈夫? 無理せず休んだら?」
「そう、するわ」
次々に脱落していくクラスメイト達、そして、走っている人が半分以下になった時に担当の教師から終了を告げるホイッスルが鳴った。
「よーし、十分間休憩してから次はバスケをやるぞ!」
「お、次は生産性がありそうね」
「あんた、本当に元気なのね」
「本当よね……何にせよ、今日の授業は良く寝むれそうだね」
へばる友人たちを尻目に、顎を伝う汗を手の甲でぬぐった。
「ふぅ~暑いわね」
窓から零れる日差しを追って見上げる空は青空――入道雲もない快晴だ、なのに何だろう……。
少し、怖くなる……まるで、吸い込まれるような気がして。
まるで、言われのない罪を突き付けられたような気がして。
「静歌! 早く行こうよ!」
友人の声に、意識が引き戻される。
無意識に私は……窓に向かって手を伸ばしていた。
それは、許しを請うように。
何かを、求めるように。
私は、慌てて腕を引っ込めて――
「すぐ行くわ!」
そう言って、クラスメイトの元に駆けていった。
青空に背中を――見下ろされながら。
執筆者 緋芽花 八月十三日(水)AM9‥18
「やれやれ、十時間以上あんな硬いシートに座らされて、更にこれから二時間以上サイドカーに押し込まれるとはな」
「仕方ないじゃないか、急だったから一般席しか取れなかったんだよ」
日本に着き空港の傍のホテルで一泊した後、ホテルを出て一時間が経った。
高速道路に入り、そびえるコンクリートの木々を横目に事件のあったN県に向かっている。
「流石は、世界有数の経済大国と称される日本だな……道路整備も息届いている、それにこの道路は面白い」
「何がだい?」
「気付かないか? この道路、わざとデコボコに作ってある」
「わざと?」
「ドライバーが慢性的に運転するのを防いでいるんだろうな」
「流石は日本人だね、息届いた気配りだ」
「……」
「シャル?」
不意な沈黙をいぶかしんだのか、白葉が私の名前を呼んだ。
「なぁ白葉、どうして〝J〟は日本に出たんだと思う?」
「唐突だね、どうしたんだい?」
「航空からずっと考えていたんだ、何故〝J〟はわざわざ日本で罪を犯している?」
「そう言えばそうだね、あんな残忍な殺し方をするんだから、怨恨とか?」
「怨恨か、だったらロンドンの方がずっと関係者は多いんじゃないか? ほら、蒼苑だって関係者だ」
「確かに、当時の現場責任者は先代のレストレード警部だったもんね」
「そうだ、百年前の事件との関連性も謎だし、当時の捜査資料は殆どが風化しているうえに犯人候補の事情聴取の供述は曖昧が多い、精神疾患を患っている参考人からの調書も多いからまともな証言も少ない」
只でさえ謎の多い犯人像に加えて、残っている資料のほとんどが使えない。
「そうなると……今となっては当時の証拠は一切当てにはならない、か」
白葉も今の状況が理解で来ているだけに、溜息が出てしまうようだ。
「厳しいな」
「でも、やるしかないよ」
「分かっている」
そう、手段を選んでいる場合ではない。
「仕方ない、不本意ではあるがあの人に頼んでみるか」
「あの人って、拓門さんかい?」
「そうだ、白葉……兄上とはゆっくり話がしたい、落ち着いて話せる場所は無いか?」
「そうだね……」
その時、いいタイミングでサービスエリアの看板が見えたので休憩も兼ねて、寄ってみることになった。
サービスエリアは休みが近い為か観光客で賑わっていた、私達は窓際の人気の少ない場所を選んだ。
「何か食べる?」
「ざるそばを頼む」
「分かった、じゃあ僕はうどんにしよう」
「やはり、こんな炎天下の日は冷たいざるそばに限る」
「そうだね、今日はこんなにも快晴だ」
空には、青色の絨毯が広がっている。
「さて、ご飯の前にさっさと済ませてしまうか」
「せっかく電話を掛けるんだから、食べた後の方がいいんじゃないのか?」
「嫌な事はさっさと済ませるに限る、知っているだろ? 私はあの人が苦手なんだ……ふぅ~」
「そうだったね……分かった」
そう言いつつ、白葉は席を外してくれた。
そして、三回目のコールでようやく電話に出たのは――
『私だ』
平坦な声が耳をくすぐった、私以上に感情が現れない声、明晰過ぎる頭脳、巧みな話術で幾度となくイギリスの利益と危機を救ってきた。
それ故に、あらゆるものに興味が向かわず、本来なら彼こそがホームズを継ぐべきだったのだがその無 関心さゆえに探偵としての道を辞退したのだ。
もし、彼が少しでも犯罪学に興味があったのなら、きっと名探偵か警視総監になれたのだろ。
彼こそ、我が兄にして優秀な外交官である、巧門・マイクロフト・ホームズである。
「兄上か?」
『用件は、だいたい察しているよ』
「流石は兄上、話が早いな。既に、私達の動向を掴んでいたのだろう? それで、どの位で資料は届く?」
『今日中には、君の端末に届けるよ』
「助かる、今日は外交の仕事ではなかったようだな、声にストレスが出ていない」
『ああ、君こそ昨夜の実験は成功したようだね、おめでとう』
「それはどうも」
『それに、どうやら今日の下着は淡い水色だね、実に似合っているよ』
「はぁ!? なんで分かるんだ?」
兄上から下着なんてワードが出てくるとは思わず、声を荒げてしまった。
『簡単な行動観察と、君が置かれている状況を考察すれば大体分かる、君達は今〝J〟を追って日本にいるんだろ? つまり事件に関わっているんだ、君は穿きなれた下着じゃないと落ち着かないじゃないか、ろくに部屋の整理もしてないんだから何時も習慣で穿いているお気に入りの下着を選んだのだろ?』
「うっ!」
認めたくないが、事実だ。
『それに赤が好きな割に白葉君が好きな淡い水色を穿くなんて、君も中々に乙女じゃないか』
「う、うるさい!」
『別に、君の下着に興味は無いが、これ以上私に迷惑を掛けないでくれるか? 今日はたまたま時間が空いていたから調べたが、便利に使われても困る』
「分かっている、私だって出来れば兄上に頼りたくなんかない」
『確かに、貸しを口実に陛下のおもちゃにされるからね、君は』
「うぅ……それもあったから、頼みたくなかったんだ」
確かに、あの人は天然で私を着せ替え人形のように扱う。
この人に貸しを作るという事は、女王陛下に貸しを作るという事だ。
『最後にこれだけは言っておく、探偵とはすべての罪に平等でなければならない、自身の感情に流されて君の目的を忘れるなよ』
「ご忠告どうも、じゃあね」
『それではな、せいぜい頑張りたまえ』
電話を切られた、これだけの会話なのにひどく体力を使ってしまった。
「ははは……相変わらず、君には厳しいね」
白葉が二人の昼食を持って戻ってきた。
「仕方ないさ、あの人に比べたら私なんてまだまださ」
「やっぱり、巧門さんが苦手なのかい?」
「得意な人がいるのか?」
「僕はそうでもないけどね」
「お前は人畜無害だからだよ、あのプレッシャーを私に対する好意と捉えられるお前はすごいと思うぞ」
「そんな事は無いよ、君がいない所ではあの人はシャルの話しかしてないしね」
「そんなの事言われても、困る」
「だろうね」
軽口を終えて、お互いに冷えた麺をすする。
日常は穏やかに流れていても、私の中にある義憤は静かに燃えている。
だから、相棒だけには言っておこうと思う。
「白葉、私は本に出てくる探偵が好きではないんだよ」
「ん? そうなのかい? その割にはよく探偵ものを読んでいるじゃないか」
「あれは、純粋に物語を楽しんでいるだけだよ、その中で探偵がもっとも重要な役割を担っている事だって分かっている、でも彼等は人が死んだとしても冷静だし、正確に真実だけを見抜く」
「小説の探偵たちも、君には言われたくないだろうね」
「私は、文字で書かれた探偵の様に動く事は出来ないよ、正確な状況判断で降りかかる困難をすべて解決することは出来ない、私が人である限りな」
「シャル?」
箸を置いて、白葉の顔を見据えた。
「覚えておいてくれ、私は神じゃない、だから全てを許すことは出来ない」
「……でも、君はただ諦めるとゆう選択は出来ないさ、君は最大限に許す努力をするはずさ」
言いたい事は伝わった。
でも、それでも白葉は笑って信じてくれた。
「君は優しい、こんな事件を起こした〝J〟が許せない気持ちや君が無関係な人を傷つけるのが許せないのも分かっている、でも君は許してしまうんじゃないかな」
そう言って白葉は、再び空を見上げた。
「無いもの、無くなってしまったものよりも、今ある物に無くなったもの以上の価値を見出そうとする……心優しい――皆の平和を願う乙女だよ、シャルは」
「……お前には敵わないよ、そう言ってお前は……何時も私を信じてくれていたな」
さて、雑談はここまでだ。
「白葉、やるぞ」
「ああ、なんとしても捕まえるんだ〝J〟を」
席を立つ。そして――
「行くぞ、ワトソン君」
「ああ、シャル」
並んで外に出た。
外は相変わらずの快晴、まるでスポットライトに照らされた役者達の様に殺人現場に向っていった。
執筆者 湖月 静歌氏 PM 16‥00
「君たち、ちょっといいかい?」
六時限目の自習の時間、母国語の担当教師に代わってやってきた新任教師が突如声を上げた。
真面目に勉強をしている人、お喋りをしていた人、静かに寝息を立てていた人達が一斉に顔を上げる。
「人は何故、夢を見ると思う?」
「……」
そう言えば、この人はこうゆう事を平気で言いだす人だった。これでよく授業も止められてしまうのだ。
あまり熱すぎて聞いているのが億劫になり、仕方なく空を見上げた。
もう夕日が顔を照らす時間だ。
「僕の若いころは――」
まだ言っている、いい加減時間にならないだろうか。
(夢、か……)
そう言えば、私の夢ってなんだったろうか。小さい頃の思い出は……。
(あまり、覚えていないなー)
そればかりか、私は両親の顔さえ憶えていない。
ただ、物心ついた時からセフィリさんがお世話をしてくれていたから全然寂しくなかったし、それに中学生の時に一度だけ両親の事を聞いた事があった。
「ごめんね、いつか必ず話すわ」
そう寂しそうに言ったセフィリさんの顔が今でも忘れられない。
あの反応からして、両親は既に死んでいるのだと気付くのまでにそう時間は掛からなかった。
(でも実感が湧かないから、悲しくもならなかった)
要するに私は、肉親の死を遠くの親戚が死んだと同じような感覚なのだ、触れあった記憶が無いから感傷さえ起らない。
(止そう、死んだ人を悪くゆうのは良くないしね)
雑念を振りはらったのと同時に最後の授業の鐘が鳴り何事もなく放課後になった。
そして、何事もなく学校を出る。
喧騒にはほど遠い町中を一人帰路につく私、その中にある不釣り合いなビルの巨大なスクリーンに流れているのは最近起きている猟奇殺人の続報が、午後六時の夕方のニュースで特集を組まれているほど大きなものになっているという自分には縁のない報道が映されている。
それをぼんやりと眺めながら考えているのは、今日のアネちゃんのことだ。
「やっぱりアネちゃん、忙しかったんだな」
私と話した後すぐに屋上を出てったのは本当に仕事が忙しかったみたいで、教室にちょっと顔を出したらすぐに出て行ってしまったと、後で同じクラスの友人に聞かされた。
友人の一人は絶世の歌姫、もう一人は一途に画家を目指す苦労人、何もない自分との差は大きい。
「あーあ、何か……自分を変えられる位、大きな出来事が起こらないかなー」
平凡が嫌なわけじゃないけど、何かをしたいのに何も出来ない自分が歯痒い。
多分、自分は将来に希望が持てないのだろう。
だから、何とかしたくても動けないのだ。
希望に向かって進んでいくのが人間ならば、希望のない自分はただの人形なのかも知れない。
「でも、人形で終わる訳には、いかない」
決意するように……ゆっくりと、飲み込む様に区切る。
アネちゃんを目指す以上、ただの人で終わるわけにはいかないのだ。
嫌な雑念を払うように頬を叩く。
すると、部活帰りの望美が私を見つけて近寄ってきた。
彼女は最近部を立ち上げたのだ、美術に対する意気込みを買われ同好会という形で美術部を創設したらしい。
「静歌、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「別に、何ともないよ」
「そうか、なら少し付き合ってくれ、話したい事があるんだ」
「……いいよ、何処に行くの?」
詳しい事は何も聞かなかった、それが、屋上で言いそびれた事だと分かったから。
それから寂れた公園に行こうとゆう話になり二人は並んで歩く。
幸い、それほど離れてなかったので十分と経たないうちに目的の公園に着いた。
「……」
「……」
「……」
「え、えっと……ねぇ?」
「な、なんだ?」
「……何か、食べる?」
我ながら頭の悪い提案だと思うが会話の無い時間が長過ぎて、そこまで気が回っていなかった。
「何って、ここは何もないよ?」
「あー」
まずい、それさえ決めてなかった。
慌てて周りを見渡すと、そこにちょうど公園にいたホットドックの屋台が目に止まる。
「あれにしよう」
「……分かった」
「じゃ、じゃあ買ってくるから」
自分は買い出しの方に向かうことにした。
その間に、望美には自分の考えをまとめてもらおう。
「ほい、二つで千円だよ」
焼き上がったフランクフルトをパンに挟んだ。
そして、掛け過ぎではないかとゆうくらいのマスタードとケチャップ塗れのホットドックを紙に包んで二人分を渡してくれた。
「はい、千円」
「まいど!」
丁度の勘定を済ませて、彼女のホットドックを持って駆け寄る。
「ごめん、少し遅くなっちゃった」
「大丈夫だ……」
「そう……」
ま、まずい、さっきから会話が続かない。
でも、何から聞こう、いきなり本題を話してもどうせ答えてくれないだろう。
「とりあえず、これ食べてからにしよう? 辛いのは平気だったよね?」
「平気よ」
「だったら――」
女の子らしくないと分かっていても思いっきりかぶり付く、噛んだ瞬間にソーセージ特有のパリッとゆう音と共に肉汁がじゅわっと広がる。
「美味いなー、望美も食べたら?」
買ってきたホットドックをしげしげと見つめながら。
「ありがとう」
そう言って小さくかぶり付いた。もぐもぐ口を動かしてまた小さくかじる。小鳥が突いているようで、 これでは何時まで経っても完食出来そうにない。
「美味しい」
けど、僅かに見開いた眼が柔らかくなるのを見て、少しだけど安心した。色々悩んでいたみたいだったし一安心だ。
それからしばらくは無言で食べることに集中した。
ふと思い、屋台のあった方を見るが屋台はどこかに行ってしまったようで、児童公園には私と望美しかいない。
二十分ほどで二人とも完食した。
時間は午後七時を回った、辺りは徐々に黄昏を迎え始めた。
「……」
「……」
しかし、それから望美は黙り込んでしまった。
柔らかく見開いた目には影が落ちて、公園の時計は音もなく時間を告げている。
「……」
「それで、話って何?」
これが、私が出来る最大の歩み寄りだ。
「……今日の朝礼で、各クラスの担任が話していた通り魔の話を覚えているか?」
「うん、覚えているよ。確か……最近の猟奇殺人の事でしょ?」
「ああ………………私は、その犯人を知っているかもしれないんだ」
「え? それって、どうゆう事――」
「…………落ち着いて、聞いてほしい」
改めて喋り出した彼女の口調は二年の付き合いのある私でさえ、聞いたことのない暗い声だった。
「君の友人の――」
「友人?」
「あ――いや……」
言葉に詰まった望美が顔を伏せてしまった、綺麗に切りそろえられた前髪の影で表情は見えない。
「やっぱりいい、忘れてくれ」
「ちょっ――望美!?」
望美は何も言わないまま背を向けて逃げてしまった。
取り残された私は何も出来ないまま彼女の背中を見送り、公園で望美の事を考え込むが私が悩んでも明確な答えが出る筈もなく、時間は午後八時を回りそろそろ帰宅しようと足を家に向ける。
追いかけることはしなかった。
あの望美があれほど頑なに口を閉ざすなんて余程の事に違いない、知り合って二年になるがこんな事は初めてだ。
「一体、何なんだろう?」
彼女は何を伝えたかったのか? それは多分、底の深い問い掛けなのかもしれない。
下を向いていると引き込まれそうになる。
それが嫌で、自然と空を見上げた……顔を照らした月光は私の顔を赤く染め上げた。
そして曲がり角の先、その場所から百メートルくらいに自宅の自宅がある。
「ん……あれは?」
目前の裏路地の入り口は一見して騒々しい、何か騒ぎがあったようだ。
パトカーのサイレン音が野次馬達を掻き乱し、所々聞こえてくる会話に自然と引き寄せられる。
「おい、また切り裂き魔が出たってよ」
「いよいよ、ここら辺に狩り場を移したって事か?」
「で? 今回の被害者は?」
「それが、今まで斬り裂き魔が狙っていたのって、大体が風俗やってる奴らだったんだが今回のは毛色が違うんだ」
「何が違うんだ?」
「だって、この辺は風俗店なんてないだろ? だから、殺されたのは男女のカップル、それもしている時に襲われたんだってよ」
「殺害時間は?」
「警察の話だと、今日の午前3時くらいだって。ほら、この辺人なんて滅多に通らないし、しかもあんな裏路地の奥の方を覗く奴らなんて、やる連中以外いないしさ――」
「さ、殺人事件? こ、こんな身近で?」
愕然として、頭が真っ白になる、あと九十メートルくらい行けばもう私の家だ。
まさか、この辺りに殺人鬼が潜んでいるとでも言うのだろうか?
「そんな……」
私はこの街が好きだ、それは間違いない。
だって、たとえ変化することが下手でも、少しずつでも変わっていっているそんな涙ぐましい姿が好きだからだ。
だから、想像もしなかった、まさか……この平和な街で、こんな身近で、あんな猟奇殺人が起っていたなんて。
「どいてください! 担架が通ります!!」
警察官の叫び声で意識に色が戻ってくる。
戻って初めて見た色は、パトカーのランプの赤。
そして、隣を通り過ぎる、死体に掛けられたシーツの色が変わるほど滲み出た朱色だった。
「へぇ~流石は、ジャック・ザ・リッパーね」
すると、この場に相応しくない軽薄で美しい声が聞こえた、夜だというのにサングラスをかけ似合わないニット帽を被っている。
ぱっと見は地味な装いだが、中身は相当の美人なのだろう……気品を隠し切れていない。
「最初は覚醒するのに随分掛かったし、二年前に覚醒したと思ったら、あっさり引っ込んじゃったもの、やっぱりあの女が彼を深層意識の中に閉じ込めたのね」
何を、言っているんだろう?
「ねぇ、どう思う? 湖月静歌さん?」
その女の人は、私に視線を移した。
私の名前を歌うように口ずさみながら。
「え?」
「居るんでしょう? 彼が」
「か、彼?」
「そう……自覚が無いならしょうがないならしょうがないか、でもね――」
耳元で意味の分からないことを呟いた。
そして、僅かに香ったコロンと謎の言葉を残してその人は去っていった。
「罪を知らなくても、その大罪を背負って生きていきなさい――例えそれが、貴女を殺すことになってもね」
綺麗な背中を、呆然と見送っていると――。
「「「タ、タスケテ……」」」」
「だ、誰!?」
幾重にも重なる声、人の声とは違う何かを悲痛に求める声、今まで聞こえなかったのに……あの人が去ってから突如聞こえてきた、耳鳴りのような幻聴。
「どうして……」
何で聞こえるの、どうしてこの声達は私を責めるの?
「「「「ドウシテ、コロシタンダ……」」」」
「や、止めて、止めてください!」
耳を塞いでも声は止まってくれない。
叫んでいるつもりでも、周囲は私に付いた様子はない。
「「「「ナンデ、オマエ二コロサレルンダ……」」」」
「違うよ! 私じゃないよ!!」
(助けて! 誰か……)
「「「「ニクイ……! ニクイ……!! ニクイ……!!! ニクイ……!!!! ニクイ!!!!!」」」」
声はどんどん私を侵していき声が心を蝕んでいくのが分かる、あの夥しい血を見た後だからか余計に気が狂いそうだ。
「「「「タスケテ……オネガイ……」」」」
「止めて!! 無理! 私には――無理だから!!」
既に心は限界だ。
あと一押されれば……私は死ぬ……心が壊れてしまう。
「誰か……助けて」
既に、求める名前もなくなってしまった。
「君、大丈夫かい?」
すると、誰かが私の所にやってきた。
その優しく包み込むような声と感覚に、私は静かに泣いた。
いつの間にか、声も聞こえなくなくなっていた。
それもそうだ、私はその声に安心して気を失ってしまったのだから。
執筆者 白葉
「さすがに、何も残ってないね」
「そうだな、次に行くぞ」
湿った空気を吸いながら外を目指す僕たち。
羽田空港からN県に着いたのが3時間前、時間は既に午後七時三十分を回っていたが一刻も早く現場を見ておきたいとシャルに急かされ、殺人現場を回っていた所だ。
それから過去の現場を見て回っている間にロンドンでの答え合わせを聞いている。
二人とも時差ボケはあるが、活動に影響はない。
だが、丁度七件目の現場を見終わって路地から出てきた時だった。
「ちょっと、待ってくれ白葉……」
「どうかしたの?」
彼女の顔色が優れない、だが理由は察する事が出来きた。
「やっぱり、人混みは馴れない?」
「ああ、人混みに酔うとは言わないが……こう人が多いと目が回ってしまうよ」
そう、彼女の観察眼は異常だ。
多分視界に映る全ての人を無意識に観察してしまうのだろう。
「大丈夫? まだ回れるかい?」
「大丈夫だが、二年以上前の現場は流石に時間が経ち過ぎているな、もう夜も遅いし、あと一件回ったら続きは明日にしよう」
「了解だ、次は――そうだな、ここから一番近いのは一年前に起きた現場だ、五人が一度に殺害された――」
端末をいじりながら、愛車の方に向かう時だった。
「おい、そこの馬鹿二匹!」
聞き馴染んだ声に止められた。
そう、彼女がいるのは何となく予想出来ていた。
「お、誰かと思ったら行き遅れじゃないか。何だ、婚活でもしに来たのか?」
「あーあ、シャル……」
警部のNGワードを知っていながら、こう言うブラックなジョークを口に出してしまうんだよな。
シャルは、学生時代に女子の中で身長が高かった警部をよくいじっていたのだ。
先祖からの因縁がある為かお互い仲が悪いと主張しているが、傍から見れば悪友とゆう言葉しか出てこない。
警部が怒りを抑えながら無理やり頬に笑みを作る。
「……何だ、白葉の後ろにいたのか全然見えなかったぞ、チビホームズ……相変わらず年齢を二・三歳低く見られそうな身長だな」
ここぞとばかりに、NGワードで返す警部にシャルの大切な頭脳からブチッとゆう効果音が聞こえた気がした。
「あぁ!? 何を言ったかよく聞こえなかったぞ、年増」
ゴッゴゴゴゴー
「なら改めて言ってやるぞ、チビ? よい子はさっさとお家にお帰り」
ゴゴゴゴゴゴ―
「えーっと……」
何か、ゴングが鳴ったら掴みかかりそうな剣幕だ。
「ちょっと、待って下さいよ! 二人とも!」
額をくっつけるほど近づいていたせいで、二人の間に文字通りに割って入る。
「シャル、同い年の女性に対して年増はないだろ? いくら身長で負けているからってさ」
最初にシャルを窘める、そして間髪入れずに警部に向き直す。
「警部も、あんまりシャルをからかわないでくれ、僕たちだって何度も君に協力しただろ?」
「「うっ」」
痛いところを突かれた二人は、互いの顔を見ながら言い淀んだ。
「よかった、二人とも止まってくれて」
すると、流石に大人げないと思ったのか、こほんと咳払いをして警部が場を仕切り直す。
「で、お前らは事件の捜査か? 観光って感じじゃないよな?」
「守秘義務です」
そう僕は返す。
「職務質問だ、ちゃんと答えてもらおうか」
やれやれ、こう言った時にだけ職権乱用するんだから困ったものだ。
「お断りだ、私立探偵は顧客のプライベートを守る義務があるんでな」
「その事件に、顧客がいるならな」
そこにシャルも参戦して、言い合いが始まったが、その直後に警部の端末に連絡が入り険しかった顔が一層引き締まる。
「事件か?」
その僅かな変化を、シャルが見逃すはずが無い。
「……おいそこの二人、しょうがないから一緒に来い」
「僕はいいけど、シャルは? 事件の事を聞くまたとないチャンスだと思うけど?」
シャルもそれは分かっているのか何も言わず頭を掻いたが、少しして意地悪な笑みを浮かべた。
「反対はしないが、どうゆう心境の変化だ?」
からかう様なシャルの問いだったが、警部は表情を崩さずこう告げた。
「これ以上、被害を少なく出来るなら……幾らでも笑え」
「「……」」
二人とも、軽口を畳む。
「すまなかった」
シャルが頭を下げる、決してわざとじゃないにしても今の警部に対して軽口を叩いてしまった事に後悔したからだろう。
警部が事件を早期に解決したがっているのは、犯罪を許せないからだ。
彼女は自他共に認める正義の人であり、そうでなければ才能だけで警部にまで出世する事は出来ない。
正義とは、己の中にある正しさを認めさせる事だと警部はよく言っていた。
「行くぞ」
そう言って、県警のパトカーに乗り込む。
僕達も自前のハーレイに乗り後に続く。
三十分ほど走ったところで、すでに現場に着いていた鑑識の人達や野次馬達で現場が騒然となっていた。
「ご苦労様です」
現場の入口に立っていた新米刑事の人が、警部に敬礼をした。
すると、それを横目で見ながら本部と無線をしていたスーツ姿の警官が通信を終え、遺憾顔でこちらに近づいてきた。
「おいおい、出張してきた警部様は、いきなり観光か?」
その顔の通り、いきなり皮肉をかました。
「協力者を連れて来たぞ、炬警部」
「協力者ぁ? お前が来たってだけでも迷惑なのに、これ以上面倒事を持ってくるな」
本音を隠そうとしていない、警部が気に入りそうなタイプだと思った。
「……一応、確認しておくけど、そいつらじゃないよな?」
僕達を指差して露骨に舌打ちをされる。
「残念ながら、そうなんだよ」
「明かに部外者だよな、そんな素人をこんな事件に関わらせたくないんだが?」
「私だって本来なら部外者だぞ、それにこいつらは、私の高校時代の元クラスメイトだ」
「そうだ、だから嫌なんだよ! ガキが現場をうろうろするのがな! ったく、上は何を考えているんだ?」
頭を掻き毟り僕達が関わるのを頑なに拒んでいる、待ち惚けをくらう形だが地元の警察に協力を仰げなければこの事件を解決させるのは難しい。
「で、あの子は何をやってんだ?」
すると、僕に視線を送っていた炬刑事が僕の後方に視線を向ける、何の事か分からなかったが横に目を向けシャルが居ない事に気がついて警部の視線を追う。
「ああ、捜査ですね」
「調査? 落し物を探しているようにしか見えないが?」
僕の呟きが聞こえたのか、炬警部が半信半疑の声を上げた。
けど、炬警部は彼女の事を甘く見ている。
初めて見る人にはただ地面を這っているようにしか見えないのだろうな、でも……彼女はこうゆう時、こうゆうのだ。
些細な証拠が何よりも重要なのだと。
そして、その積み重ねこそ犯人を捕まえる絶対の檻になることを僕は誰よりも知っている。
「なぁ炬警部」
すると、地面を這い終えたシャルが埃を払いつつ炬警部の元に歩み寄る。
「何だ?」
「この辺には、犬を飼っている家が多いようだな」
「ああ……確かにな」
「ならば、事件が起きた時間帯に犬の鳴き声を聞いた住民はいるのか?」
「いや……住民の話では、いつもと変わらなかったらしい」
「そうか……」
何やら、顎に手を当てて考え込んでいる。
どうやら、何かが引っ掛かるらしい。
「しかも、この扉は……」
シャルの捜査は裏路地に差し掛かる、意味ありげに白い扉を押し引きしている。
「どうしたの?」
「ふむ……」
少し思案して、不意に僕を手招きした。
「なに?」
「白葉、この扉を開けてみろ」
「これを?」
不審に思いつつも、扉に目を向ける。
「この扉、両開きだよね……」
ならばと思い、扉を押してみる――
「お?!」
だが、それは開ききる前に止まってしまった、この狭さじゃ隙間から出る事も出来ない。
「これは?」
「防犯扉だろうな、犯人が逃走しようとしても引き戸だから時間ロスになる、馴れた住人じゃないと混乱してしまう」
逃走する犯人の心理からして扉を引くとゆう行動はまず取らない、どうしても扉を押して通うろうとしてしまうものだ。
「それに……」
次にシャルの視線は、騒ぎで起きてしまった為か近所の犬が野次馬に向かって吠えている光景を見て――
「なるほどな」
そう一言つぶやいた、得心がいったのか改めて炬警部に向き直った。
「まぁいい……それより炬警部」
「何だ、これ以上部外者の立ち入りは許可しないぞ――」
「二十三歳で警部になった、あなたの実力は大したものだが、体はもっと労わらないといけないぞ」
「……え?」
「署内に泊まり込まなければならないのは分かるが、たまには家に帰った方がいい、妹さんもきっと心配している」
今、彼女を見る警部の顔は瞠目と呼ばれる物だろう、だが僕にしてみればこんなものは挨拶程度の事だ。
「さらに、今日の夕飯は固形のバランス栄養食だけときている、これではいつ倒れてもおかしくない」
まじまじと観察しながら、炬警部の近状をスラスラと言い当てていく。
「シャル、炬警部はそんなに若いのかい?」
「ああ、だって彼の電話についているお守りは、厄払いの物だろ? 確か今年は23歳が厄年だった筈だ、まぁこんな事件の担当にさせられるんだから、お守りも効果は無いがな」
「じゃあ妹さんがいるというのは?」
「確かこの近くに学校は無かった筈だ、だが無線をしていた車の後部座席にある鞄は明らかに学生鞄だ、大方心配だったから休憩の合間に学校まで迎えに行ったが、鞄だけ押し付けられて妹の方は遊びに行ってしまったというところか」
「でも、それだと妹かどうか分からないじゃないか」
「そうだが、このスーツに着いた髪は警部の物よりも長いしやや茶色がかっているから恐らくは女性の物だろう」
「なら、母親の可能性もあるんじゃないかい?」
「家に親族がいるなら、わざわざ迎えに行く必要はないよ」
「じゃあ夕飯は?」
「スーツの襟についている粉の匂いは、嗅いだ事がある、私もチョコレート味よりチーズ味の方が好きだ」
「……お前、何者だ――」
「紹介が遅れたな、炬警部」
すると、割って入ってきたレストレード警部が僕とシャルの間に立つ、そして自らの誇りをしまって僕達の名前を明かした。
「彼女は緋芽花・シャルロット・ホームズ、そう、かの有名なシャーロック・ホームズの血縁者だ」
「シャーロック、ホームズ? じゃあまさか、彼は――」
「ああ、白葉・J・ワトソン、ホームズの唯一無二のパートナーだ」
絶句する炬警部。
それもそうだ、いきなり僕達が百年前の私立探偵の末柄だとは信じがたいと思う。
動揺する彼にさほど興味がないのか、シャルは頻りに辺りの臭いを嗅いでいる。
「このコロン……どこかで――」
記憶の糸を辿っているのか、思考が口から洩れる。
すると掠れた、声が聞こえた。
「誰か……助けて」
「「!? あれは!」」
同じ事を叫んで、シャルと僕が同時に同じ方に向かう。
僕はしゃがみ込んだ女性の元、シャルはその後方に行った人影を追う。
「君、大丈夫かい?」
この現場を見て精神的にまいってしまったのだろう、その子の所に向かう。
見た目は静純そうな印象だが、その子の瞳の奥に宿る得体の知れない暗い影のようなものを見てしまい、僅かに顔が曇ってしまった。
そこで、一滴の涙が零れてその人は気を失ってしまった。
慌ててその子を支える、それと同時に人影を追っていたシャルが戻ってきた、苦々しい顔を見るとどうやら逃げられたらしい。
「白葉……」
「何だい?」
「ひょっとしたら、この事件……〝J〟以上の超大物が関わっているかもしれない」
「〝J〟以上の?」
「ああ……追いかけたそいつの付けていたコロンな、あの女が付けていたものと同じなんだよ」
「まさか――」
「そのまさか、かもしれない」
「それじゃあ……」
「ああ、この日本にいるぞ〝異端の魔女〟がな、そして――」
二人の視線が、僕の腕の中で眠る少女に注がれる。
彼女の傍にいたこの子が何か、重要な秘密を握っているような気がしているのだ、この花の甘い香りのする少女が。
「すまないシャル、先に戻ってくれ僕はこの子を家まで送るから」
そう言ってシャルは炬刑事の車で先に署に戻ってもらい僕は一人、教えてもらった住所に向かっている。
サイドカーに乗せた彼女は未だに起きる気配はない。
「無理もないか、こんな身近な所で殺人事件が起きたんだから」
すると、前方に家の外に出ている外国人らしき人がいる、どうやら綺麗な金髪をした女性の様だ。
辺りを見渡しているところを見ると、誰かを待っているようだ。
バイクを止めて警戒されないように、優しく声を掛ける。
「すみません、ちょっとよろしいですか?」
僕に気付いた彼女は、やや警戒しながら僕を見つめた。
「何でしょう?」
「こちらは、湖月静歌さんのご自宅でしょうか?」
「あの子に何か!?」
すると、その女性は声を上擦らせながら詰め寄ってきた。
どうやら、この人で間違いなさそうだ。
「実は、この近くで殺人事件があったのですが――」
「殺人事件!? まさか〝J〟の?」
「そうです、その現場に居合わせていた彼女がショックで気を失ってしまったので、僕が送り届けに来ました」
「あなたは?」
「ああ、申し遅れました、僕は白葉・ジョン・ワトソンと言います」
「ワトソン? ひょっとしてホームズの助手の?」
「ご存知なのですか?」
「ええ、私はイギリス人ですのでお噂は耳にしていましたし、よく新聞に載っていましたよね」
「それは光栄ですね、ところで貴女は?」
「セフィリです、それで、あの――静歌は何処にいるんですか?」
「ああ、それでしたら僕のサイドカーに寝かせています」
こちらですとバイクの所まで案内する。
相変わらず苦しそうな寝顔のまま眠りについている。
「よかった、静歌……」
愛おしそうに撫でる彼女の視線には、母親に見られる慈愛の色が宿っていた。
「この子は孤児だったんです」
「え?」
「知りたそうな顔をしていましたから、私と静歌の関係をね」
「あ、いや……お恥ずかしい」
「気にしないで下さい」
笑っている彼女は、懐かしむように目を細めている。
「その子は、養子ですか? 大切にしているんですね、彼女を……」
「ええ……とても」
「血は繋がっていなくても、本物の家族なんですね」
「そうよ、変? それともこれは偽善だと嗤う?」
「いいえ、僕は人の行う善に偽善はないと思っています」
「偽善は、ない?」
「そうです、確かに人が善幸を行うのは同情や利益があるからです、でもそれはある意味当然の事だと思うんです、与えるだけの善意ほど当てにならない物はないと思います」
「全ては等価交換、だと?」
「そうあるべきだと思いますよ」
「そうですかね、とにかく静歌をありがとうございました、白葉さん」
孤独であった筈の少女を背負っていく彼女は、本当の母親の様だったと、バイクで風を切る僕の胸は暖かかった、その余韻のままシャルの待つ署に着いた。
けど、時を同じくして僕の端末が震えた。
それは……現実を突き付けるように。
もし、この出会いが運命だとするなら神様は残酷だと思う。
ここから先、陰惨な事件が立て続けに起こる。
それは、ある科学者が永久に封印した、在ってはならない机上の空論を現実にしてしまった結果が今回の事件を引き起こしたのだ。
その研究の名は〝天壌の輝ける者計画〟天上の者を創造する、悪魔の計画だった。
執筆者 炬 京治警部
「納得できません! どうしてあの三人を事件に関わらせるんですか!」
「まぁ落ち着け炬、言いたい事は分かる」
深夜一時の警察署内の第一捜査課、一旦本部に戻ってきて本来なら仮眠の時間なのだがどうしても納得できず担当が一緒になった親しい先輩に愚痴をこぼしてしまう。
役職者でもない先輩に言ったって、無駄な事は分かっているけどこの人は黙って聞いてくれている。
「やれやれ、エリートの炬警部はガキ共に手柄を取られるのが嫌なわけか?」
「……だったら、役職を代わりますか? 喜んでチェンジしますよ」
「冗談だ、本気にするな」
ジト目で睨む、しかし先輩は気を悪くした風もなく豪快に笑い流している。
「あんな子達を事件に巻き込んで、平気なんですか?」
俺の愚痴に僅かに眉を歪めただけですぐに先輩は笑顔に戻ってしまった。
けど、本心は納得しているわけはなかった、俺よりもこの仕事が長い先輩は、きっとこれよりも辛い苦汁を舐めてきたのだろう。
俺は誰よりもこの人の背中を見て正義と矜持を学んで鍛えてきた、だから多少ではあるが考えは分かるつもりだ。
「いいんだろうな、上は如何に早く事件を解決するかしか頭にない、それに――」
「上手くいけば、イギリス王家に貸しを作れるから、か?」
突然、課のドアの方から声が聞こえた。
先輩と一緒に振り返ってみれば、そこにいたのは突如現れた協力者、ホームズを名乗る女探偵だった。
「これはホームズ殿、寄宿舎はお気に召しませんでしたか?」
「いやいや快適だよ、安いホテルよりよっぽどいい」
「それは良かった、ではホームシックで寝むれないとかですかな?」
「残念ながら、そんな繊細かつ淑女的な感覚は持ち合わせていないよ、まぁ少しは女らしくしろと、白葉には怒られるがな」
俺の皮肉にも動じず、その女の子は堂々と室内に入ってきた。
「いや、実に素晴らしい資料室だったよ、よく整理されていて閲覧しやすかった」
そう言いながら、ズボンのポケットから取り出したのは警察署のIDカードだ。
確か事件資料室の鍵だったと思う。
「どうゆうつもりですか先輩、部外者に犯罪資料を見せるなんて」
「しょうがないさ、本部長じきじきのお達しなんだよ」
「それは知っています、俺が言っているのは倫理的に――」
再び意味のない憤りをぶつけようとした時だった、傍らまで来た少女が微笑みながら言った。
「はは、やっぱり……貴方は良い人だ」
「な、何がだ……てか、突然なんだ」
「貴方のような真に正義の人が、警官でよかったと思ってね」
IDカードを先輩に渡しながら、そんな事を呟いた。
「貴方は、こんな陰惨な事件に私達のような子供が関わるのが許せないんじゃないか?」
「……」
「事件に関わってしまえば、私達に危険が及ぶかもしれないからな、真っ当な大人ならそんな真似はしない、そう言いたいんじゃないか?」
「……」
当たっているだけに、何も言えない。
「おいおい炬をあまり、からかわないでやってくれ……こいつ馬鹿が付くほど真面目なんだよ」
「……それより、さっきイギリス王家とか言っていたが、どうして分かった?」
自分でも見苦しいと分かるほど露骨に話を逸らした。
ホームズは、二ヤけ顔のまま話を続ける。
「それなら簡単だ、さっきすれ違った本部長が懐に持っていた封筒から匂ってきたのは陛下御用達の香水だ、あの人は手紙に自分の香水を掛ける癖があるからな、つまり今回の件は、イギリス王家が危惧する事件に発展してしまったという事だ」
「で、その事件の解決にお前が選ばれたってわけだ」
「いや、私達は自らの意思でここに来たんだが、ここまで来ると怪しいものだな」
「と、言うと?」
「意図的に白葉に情報をリークした可能性も出てくる、全く……だから私はあの人が苦手なんだ」
「それは、陛下か?」
「いや、あの天然キャラは嫌うところを見つける方が難しい、それよりももっと苦手な奴がいるんだよ、政府高官の中にな」
苦い顔をして頬を掻く表情は年相応なのに、何故この子が地を這って真実を見つけなければならないのか。
そう思った時、ひどく情けなくなった。
(何が……キャリア組だ)
弱者を守れない力なんて持っていても仕方ないのに。上に行けば、何かを変えられると言っていたじゃないか。
(父さん……)
『シャル! 大変だ!!』
刹那の沈黙を破ったのは、彼女のインカムから流れてきた若い男の声だった。それと同時に支給されていた端末のサイレンが鳴った。
「白葉、どうした?」
『〝J〟が出た、しかも警官隊と交戦している!』
「先輩!」
「分かっている、こっちにも連絡が入った」
先輩はスーツのジャケットを羽織ながら、三人は廊下に飛び出す。
「ガキは寝ていろ!」
「そうはいかない、こっちも仕事で来ているんでな!」
落ちそうになる帽子を手で押さえながら、少女は口の端を吊り上げる。
「ちっ! だったら、足手まといにはなるなよ」
少女を怒鳴りながら、手探りで拳銃の位置を確認する。
(出来れば、抜かない事を祈るかな)
自分でも甘いと分かっているが、そう願わずにはいられなかった。
執筆者 緋芽花
「あの女は大丈夫だったのか? 触診した感じ気を失っただけの様だったが?」
「ああ、君の読み通りあの辺りに住んでいる子だったみたいで、家はすぐに見つかったよ、近所の人が教えてくれた」
「全く、このお節介が……面倒事になっても知らないぞ」
「大袈裟だよ、ただ家に送り届けただけじゃないか」
「それが巡り巡って、面倒事にならないように祈る事だな」
「そんな、バタフライ効果じゃあるまいし」
風を切る音を聞きながら、サイドカーから白葉の横顔を見上げる。
お互い、軽口を言い合っているが表情は険しい、特に白葉は表情を必死に笑顔に変えているのが見て取れる。
「そう焦るな、急いで事故でも起こしたら目も当てられないぞ」
「分かっているよ、それで今の状況は?」
「ああ、お前の端末に入った最新の情報によると、巡回中の警官が偶然に殺害現場を目撃したらしい」
白葉に説明をしながら端末の情報を、余すことなく記憶していく。炬警部は、一足先に現場に到着したらしく、先遣隊に混じり戦闘を開始した模様だ。
そこは、漫画喫茶や二十四時間やっているスーパーなどが密集している場所で逃げ込みやすい裏路地も多数ある、それにまだ周辺にいた住民の避難が完了していないようで現場は恐慌状態にあるようだ。
「犯人の特徴は?」
「目測らしいが、身長163cm前後、全身を真っ黒な外套で包んでいるらしい、おまけに顔にはファントムの様な仮面を付けているらしいぞ」
「〝オペラ座の怪人〟の? ずいぶん目立ちたがり屋の様だね」
「そのよう――おい、白葉!」
「っく――!?」
突如、時速八十キロで走る車体の前に小柄な影が躍り出た。
慌てて白葉はブレーキを掛けたため、後にはブレーキ痕がはっきりと残ってしまった。そして、二人の視線の先には……立ち尽くし影を纏った何者かがこちらを見つめていた。
「どうやら犯人はオペラを嗜む芸術家らしいぞ、白葉」
「その様だね、だったら拍手の一つでも送ろうじゃないか、シャル」
見た目は本当に黒いローブとしか表現のしようがない、体格は小柄で真っ先に女の可能性が出てくるが、今時は身長の低い男などいくらでもいる。
焦って決めつけてしまうと、かえって推理の妨げになる可能性がある。
(まずは、相手の出方を窺う)
まぁこのまま睨み合いには――
「ならない、だろうな!!」
腹に力を溜めながら、ヘルメットを投げ捨てサイドカーから躍り出る。
その一連の流れは、僅か三秒足らずだ。
その間に〝J〟は、五十メートルは離れていた距離を三分の二にまで縮めていた。
そして、ローブの袖から覗いているのは幾人もの血で朱色に染めた、切っ先の欠けた銀色のナイフが握られていた。
「白葉! お前は向こうで倒れている警官隊の介抱を頼む!」
「うん、分かった! シャルも無理はしないでよ?」
流石は長年連れ添った相方だ、こちらが声を飛ばすよりも僅かに早く、対向車線に車体を滑らせていた。
だが〝J〟は横を通り過ぎる白葉には目もくれずにこちらに突き進んでくる。
(私の間合いまであと五メートル弱、まずは懐に踏み込んでナイフの攻撃をかわし、拳を顔面に繰り出す)
脳内で組み立てる、勝利の理論。
脳内時間が逆行する、これまで得てきた〝J〟に関する情報といま得た情報とで導き出される、揺るがない勝つための方程式を構築していく。
(これは、まず躱されるだろう……だが、利き手にナイフを持っている以上かわした段階で持っているナイフによる二次攻撃はない)
だが、仕込みナイフの攻撃も視野に入れ、さらに思考を練っていく。
(見たところ脚力はなさそうだが、何せ速い、相手の懐に入ってしまうと避けるのは至難だ)
例え攻撃そのものに重さは無くても、あの速さで急所に蹴りが入ったらまずい。
(狙いやすい顔か、当たりやすい身体か……いずれにしても――)
この理論なら勝てる、逆行していた時間が戻り体感が目の前の攻撃に危険信号を送っている。
「さぁ、来い!」
理論の構築に約三秒、その間に敵が迫っていた。
初撃にナイフが飛んでくる、これをあえて一重でかわし標的の懐に入る。
次に、こちらは右のやや弧を描いたストレートを顔面に叩きこむ。
だがこれは避けられ、やや前屈みになった顔めがけて敵の膝が飛んでくる。
読み通り〝J〟の攻撃は早い、しかもこの暗がりの中で周囲に溶け込む様な服を着ているため余計に攻撃は読みにくくなっている。
だが、予想を上回るほどではない。
(これで、詰みだ)
顔めがけて飛んできた膝よりもさらに状態を低くし、突進の勢いを利用して〝J〟のがら空きになっている軸足を払うように蹴りを入れ、仰向けに倒れる〝J〟を横目で確認しつつ回転の勢いのまま、袖に仕込んでいた拳銃を取り出す。
「動くな!!」
鋭い声が響く、立ち膝の体制を立て直そうとした〝J〟の額に銃口を突き付ける。
「これで劇は閉幕だぞ、ジャック・ザ・リッパー」
「……」
仮面からの返事はない、不気味な静寂に違和感を覚えながらも視線を逸らさずに問い掛ける。
「気になる点や腑に落ちない事もあるが、それは取調室でゆっくりと聞く事にするよ――」
「ククク、サスガダナ……ホームズ」
すると、仮面から聞こえてきた声は機械で加工した声のようだ、どうやら変声機を使用しているようだ。
「喋れるなら一つだけ答えてもらおうか」
「ナニカナ?」
「お前、誰に創られた?」
「ナンノコトダ?」
「分からないか? なら〝天壌の輝ける者計画〟といえば分かるよな?」
「……ナカナカ、優秀ナ情報網ヲ、持ッテイルジャナイカ」
「ああ、出来れば頼りたくはなかったがな」
「アア、君ノ兄上の事カイ?」
「君も、中々優秀な情報源を持っているじゃないか」
「ソレハドウモ、ダガ……コノ程度デ私ヲ追イ込ンダ気デイルノトハ、マダマダ青イ」
「言っておくが、袖の仕込みを使おうとすれば、速攻で貴様の頭を撃ち抜くぞ」
「……ダガ、使ワセテモラウヨ?」
相手の余裕は崩れない、だが、この戦闘状況に置いて私の有利は覆ることはない。
あるとすれば、奴がこの場からどう逃げるかだ。
(袖から、飛び道具? いや、腕の動きに注目しているんだから――)
その時、思い至った。それと同時に、自らの甘さを恥じた。
「まさか――!」
「ゴ名答」
気付くより引き金を引く方が早かったが、銃弾は肩を掠めただけだった。
そして、ナイフの持っていない袖からは、ピンの抜かれた閃光弾が落下していた。
急激な光と耳鳴りのような音で、五秒ほど動けなかった、だが〝J〟が逃げるのに五秒は長過ぎた。
視界が晴れた時、既に〝J〟の姿は無かった。
(やられた、あの加工声と会話は、仕込みに気付かせない為だったのか)
この距離でピンの抜く音に気付かなかったとは、私もまだまだ青い。
「だが、この程度で逃げ切ったと思うなよ」
誰もいない闇に向かって呟いた、それに応えるように風が吹いた。
まるで、嘲笑っているかのように。




