『喫茶店』
「なんだか、君の方も随分面倒なことになってるみたいだな」
待ち合わせの喫茶店で顔を合わせた伊乃平さんは、格好は以前に会った時と同じ――と記憶している、ように思う――スーツ姿だったが、左の中指と薬指に包帯が巻かれていた。
「すみません、大変なところを呼んでしまったみたいで」
「ああ、これか? 気にしないでくれ、大した怪我じゃない」
俺の視線の先に気づいたのだろう。伊乃平さんは怪我をしているらしき左手を軽く振ってみせた。心配ないと示すように、何度か物を掴むかのように指が動かされる。どうも、人の物ではない、乾いた木が擦れ合うような妙に軋んだ音が響いていた。
「それで? 光基からはざっくりとしか聞いてないんだ」
十五分後。
話を聞き終えた伊乃平さんは、面倒臭さに溢れた顔をしかけたものの、一旦は隠そうかと思い直したらしく、それらしく表情を取り繕った。
「母親の次は父親か。君も大概難儀な人生だな」
「そうですね……」
「さっさと死んでおいてくれた方が良かったかもしれないな」
「………………」
そうですね、とは到底返せず沈黙した俺に、伊乃平さんは軽く肩を竦めてみせた。
「あいつもそう言ってなかったか?」
「ええと、そう……でしたね」
初めて凪宮さんの顔を見せてくれた時、隣人は「早く死ぬといいね」と言っていた。
あの時は、死んだ方がいいような人間として扱われているのかと思ったが、単にその方が面倒が少ない、という意味だったのかもしれない。
「だろうな。君の父親が素直に呪い殺されてくれていれば、そこで終わった話だ」
「……そうならなかったから、今みたいな状況に、ってことなんでしょうか」
「そりゃまあ、父親は君を探していたんだろう? 君を身代わりに使うプランが最初にあって、所在を把握できなかったから途中で諦めて別の手段を取った結果、祖母の元に送ることにした結果だろうな。どんな馬鹿がこんな真似をしたんだか、顔が見てみたいよ」
全く本心ではないのは、声を聞けば分かった。予測でしかないが、たまぐす様の方だって、伊乃平さんには会いたくないんじゃないだろうか。
それはそうと、少し聞き捨てならない単語が聞こえた気がした。
「身代わり、ですか?」
拾い上げた言葉の意味を噛み砕くのに、少しかかった。
俺を身代わりに使うプランが最初にあった、と伊乃平さんは言った。身代わり、というのはもちろん、凪宮さんの代わりに、という意味だろう。
それはつまり、本来は、今の祖母の位置に俺がいるはずだった、という話なんだろうか。
目を瞬かせる俺の前で、伊乃平さんはたいしたことでもないように続けた。
「澄江由奈が求めた以上は『母』の高良珠璃奈を与えたんだろう。となると、君の父の元に行ったのは『妻』の高良珠璃奈になる。『妻』にとっての息子と夫を誤認させるのは割と容易いからな、まず初めに息子を探したんだろう。
『娘』にし直すには相応の手順が必要で、盆の時期に合わせて帰る場所を誤認させて再定義したって訳だ。
その前に死んでくれていたら無問題だったってのに、盆までしぶとく生きてたもんだから、上手いこといっちまったんだな」
「……ええと、その、なるほど」
伊乃平さんが、隣人と同じ理屈で話しているのは分かった。けれども、それ以外はさっぱり分からなかったし、俺が全く分からなかったのも伝わったみたいだが、伊乃平さんはそれ以上の説明をするつもりはないようだった。
多分だが、もう既に、十分過ぎるほどに説明し終えたと思っている。
「そういえば……凪宮さんは頑張った、だとかも言ってました」
「あいつが?」
「確か、そうです」
「頑張らせなきゃよかったのにな。ああ、いや、違うな。そうか」
伊乃平さんは、ひとり納得したように軽く頷いた。
「君が頼むのを待ってたのか」
「………………」
「ほら。嬉しいもんだろ? 友達の役に立てるってのはさ」
やっぱり、あまりそうは思っていない声ではあった。
イノヒラは友達いないよ、という、いつぞやに聞いた言葉が脳裏に過る。
「ところが、君は全く深入りしなかったものだから巡り巡って、ってことだな」
「……一応、顔が浮いていると言われた時には、誰か聞いたりはしました」
なんだか言い訳のように返してしまった。俺のせいだ、とは言われていないし、きっと思ってもいないだろうが、それでも。なんとなく。どうも、伊乃平さんにはそういう風にさせる何かがあるように思える。
「なるほど、何処の何方か判明したなら、おっさんの顔を肩に乗せていてもよかった訳だ」
かなり分かりやすく、面白がっているような響きだった。
少しだけ居心地が悪い思いで、逸らすように話を続ける。
「浮いていた顔っていうのは、やっぱり生き霊だったんでしょうか」
「だろうな。高良珠璃奈の親族への伝手はないが、君と父の間には縁があるからな。辿れるものは何でも使おう、となった訳だ」
「あ……なるほど」
そうか。凪宮さんからすると、知りもしないあの人の祖母よりも、自分と血の繋がった俺を探す方法を取る方が楽だった、という話か。
聞いてみれば確かに、とても納得のいく理由だった。そういう、特別な力だの何だのからすると、血縁を辿るのが一番やりやすい方法なのだろう。
あの人にとってもそうだったことを考えると、あのマンションにさえ住んでいなければ、あっさり見つかっていたに違いない。
「君も、もう少し怒ってもいいんじゃないか? 代わりに死ぬことになるところだったかもしれないのに」
「それは……そうかもしれませんが、予定がそうだったというだけで、実際に被害にあってるのは祖母ですから……」
「それは別に、怒らない理由にはならないと思うんだが。まあ、いい。不幸な目に遭ったのは確かだが、その祖母だって生まれてこの方、顔も合わせたことはないんだろう? このまま放っておいたらどうだ」
俺がよっぽどな顔をしていたのか、伊乃平さんはすぐに付け足した。
「冗談だ」
聞いた限りは冗談には感じられない響きだったように思うが、俺は一旦、聞かなかったことにした。先ほど確かに、伊乃平さんは面倒だと思った上で、話を聞いてくれたようだったので。
それに多分、俺だって、はっきりと言われるまではそこまで真剣に考えていた訳ではなかった。祖母が危ない目に遭っているとは分かっていたし、死ぬかもしれない状況なのかもとも想像していたが、解決のために必死になって動いたかと言えばそうではない。
ただ、まあ、いきなりそんな風に切り捨てるようなことを言われると、流石に。こう、流石に。
「それで? 君の祖母とやらの住まいは分かってるのか? 流石に、隣のあいつと違って、直接顔を合わせないことには対処は出来なくてね」
「一応、今住んでるのは此処みたいです」
戸籍の附票から取った住所に必ず住んでいるとは限らない。ただ、住所が分かった時点でストリートビューで確認してみたところ、確かに灰色の屋根をした二世帯住宅が建っていて、表札には『高良』と記されていた。
書き写した住所を見せる。記された住所を確かめた伊乃平さんは軽く片眉を上げると、あっさりとした声音で告げた。
「じゃあ、片がついたら連絡するよ」
「え」
「〝え〟?」
「あっ、いえ……」
考えるよりも先に声を挙げていた俺が何を思っていたのか察したのだろう。伊乃平さんは軽く肩を竦めてみせた。
「いくら死んでるったって、苦手な親とわざわざ顔を合わせることもないだろ?」
すっかり会いに行くつもりになっていたが、言われてみれば、何の役にも立たない俺が行く必要はなかった。
元々付き合いがある親族相手に取り次ぐのならともかく、二十年間一度も会ったことのない孫が突然現れたら、むしろ、逆に怪しいとすら思う。
その上、原因があの人である以上、伊乃平さんとしても気を遣ってくれているんだろう。
ただ、なんといえばいいか。戸枝店長の時とは違って、今回は俺の親族が困っている訳だ。伊乃平さんに任せて、終わった後に聞くだけというのは、どうなんだろうか。
「あの、着いていったら迷惑だったりするんでしょうか」
自分でもどうしてそんなことを言ったのか分からないし、伊乃平さんも意外なことを言われた、とでもいうような顔をしていたが、返ってきたのは断りではなかった。
「いや? 来ても構わないし、来なくても構わない。知らせたくもないなら、ご親族に君の存在は伏せたまま片付けてもいいくらいだ」
「……それだと突然の訪問すぎて、怪しまれたりしませんか?」
「怪しまれるのは慣れてるんでね」
あまりにも滑らかに返されたものだから、次に続けるべき言葉を見失ってしまった。
「あちらさんとしても、怨霊になった娘の子供にわざわざ会いたいかというと、ちょっと微妙なところではあるかもな」
「それは……そうですよね」
元を辿れば、俺が澄江由奈にあの人をあげてしまったから起こったことだとも言える。いや、まあ、あの人が妙な霊能力者になんて頼らなければ起こりえないことではあったのだが。
ただ。ここまでの理由がなければ、この先も一生、会いに行こうだなんて思わないような気がしている。場所を知ったとしても、解決してしまった後に、自分から会いに行こうとはしないんじゃないだろうか。実際は何処かで会ってみたいと思っていたとしても。
父に会うのを先延ばしにしていたのも、本当は暑さのせいなどではなかったのかもしれない。自分でも見ないふりをしているだけで、本当は単に、怯えのようなものがあるだけなのかもしれない。まあ、そんな事情は、伊乃平さんには全く関係のない話ではあるけれど。
全てお任せしてしまうのがいいのかもしれない。迷いがそのまま視線に表れて自分の膝に目を落としていた俺の耳が、カップを置く音を拾う。
目を向けた先で、口元に指を当てた伊乃平さんが、一旦何かに迷うように軽く首を傾けてから、少し歯切れ悪く言った。
「あー……いいや、そうだな。一緒に行こうか」
「……いいんですか?」
「ああ。まあね。こうなってくると、もう然程変わらないからな」
何やら意図の汲めない呟きを落とした伊乃平さんは、準備が出来たら連絡するよ、と言い残して去って行った。




