『目玉』
「友達から聞いた話なんだけどね」
中学生の頃の話だ。
友達の家の最寄り駅には、イベントに使える広場がある。
そこでは不定期に、古着のフリーマーケットや食事関係のイベント、ローカルアイドルのライブなどが開かれていて、友達もグルメイベントの際には寄ったことがあった。
「『目玉のキッチンカー』って見たことある?」
同級生のKさんがそんなことを聞き回っていると知ったのは、二年になった夏休み明けだった。
なんでも、夏休み中に駅前広場であったイベントで、『目玉のキッチンカー』なるものが来ていたそうだ。
友達は初め、目玉の、というのは『目玉商品』だのの意味合いで言っているのだと思った。物珍しい食材を使った料理が売っていて、料理名が分からないからそんな風に聞き回っているのだ、と。
しかしどうやら、Kさんが言うには、本当に『目玉』が売っているキッチンカーが来ていたらしい。
「りんご飴みたいに、棒を刺した目玉が並べてあったんだよ。ほら、ハロウィンの時とかに、リアルっぽく作った目玉のお菓子とかあったりするでしょ? あんな感じ」
友達が興味を持った様子を見せたのが嬉しかったのか、Kさんは詳しく説明してくれた。
その日に開かれていたイベントは、地域団体のライブパフォーマンスと子供向けの簡易遊具、様々な種類のキッチンカーが並ぶものだったそうだ。
Kさんの言う『目玉のキッチンカー』とはパステルカラーの塗装がされた車体で、一般的なフルーツ飴の店と同じく、目玉を模した飴を並べていたという。
「見たことないくらいにリアルで、珍しくなって買ったんだよね。これがさあ、ほんっとうに美味しかったの。多分フルーツ飴と同じ感じで、ゼリーかなんかで作った目玉を飴でコーティングしてるんだと思うんだけど。中のやつが甘すぎなくて爽やかで、なんだろ、難しいんだけど……ヨーグルトの駄菓子あるでしょ? あれを超絶料理が美味い人がレベル100にした、みたいな?」
「その説明だとあんま美味く聞こえないんだけど」
「いや、美味しいんだよ! もう一度食べたいんだけど、そんな美味しいと思わなかったから、店の名前とか覚えてないしさあ」
説明はともかく、Kさんの興奮ぶりを見るに、りんご飴ならぬ目玉飴はよほど美味しかったのだろうな、と思った。友達は特別甘いものに興味がある訳ではなかったが、そこまで言われると少し気になってきたので、自分も探してみる、と返したそうだ。
Kさんは自分の感動が伝わり切っていないもどかしさに悔しがりつつ、見つけたら絶対に教えて、後で金払うから買ってほしい、とお願いしていった。
それから、駅前では何度か似たようなイベントが開かれたが、友達が確認した限り、『目玉のキッチンカー』が出ているのは見たことがなかったそうだ。
Kさんは変わらず、目玉のキッチンカーを見たことがないか、と聞き回っているようだった。ただ、一度聞いた相手にも何度も尋ねるせいか、最近のKさんは、少し周囲から煙たがられ始めていた。
同級生の中には、彼女に対して、そのまま『目玉』という渾名をつけている人間もいたくらいだ。元々、Kさんは人好きする雰囲気で友人も多く、そんな風に影で笑われるようなタイプではなかった筈だ。
そんな風に言われるくらいに、必死になってしまっているのだろうか。
Kさん自身も陰口には気づいているのか、彼女は以前よりも随分痩せてしまっているように見えた。
少し心配になった友達は、放課後の昇降口でKさんを見かけた際に声をかけたそうだ。
まだ探してるんだって? 俺も何度か見てみたけど全然見つからなくて。もう違う地区に行っちゃったのかな、などと笑いながら話しかけた友達に、Kさんはなんと、泣き出してしまった。
「私も見つけられないの。もう買えなくなるって知ってたら、食べなかったのに。最近、何を食べても美味しくないの」
友達は慌てた。まさか、こんなことで泣くだなんて思っていなかったからだ。ただ、最近は『目玉』のせいで友人ともぎくしゃくしているようだったから、無意識にストレスが溜まっていたのかもしれない、とも考えて、励ましの言葉を探した。
美味しく感じない、というのも、きっとそのストレスのせいだろう、と。
「じゃあさ、もう探すのは諦めて、自分で再現してみたら?」
Kさんも言っていた通り、ハロウィンの時期によく見る『目玉』のお菓子なら、ネットにレシピがいくつもある。食べたことがあるのはKさんだけなのだから、自分が望む味になるように試していけば、いつか理想の『目玉』が出来上がるのではないか。
そんなことを語った友達に、Kさんは涙を拭いながら、笑顔を見せてくれた。
「ありがとう。頑張ってみるね」
去って行くKさんに対して、俺も一緒に考えようか、とまでは言えなかった。
なんというか、そこまで言ってしまったら、どうして友達がKさんの話に興味を示したのか、全部バレてしまう気がしたからだ。
しばらくして。友達は信じられない噂を聞いた。
なんでも、Kさんは公園で猫の目玉をくり抜こうとしているところを見つかって、補導されたそうだ。
前までKさんと仲良くしていた筈の女子たちが、『目玉』がヤバいことをした、と笑っているのを聞いた。
父方の祖父に引き取られることになったKさんは、転校する前に一度だけ学校に来て、別れの挨拶をしていった。
「変なことになっちゃってごめんね。どうしてあんなことしちゃったのか、自分でも分からないの」
顔を合わせた時の口振りも表情も、以前のKさんと何も変わらない様子で、友達は幾分か安心したそうだ。
ただ、ひとつだけ。笑顔でお別れを言っていったKさんに聞けなかったことがある。
彼女の片目には、ガーゼの眼帯が貼られていた。
その眼帯の下がどうなっているのか、どうしてそうなったのか、友達は最後まで聞けなかったのだという。
「怖かった?」
「ああ、怖かったよ」
本物の目玉を食べたがる、なんて状況も怖いが、まずそもそも、やたら中毒性がある食べ物、という時点でかなり恐ろしいと思う。
自分の意志ではどうにもできない依存性のあるものを、騙し討ちで与えられるのは素直に不気味だ。なんだろう。ダイエットだの集中力が上がる薬だのと誤魔化して、違法薬物を与える手法に似ている気がする。
あとは、まあ、好きな子がそんな状況になってしまった友達の心情を思うと、やや切なくなる話でもあった。
「美味しいってのが嫌だよな……」
「なんで? 嬉しくない?」
「いや、嬉しくはないだろ」
「どうせ駄目なら、美味しい方がいいよ」
駄目なものをわざわざ美味しくしているから嫌なんだが、と思ったが、あまり伝わる気はしないので、それ以上言葉にするのは諦めた。
人間が苦痛を感じるのは危険を察知するためだというが、味覚だってその一部な訳で。危険なものをそうと察知出来ないまま受け入れさせられるのは、嫌悪感に近い恐怖を感じる、気がする。
『おすすめ』の時にも同じような嫌さを感じたな、と思い出した。飛び降りることを、いいことと感じさせる幽霊の話だった。
更に言うなら、これを「怖いの嫌だって言うから、嫌じゃなくしてあげたよ」とか言っていた奴が語っているのも、かなり嫌である。
なんてことを考えながら、うん、とも、いや、ともつかない相槌を返す。
隣で何やら悩むように身を捻っていた隣人は、垂らした舌を揺らしながら、なんだかしみじみとした声で繰り返した。
「美味しい方がいいよ」
グミの種類にもあれこれと好みがあるくらいだし、隣人は味に関してはこだわりがあるのかもしれない。
……じゃあ、グミ以外でもそうなんだろうな、と思いかけて、思考を止めた。あまりよくない。それの味について言及されたことはないし、出来ればこの先一生されることはないままであってほしいとも思う。
納得したらしい様子で軽く頷いていた隣人が、挨拶を告げてするりと身体を引っ込める。
「あ。待った」
「ん?」
それに対してすんなりと同じ返事を返せなかった理由は、俺の手元にある〝手紙〟だった。
昼シフトを無事にこなし、安堵していたお盆明けのことだ。
郵便受けに、澄江由奈からの手紙がねじ込まれていた。それも、同じ文面が書かれたものが、五枚ほど。
澄江由奈の字は判読可能だが、お世辞にも整っているとは言えない。意味を取り違えていないかと何度か読み返したのだが、初めに読み取った以上の解釈はなさそうだった。
『おに さん おかあさん かえ Ⴑて くだちい』
返して、と言われても。一体何をどう返せば良いのやら、さっぱり分からなかった。
そもそも、俺は澄江由奈から何かを持って行ったつもりはない。つもりはないだけで持って行ったのかもしれないが、だとしたらそれこそ、俺にはどうしようもなかった。
おかあさんがいなくなってしまいます、とも書かれていた。あの人をあげてから半年が経っているが、そんなに早くいなくなってしまうものなのだろうか。もしそうなら、かなり燃費が悪い方法だと思う。まったくエコではない。
何にせよ、そもそもの情報が足りていないのだから、いくら考えたところでどうせ俺には答えなど出しようがないのだ。少なくとも、こいつは俺よりは澄江由奈には詳しい。
「これ、どういう意味だと思う?」
「うん?」
仕切り板を超えて口先を覗かせてくる隣人に見えるように、投函されていた数枚の紙を差し出す。
ひしゃげた字体で記された文言を、ぽかりと開いた口で一瞥した隣人は、あまり興味の無い様子で首(首?)を傾けると、
「ああ、娘になったから」
とだけ零した。
それきり、特に説明も無いまま、再度、管状の身体が引っ込んでいく。挨拶は先ほどしたのでいいだろう、という態度だった。それはそうだが。勝手に終わりにされても困る。こっちは何も終わってはいないし、追いついてもいないからだ。
「……娘って?」
隣人は自分では分かっていても俺に教えていないことが多々ある。知りたいと此方に思わせるための振る舞いかもしれないし、教えるという行為そのものが此方に何かを与えるのと同義になるからかもしれない。
節度ある付き合いを望むなら、何もかも答えてもらうというのは危うい真似でしかないのだろう。あまり踏み込みたくはない状況ではあるが、この状況では他に聞く相手もいなかった。
「ユナのおかあさんをやるには、ミホの娘じゃ駄目だからね」
「…………ミホって誰だ」
「タカヒロのばあさま」
「は」
……俺の?
俺の祖母――ということは、つまりはあの人の母ということになる。祖母の名はミホというらしい。どういう字を書くのだろうか。書いてもらうのはよくないのだろう、ということは分かった。
祖母の名前をこんなことで知りたくはなかった。こんなことで、というか、どういうことかも分かっちゃいないが。
澄江由奈の『おかあさん』でいるには、誰かの娘ではいけない、らしい。いやでも、元から誰の親だって、誰かの子ではある筈なので、両立出来ないなんてことはない筈なんだが。
一体何を聞けば答えに辿り着くのか、予測のしようもない。ありもしない答えを探すように手紙を見下ろしていたところで、隣から軽い問いが投げられた。
「聞いてみれば?」
「……誰にだよ」
「ナギミヤ」
俺の父親が、一体何を知っているというのだろう。あるいは、母親がいなくなったなら父親を代わりにすれば?という話だろうか。それってかなり、『母親』の判定が甘くないだろうか。
澄江由奈は〝おかあさん〟が欲しいから、わざわざ俺に頼み込んできたのだから、お父さんでは駄目だろう。
どういう理由でそんな提案をされたのか分からず、進みもしない思考のために数秒沈黙した俺に、隣人は再び、重みのない声で付け足した。
「聞かなくてもいいよ」
「……よくはないだろ、多分」
少なくとも、澄江由奈は何かに困っている。そして、このところあれこれと感じている状況から察するに、もしかするとこの先、俺の方も困る恐れがある……気がする。
まあ、そもそも、肩におじさんがついている時点で、嫌な予感もくそもないと言ってしまえばそれまでだ。
ところで。
結局、澄江由奈からの手紙にはどう返事をしてやるのがいいのだろう。
皺の寄った紙を見下ろしたまま、俺は小さく溜息を吐いた。




