『布団』
「友達から聞いた話なんだけどね」
中学生の頃の話だ。
布団から足を出して眠れない、という友人がいた。怖い話を聞いた後にはよくある不安だ。ただ、友人のTは、常日頃からずっとそうなのだという。
よくよく聞けば、足以外の部分も外には出して眠れないのだそうだ。頭まですっぽり覆い被さって、どこも出ないようにしないと眠れない。
Tがこの話をしたのは、林間学校が近づいていたからだった。変な寝方だとからかわれる前に、自分から伝えておきたかったのだろう。
ビビりすぎだろ、と笑う友人たちに、Tは真面目な顔をして語った。
なんでも、去年の今頃に、ホラー映画のように本当に足を掴まれたことがあるのだという。両親とは寝室は別れていたし、Tは一人っ子だった。だから、絶対に人ではない何かだった、とTは主張した。
それ以来、いつ同じ目に遭うのか分からないから、必ず布団の中に閉じ籠もるように寝ているそうだ。もう一年近くそうしていると聞いて、友人たちはやはりビビりだと笑ったが、元々のTの性格もあってか、悪い空気にはならなかった。いいから勝手にさせろよ、と笑いながら押し返して、それで終わりだ。
林間学校の部屋は和室で、同じ部屋になった六人はそれぞれ布団を並べて眠ることになった。Tの布団は三つ並んだ内の真ん中に、友達はその右隣の位置に決まった。逆隣には、Tと最も仲の良いOがいたそうだ。
就寝間近になってTが布団の中に身を隠すのを見た他の友人は、笑いながらそれをからかった。布団の中からでも聞こえるようにか、Tは少し声を張って会話に入っていた。
消灯時間が過ぎ、会話の種は尽きないものの見回りの先生を警戒して黙る頃には、眠気に負けて全員素直に寝入る体勢に入った、と友達は思っていた。
しばらくして、暗闇の中でOとTの笑い声が響いた。
「なんだよお前! 起きてんのかよ!」
「起きるに決まってんだろ、お前なら絶対やると思ったわ!」
声を潜めつつであるものの、静まりかえった中では二人の声はよく響いた。どうやらOが悪戯で、Tの布団を剥いだようだった。絶対にやると思った、という言葉の通り、予想していたらしいTは眠らずにOにめくられた布団をすぐさま戻したらしい。
そのまま騒ぎ始めそうになる二人に、軽い調子で文句が飛んだ。一日目から騒いで怒られて連帯責任になるなんて勘弁してほしい、というのが他の全員の本音だった。
Oも満足したのか、そこからは騒ぐ様子もなかったそうだ。
夜中になって、友達はふと目を覚ましてしまった。慣れない場所で眠ったから、眠りが浅かったのだろう。カーテンの隙間から差し込む月明かりがちょうど友達の寝ている顔の上にかかっていて、眩しかったのもあったかもしれない。
仕方なく、カーテンを閉じようと思って立ち上がった友達は、隣で眠るTの布団から、片方の足がはみ出していることに気づいたそうだ。
あれだけ言っていたのに、寝相のせいではみ出ているじゃないか。
そんな風に思ってから、すぐに気づいた。
完全に布団を被って眠っているTの頭は、他の友人が枕を置いている位置と大体同じ場所にあるように見える。
だが、布団の下側からはみ出ている足は、少なくともふくらはぎのあたりまで出ていた。
Tの身長は平均的なもので、用意されている布団から大きくはみ出すようなことはない。あれだけ言っていたのなら、そもそも体勢も真っ直ぐではなく、収まりやすいように身体を丸めているかもしれない、とも思った。
だとしたら、あの位置から足が出ているのはおかしいのではないだろうか。友達はしばらくの間、その足から目が離せなかったそうだ。
Tは人ではない何かに足を引っ張られた、と言っていた。確かに怖い経験だ。でも、たった一度そんな目に遭っただけで、律儀に一年も布団を被り続けているのは少し妙だ、とも思った。
そんな風を考えていたところで、はみ出ていたその足が身動ぐような気配を感じた。気のせいかもしれないが、それ以上見ていたくもなかった友達は急いで窓に寄り、何も見ずに済むようにカーテンを閉めて、そのあとは自分の布団に戻って寝たそうだ。
起きてからも、友達は自分が見たものについて誰にも話すことはなかった。林間学校は二泊三日だ。二日目に眠る時にも同じことが起きるとしたら、下手に触れればOがまた悪ふざけを始めるだろう。それに、単に自分が寝ぼけていて、見間違えただけだとも思いたかった。
二日目も布団の位置は変わらず同じような悪ふざけがあったが、Tの布団からはみ出ていた足については、友達以外の誰も見ていないようだった。
その夜、友達は何も見ずに済むように、Tの側には背を向けて眠ったそうだ。
騒ぎが起きたのは、林間学校から帰った数日後だった。
いつになく真剣な顔をしたOが、教室でTに詰め寄ったのだ。友達は発端となった会話は聞いていなかったそうだが、二人が揉めている理由は、言い合いを聞いていればすぐに分かった。
どうやら、Tが言っていた『足を掴む何か』が、Oのところに来るようになってしまったらしい。
布団をめくるのが駄目だったのだろうか。あるいは、二日目の夜に、Oも同じものを見てしまったのだろうか。二人の会話を聞いていても、理由ははっきりしなかった。
「ごめんな! ほんとにごめん!」
Tは謝罪こそ口にしていたが、その顔には笑みが浮かんでいた。普段の、約束に少し遅れた時と変わりないような軽い態度だった。対するOは、見たことがないほどに強ばった顔でTを睨みつけている。
「いやでも、布団被ってれば大丈夫だし、余裕じゃん」
悪びれもせずに続けるTの様子に、友達はなんだか急に恐ろしくなってしまったそうだ。きっと、彼はOが悪戯すぎてちょっかいをかけたがるタイプだと分かっていてあの話をしたのだ、と察してしまった。
友達よりもTとの付き合いの長いOが、それに気づかない筈もない。
結局その場では手が出る程の事態になってしまい、二人はそのまま、卒業まで口を利くことはなかったそうだ。
友情を壊してまで押しつけたかった何かの正体を友達が知ることはなかったが、今でもたまに、布団からはみ出る長い足を思い出す時があるという。
「怖かった?」
「まあ……怖かった、か?」
七月末。すっかり日の沈んだ頃に、俺は麦茶を片手にベランダに立っていた。気温が三十度を超える日が増えてから、隣人の怪談を夜に聞く機会が増えた。当然だが、怪談は夜に聞く方が怖い。日の光というのはやっぱり本能的に安心感を与えてくれるんだろう。
近頃の日差しの強さでは安心感どころか健康的な害があるので、昼に呼び出されることがないのは素直に有り難かった。隣人自身が暑さで体調を崩すなんてことはなさそうだったが、「とっても暑いからやだね」と言っていたくらいだから、暑さ自体は感じているのだろう。隣人にとっても、今くらいがちょうどいいのかもしれない。
「か?」
パッケージに『ひんやり』と書かれた夏限定のグミを手にしていた隣人が、此方を見つめている。拾い上げるように一音を発したのち、放り込まれたグミを咀嚼する音が響く。
しゃり、しゃり、と軽く聞こえてくるそれを耳にしながら、俺は、悟られない程度に、少し視線を外した。
これは単なる事実としての話だが、隣人は好きで怪談を語っているものの、あまり上手くはない。ただ、上手くはなくとも、怖くはある。それは話の内容が、というより、化け物であるこいつ本人(?)が、という状況になる訳だが。語り手が化け物の時点で、ある程度の怖さが担保されるの、怪談としてはかなりずるいよな。反則技みたいな節がある。
「いや、怖かったよ。仲の良い友達に押しつけたくなる程に嫌な存在ってところがさ」
「そうだね」
相鎚の内容とは裏腹に、全く同意に聞こえなかった。
そういうこともある。俺は平静を装ったまま続ける。
「なんつーか、ほら、あいつも同じような存在なのかなとか思っちゃってさ」
「あいつ?」
微妙な反応になったのは、偏に、俺の部屋にいるあいつのせいだった。布団のあいつだ。鋏まで持って出てくる奴がいるのだから、足が出てくるくらいのことがなんだと言うのか、と思ってしまうのは無理もないだろう。
状況的には十分に怖いに決まっている。布団のあれは『実害がない』そうだが、Tくんのそれはそうではない訳だし。おまけに人に移せるようだったし。恐らくは押しつけるためにあえて明るく、なんてことはないように振る舞ったTくんの挙動も、もちろん怖い。
「ほら、布団にいるだろ」
あいつ、と隣人の興味の先を逸らすように視線で後ろの扉を示す。
長く伸びた管状の口が、ゆらりと首をもたげるように伸び、仕切り板を超えて俺の部屋の窓を覗いた。先ほどまでグミを咀嚼していた管の先に、目玉が出てくるのが見える。見ない方がいいのかもしれないが、この場合、視界から外す方がよくない気がした。
「ああ、あれか」
あっさりとした声色を聞くに、布団のあれは普段は隣人の記憶にも残らない程度の存在のようだった。そういえば伊乃平さんも、『放っておいている』と言っていた。害がない代わりに、此方からも手出しは出来ない――のだったか。
以前に俺が髪の毛に絡まれた際には物理的に除去してくれたので、現実にも干渉はできるのだと思うが、あれは怪異同士だから、ということなんだろうか。考えてみたところで、俺には『害はない』の言葉を信じて日々を過ごすしか出来ないので、あまり意味は無い。
「うーん、知りたい?」
「いや全然」
「ええ?」
あまりにも早く答えたせいか、引っ込んでいった管状の口からは笑い声が漏れ始めた。でも、全く知りたくはない。話題を逸らすために振っておいて、それでいて深追いをしない、というのは会話としてはどうもよくない気がするが、それでも。別に全く知りたくはない。
以前に澄江由奈について聞いたのは、真正面から害がありそうな現象に遭遇したから、でしかなかった。もしもあいつが俺にとって何か害のある存在になって、対処が必要なら聞いたかもしれないが、今のところその兆候はない。
隣人はひとしきり笑ったあと、中身が半分ほど減ったグミの袋を此方に寄越した。限定品を試してみるのもいいだろうと思って購入したものだったが、あまりお気に召さなかったらしい。残りは俺が食べるべきなんだろうか。食べ物を無駄にするのはよくないしなあ、なんて思いつつも一旦チャック式の袋の口を閉じていたところで、隣人から軽い調子で問いが投げられた。
「邪魔?」
「……いや、別に」
今度はほんの少しだけ答えに迷ったのは、眠りたい時に膨らんでいる場合があるせいだった。どういうタイミングで現れているのか、一年近く過ごしていてもちっとも分からない。しかも、下手に接触すると威嚇されることもある。俺のベッドなのに理不尽な話だ。
「邪魔でもどうにもならないから、仕方がないね」
やっぱり、そういうもんなのか。何やら満足した様子で引っ込んでいく隣人を見送ってから、部屋を振り返る。片側だけ開いたカーテンの向こうではちょうど、はみ出ていた腕が引っ込むところだった。




