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三十六


 決意を新たにした、その矢先だった。

 帰宅してから日課を済ませ、リビングで情報を整理していた。端末を通して長谷見や中島以外からも、得られそうな情報を探っていた。

 そして突然、別方向からの通知が入った。普段何気ないやり取りをする程度の、些細なグループでのトーク欄に『ヤバくね?』という文字とともに動画が送られてきた。その後も似たようなグループから似たような文面で同じ動画が送られていた。動画が送られていないにもかかわらず、その話題に触れているグループもあった。

 その動画に映っていたのは、――梓真さんだった。

 音声はなく、怯えたような女子生徒の手首を彼女が握り締めて笑っていた。

 手首を掴んでいる相手を含め、彼女の周囲には確認できる範囲で女子生徒が三人いた。彼女が何かを喋ったところで、三人が逃げ出したという短い時間で動画は終わっている。

 逃げ出す際に映っていた三人の顔は、田代と宮原、そして見切れていたもう一人は佐村のように見えた。手首を掴まれていたのは田代だ。

 手首を掴まれ怯える生徒と、笑って手首を掴み何かを喋っている生徒という構図は、脅迫される方とする方という構図と酷似している。だがそれは、会話の内容が分からないからだ。

 それぞれのメッセージでは様々なことが書かれていた。動画の主旨や真意を問うもの、彼女への詮索や誹謗中傷、三人を労るようなもの。そのどれもが、薄ら寒いものばかりだった。

 振りかざした正義感は一点の曇りもないのだと、検めることのない刃で無抵抗の存在に斬り掛かっている。

 体温は下降していくのに、鼓動は早くなっていく気がした。

 たったこれだけの動画で、どうして彼女が三人を脅しているのだと確定的に結論付けられ、あまつさえ人格までを否定できるのだろう。

 数での優位性を問えば、立場が弱いのはどちらなのか。相手の手首を握っているということが、果たして明確な暴力なのか。捻り上げたり、無理矢理引き寄せている瞬間なども映っていないのに。


 半分だけ見えた彼女のあの顔は、いつも彼女が逃げ出すときに作っていた笑顔だった。建前を言うとき、人目を気にするとき、逃げ去るとき、作り上げた綺麗な笑顔は彼女の盾だった。

 彼女はあの場から逃げ出そうとしていた――……と、自分にはそう見えて仕方がなかった。

 収まることのない会話に、無闇矢鱈な暴言をやめろ、と僕は言わなかった。言ったところで、この程度の存在は別の場所で同じことをする。根本的な解決にはならない。

 ただしこれはこの僕が(・・・・)見た。然るべきときに、然るべき活用をさせてもらう。これらを口にした者の中で、これから更に彼女に危害を加える者があれば活きてくるだろう。必ず逃がしはしない。

 しかし結局、自分も同じ穴の狢なのだ。立場が、見ているものが違うだけで、これは全く同じ動機だ。彼女に肩入れした、偏った見方をしているのだから。

 だからこそ、もっと明確に判断できるものを集めなければならない。誰が見ても理解ができるものを。確実な証拠を。


 まずは動画を送信した者に対してそれぞれ個別に入手経路を尋ねた。話題だけを切り出した者に対しても同様にした。結果共通点は女子、というだけで皆違う生徒からだった。他の共通点は現時点で思い当たらない。

 長谷見、中島、古賀と阿部にも連絡を取り、情報元で分かることがあれば教えてほしいと頼んだ。古賀と阿部からは肯定が返ってきたが、長谷見は曖昧に、中島からは動揺したような返信だった。

 まずは中島を窺った。どうやら悔いている、らしい。


『あたしがたのんだの』

『ななせちゃに掃除かわだてて』

『かわってて』

『だからかな』

『頼まなかったらこんななってなかったかな』

『あたしのせいかな』


 察するに中島が掃除当番を彼女に代わってほしいと頼んだようだ。だが動画内容は掃除当番を代行したことで起こったトラブル……のようには見えない。

 現時点で責任の所在を中島だと断定することは早計だという旨を簡単に伝え、だからこそ情報を集めることに協力してほしいと頼めば、ようやく肯定が返ってきた。

 掃除は班での活動となるが、ならば中島以外にも四人か五人ほど誰かいるはずだ。誰か他にも目撃者や、直前の状況を知る者がいそうにないかを尋ねた。しかし中島によると、どうやらたぶん誰もいないだろうとのことだった。女子は全員一緒に放棄し、男子は把握していないらしい。さすがに誰もいないのはまずいと思い、梓真さんに頼み込んだようだ。

 だからこそ中島は、頼んだ自分が悪かったのだと感じたらしい。

 しかしそもそも責任以前に問題が「何」であり「どこ」であるのか。

 当事者である田代、宮原、佐村のいずれかが何らかの被害を訴えているのならば、それが問題となる。しかしこちらには、彼女らの主張が何であるのかは届いていない。中島、阿部、古賀からの返答を見た限りでも、彼女たちから直接得た情報はなさそうだ。

 さらに他の動画を回してきた者たちからも、彼女らの主張を直接聞いたかどうかが判然としない。古賀にいたっては「傷心の彼女たちからあれこれ聞き回すなんてどうかしている」と言われたそうだ。……普段女子との交流が薄い古賀には、ハードルの高い依頼だったかもしれない。

 しかし尋ねる相手が「田代らが被害者である」と思い込んでいれば意味がないし、使いものにもならない。僕が直接彼女たちのいずれかと連絡を取った方が確実だろう。

 さて、連絡先に関する情報網は長谷見に尋ねるのが一番効果的なのだが。長谷見は何かを隠しているような気がしてならない。中島にも尋ねはしたが、田代たちとは特に交流がないらしい。……いわく派閥が違うのだとか。古賀と阿部も同様だった。

 長谷見には普段と同じ調子で、彼女たちの誰かと繋がっていないかと尋ねてみると、返信は早かった。


『いや、誰も知らない』


 長谷見の返信に対し僕は、他に誰か知ってる人がいないか調べてほしい旨を返した。こちらの注文に対し『おけ』と短い返事は即座にあったものの、それ以降長谷見からの連絡はなかった。


 中島、古賀と阿部からは大きな収穫はなかった。共通するのは突然回ってきたこと。動画元、そもそも撮影者は誰なのかが判明しないことも同じだった。

 撮影者に関する情報が一切ないのも気になる。匿名性を維持できる動画サイトでの投稿であれば理解できるが、人伝ひとづてに回されている動画で元を辿れないというのは不思議だ。順当に考えれば彼女たちと同じ派閥、仲間、友人のいずれかだろうと思えるが、なぜ名前が挙がってこないのか。

 そんなことに複数人による作為的なものを感じる。複数であればこそ、纏めている人物が誰か存在しているはず。

 それは単純に田代、宮原、佐村の誰かかと思うものだが、であればこそ彼女たちの主張が届いてこないというのも疑問だ。では彼女たち以外に誰がいるというのか。

 一人、思い浮かばないわけではないけれど、今手にしている情報の中では一切関わりがない。もしもそうであれば、僕はまた間違いを犯したことになる。繰り返し、同じ失敗を続け学習しないなど……愚劣の極みだ。

 仮定と予想と現状がぐちゃぐちゃにもつれはじめた。

 長谷見が隠しているのは誰だ? 動画も情報も、どうしてこれほど曖昧なのか?

 どこか違う切り口はないか。手繰るべき糸はどこだ。


 行き詰まったことで、後悔がぎる。そもそも僕が彼女と接触しなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。

 ――彼女と関わる自分はいつからか、後悔ばかりだ。それは今まで気付くことのなかった、人としての欠点を自覚するようだった。

 宮原を筆頭に田代、佐村の三人はよく僕と関わりを持とうとしていた。彼女たちが梓真さんを快く思っていなかったことも知っていた。トラブルが起こる可能性を秘めていたことも分かっていた。けれど僕は、何も分かっていなかった。実際は、本当はどうなるのかを。


 坩堝に入りそうな感情を脇に置き、寝室でベッドに腰掛けるともう一度手段を考えた。

 四組の誰かと何か接点のある人物はいないか……。そういえば、伴野は古宮と接点があった。だが古宮はそもそも中島の友人だ。中島から情報がない時点で尋ねても意味はないかもしれない。しかし伴野だけが握る情報がある可能性も捨て切れなかった。

 二年になった当初に作られたクラスのグループに伴野も入っていた。伴野個人に接触を試みた。

 大きく進展する情報は得られなかったが、逆に古宮には動画や情報が回っていなかったということが判明した。同じ四組である古宮には回していないということは、クラス単位で無作為に広めている動画ではないということだ。

 作為的に広められている、ということは必然、動画も作為的な編集をされている可能性が高い。音声が消されている時点で加工されているのは事実だ。そして意図する方向性にとって厄介な会話が入っていたとも思える。

 やはり被害者は梓真さんの方なのではないか、という思いが強くなるばかりだった。

 時間ばかりが経過するように感じられた。初めて動画が回ってきて以来、数時間が経過している。

 僕自身、こうして端末でのやり取りをするよりは、直接交渉する方が向いていると思う。明日、田代らに直接尋ねる方が良いのかもしれない。けれどまだ、何かやり残していることがあるようにも思う。まだ打つ手はあるはず。


 違う切り口、違う質問、違う人物、何か、どれか……。

 ――藤村たちに、尋ねてみるべきか……?

 収穫がなくとも、尋ねるだけ尋ねてみよう。

 僕は植木酒井藤村の三人にも頼み入れた。進展のある返信が来たのは藤村だった。


『新田』

『脅されたらしい』


 言葉とともに送られてきたのは動画だった。藤村は新田と中学時代から交流があるらしい。

 藤村には感謝を告げたものの、返ってきた内容は人として到底喜べるようなものではなかった。動画には音声があり、数分に渡るものだった。会話や状況、撮影者の息をのむ音も全て入っていた。

 最後に『何撮ってんだよ』という感情を露わにした女性の声で動画は終わった。


 僕は唇を噛み締めていた。動画を見ていた自分の手は僅かに震え、呼吸が浅く早くなる。思わず落としそうになった端末を持ち直し、傍らに置いた。片手で額を抑える。

 ――梓真さんが頬を打たれ、胸倉を掴まれたあと、腹部を膝で蹴られていた。その上さらに殴られそうになったところを、彼女が相手の手首を握ることで防いでいた。

 見終えた瞬間、もう全てがどうでもよくなった。今すぐ彼女の元へ駆け付けて、彼女を介抱したかった。

 けれど物理的にも、心情としても身動きは取れなかった。夜の更けた今、自分が動いたところで彼女にとっては迷惑にしかならない。

 彼女の方が被害者だったのではないかと予想してはいたけれど、目の当たりにすると自分はひどく動揺していた。

 梓真さんが暴力を受けて……――。

 だというのに彼女は一切表情を変えることはなく、最後には笑っていた。どこまでも真っ直ぐに、清らかに「ありがとう」と告げる声に、見ているだけのこちらまで恐怖を覚え、寒くなるような気がした。

 意味が、分からない。なぜ暴力に対してありがとうなどと発するのか。自暴自棄、どころではない。

 まるで、自己が存在していない。

 彼女は己の存在を何とも思っていないのか。どうしてありがとうなどと言える? どうして、どうしてなのか……。

 彼女の無表情や綺麗な笑顔は、僕と同じく身を守るための武装だった。けれど根本的に違う何かがあると思えるのは一体何なのか。

 僕は相手を、自分を欺くために笑う。目の前で展開するすべてはよいものだと、自他共に思い込むため。

 だが彼女はまるで、静かに何かを殺しているようだった。

 誰も何も気が付かないほど静かに、彼女の内にある何かを殺されるまえに、自ら殺している。堪えるのでも押し留めるのでもなく、消失させている。そうして沢山のものを削ぎ落とした彼女は、吹き飛ぶような身軽さで漂っていた。

 あまりにも簡単な在り方。だからこそ真っ直ぐで、なぜか目を奪われる。けれどどこかが歪で、何かがおかしい。

 正円でもなく、楕円でもない。けれどそれは球体で、形容するのならば円に近い。

 おかしいはずなのに、何一つおかしくなどない。間違っていると思うのに、何も間違ってなどいない。考えれば考えるほど、知れば知るほど、何も分からなくなっていく。


 僕はまた、失った後で嘆くことしかできないのか。僕には失う前にできることは何もないのか。

 彼女に生きていてほしいのは、己のエゴでしかない。僕の望む全ては結局、自分のために乞う願いだ。

 彼女は一体、何を目的としているのか。何を考え、どう生きているのか。知りたいけれど、恐ろしかった。

 知って尚、自分には彼女を留める術がないのなら。ただ見ていることしかできないのなら、いっそ知らない方が良いのかもしれないとさえ思う。

 けれど何か、僕にできる何かがあるはず。できる何かがきっと。

 今まで掲げてきた目標は、過去に囚われたものだった。これから掲げる目標は、前進するためのものでありたい。

 例えエゴであっても、未練であっても、僕は僕にできることをしたい。

 時計を見れば日付が変わっていた。今はもう深追いはできない。明日必ず全てを……いや、やるべきことをする。それが今、唯一僕にできることだ。



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