18
日々の憂いが蓄積していき、一週間の内に決まった行程をこなしていくような心情で部活に向かった。
部活では、いつもどおりに楽しく過ごせていると思っていた。しかし隣の井門さんがこちらを見て言った。
「シジョウってさ、解り辛いけどでも、最近なんか暗いよな? 暗いっつーか、何か考えてそうっつーか、何か悩んでる?」
「あー、それちょっと思ってた! 何か悩んでんの? 恋?」
私が目を丸くしていれば、佐倉さんも井門さんに同意した。さらに部長も加わった。
「お、悩みか。悩みなら聞くぞ、シジョウ」
まさか、自分がそんな言葉をもらえるような人間だったとは思わなかった。自分のことだけで手一杯な私に、羽山さんやりっちゃん以外の人から、気に掛けてもらえるなど、思ってもみなかった。
私は差し出された善意を受け取ることにした。
「……ありがとうございます。ではお言葉に甘えまして」
「おう! どんとこい!」
胸を叩いた井門さんに笑いを浮かべながら、自分の状況を説明しようとして、少しだけ間が空いた。
「具体的に言えそうにないので、例えば、の話ですが。ある事件が発生したとします。その場にいたのは五人。その内の一人だけ、明らかに容疑がグレーだったとします。その状況について、どう思われますか。どうなっていくと思いますか」
「なんだそれ」井門さんが言った。
「それは心理テストか?」
部長の質問に、私は首を振った。
「いえ、違います。すみません、具体的に言うのが憚られるので、曖昧な例え話で申し訳ないのですが」
話に参加していた三人は唸った。曖昧以前に、例えとして成立しているのか自分でも謎だが。もう一度部長が質問をした。
「ふーむ、その五人の内で、シジョウはグレーに当たるのか?」
「先入観を減らしたいので、そこは伏せさせてください」
伏せたところで、私だと言っているのに変わりないとも思うけれども。一番に井門さんが答えた。
「んー、俺ならとりあえず五人全員調べないことには、結論は出せないな~」
「つかグレー具合にもよるよね。明らか黒に近いならもう黒じゃん。他に疑いようなくない?」
佐倉さんの発言に、内心やはりそうかと同意した。「如月」という、厄災とも呼ぶべき事件に、人々は難色を示す。原因であろう私にも。
「だがグレーということは、状況証拠は揃っているが、決定的な証拠がない、ということだろう? その時点で犯人と断定するのは早計じゃないか?」
部長の言もそのとおりだ。「如月」は確実に私と関与している。だがどういう繋がりなのか、見えそうで見えない。
如月は話し掛けてくるが、会話はしない。私は黙ったまま、会釈する。邪険にはしていないし、無視しているわけではないが、返事をするわけでもない。会話に発展しようがない。如月は即座に会話へ繋げられなかった時点で、隙を見つけた如月センサーズに回収される。つまり如月は取り囲まれ、私と奴の間には超えられない壁が生まれるのだ。
その壁から多少の悪意を向けられるのもまた、ストレスではあるのだが。
「その『事件』の内容にもよりますよねぇ」
可愛らしい八木さんの声が割り入った。
「では、殺人事件としましょう」
私は微量の願望が入った事件を適当に挙げた。すると八木さんはまるで眼鏡を光らせるように、ニタリと笑う。
「それなら前提が崩れます。生きているのは四人なのか、それとも死人を含めれば六人だったという意味なのか――と」
一瞬静寂が訪れた後、井門さんが両腕を摩るような動作をした。
「おわ、なんか怖くなってきた」
「そして真相は他殺に見せかけた自殺、という線も十分にあり得るわけです」
八木さんはピンと人差し指を立てた。
それが限りなく事実に近いのだが。「如月」は如月が一人でに動き回って起きている。言うなれば一番の被害者はグレーである私なのだ。私自身は本当に、如月とは関わりたくない……。
私は八木さんの発言を借りることにした。
「では死人を含めて六人、他殺に見せかけた自殺だった場合、生きた五人はどうすると思いますか」
「えー、また難しいなそれ」
「とりあえず話し合うんじゃない?」
井門さんがぼやき、早速佐倉さんが答える。そこにシビアな意見を送るのは部長だった。
「話し合って、自殺とすぐに分かれば良いが、そうじゃない場合は互いに疑心暗鬼、いかに自分が犯人ではないかという主張、果ては騙し合いに発展する可能性もあるな」
井門さんと佐倉さんが同時に狼狽えた。恐る恐るといった様子で、井門さんがその先の可能性を示した。
「ならそれって、真っ先にグレーが吊るし上げられるんじゃないか?」
「……だろうな」
部長の同意とともに、沈黙が降りた。空気を割ったのは佐倉さんだ。
「でも他の四人が白だとも決まったわけじゃないんでしょ?」
「先程はグレーなら黒と仰っていたのに?」
八木さんの指摘に、佐倉さんは動揺を見せた。
「やーでもやっぱすぐに決めんのはさ、なんか怖くない?」
「ならばいずれはグレーに決定する、と」
「いやいやいや! そ、そうとも決まってないって! ね?」
救いを求めた佐倉さんは、部長に同意を求めたが、部長は返事をせずにこちらを尋ねた。
「で、結局シジョウはどこなんだ?」
「お察しのとおりグレーです」
「ああ……、それで悩んでたわけか……。うーむ、難しい状況だな」
今度は部長が難しい顔をしたのとは反対に、佐倉さんがあっけらかんと言った。
「えっ、でもやってないんでしょ?」
「……そうですね」
私からは良くも悪くも何もしていない。厄災は向こうからやってくる。だが、当人の意思はどうあれ、厄災を呼び寄せることは大罪なのだ。
「なら証拠探せば良いんじゃないの? 決定的な証拠ってやつ。それしかないじゃん」
佐倉さんの言葉に、目から鱗が落ちたような気分だった。まるで発見を得たように思った、が、具体的なことは思い浮かばない。証拠、証拠……どんな証拠だ? 如月と関係のある私が、無実であると示せる証拠は。いや、心情としては無実だが、実際はむしろ即刻死刑レベルだ。ならば捏造するしかない。
「決定的な証拠、ですか……」
「死因の証拠か、もしくは絶対にシジョウはできないっていう証拠とか」
犯人ではあり得ない証拠、か。犯人ならばしないこと、できないこと。可能性はありそうな気がする、だがなかなかに濃い霧だ。探すのは難しいかもしれない。
「なんなら俺が第七の人物になって、証言してやっても良いぜ。シジョウなら絶対やってないってな」
突然、井門さんにバシバシと肩を叩かれ驚いた。痛……痛くはないんだが、驚くのでやめてほしい。体育会系のノリ、なんだろうか。
それはさておき、発言はありがたい。部内では、私は悪人に見えないようだ。死刑レベルの有罪だが、私の肩を持ってくれるらしい。精神的に。そして部長も賛同した。
「ああ、それなら俺も手伝おう。困ったときは何でも言ってくれ」
「おう。日は浅いけど、シジョウは悪いことをするような奴じゃないってのは分かる」
善良な市民が極悪人の味方をするという、ホラーと紙一重の美談で話が纏まりそうになったところへ、それまで作業をして沈黙を貫いていた轟さんが一石を投じた。
「でもさ、それ、グレーにさせられたってことは、その被害者に恨まれてたってことなんじゃないの」
言い当てられた事実に、またも沈黙が訪れた。
私自身はやったことがないが、りっちゃんに聞いた狼人間を処刑するゲームで、言い当てられた狼人間はこんな気分なのだろうか。私は自然と笑いが漏れた。
「否定はできませんね。こんな性格なので」
言い当てておきながら、轟さんはバツが悪そうな顔をした。「根は優しい」とは、轟さんのためにあるような言葉なんだろうと、本人が聞いたら睨まれそうな感想が浮かんだ。
井門さんが思い付いたように言った。
「でも、トリックにもよるよな。死人はAをグレーにしたかったけど、それに気付いたAがうまいことすり替えたり工作したりして、Bをグレーに仕立てたとか。死人に口なし、だろ?」
「じゃやっぱ証拠を見つけるしかなくない?」
佐倉さんが提案するも、それは膠着状態であると示す言葉だった。しかしそんな状況を楽しむように、八木さんの軽い笑い声が転がり込んだ。
「……ふふ、未解決事件って面白いですよね」
「こら、未解決と決めつけるのはヤメなさいよ」
井門さんが窘めるが、八木さんは意に介した様子はない。
「なぜ未解決になったのか、とか興味深いです。状況や死因が極めて難解な場合もあれば、杜撰な捜査や証拠管理で未解決になったりとか。あとは犯人がもしかすると海外の人間だったのではないかって場合とかも、足取りが掴みにくいですから」
「あー……ゾッとするやつもあるよな」部長が頷いた。
「事実は小説よりも奇なりと言いますし――」
「ちょ、怖い話やめよ。ムリだから。マジでやめて」
佐倉さんが手振りを添えて八木さんを制した。重心を後ろにずらした井門さんは、椅子を斜めにして揺れた。そのまま乾いた声で笑い、両手を頭の後ろで組んだ。
「とりあえずなんか行き詰まったらさ、また言ってくれよ。俺ら茶化すしかできないかもだけど」
付け足された一言で、それぞれが笑った。私も笑っていた。最初は笑っていなかったのに、ここに来ればいつの間にか笑っていることが多い。りっちゃんといるときもそうだった。何気ない話をしているだけで、エネルギーに溢れるりっちゃんを見ているだけで、いつの間にか笑っていた。
人がいて、何かを話している。その状況は同じなのに、なぜ教室と部室、如月とりっちゃんでは、私はこんなにも違うのだろう。私はなぜ変わる? 好きか嫌いか。挙げていけばいくつもあるだろう。だがその理由で、私が変わる必要はあるのか?
「シジョウには悪いかもしれないが、興味深い議題だった。ミステリ研究部とか、心理テスト部とかも面白そうだよな。今から改名するか?」
部長の提案に、八木さんが記憶を辿った。
「似たような部はあった気がしますが。あ、思い出しました。文部です。活字中毒者揃いの」
「えっそんな部が……?」
私の疑問に、八木さんは快く答えてくれた。八木さん曰く、とにかくひたすらに文章を読み続けるか、書き続けているかしている部活らしい。文章ならば新聞でもインターネットでも何でもござれという、これまた実質帰宅部の一つだった。その中で自分の好きなジャンル同士で集まって、議論や研究をしているらしい。
あ、こちらも思い出した。部活一覧表の、二枚目か三枚目の一番上にあったから、「文化部」という項目の誤字だと思い込んでいた。冷静に考えれば、分かったはずだったが。
ちなみに文部とは別に文芸部もあるので、部活が飽和している。意味不明な部が乱立した、本当に訳のわからない高校だ。意味不明な部の筆頭に所属していながら言えた立場ではないが。
「最初はそちらに入ろうかと迷っていたのですが、イチジョウさんから『是非に』と口説かれましたので」
「へぇ、やり手だったんですね、部長」
「やめてくれ、そんなんじゃない。タンゴにしつこく頼み込んだら折れてくれたんだ」
部長は恥ずかしそうに笑って謙遜した。皆から何とも言えない笑いが滲む。
「あ、今度心理テストのやつ買ってくる? みんなでしよ」
「俺はパス」
佐倉さんが言えば、即座に轟さんが辞退を申し出た。佐倉さんは轟さんをじっとりと睨みつけた後、大きな声で言った。
「ふ~~ん、ブン太はピュアなハートを知られるのが怖いから心理テストできないってさ~!」
「なっ……!」
勢いよく顔を上げた轟さんは、その時点で罠に掛かったも同然だった。
「そうだな、恥じることがあると分かっているような、嫌なことを無理にする必要はない」
「誰にだって知られたくないことはあるもんな~」
「鶏は唐揚げが王道ですが、どう料理するのが一番美味しいんでしょうかね? どんな調理法が一番旨味を引き出せると思いますか?」
穏やかな笑顔の部長、爽やかに笑う井門さんは、一見轟さんを肯定しているだけし、最後の八木さんもただ轟さんをしっかり見ながら言い放っただけだ。だがそれらは確実に轟さんのささやかなプライドをボコボコにした。連携プレー、怖いな。
轟さんは顔を真っ赤にして、机を叩いて立ち上がった。柔らかな癖毛が跳ねた。
「だあぁ~~! もう! やれば良いんだろ! や・れ・ば!」
皆がにっこりと頷けば、轟さんは座って机に突っ伏した。僅かに覗く耳まで真っ赤だ。……可哀想になってきた。
「じゃあ誰が買ってくるか」
「はいは~い! あたし!」
「……ニジョウだけは怖いな。他いないか?」
「じゃ俺」という井門さんの声と同時に、八木さんが無言で手を挙げた。それを見て部長が頷いた。
「よし、じゃあ二人も頼む」
「おっし、じゃあ先帰るわ! 行こうぜ二ジョー、タンゴ!」
井門さんは即座に帰り支度をした。うきうきという擬音が浮かびそうなほど、笑顔で立ち上がった佐倉さんとともに、無言のまま敬礼した八木さんも席を立った。
もうそろそろ帰宅時間になるし、私も帰ろうか。
「私も帰ります」
「……帰る、俺も」
不機嫌そうに呟いて立ち上がった轟さんは、まだ顔が赤い。最後に部長が立ち上がった。
「じゃあ俺一人になるな。俺も帰るか。よし、解散!」
「かいさ~ん!」
佐倉さんの楽しげな声で、今日の部活は終わった。




