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 翌日、如月センサーズ待望の「如月君」が登校したことにより、サイレンの音量は平時の五割増しだった。元気そうでようござんす皆様方、……と思っていれば、いつの間にか二倍になっていた。鳴り止まない。朝からどうした。

 周囲に人影を感じた途端、サイレンは鳴り止んだ。嫌な予感とともに、人影を仰ぎ見る。


 ――如月貴様、なぜここに。


 如月が笑顔で立っていた。サイレン以上の警鐘が、頭の中で鳴り響く。ここで後手に回れば致命傷だ、先手を打たねば。如月が行動するよりも先に、席を立ち上がる。


「おはよう梓真さん」


 クソッ、発言には間に合わなかった、だがまだ致命傷ではない、かすり傷だ。


「おはようございます」


 会釈をしながら最速の歩行で教室を出た。かすり傷かと思ったが、これは重傷だ。結局後手に回ってしまった。ああ、もうそろそろ朝休みも終わるというのに、どこへ向かえば良いというのか。もしかして如月は、話があったのか? 念のため、以前も訪れた実技教室の方へと向かった。

 階段を上り切ると、近くの角にうずくまった。冬の朝は寒くて染みる。……ああ、頭が痛い。

 センサーズが居た手前、邪険に扱うこともできず、真顔で挨拶するという選択肢しか取れなかったが、手痛い結果に思える。無視をすれば愛想がなく、笑顔で返せば媚びへつらうと囁かれるのが定石だ。

 噂だけで済むなら構わないが、風向きの悪くなった七瀬丸は、下手をすれば難破する。今はまだ船として進んでいるはずだが、いつ大破して沈没するか、もうすでに沈没は始まっているのか、分からない。

 本来ならサイレンがいつも以上に鳴っていた時点で、退室するべきだった。だが、まさか如月が協定を易々と破ってくるとは思っていなかった。奴を信じた私がマヌケだった。

 そして不戦条約――ではなく、校内での接触禁止、つまり会話さえも禁止していることは明文化している。なのに、なぜだ。なぜ奴は破った。


 一定の調子で聞こえてくる足音を認識して数十秒後、如月は現れた。しゃがんで見上げると圧力を感じたので、立ち上がった。そういえば階段近くも危険だよな。声が通りやすい。廊下の端へ移動し、如月と対面した。

 如月はもう本調子なのか、いつもの笑顔であった。


「どうして逃げるの、梓真さん」

「どうして話し掛けてきた如月」

「梓真さん。それは答えになってないよ」


 思わず溜め息が漏れた。


「私には君と話す意思はなかった。だがあの場で主張するのは憚られた。だから対象きみから遠ざかった。それで、君の答えは?」


 如月はくすくすと笑った。


「昨日電話くれてたでしょ。何か用事だったのかなって思って」

「ならば折り返せば良いだろう」

「ごめんね、着信に気付いたのが今朝だったから」


 ケッ、白々しい。なら今日帰ってから掛けやがれってんだ。てやんでえ、べらぼうめ。


「何度も言うが、校内で話し掛けようとするな。契約違反だ。繰り返すようなら契約を破棄する」


 如月は満足そうににっこりと笑う。


「僕は良いよ。破棄しても」


 やけにあっさりと告げた如月に、何かが引っかかった。また、何かを企んでいるのか?


「……これは、君から持ち掛けてきた話じゃなかったか」

「はは、『契約』にしたかったのは梓真さんでしょ? 契約してもしなくても、僕に損失はないんだよね。簡単に言えば、梓真さんの利益がなくなるだけだよ」


 ……そういうことか。確かに、如月は「付き合うこと」の条件として利益提供を提案した。相互の利益提供にしようというのは私の提案だ。その形に落とし込むために契約という手段を取ったのも私で、如月の本来の申し出は「付き合おう」という一点のみ。「付き合うこと」が――「羽山さんとの接触」ができた今、利益提供という餌を撒いてまで無理に継続する必要はない。

 つまりここで破棄すれば、私は利益を受けることもできない上に、如月に脅し……交渉することもできず、不利を得る、と。

 ああもう、頭を掻き毟りたい気分だ! 人通りの多い路上で一発芸を十回するだとか、とにかく破棄するリスクももっと重点的に書いておくべきだった! 今更無茶苦茶な条件を思い付くとはな! 過失で破棄する場合、望む物資の提供だけにしたが、自らの甘さに反吐が出る。

 私は契約してしまった以上、継続していた方が得だ。違反行為があった以上、無償の利益提供を求める権利ができる。具体的には要望どおりのレシピを寄越せ、だな。……どう料理してやろうか。

 しかし、もしも破棄さえしてしまえば、絶対に如月が話し掛けてこないというならば、そちらの方が良い。そこはどう出るのか。


「ならば破棄すれば君は話し掛けてこないのか」

「ああ、何の憂いもなく梓真さんと話せるね」


 ――だめだ、契約は続行の方針でいく。

 だが、なぜ如月は私と接触しようとする? 羽山さんと話すという目的が達成されたなら、私の存在はもう無用なはず。……あ。連絡先を教えて貰えなかった、とかか? 私が印象を悪くしたせいか? そんなはずはない……よな?

 それ以外なら私と話す理由は何だ?


「何が目的だ」

「はは、それは梓真さんの口癖かな」


 如月は感想を漏らしただけで、その後に続く話はなかった。

 やはり答える気はないようだ。

 ……それもそうか。悪役設定でもないのに「お前は用済みだ」とは言い辛かろう。羽山さんが目的というのも、私の推測でしかないし、如月としてはそんな主張はしていないのだから、体面上は円満に別れるのが理想だろう。つまり「用済みになったのですぐに別れた」とは思われたくないということだ。

 付き合い始めてからすぐに別れようと言ったとあれば、ただでさえ常に疑っている様子の私が、詰問してくると思っているのだろう。……間違ってはいないが。

 私から別れを切り出されるのが理想、ということか。ならばやはり私は、関係性を継続させた方が良い。私との契約が少しでも「縛り」になるのならば、羽山さんへの被害も事前に察知できるかもしれない。如月の出方を伺い続けるためにも、この契約は必要だ。虜囚として、諜報を続ける。

 そして、早速聞くべきことがある。これは羽山さんのためではなく、自分の身を守るためだ。そもそも電話を掛けた理由がこれだった。


「君はなぜ昨日と一昨日休んだ?」

「あれ、梓真さん知ってたの。僕のことを気にしてくれてたんだ?」


 私は無言で睨み上げた。数秒してようやく如月は答えた。


「気分が悪かったんだ」


 問題です、如月君は何で休んでいたのでしょうか。答え、気分が悪かったからです、二日間も。

 胸焼けが続くなら病院に行くか、献立を改善した方が良いんじゃないか。なんて、私が言える立場ではないな。

 いや、ふざけている場合じゃない。私が聞きたいことはそうじゃない。


「それは、日曜日のことと関係があるのか?」

「体調が悪かっただけだよ」

「どこが悪かったんだ?」


 聞けば、如月は笑う。


「やっぱり心配してくれてるの?」

「ふむ、そうだな。疑問を持つことが心配というなら、それで良い。それで、どこが悪かった?」


 私が食い下がれば、予鈴が鳴った。もうそんな時間か。如月の顔は、いつの間にか笑顔が消えていた。


「頭が痛かっただけ。……もう戻らなきゃ」

「待て。ここでは――学校では、君と話したくないが、それ以外でなら、私は君と話してみたい。ちゃんと、友達になろう」

「……え?……いや、付き合ってるんだから、友達にはもうなれないでしょ」


 如月は冷めたように笑った。

 確かにそのとおりだ。

 今の関係性が嫌だと思うのは、私のわがままだ。自分が後悔したくないがための、自己満足のための行動だ。

 だから何人なにびとも、自分が上手く立ち回れる範囲でしか相対しなかった。だがその閉じた世界に、無理矢理土足で入り込んで来たのは如月の方だ。私の心情に、ストレスという形で入り込んで来たからには、私には対峙する必要がある。

 心の平穏を守るため、謎や不快を放置して、そのまま生きていくことはできない。心の第三地区まで蔓延したストレス臭は、無視できるものではない。

 悪臭の原因を処理するには、ちゃんと調べなくてはならない。


「人として、付き合うことは不可能か? 私は、君を知りたい」


 如月は眉根を寄せる。どこか悲痛にも見えるその表情は……嫌悪だろうか……。


「やめてよ。……もう、戻れなくなる」


 如月の言葉で、私は我に返った。


「そうだな、すまない。生徒会長が廊下を走っていたら面目が潰れるな。引き止めて悪かった。戻ろう」


 言うや否や、私は遠回りをして教室に戻った。

 もしも如月が、私を利用するために近付いたのなら、意図せぬ範囲から「好意に見えるもの」を寄せられたとあれば、面倒に感じるだろう。私としては好意ではなく、原因調査であるのだが、客観的にそう取れないのは分かる。

 私はどこか、如月を「人」と思っていなかったのかもしれない。だが如月は涙を流すような、人だった。私はそれに気付いたはずだったのに。

 私はどこかで「心ない人間」だから、こちらも同じように土足で踏み込んでも良いと思っていた。しかし心ない人間だからといって、私が受けたストレスを同じように返して良い理由にはならない。心があるなら、尚更だろう。

 嫌いな人間にほど、こちらが手を下してはならない。

 如月と一緒に戻ったとあれば、即座に死刑台送りになる気がした。



 教室に戻ると、如月センサーズから多少の視線を感じながら、席に着いた。

 着席して少しすればホームルームのチャイムが鳴った。担任の話を要点だけ聞きながら、如月から感じた違和感を振り返っていた。

 ……そうだ、それはある意味での拒絶、「やめて」という言葉だ。今までの如月ならば、自分の意思に反することは、「それはどうかな」という態度だったように思う。真っ向から否定をするわけではないが、意見が違うということは主張するという印象だ。その如月の「やめて」という言葉を、私は初めて聞いた。

 包帯を巻くほど……かどうかは定かではないが、強く握りしめたときでさえ、「やめて」だとか「離して」とは言わなかった。あまつさえ言い訳のようなことを喋っていたというのに。

 ――余裕がなかったのか?

 ……それはなぜだ?

 考えられるのは休んだこと、その理由だ。本人は体調不良と言ったが、どこか煮え切らない。

 如月センサーズの指摘する「鬱」というのも、大きく外れてはいない気がする。もしも多大な精神的衝撃を受けたのならば。それは如月が泣いていた日曜日、羽山さんとの会話で。

 如月に聞いても答えないのなら、もう羽山さんに尋ねるしかないのか? 羽山さんを煩わせるのは気が引けるが……。しかし、他に方法が思い浮かびそうにない。とりあえずやるべきことを、やれそうなことからやろう。






 それから、約一週間ほどが経った。

 一度如月について、羽山さんに尋ねてみたが、答えは貰えなかった。


『私が話すことじゃないから――どうしても、私からは話せないから、ごめんね。どうか本人から聞いてほしい。本人から話せるときが来るまで、待っていてあげて』


 羽山さんからそんな風に頼まれたとあっては、私はもうそれ以上掘り返すことはできなかった。


 如月については、拒絶されたのはあの一度きりで、それ以降、本人は相反する態度を示し続けた。以前にも増して接触を図ろうとしてくる。具体的には、私を見かける度に声を掛けてくるだとか、毎日いずれかの休み時間に私を訪ねてくるだとかだ。

 始めはサイレンが鳴れば教室を出ていたのだが、私が教室にいないときには、教室で私の名を挙げていることを耳にして以来は、諦めて教室に居ることにした。「七瀬さんいる?」とか「七瀬さん知らない?」と如月の口から出る回数が増える方が辛い。教室前の廊下に居る生徒は、同じクラスの人間だけとは限らない。

 如月には虫除けスプレーのような、こちらから打って出ることができる防御策がなかった。常に後手に回った私は、数日で噂されるようになった。「如月君」がいつも転校生の「アズマナナセ」を探している、「如月君」は「ナナセアズマ」とどういう関係なのか。

 基本的に噂は中島さんからしか得ることがなかった私でさえ、最近の噂は彼女以外からよく耳に入ってくるようになった。そもそも中島さんとは席が離れたので、会話をすることもほとんどなくなったのだが。


 ――どうにも頭が痛い。私の方がストレスで休みたい気分だった。

 如月には何度もやめろと言ったが、レシピさえ与えておけば正当化できるとでも思っているのか、一向にやめる気配がない。むしろレシピを渡すのを口実にまた話し掛けてくる。これは一度、果たし状で校舎裏に呼び付けて、本気でボッコボコにするしかないのか。言ってきかぬなら体に示すまでよな……。

 そしてそのレシピが活用できているかと言えば、一度もできていない。正直なところ如月が用意したという事実だけで、レシピが憎らしい。レシピに罪はないと、そのままファイルに入れ込んでいるが、羽山邸の片隅に溜まっていく一方だった。

 数日前には、折角何の約束事もない休日が久し振りに訪れたとあったのに、あまり気は休まらなかった。羽山邸からボーッと海を眺め、山を眺め、空を仰いだ。ただ時が過ぎていった。



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