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7-2


 私は驚いて相手を見つめた。如月の口から羽山さんの名が出て来るとは、微塵も想像しなかった。


「羽山さんをご存知なのですか?」

「そうだね、一通りは知ってるかな。だから不思議でね。誰かを住まわせるような人とは思えなかったから」


 答えを聞いている間で、我に返って気付いた。虚をつかれ驚き、勢いで尋ねてしまったが、軽率だった。私が羽山さんを知っていることは、もう言い逃れができない。私にポーカーフェイスなど、縁遠い単語かもしれない。

 「一通り」の範囲がよく分からないが、どういう関係性だろうか。少なくとも人柄は知っていると見える。会話をしたことがあるか、もしくは共通の知人などがいるか。まだまだ判断材料が少ない。

 次の一手を考えていると、ガトーショコラがやってきた。中心に置かれた皿を、如月が私の方へ置き直した。私一人で食べろと言うのか。様子を見るに、相手は一切食べる気がないようだ。仕方ない、さっさと食べてやろう。

 手を合わせ一口食べると、こちらから話を切り出した。


「なぜ羽山さんを知っているのですか?」

「うーん、なぜ……か。僕が彼を好きだったからかな。あ、建築士として、だよ。日本じゃあんまり知られてないけど、海外では結構売れててね。興味があって、パーティで彼と少し話はしたんだけど、向こうは覚えてないかもなあ」


 羽山さんの建築が好き、ねぇ。そんな趣味がありそうな顔か? と言いたいところだが、さすがに趣味に口は出せん。いや、顔もか。

 それにパーティとは何だ。いわゆるセレブがお互いの顔色を伺いながら、ウフフオホホを言い合う集まりか。何とも胡散臭そうな響きだ。

 それから「羽山さんは覚えてないかも」などと思いもしていない謙虚さは、無効かつ無駄なので即刻やめていただきたい。

 しかし今一つ羽山さんとの関係性が掴めない。パーティなどという嘘臭い繋がりで、羽山さんが好きだから、彼の別荘に住む私が気になる? つまりどうやってあの別荘を手に入れたか、とかそういうことか。羽山さんの仕事に関しては一切知らないので、レア物件だったりするのかもしれない。情報不足とはこういうところで痛い目を見るのだな……。


「私が彼の別荘に住んでいるとして、貴方とどういうご関係がお有りなのでしょうか」

「関係はないよ。ただ興味があるだけ。気を悪くしたのなら謝るよ」


 濁すのかと思ったが、あっさりとした告白に内心驚いた。純粋な興味だと思わせるのには有効だ。

 学校での噂は、面白半分で回っているようだった。しかし羽山さんを知っているのであれば、違う意味での面白さになるのだろう。奴の言ったとおり、「誰かを住まわせるような人には思えなかった」人物だからだ。

 奴も興味本意、だがその中に悪意が一匙もないとは言い切れない。貼り付けた笑みで、奴が何を考えているのか、全く読めなかった。

 事実を告げるべきかそうでないか、だが。私が羽山さんのことを知っている時点で、ほぼ黒のようなものだ。住んでないと言ったところで、ではなぜ羽山さんを知っているのか、と問われれば同じだ。私は羽山さんの活躍を知らないし、どんな建築がどうこうと言えない。追及されればボロしか出ない。

 初手を間違えた私は、詰まるところ正直に言うほかなかった。


「ここでの話は口外しませんか?」

「もちろん」


 如月は笑顔で頷いた。先程から、大した変化のない笑顔だ。


「質問のとおり、私は羽山さんの別荘に住んでいます」

「そっか。梓真さんの他には誰が?」


 ここは……どうなんだろう。嘘のつける余地はあるが……、やはり問い詰められて、言い逃れできる自信はない。

 一人暮らしであることは、防犯上吹聴すべきでないということであり、羽山さん自身が何かを秘密にしたくて、というものではなかった。

 金持ちのお坊ちゃんが空き巣に入ることも、加担することもないだろう。一人であると言った方が、羽山さんに会わせてくれ、とか言われなくて済むのではないか。


「いえ、一人で住んでいます」

「え、そうなの?」如月は少し驚いた様子だった。「どうしてあの別荘に住んでるの?」

「そこまで話す必要がありますか?」


 如月は一瞬悩んだかに見えたが、また笑顔で話し始めた。


「ないよ。ごめん、プライバシーだったね。でも普通、彼と出会うこともなければ、ましてや彼の別荘に住むことになる状況が分からなくてね。女性にも興味がないようだし、血縁者がいないから親戚のわけもないし。どうしてなのかなって」


 ふうん、そういう食い下がり方をするのか。

 しかし「一通り」の中に彼の好みや血縁者まで含まれているのか。恐ろしい情報網だな。

 それにしても、血縁者がいない、か。


「ご両親もいらっしゃらないのですか?」

「うん、確か。正真正銘一人だったと思う」


 そうだったのか……。私は知らなかったのに、如月は知っていたというのが、なんだか少し悔しい。兄のように思っていたところで、関係性としてはただの契約者であるから、知らなくても当然ではあるのだが。それでも、少し寂しくある。そう思う権利もないのだろうけれど。

 如月は思い付いたように問うた。


「あ、もしかして梓真さんのご両親と仲が良いとか?」


 ……ああ、そうか。「一人で」というところに驚いたのは、一家で住んでいると思っていたからか。羽山さんがあの別荘を売り払ったか、貸しているかとでも思っていたということか。なるほどな。客観的に考えれば普通はその考えに至るだろう。私は主観が強過ぎた。


「いいえ」

「梓真さんと彼が仲良いの?」

「悪くはないと思います」

「じゃあ、彼から住んでみないかって言われたとか?」


 私は深い溜め息を鼻から出した。ガトーショコラを食べ終えるとともに、抹茶ラテを流し込んだ。


「私は尋問を受けるためではなく、話を聞くために来たのですが。話が終わったのであれば、先に帰らせていただきます」


 手を合わせてから鞄を手に取り、立ち上がった。伝票を掴もうと手を伸ばすと、上から抑えられた。すっぽり収まる辺り、如月の手は一回りほど大きいのだろう。


「あー待って待って。気を悪くしたならごめん。ね、分かった。もう一つ用件があるから」


 私は片眉を上げた。黙ったまま如月を見下ろした。如月は急拵えの提案をした。


「あ、ガトーショコラ、もう一つ食べる?」

「不要です。手を。……離していただけませんかね」


 如月は殊更に笑顔を深めて言った。


「先に座ってくれる?」


 ああ、この顔。何度張り倒したいと思ったことか。

 私が諦めと共に鞄を置いて座ってみせると、ようやく手が解放された。なんとなく、拭いてもいいだろうか。さすがに失礼か? 手洗いに行くと告げれば自然か。


「すみません。御手洗いに行きます。……大丈夫ですよ。鞄を置いていきますから」


 私の代わりに鞄を質に出した。まさかお坊ちゃんが盗みを働いたりはしまい? 私がそそくさと行って帰ってくると、今度は如月が消えていた。だが奴の鞄はある。残れと言った本人が帰るわけないか。ちぇ。

 どこまで行ったのかは知らないが、本を読んで潰すほどの時間でもないだろうし、どうするか。瞳を閉じて、仮眠――と思ったところで足音が近付いた。如月は両手にカップを持っていた。

 如月が片手のカップをこちらに置いた。


「抹茶ラテで良かったかな?」

「……ありがとう、ございます」


 気が利くフリか、下がった心証の向上を目論むか。どちらも同じか。

 そしてそのまま、もう片方のカップも側に置き、流れるように私の隣に座った。

 おい、なんで隣に……と思えば逃亡阻止のためか。それにしても距離をつめる必要はないだろうが。適切な距離を考えろ。

 逃げない意思を告げても、にんまりと笑みを深めるだけだった。距離を取ろうとしたが、鞄がある。少し鞄を押し潰すようにして、僅かながら距離を取った。信用がないのは私も同じか。

 仕方ないので、自分の前へ引き寄せた抹茶ラテを静々と飲みながら、相手が話すのを待った。我が広しパーソナルスペースに、人間がいるのは落ち着かん……。動物なら良いのだが。奴が横にいると、顔を見なくて済むのは良いが、近距離射撃される視線が鬱陶しい。

 逃げないとやっと理解したのか、ようやく如月は話し始めた。


「本題はね、別荘の中が見たいんだ。つまりお邪魔させてもらえないかな? だからと言うべきか、梓真さんが羨ましくて。どういう経緯で住んでるのかなって気になって。ごめんね? 立ち入ったことを聞いて」


 ふーむ。先程述べた「羽山さんの建築が好き」という話との一貫性はある。それっぽい話ではあるのに、どことなく嘘臭さを感じるのは何でだろうな。またもや私の主観からなる思い込みか。やはり警戒し過ぎか?

 しかし質問をしていた態度に、私に対する羨ましさなんて微塵も感じなかったんだがなあ。


「それは羽山さんに許可を得ないと分かりませんので。今ここで返事はできません」

「分かった、じゃあ結果の連絡が欲しいから、電話番号かアドレスか、あ、何かSNSやってる?」

「いえ、携帯電話は所持していませんし、各種SNSもやっておりません」


 如月は目を見開いた。珍しく本心だけのようだ。


「へえ、珍しいね。ポリシーか何か?」

「取り立てて必要ありませんので」

「ということは友達と遊びに行ったりとか、あんまり遠出とかしないんだ?」


 その情報を聞いたところでどうする。私の交友関係など貴様と微塵も関係ないだろうが。「友達いないの?」と聞いてこないだけマシか?


「……そうですね」

「へえ。古風なんだね。それで、別荘には固定電話とかないの?」


 それは遠回しに古臭いと? 前時代人間で悪かったな。


「使用許可を得ておりません」


 正確には外部通信の使用許可だ。電話をかけるのにもお金がいるのだ。羽山さんとの連絡には使用しているが、それ以外では使って良いものかどうか判断しかねる。契約書に書かれていなかったので問題ないと思うが、念のため、そして口実だ。りっちゃんのときも許可を得てからだったし、クリスマス以降は一切連絡していない。

 如月は少し唸った。考えている様子まで演技かと思うのは心が荒みすぎか。私が純粋だったならどう思ったろう。私のぴゅあな心はどこへ行った。きっと擦り切れて軽くなって飛んで行き、今では回転草に絡まり荒野を彷徨っていることだろう。

 さあ、主観を取り払い、相手を冷静に見るのです……。


「それも許可がいるのか……。じゃあ学校だけだね。僕は大抵自分のクラスか、放課後なら生徒会室にも居ると思うから。結果が分かったら伝えに来てくれる?」


 冷静撤退。主観警報発令。直ちに全員配置につけ! ここが正念場だ! 敵に背を向ける(奴と校内で会う)な!


「それは……ちょっと、無理ですね。下駄箱ならなんとか処理できます。事前に鍵を開けていただければ良いですから。そこにメモを入れておきます。最悪、開いていなくても、紙程度なら隙間から差し込めるでしょうし」

「会う方が早くない?」


 私は小さい溜め息を鼻から漏らした。

 確かにそうだ。貴様が、貴様でさえなければな。恨むならその顔を恨め。


「貴方と校内で接触したくないという意味で申し上げたんです」


 その言葉で如月は、不安を形作るように眉を寄せてこちらを見つめた。これも演技だろうか。演技力を見極める能力が有るわけではないが、大根ではないと思う。


「それって……僕を嫌いになった?」

「貴方を嫌いか否かは無関係です。ただ、私は自分の安全を優先しているだけです」


 如月は前のめりになって、距離がより詰まった。おい、勘弁してくれ。物理的に肩身が狭い。肘鉄砲を食らわすぞ。


「安全? 僕と話すことが危険ってこと?」

「左様です」

「今梓真さんは危険なの?」

「我々以外の学校関係者がいれば、ですが」

「じゃあ、僕のことが嫌いってわけではないんだね?」

「繰り返し聞かれると嫌いになるでしょうね」

「分かった。嫌いかどうかはもう聞かない」


 そうして如月は元の体勢に戻った。


「――あの。もう一度申し上げますが、逃げませんのであちらに座っていただけませんか。狭いのですが」

「あれ、狭かった? あ、鞄があったんだね。ごめん、気が付かなくて」


 白々しい。私が席を立つ前に鞄の存在を明示したのに、気が付かなかったはないだろ。もっとマシな嘘をつけ。

 相手を睨むように見続けると、少し距離が開いた……だけだった。

 此奴とは話す以前に、同じ空間にいるだけで疲れる。まるで自分のエネルギーをじわじわと吸われているかのようだった。


「繰り返しますが、あちらに――」

「逃げない証拠はある?」


 敢えて抑揚を付けた声で、如月は、口元から綺麗な笑みを作ってみせた。

 その顔に、少し胸が高鳴った。

 多分本人は演技を装っているのだろう。だがそこには確実に、本性の片鱗が見えた。自分の予想が当たりそうな予感に、笑みを返しそうになった。



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