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7-1


 翌朝、席に着けば中島さんのハキハキとした――ともすれば煩いぐらいの――挨拶を受けた。


「おはよ七瀬ちゃん今日遅いね! って言ってもまだ早いけど」

「おはようございます。中島さんが早いのでは」

「あそっか。そうだね! 私より先に来てるイメージのが強かったから、ごめんごめん」

「いえ、お気になさらず」

「あははなにそれ! だからも~普通に喋ってくんない? 心の壁で籠城でもしてるの?」


 それこそ――何だそれは。

 私は大きな勘違いをしていた。女子高生のツボが分からないのではなく、中島さんのツボが分からなかったのだ。……女子高生のツボが分からないのも間違いではないけれど。

 私は内心戸惑いながら返答した。


「……そういうことです」


 するとまたもや中島さんはケラケラと笑い、幾らか喋ると体の向きを正面に戻した。私は変わらず本を取り出した。

 「恋の駆け引き必勝法」の次は「最短弁当」だ。必勝法では有益な情報を得られなかったが、こちらはどれか一つぐらいはヒットするだろう。「最短弁当」には時間や工程など、種別のおすすめ「最短」レシピが載っている。本のサイズも「最短」なのか文庫本サイズだ。さすがに購買ばかりに頼っていては、栄養面でも金銭面でも痛いので買った次第だ。

 ――しかし、料理は苦手というべきか、得意にはなれない。まだお菓子作りの方が性に合っている。お菓子は分量、工程、すべて書かれているとおりにすれば良い。

 だが料理は、書かれているとおりにできない。手順も分量も、記述と同様にしているはずなのに、画像と同じような状態にならない。

 タイミングが分からないのだ。記された状態は、これからなるのか、今なのか、もう過ぎ去ってしまったのか。それとも何かを間違えていて、その状態にならないのか。

 菓子はどこで間違えたのか見当がつくのに、料理になると、どこを間違えたのかが途端にわからなくなる。

 ……完成が分かりにくいからだろうか。

 菓子は変形することが多いので、完成が明確で分かりやすい。しかし料理は徐々に変化してゆき、調理中と完成の明確な差を実感できない。

 皮を剥くだとか、ヘタを取るだとかの下処理でやる気が削げ、切り方など調理法の業界用語を調べるのにまたストレスを抱える。料理本とは、ある程度料理の基本スキルが元々備わった人に向けて書かれているのだ。つまり書かれたとおりにできないのだ。

 こういったものは、要は経験値だろうと、回数を重ねることが重要なのだろうと、分かってはいるが、それに充てられるだけの、時間なり労力なりを見繕う余裕がなかった。

 ……いや、言い訳だ。面倒臭いのだ。どうにも腰が重い。やる気が出ない。

 ならば「最短」であれば、なんとか手が伸びるのではないかと、短絡的に考えた結果がこの本だった。まずは工程の部門から攻め落とそうではないか。

 誰に宛てるでもなく、料理をしない言い訳を考えていると、突然、教室に一部女子の歓声が湧いた。聞き覚えのあるトーンだ。これは確か……


「如月君!」


 そうそう「如月君」だ。これは「如月君」が半径五メートル以内に近付いたことをセンサーが探知すると鳴るサイレンだ。何度か耳にしたことがあるが、今日は一際大きいな。まさか彼が教室前廊下を通る度に鳴ったりはしまい? この音量で鳴り続けられるとなると、私の神経と鼓膜が弱り果ててしまう。

 鼻から溜め息を吐きながら、本の続きを見た。ワン工程シリーズか。ふん、炒めるだけと言って、野菜を洗ったりせねばならぬのだから結局ワンではないのではないか……? なにっ既に洗われているカット野菜を購入するだと……! そうかその発想は……。


「ちょ、七瀬ちゃん、来てるよ!」


 いつの間にか振り返っていた中島さんが、慌てて私に耳打ちした。何事か。中島さんが視線をやる先を見た。そこには、後部ドアから入ってきた「如月君」がいた。

 笑顔に見える「如月君」は、迷いなく私に近付いて来た。私の隣に立つと、見栄え良い姿勢で尋ねてきた。


「初めまして。君が噂のあずまさん、東七瀬さんだよね?」


 噂とは何だ……と思えば別荘のアレか? 残念ながら私は無関係(という設定)だ。

 しかし「如月君」は生徒会長だったはずだろう? ならば私の名前は知っているはずだが、わざと間違えているのか? それともウッカリさんなのか。

 何にせよ、面倒な人間とは関わらない方が良い。


「初めまして。七瀬梓真なら私ですが、苗字が東の方をお探しでしたら、私は存じ上げません。では」


 会話を終了させるつもりで、本へと意識を戻した。しかし何やら視線を感じる。「如月君」だけではない、中島さんも私を凝視しており、そして過激派会員も私を睨んでいた。そ、そうか、中島さんのあの言葉、『如月君絡みで何かあれば、とんでもない目に会うかもしれないから』とは、こういう事態を指し示していたのか。

 今は、およそ予兆に過ぎない。彼を無視するような、蔑ろにするようなことは、彼女たちの前では――何なら公衆の面前では、禁止事項に値するのだ。これは、中々に厄介な相手だった。


「あれ、東さんじゃなくて七瀬さんだった? ごめんね。折角だし梓真さんて呼んでても良いかな? 僕は如月、如月夏樹。実は少し話したいことがあるんだけど……、今のお詫びも兼ねて」


 どこがどう折角なんだ。意味がわからん。しかも此奴、間違えたのはわざとだったんだな。私ができるだけ断り辛いようにするために。

 ――コイツ、「善意の盾」の常習者か。

 一見低姿勢、半ば強制な彼の提案は、断っても、安易に承諾しても、私の平穏な日々が消え失せることは容易に想像できた。何か一言間違えれば、大衆を敵に回すような存在など、関わり合いたくないのだが。

 彼を無下にはせず、しかし簡潔に済むようにしたいところだが……。


「どのような呼ばれ方でも構いませんが、ご用件なら、今ここでお伺いします」

「うーん、ここではちょっと聞き辛いことだから、時間を貰いたいんだけど、今日の放課後空いてる?」


 ……簡潔に済むことはできなかった。あんまりだ。私が何をしたって言うんだ。君に話せることなど何もないじゃないか。帰りたい。

 バイトは明日だし、部活もやっていない、都合の良さそうな言い訳も思い浮かばない。断る手段は潰えた。辛い。


「…………はい。大丈夫です」

「良かった、じゃあ放課後、正門で待ってて。それじゃ」


 ヒラヒラと手を振って、爽やかな笑顔で如月夏樹は出て行った。嵐は去って行った。

 教室内には静寂が訪れた、が気にした様子もなく中島さんはいつもの調子で尋ねてきた。


「え、ちょ七瀬ちゃんほんとどういうことなの何が起きたの何だったの」


 捲し立てるようにして、私の心情を半分中島さんが代弁してくれた。私の方が何なのか聞きたい。分からないことだらけだ。

 中島さんが聞き込んでくる中へ、過激派会員の三人組が詰め寄ってきた。


「ねぇ、七瀬さんって如月君と仲良かったの?」


 会員の内一人が、平静であるように尋ねてきたが、その目の奥には冷ややかなものが混じっていた。

 あのやり取りの、どこをどう見て仲が良いなどという感想が浮上するのだ。その目も耳もお飾りか。


「いえ、今日初めてお会いしました」

「へぇ、そうなんだ。じゃあなんでわざわざ会いに来たの?」

「私自身も疑問に思っています」


 すると三人は沈黙し、無言のまま怪訝な視線で話し合っていた。やがて先程の一人が口を開いた。


「……ふうん、そう。分かった、ありがとね」


 過激派会員の三人はあっさり帰っていった。





 放課後、帰り支度を済ませると、意を決して正門へと向かった。「待ってて」という言葉どおり、如月夏樹はまだいなかった。

 十数分待ったところで、二人組の女の子がこちらへ来た。一年生のようだ。私の名を尋ねると、浮き足立った様子で紙切れを渡された。どうやら如月夏樹に使いを頼まれたらしい。頼まれ事をされて、そんなに喜ぶなど私には理解できないが、彼は得な人生だな。

 渡されたメモを開いた。涼やかで流れるような字が、綺麗に並んでいた。非の打ち所がなく、腹立たしい限りである。字が綺麗なのは素直に羨ましいが、同時に憎らしい。


『緑浜行きのバスに乗って白波で降りてください。運賃は後でお渡しします』


 どういうことだ。まさか下手なゲームに付き合わされるわけではあるまいな。これ切りにしてくれよ。

 疑問はあるものの、書かれたとおりの行動をした。暫くバスに揺られ、指定のバス停で降りれば、如月夏樹が立っていた。本人がいたことに、少し驚きながらも安堵した。たらい回しは終わったようだ。彼は降りる乗客を確認し、バスが去るまでを見届けた。

 辿り着いた先は、しなびたファミリーレストランだった。ガラス窓から見える範囲で、客は誰も居なかった。そもそも営業しているのか。

 しかし意外だった。お坊ちゃま然とした人間が、寂れた店に、そもそもファミレスなどに来ること、いや存在を知っていることが衝撃だった。こんな所で食事などしたことがないだろう、としか思えないような設定と見た目をしているのに。

 店に入ると奥の席に着いたが、やはり誰も居なかった。店員も今のところ一人しか見かけない。

 我々は三方を囲まれた席で、二人掛けの椅子にそれぞれ一人で座っていた。相対する人間が、同じ学校の生徒という以外に何の関係性もないというのに、なぜ私は大人しく座っているというのか。馬鹿な話だ。

 如月夏樹はメニューを受け取ると、広げてこちらへ差し出した。


「わざわざここまで付き合ってくれてありがとう。奢るから、好きなの頼んで」

「ありがとうございます、お気持ちだけ頂戴します」


 お前に借りなぞ作ってたまるか、という意思表示を込め、メニューを返した。しかし彼には一切通じなかった。


「チョコレートは好き?」


 戻ってきたメニューを捲りながら如月夏樹は問うた。奴の意思は固いようだ。構わん、ならば折れたフリをしよう。会計の際、先に払って素早く店を出るのだ、見ておれ。


「……そうですね」

「ガトーショコラを一つとドリンクバーを二つ」


 如月夏樹は、店員を呼ぶと勝手に注文を済ませた。取り消すのも野暮なので、大人しく従うことにする。サーバーに向かい、抹茶ラテを入れて来た。奴の方は黒さと臭いからしてコーヒーのようだ。互いに一口ほど飲むと、彼が切り出した。


「ところで何で敬語なの?」

「理由はありません」

「みんなにも敬語なの?」

「どなたでも同様に」

「へえ、そうなんだ。そういえば、梓真さんは料理が好きなの?」

「いいえ。ご用件はそれですか?」


 なぜ料理の話が出てくるのだ。もしや「最短弁当」を見られたのか。カバーをかけていたのに。

 それになぜ名前呼びなのだ、と思えばそれは私が許可していたのだった。不覚。

 抹茶ラテのカップ越しに、目を細めて相手を見た。早く用件を言え。そして帰らせてくれ。


「違うよ。何だか警戒されてるようだから、ちょっと雑談でも、と思ったんだけど……意味なかったね。何もそんなに警戒する必要ないのに」


 如月夏樹は、笑ってみせているが、内心どうかは分からない。害意はないと示すためのものだろうが、使い古されて、その内ボロが出そうだ。

 私の方は小さく鼻から息を出し、カップを置いた。


「一切関わり合いのない方から呼び出されて、訝しまない方が不思議でしょう」

「確かにそうだね。でも梓真さんほど警戒されるのは初めて。そんなに信用なさそうな顔してる?」


 その言葉を受けて、私は相手を見据えた。

 ――私も君ほど警戒するのは初めてだよ。羽山さんに対してだって、これほどではなかった。

 如月夏樹は、陽に当たったことなどないとでもいうような、真っ白な肌をしていた。無造作なようであって、整えられた艶のある黒髪と垂れた目元、そして緩やかに上がった口角が、人当たりの良さそうな顔を演出していた。

 収まるべき箇所に収まったパーツは全て均整が取れていて、なるほどこれが女子生徒の騒ぎたくなる顔なのだ、ということは理解した。

 そうだな、顔もそうだし、存在そのものがありえない。虫が苦手か? その手はもう通用しないぞ。やはり音痴であるとか、壊滅的な絵心の持ち主じゃないと納得しないんだからな。なんならいっそハゲてしまえ。


「顔というより存在が、でしょうか。大変人気のある御仁が、一体何の用で私に話があるのかと」


 早く用件を話せ、と再度促した。如月夏樹は諦めたように笑った。


「はは、分かった。話すよ」


 如月夏樹は一つ息を吸うと、口を開いた。


「羽山秀繕の家に住んでるって本当?」



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