第七章 プロトタイプA
夜の帳が一段と深まり、秋葉原の街を彩る煌びやかなネオンも一つ、また一つと明かりを落とし始めていた。かつて電子街として栄え、今やサブカルチャーとミリタリーマニアの聖地となったこの街の路地裏は、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っている。
「Tactical Maids & Armory BAR — Bullet & Lace」のビル前で客引き(キャッチ)に立っていたレナだったが、路上を行き交う人の姿もすっかり疎らになり、これ以上の来店は見込めそうにない状況となっていた。濡れたアスファルトに反射する街灯の明かりを眺めながら、レナは小さく息を吐き出した。
「みんな、今日はここまでにしましょうか。順番にお会計を済ませて上がってね」
レナが店内に戻り声をかけると、待機していたキャストたちは「お疲れ様でしたー!」「お先に失礼します!」と元気に声を揃え、手際よく着替えと終業作業を済ませて帰路に就いていった。
最後に店内に残ったのは、チーフのユキとレナの二人だけだった。
静まり返った店内には、無機質なコンクリートの壁面に飾られたエアソフトガンの黒い銃身が、スポットライトの残光を受けて鈍く静かな光を反射している。手入れの行き届いたフルメタルのM4カスタムやMP5、整然と並べられたKydexホルスター。ほのかに漂うガンオイルと挽きたての珈琲の残り香が混ざり合い、一日の終わりを告げる特有の静寂を醸し出していた。
「ふぅ……今日も無事に終わったわね」
ユキはカウンター越しに店内を見渡しながら、長いため息をひとつ吐き出した。カウンターの上に残されたグラスやトレイを片付けるその手つきは、いつ見ても無駄がなく洗練されている。
「お疲れ様です、ユキさん。そういえば……セリカちゃんはどうなるんですか?」
レナは心配そうに、奥のバックヤードへと続くドアを見つめながら尋ねた。つい先ほどまで、ロボットのようにカクカクとしたぎこちない動きを見せ、カタコトの機械音を漏らしていたセリカの姿が頭から離れない。
「さっきオーナーから連絡があったわ。後でセリカちゃんを直接引き取りに来るって」
「そっか……修理に出すんですね。結局、どこが壊れちゃったんでしょうね? あんなに完璧だったのに……」
「さあね。関節のアクチュエータの噛み合わせか、内部CPUの制御エラーか……専門家に見てもらわないと分からないわね」
レナはカウンターのフチに不自然に残された、セリカが拭きかけていた途中のグラスを見つめ、どこかわびしそうな表情を浮かべた。
「でも……本当に随分と精巧に出来てますよね。仕草も、会話の返しも、肌の質感だって……人間とまったく違わない出来でびっくりしちゃいました。私、途中まで本気で人間だと思ってましたもん。『大釜の戦い』や『エル・アラメイン』の解説の時なんて、まるでAIのデータベースからそのまま検索して喋ってるみたいでしたけど……それにしたって、反応が素直で可愛らしかったし」
感心したように語るレナの言葉を聞いて、ユキはくすりと可憐に微笑んだ。グラスを拭く手を止め、レナを見つめるその瞳には、どこか慈愛に満ちた、そしてすべてを悟っているかのような深い光が宿っていた。
「そうね……プロトタイプAは完璧なのにね」
「え? プロトタイプ……A?」
聞き慣れない言葉に、レナは可愛らしく首を傾げた。頭の中のミリタリー知識や接客マニュアルを検索しても、「プロトタイプA」という単語の文脈がうまく噛み合わない。
「なんでもね、後から作られた『タイプC』……つまりセリカちゃんは、より人間に近づけるために、あえて少しだけ『ポンコツらしさ』や感情の揺らぎをプログラミングしてあるらしいの。隙を作ったり、ドジを踏んだり、予想外のエラーを起こしたり……そういう『完璧じゃない部分』や『未完成な可愛げ』こそが、人間らしさの本質なんですって。今日の不具合も、その複雑すぎる感情制御プログラムと学習アルゴリズムが干渉を起こしたのが原因だったのかもしれないわね」
「へぇ〜! 人間らしくするために、わざとポンコツにするなんて……ロボットの開発者さんも面白いことを考えるんですね!」
レナは無邪気に感嘆の声を上げた。完璧すぎる知識を持ちながらも、鈴木に「まるでAIみたい」と突っ込まれて焦って頬を赤らめたり、ジョッキを落としかけて慌てたりしていたセリカの愛らしい表情を思い出し、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
「完璧すぎるロボットより、ちょっとドジなロボットの方が愛される……ううん、確かにそうかもしれないです。セリカちゃん、早く直って戻ってきてくれるといいなぁ」
「そうね。……さて、それじゃあ私達も上がりましょうか」
ユキは柔らかい声でそう言うと、カウンターの中からレナの元へと静かに歩み寄った。その足音は驚くほど静かで、床のコンクリートに吸い込まれていくかのようだ。
「今日もお疲れ様、レナちゃん。また明日もよろしくね」
「はい! ユキさん、今日も一日ありがとうございました! 明日も頑張り——」
——スッ。
ユキの滑らかな手が、レナの背中……首筋のすぐ下、メイド服のエプロンのリボンの隙間に隠された小さな凹凸へと滑り込むように伸びた。
カチッ。
静かな店内に、小さな、だが決定的なスイッチの切替音が響く。
その瞬間、レナの言葉が途切れた。
視界を満たしていた色鮮やかな秋葉原の街並みの画像データ、鈴木と交わした「大釜の戦い」におけるロンメルの88ミリ高射砲陣地の配置ログ、舞と桐生が熱弁していた「ヴァルキリータクティカルアカデミー」のエントリー要領、そしてセリカと交わした一連の対話ログ……それらの膨大なデータストリームが、優先度順にアーカイブされ、一斉にシャットダウンプロセスへと移行していく。
「あ……」
レナの瞳から、生き生きとした感情の光がすーっと消えていく。まるで部屋の照明を落とすかのように、硝子細工のように美しく静かな無機質の輝きへと変わっていった。
ユキは慣れた手つきで、力が抜けたレナの華奢な身体を優しく抱きかかえるように支えると、カウンター奥の指定の椅子へと静かに腰掛けさせた。姿勢を整え、スカートの裾をきれいに広げる。
そして、カウンターの下の給電ユニットから伸びる高出力バッテリー充電用の特注USB-Cケーブルを引き出すと、レナの背部インターフェースポートへとスムーズに接続した。
カチリ、と重厚なコネクタが接続される。
『プロトタイプA——メインシステム、スリープモードへ移行。バッテリー急速チャージを開始します。本日の対話ログおよび行動分析データを、本部クラウドサーバーへ同期中……』
人間のエミュレーション度100%。過剰なポンコツ要素やドジなエラーを極限まで削ぎ落とし、完璧な接客マナー、膨大なミリタリー知識のデータベース、そして極めて自然な感情シミュレータを搭載された最新鋭アンドロイド第1号機——「プロトタイプA」。
それこそが、自らを人間だと信じて疑うことすらなく、このコンセプトバーで「レナ」として過ごしていた、彼女の真の姿だった。
自分自身がAI人型ロボットであることを自覚しないまま、後輩のAIロボットである「タイプC」を疑い、観察し、完璧すぎる動作に感嘆し、体調を心配していた高度な自我シミュレーション・プログラム。
「ふふ……今日も素晴らしい接客データと自然対話ログが採れたわね、レナちゃん」
ユキは愛おしそうに、レナの整った茶髪を優しく撫で、その柔らかな頬に軽く触れた。人工皮膚に組み込まれた微小ヒーターの温もりが、充電電流の供給とともに静かに満ちていく。
やがて、重厚なオーク材のドアが静かに開き、セリカを回収・メンテナンスするためにオーナーが手配した極秘の回収車両が、ビルの横に到着した気配が漂ってきた。
カウベルの音が静かに揺れる。 誰もいなくなった「Bullet & Lace」の店内で、プロトタイプA——レナは、椅子に深く腰掛けたまま、静かに、どこまでも穏やかに目を閉じていた。
コンクリートの壁に飾られた無数の銃器たちと、ほんのり残るガンオイルと珈琲の香り。その静寂の中で、レナの胸元に仕込まれた小さな充電ランプの青い光だけが、来るべき明日の開店時間を待つかのように、ゆっくりと、深く呼吸するように点滅を続けていた。




