001 美しき征服者
本当は、バスケの強豪校に進学したかった。
広田玲奈がバスケを始めたのは小学生のときだ。夏休みに祖父の家の庭のバスケットゴールで、歳上の従兄弟たちと遊んだのがきっかけだった。二学期からクラブチームに入ると、玲奈はみるみると上達した。ボールを触った分だけ上手くなる。それが性に合っていたのかもしれない。正月には従兄弟たちを容易く躱してシュートを決められるようになっていたし、学年が変わるころにはチームのレギュラーになっていた。
中学に上がると、一年生のときからバスケ部のエースになった。嫉妬した先輩から悪口を言われることも少なくなかったが、大会を勝ち進んだ快感は彼女たちの不満を上書きしてしまったから、中学のバスケ部の思い出はどちらかといえば良い思い出だった。強豪でもない公立中学の快進撃を牽引したエースは県内外の強豪校の目に止まり、うちに来ないかといくつかのオファーを受けた。
だが、両親の言い分では、スポーツに人生を賭けるのは不安だという。怪我でもして、プレーできなくなるかもしれない。進学校に進んでしっかりと勉学に励みなさい。その学校の部活でバスケを楽しむのは好きにしてよい。それが、両親の主張だった。
親の意向には逆らえず、玲奈は鮎沢女子高校に進学し、そこそこの学業成績をキープしつつ、そこそこの強さのバスケ部の一年生エースとして活躍することになった。毎日のようにボールに触れて、コートを駆け回り、シュートを決めた。玲奈に感化されたチームメイトたちも奮闘したおかげか、大会では県内敵なしと言われた強豪校と接戦を演じた。
間違いなく、十分に充実した日々だった。
だが、その充実した日々は長続きしなかった。
結果論で言えば、両親の主張は正しかったのだ。
ちょうどバレンタインデーの日だった。部活帰りの玲奈が道を歩いていると、制御を失った自動車が突っ込んできたのだった。ほんの僅かでもタイミングがズレていたら死んでいたというべきで、足の怪我だけで済み、命が助かっただけでも玲奈は幸運だったのだろう。
医者から、バスケは諦めろと言われたことを除けばだが。
後で聞いた話では、突っ込んできた車の運転手は中年の男だった。安全運転がモットーの自動車教習所の先生であり、朗らかな友であり、優しき夫であり、賢い父であったらしい。彼は運転中に突然の脳出血で意識を失い、事故に至ったとのことだった。その理不尽な事故死はむしろ同情を誘うものだった。
そんな相手を恨むことによって自分の不幸を慰める気にはならず、両親もチームメイトも心から親身になってくれるので、八つ当たりすることもできなかった。結果として、玲奈は陰鬱な気持ちを溜め込むことになった。玲奈は塞ぎがちになり、大好きなボールが近くにあることに耐えられず、二年生になると同時に部活もきっぱりと辞めてしまった。
それは逆効果で、ますます塞ぎ込んでいったのは、言うまでもない。
最悪な高校二年目のスタートだった。ゴールデンウィークが明けると、玲奈はとうとうベッドから這い出すこともできず、明かりもつけずに天井を見上げるほかなかった。学校は当然休んだ。
それが数日続いた、ある日の夕方だった。
「お友達が来てくれたから起きなさい!」
玲奈を心配して仕事を休んでいた母親が、玲奈を起こしにきた。
「友達……?」
バスケ部のチームメイトだろうか、でもまだ練習時間のはずだなと疑問に思いつつ、なんとか身体を起こす。
そのとき、無遠慮にどころか、半ば蹴破るように、ドアが開かれる。
「なんで……?」
征服者のごとく、部屋にずかずかと侵入してきた彼女を見て、玲奈は全身に鳥肌が立つのを感じた。彼女の華やかな美貌は、薄暗い灰色の部屋を薔薇色に染め上げ、その全身から溢れる覇気は、この部屋を吹き飛ばして銀河系を覆い尽くしそうな勢いだった。
生徒会長・金村有里。通称・「生徒会の女王陛下」だ。
「クラスメイトを心配して訪ねてきちゃダメ?」
クラスメイトといっても、去年は別のクラスだったから、一ヶ月だけの関係である。言葉を交わしたのも、片手で数えられる範囲のはずだった。そんな相手にわざわざ家に押しかけてくるのはかなり不自然だった。
玲奈の戸惑いなど無視して、有里は傍若無人にも、ぐいと玲奈の胸ぐらを掴んだ。寝間着代わりのよれたTシャツの首元が余計に伸びる。
間近に迫る彼女の瞳の奥に、妖しい青い光が見えた気がした。
有里は不遜な笑みを浮かべ、
「広田玲奈、あなたを生徒会庶務に任命します」
と宣言した。
「──はぁ???」
追い打ちをかけるように、有里は言った。
「私があなたの目的になってあげる」
この時の玲奈は予想していなかった。
この傲慢な女王の言葉が真実になることを。
そして、玲奈の最期を飾るのが、この女王の涙であることを。




