それ程の存在
クルーガー伯爵がさやに近寄るのをシリルが激しく嫌がったので、伯爵は馬車をさや達に明け渡して自分は兵が御す馬に乗った。
シリルは銃をしまったものの周囲を警戒するのは止めようとせず、さやがどれだけ勧めても休むどころではなかった。
馬車はドアーナ領に入り、一番近くにある伯爵の別邸に到着した。
シリルは伯爵に促されて屋敷にある画像通信機でカナン街出張所のノラ所長と連絡を取り、伯爵の言葉が本当であることを確かめた。
所長はさや達が自分の制止を振り切ってサンクアロー王国に向かってからも、出来る限り支援する為に奔走していた。
さや達が通過するであろうドアーナ領を治めるクルーガー伯爵にも連絡を取り、一行が領にたどり着いたら身の安全を保障する確約も得ていたのだ。
ここまではシリルも所長がそうすると把握した上でカナン街を発ったのだが、その後更に想定外の事が起きた。
所長はシリル達が出発した後も大臣一派の動向を探り続けていたのだがその結果、大臣の身内が妙な動きをしていることを聞きつけた。
いつも王都で遊び暮らしている筈の大臣の三男が何故か王都を離れ、偶然にもさや達が通る迂回ルートに近い、彼が楽しめるものなど何も無い筈の辺鄙な街に〝休暇〟に来ている事が判明したのだ。
これは何かやらかすつもりだと踏んだ所長は現在すぐに出来る対応として、協定を結んでいたクルーガー伯爵にもっと踏み込んだ支援を、直接さや達を保護して欲しいと要請したのだ。
「そういう訳なので、安心して伯爵の保護を受けて下さい ——その、シリル殿、大丈夫ですか?」
シリルに事情を説明した所長は、シリルの変貌ぶりにかなり驚いていた。
そして所長の話を聞いたシリルはようやく休むことを承知した。
ベッドで眠るシリルにさやが付き添っていると、部屋にクルーガー伯爵が入って来た。
「改めて挨拶しよう。私はカーライル・フォン・クルーガー伯爵。サヤ殿には貴族が持つ姓は無いそうだね。 ならばあなたがまだ正式に協会でのランク付けが決まっていないことを鑑みて、ここでは男爵相当として扱わせて頂く。今後それが失礼に当たるかもしれないが、ご容赦願いたい」
「ええ、それで結構ですクルーガー伯爵」
さやは伯爵に答えたが、その顔は青ざめた顔で目を閉じているシリルに向けられたままだった。伯爵は肩をすくめるとさやの隣に座って言った。
「ご友人はもう休んでいるよ。あなたもガーディアン殿の看護は召使いに任せて、少し休んだらどうかね? 食事も、湯浴みの支度もさせているから」
さやは首を振った。
「仮眠ならここで取りますからどうかお構いなく ……あたしが離れたら、この人はまた起きちゃうから」
そう言って悲しそうに微笑む。
何しろシリルは先程までベッドに横になっても、さやが少しでも離れようとするだけで飛び起きていたのだ。自分の気配が無くなれば、これだけ熟睡していても気付くかもしれなかった。
だからシリルが十分睡眠をとれるまでは出来るだけ離れず傍に付いていよう、とさやは思っている。
シリルは自分達の中で一番休みを取っていなかった。しかもあんな連中が後を付けていたなら、敏感なこの男はきっと感づいていた筈だ。
だとしたら休んでいた時だってロクに眠っていなかっただろう。
それなのに、この男はさやの事ばかり案じていた。
〝自分のヒーラー殿を守れるなら、俺の処分など些細な代償だ〟
シリルがあれだけの覚悟をもって自分のガーディアンになったのであれば、ここ最近の自分のシリルへの態度は酷い仕打ちだった。
どうしてヒルダの諌言を、もっと真剣に受け止めなかったのか。
後悔と罪悪感に打ちひしがれるさやに伯爵は言った。
「——ガーディアンが目の前で自分のヒーラー殿を拐かされようとしたのだ。こうなるのも無理は無い」
「……ガーディアンとはそういうものなのですか? 契約してまだ一週間しか経っていないヒーラーの為に、あそこまで出来るものなのですか?」
そう尋ねるさやに伯爵は苦笑した。
「なる程、確かにあなたは記憶を失っているようだ。ガーディアンなら自分のヒーラー殿の為にそこまで身を捧げてもおかしくはない。この世界の者ならそう考えるのが普通だよ。もちろん全てのガーディアンがそうだとは限らないのかもしれないが、少なくとも彼にとって、あなたはそれ程の存在なのだろうね」
「……それ程の存在、ですか」
〝それ程の存在〟
その言葉が自分にずっしり重みをかけてくる。両の拳を握り締めて耐えるさやに、クルーガー伯爵はニッコリ笑ってこう言った。
「そういう訳でサヤ殿、〝それ程の存在〟であるあなたにぜひ頼みたい事があるのだが、いかがだろう? あなた方にとっても悪い話では無いと思うよ」
さやは目を細めると、ニコリともせずに言った。
「お話だけは伺います。ですがどうするかは、私のガーディアンと相談してから決めます。その後の交渉も、シリルとして下さい」
さやの素っ気ない返答にも、伯爵は詐欺師的な笑みを崩さなかった。
「商談はガーディアンに、という訳か。分かった。とにかくあなたがここを動かないおつもりなら、時間は十分ある。じっくりお話ししよう」
伯爵はさやにある提案をすると、部屋を出て行った。
その後のさやは、シリルに付き添いながら思いを巡らせた。
女神に託されたもの。
ヨルンとの約束。
シリルからまだ情報を開示されてはいないものの、それでも何となく察せられる世界の状況。
そうした、ここしばらくは考えないようにしていたものが、シリルの行動によってさやに突き付けられていたから。
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