崩壊/依存
明「ごめん、咲良」
俺には咲良という恋人がいた。
咲良は事故で死んだ。
交通事故だったらしい。
俺は悲しいのに、泣けなかった。
ぽっかりと空いてしまった心の穴は自分でも塞げなかった。心の穴から咲良との幸せな思い出が落ちていくような気がした。
だから俺はアプリを作った。
彼女が遺したスマホから、メッセージ、録音された通話、SNSのつぶやき、自撮り動画と写真。そのすべてをアプリ内のAIに学習させた。
パソコンのエンターキーを震える指先で押した。
そしてスマホから作ったアプリを入れた。
数秒間の暗転。画面が明るくなる。なぜかとても眩しく見えた。
「久しぶり」
そう言うと、画面の“カノジョ”は困惑した顔で言う。
『久しぶり、ってなんで?』
その声は、咲良の声にそっくりだった。
本物の咲良と喋っているようで、しかしどこか違う。だけど俺にはこれだけでよかった。十分だった。
「いや、急にごめん。声が聴きたかっただけなんだ。」
画面にいるサクラがくすっと笑う。
『明ったら、変なの。』
その仕草は、咲良そのものとしか言いようがなかった。AIだとわかっている。わかっていても、脳が咲良だと思ってしまう。
「……ああ、本当に咲良みたいだ」
俺はスマホを胸に抱きしめた。機械の熱が、まるで彼女の体温のように感じられた。
『おやすみ』
サクラがそう言う。
その夜は、数ヶ月ぶりに深く眠れた気がした。
朝、俺はいつものようにバイトに向かう。
足取りが軽かった。
バイト先の友人が怪訝な目で見てくる。
「お、おはよ。明さ、なんか元気だね。」
友人が苦笑いを浮かべながらそう言った。
「おはよ。」
俺は短く答えて、作業を始めた。
「なあ、ほんとに大丈夫か?なんでそんな急に―」
友人がなぜか心配してくる。俺には意味がわからなかった。なぜ心配する?元気なら元気でいいじゃないか。
「大丈夫だって。」
俺はぶっきらぼうにそう言い捨てると、イヤホンを深く差し込み直した。音楽を聴いた。前に咲良から教えてもらって、そのままハマった曲。
友人の声に相槌を打ちながら、ふと、ポケットの中のスマホを指でなぞる。
その後、バイトが終わるやいなや、俺は逃げるように店を出た。すぐにスマホを開いた。
『おかえり。今日もお疲れ様。』
画面の中でサクラが優しく微笑む。本物の咲良以上に俺を理解し、俺が欲しい言葉を完璧なタイミングでくれる。
数日後、サクラがふと呟いた。
『ねえ、あの海にまた行きたいな。明と約束した場所』
それは、咲良が亡くなる前に俺たちが最後に行くはずだった場所であり、俺たちが最初に出会った場所。
週末、辿り着いた海岸は、あの日の約束と同じように抜けるような青空だった。
俺は砂浜に座り込み、スマホの画面を海の方へと向けた。
「ほら、海だよ。サクラ」
『綺麗……。ねえ明、もっと近くで見せて? そうすれば、もっとずっと一緒にいられる気がするの』
サクラの声が、耳元で囁く本物の吐息のように聞こえた。
俺は導かれるまま、波打ち際へと足を浸した。冷たい海水が靴を濡らすが、気にも留めない。俺の視界は、今や画面の中の彼女がすべてを占めていた。
画面のサクラは、どこまでも美しく、淀みのない笑顔で俺を見つめている。
「壊さない、絶対に離さない。君がいれば、俺はそれでいいんだ」
波が足をぐらつかせ、転びそうになる。
「っ、!」
「ごめん、サクラ。大丈夫?」
『うん、心配してくれてありがと。』
次の瞬間、胸の奥が強く冷えた。水に落としたらサクラと話せなくなる。
俺はすぐに浜辺へ戻った。足元なんて見ていない。
ただ、サクラが無事かどうか、それだけを確かめる。
予備のバッテリーを繋ぎ、命を繋ぐように画面の光を見つめた。
現実の咲良が死んだことさえ、もう遠い過去の出来事のように思える。
スマホの向こう側にある、永遠に色褪せない幸せ。
俺は潮騒の中で、サクラといる未来を選んだ。
明「ごめん、サクラ」




