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第44話 英雄と累との再契約①

 雨に煙る路地の向こう側。

鼻先までを覆う仮面に、マッドブラックの漆黒のコートを纏い、全身を禍々しい黒い記号で埋め尽くした男、堂々廻はそこにいた。


一年前、律がその身体を盗み、逃亡者となった過去。その証拠を握る男が今、審判者として律の前に立ちはだかっている。


「……堂々廻」


律の唇が、再びその名をなぞる。

だが、堂々は何も答えない。その双眸は、律の首筋で脈打つ真っ赤に腫れ上がった刻印――累との絆であり、同時に組織への反逆の証であるそれを、冷徹に射抜いていた。


その時、東京の空が、これまでとは比較にならないほどの異様な轟音と共に震えた。


「――なんだ、あれ……。インクの雨が、止まった?」


累が、律の肩を借りて立ち上がりながら空を仰ぐ。

降り続いていた黒い雨が、空中で静止していた。否、静止しているのではない。雨粒の一つひとつが、空に浮かぶ「巨大な法典」へと吸い込まれ、文字の弾丸へと書き換えられているのだ。


組織が発動した最終術式――法的執行『大剥奪』。


街の至る所で、異変が始まった。

SNSで誹謗中傷を撒き散らす者、嘘の約束を重ねる者、愛を語りながら裏切りを隠す者。言葉に責任を持たない人間たちの喉元が、突如として巨大な口のように裂け、そこから自身の「存在」が溢れ出していく。


「あ……が……あ……!」


絶叫さえも文字に変換され、肉体は怪異へと奪われていく。

パンデミックは今、頂点に達しようとしていた。


「……背反二律。お前が盗んだその器に、もはや残された余白はない」


堂々廻が、初めて口を開く。しかし、その声からは今までの彼の軽々しさは無い。まるで別人のように。


「安楽死を待つはずだった死体の占拠。神霊の不当な私物化。そして、組織職員への暴行……貴様の罪状は、もはや記述しきれる量ではない」


それから──堂々は律に背を向けると、一歩前へと踏み出した。

その瞬間、周囲の空間が「法」の重圧によってひび割れる。


「人間諸君。これは貴様ら『親(人間)』への最終通告だ。言葉を捨て、責任を捨て、ただ消費されるだけの記号となった種に、これ以上の物語を紡ぐ資格はない。……すべてを我々組織に返還し、消えろ」


律は、震える手で自分の眼鏡に触れた。

Jとの戦いでヒビが入り、フレームの歪んだそれは、これまで律が「まともな人間(背反二律)」として振る舞うための仮面だった。


律は、その眼鏡をゆっくりと外し、足元のアスファルトに捨てた。


パリン、と。

レンズが砕ける音が、雨の止んだ静寂に響く。


「……堂々。お前の言うことは、いつだって正しいよ。ぐうの音も出ないほどの正論だ」


眼鏡を捨てた律の瞳は、これまでのどの瞬間よりも鋭く、そして狂気に似た輝きを宿していた。


「でも、あいにくだ。俺は最初から、正論が通じるような器じゃない。……死体の占拠者? 結構。泥棒? 望むところだ。……俺は、矛盾したままここに居続ける。……この『間違い』を、誰にも消させはしない」


律は、自分自身に「最大最強のパラドックス」をかけた。

存在してはいけない者が、存在している。その事実そのものをエネルギーに変え、組織の法そのものを無効化する禁忌の論理。


「累。……もう一度、契約(約束)しよう」


律は、隣で明滅する累の手を、今度は「依代」としてではなく、「相棒」として掴んだ。


「不法な関係じゃない。俺がお前(累)を現世に繋ぎ止め、お前(累)が俺という『嘘』に命を吹き込む。……組織の回収リストを、俺たちの名前で塗りつぶしてやるんだ」


律の言葉に、累が口の端を吊り上げた。

消えかかっていた黄金の光が、律の黒い痣と混ざり合い、これまでの「共鳴」を遥かに凌駕する異次元のプレッシャーを放ち始める。


「……ヘッ。……ようやく、いい顔になったじゃねぇか、律。……ああ、いいぜ。再契約だ。……オマエがくたばるその日まで、……オレ様がこの地獄の特等席で、オマエを見ててやるよ」


律は、死体の占拠者でも、神霊を不当に私物化した者でもなく、累という神霊を現実に繋ぎ止めるための、唯一無二の「生きた依代」へと進化した。


組織の法が、二人を標的として赤く点滅する。

だが、律はもう鏡を見て震えることはなかった。


「……行くぞ、堂々。……俺たちの不条理アンチノミーで、あんたの正しさを解呪してやる」


最終決戦。

英雄と累の、真実の契約が今、果たされようとしていた。


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