その9
いったん解散した後、雄飛は公園内を散歩しながら四辻の言葉を思い出していた。
「君に“水”の指導をするのは、“火”を消す必要にかられる時が、やがて君に訪れると思うからだよ」
当時はまったく、その意味がわからなかったが、おそらく“必要にかられる時”というのは、十年近く経った今なのだろうと雄飛は考えていた。
そして雄飛は、以前、妹からあった電話の内容も気にかかっていた。
だからこそ、ミーナから連絡があったときに、本当は自分が来るはずではなかったエコリンピックに、いろいろと理由をつけて参加させてもらったのだ。
“水”の訓練を受けたのは、俺とミッキー…。俺たちにしか、その“火”、おそらくキックとショウが点ける“火”を消せないのであれば、その手のことからは足を洗ったなどと言っている場合ではないのかもしれない。
待てよ…ミーナとミオちゃんは、どっちなんだろう。さっき“火”の訓練を受けたと言っていたマーサとmiwa、そしてミーナとミオちゃんの4人が、両方受けていることだってあるかもしれない。
「君は“封じる”のが得意だろう?」
先生は、そうも言った。
だが違う。それが得意なのは従兄弟の瑞樹のほうだ。俺は彼への対抗意識から、その手のことに足を突っ込んだ。
その昔、山階本家は地元一帯を取り仕切る巫女の家系だった。
だが、その跡取りである自分より、そういった力を備えているように見えたのは、一分家の次男である瑞樹だった。
ただ、あいつ自身は、そういう力に興味があるようでもなく、俺の対抗意識を刺激するでもなく、いつでも穏やかだった。つまり俺は、あいつに対抗意識を“封じられた”形だ。
「おじちゃま。パパはね、まほうつかいかもしれないの。まりりんが、おっこちそうになったらね、ふわあってなったんだよ。パパがね、とめてくれたの」
真里菜ちゃんは、うれしそうに、そう言っていた。
「大切な人間に危険が及びそうな時にしか、発動しないんだ。休火山噴火みたいなもので、力と呼ぶようなものじゃないんだよ」
瑞樹は笑って、そう言っていた。
大切な人間の危険か…。四辻先生の周囲が狙われているんだとすれば、その標的が大人である息子さんより、孫たち二人という可能性も高い。奏子ちゃんと行動を共にしている真里菜ちゃんや、マーサの息子も危険だ。ここは、瑞樹に話すべきだろうか…。
雄飛がぼんやりと考えていると、後ろから声がした。
「雄飛、何してるんだよ、こんなところで」
「瑞樹!」
現れたのは、息子の大地を連れた瑞樹だった。
* * *
エレベーターから降りてきた翼は、部屋からふらふらと出てきた美和子に、わざとぶつかった。元からふらついていた美和子は、すぐに足元がよろけ、壁に寄りかかるようにして座り込んだ。
「すみません! 大丈夫ですか? ごめんなさい」
そう言いながら、心配そうに美和子の肩に触れる翼。
「だ、大丈夫よ。驚かせてごめんなさいね」
「あれ? 美智香ちゃんのお母さん?」
「え?」
「四辻翼です。美智香ちゃんと同じクラスの」
「あ、ああ…」驚く美和子。
「美智香ちゃんも来てるんですか?」
「え、ええ」
「そうですか。僕は家族や友達と一緒なんです。美智香ちゃんの知っている子もいるから、後で遊びに来てって、言っておいてください。1022号室です」
「わ、わかったわ。ありがとう、翼くん」美和子は、少しふらつきながら、立ち上がった。
「あ。おばさま、気をつけてくださいね」
「…ええ。翼くんも気をつけて」
美和子は搾り出すような声で言うと、翼が乗ってきたエレベーターに乗った。
「行き先、2階だね」後ろから来た龍が、エレベーターの電光板を見ながら言う。
「ロビーか。ちいと行ってくる。俺は面割れてないし」翔太は隣のエレベーターへ走った。
「翼、何かわかった?」
「やっぱり奴らの狙いは僕だよ。美智香ちゃんのお母さんは、美智香ちゃんと朝香先生を人質に取られているみたいだ」
「僕にも見せて」龍は翼から石を受け取ると軽く目を閉じた。「これって…」
「いろいろあるね、大人の世界は」翼が淡々と言う。「でも、今は彼らを助けるのが先」
「でも、朝香先生をやたらな場所に連れ出したら、大騒ぎになるかな…」
「先生を脅かして誘拐したのは事実なんだから、お客さんたちに、きちんとそれを教えてあげようよ。
あ、でも、奴らがやたらなことしゃべらないように、もし捕まえたら、すぐにさるぐつわ嵌めてって、SPさんたちに言っておいてね」
「わかった」龍が石を返すと、翼は唇をかんだ。「力も、好きな人も、間違った眺め方をしたら駄目なんだよね。パパといい、奴らといい、おじいちゃまは魔力があるのかな」
「魅力的ってことだよ。でもそれは周囲を鬼にすることもある。魔力の魔の字にも、魅力の魅の字にも鬼が含まれてる」
「あはは。うまいこと言うね。じゃあ、保先生に連絡したら、僕たちも出動だ」
翼は笑顔に戻ると、エレベーターのボタンを押した。
* * *
「ずいぶんと手間取っていたようだね。君らしくもない」
サングラスを掛けたキックは、窓からパレード道路横のオブジェを眺めながら、少し不機嫌そうに言った。
「全員そろっていたのよ。相手方のペースに合わせるしかないでしょう。拙速は禁物。先生の口癖だったわ」
「まあ、そうだな」
「私は当分、この場所にいるわ。怪しまれても困るから」
「これは…都合がよかったな」彼女の手元を覗き込むキック。「子どもたちにパークのほうへ逃げ込まれたら、俺たちだけじゃ追いきれない。そこで阻止できる」
「そうね。誘導するにしても、私なら怪しまれないわ。それと、おみやげ」
ポンと投げられた包みを受け取ったキックは、怪訝そうに中身を確認した。
「これは…?」
「カバンから失敬してきたの。羽童」
「西園寺のものなのか?」
「ええ。ミーナが持ってたものだから、たぶん」
「そうか…。じゃあ、君が保険のために持っててくれ。ノーマークの人間が持っているほうが安全だ。何かあったら、すぐに呼ぶ」
「わかったわ」
「じゃあ、あとは手はずどおりだ」
キックは彼女の肩を軽くぽんと叩くと、足早にその場を去った。
* * *
「おじょうちゃん。わかってるね。さっき説明したとおりにお願いするよ」
言われた美智香はキックをにらみつける。
「ああ、ダメダメ。会場はあっち。ここでやったら、ママが大変なことになるよ」
「……」
「言われたとおり、お友達を、園児たちのところへ合流させて」
「翼くんたちに何をするつもりなんですか!」
「何をするって…するのは君だよ。人間に使えるかどうか確認さ。動力不要の燃焼実験。エコだろう?」
「翼くんに火を点けろって言うんですか!?」
「君にノーという選択肢はないんだ。何ならこっちで、ママに実験してもいいんだよ」
「やめて!!」
美智歌は咄嗟に、キックに向かって指を差し出した。
一瞬、キックの周りが赤くきらめいたが、それはすぐに静まった。
「…無駄だよ。“火”の力は、“火”をマスターした者には通用しない」
「じゃあ、ママにも使えないでしょう」
「武器は、その“火”だけじゃない」
「翼くんが“火”をマスターしていたら、どうするの?」
「じゃあ、妹のほうだな」
「頭おかしいです!」
「そうだよ。だから逆らわないほうがいい」キックは楽しそうに笑う。「安心しろ。とどめは俺が刺す。君は単なる導火線だ。じゃあ、時間までご自由に。あんまり長く一緒にいると、まるで誘拐しているみたいだからねえ。さあ、行って」
「……」
美智香は唇をかみながらロビーのソファーを立った。
* * *
実歌は、未那が見せた地図にあったイベント会場近くの正門周辺をチェックしていた。
“やっぱり気配がする…。止めなくては。力をこんなことに使ってはいけない。妙な動きは感じないけれど、兄さんも今回のことに絡んでいるんだろうか”
おまえに心配をかけるようなことはしないと書置きを残して消えてしまった兄からは、その後連絡が無い。
だが、こうして不穏な動きを目の当たりにすると、実歌はどうしても兄を思い出さざるを得なかった。
「ミッキー」
「ミーナ…その格好、なあに?」
派手な衣装に身を包んだ未那の姿に驚く実歌。
「イベントに参加予定なの」
「ああ、確かエイサーのコンテストがあるんだったわね」
「それで、イベントの前に、あなたにだけ特別なお願いに来たのよ」
「特別なお願い?」実歌に警戒の表情が浮かぶ。
「先生から学んだ“水”の力だけじゃなくて、大隅さんのところで学んだことも使って、キックの“火”を止めてほしいの」
「大隅先生のことまで知ってるのね…まあ、当然よね。西園寺家の関係者なわけだから。
でも、二つの方法を合わせて止めるやり方なんて私にはわからないわ。四辻先生の生徒だった気配がする人間を見たら教えてくれと言われたから、ここに来た。私にできるのは、せいぜいそういう判別程度よ」
「わかったわ。じゃあ、今言ったこと、心のどこかに留めておいてくれればいいわ」
未那は、戸惑いながら答える実歌をやさしく見つめたが、その様子が、何か実歌をいらだたせたらしい。実歌は未那に噛み付くように尋ねた。
「miwaのお嬢さんも四辻先生のご家族も、危険かもしれないんでしょう? どうしてすぐにキックをつかまえないの?
華織さんの力…いいえ、紗由ちゃんや龍くんだけでも十分かもしれない。居所ぐらいわかるでしょうし、捕まえるぐらい容易いでしょうに」
「確かに、その時その時で居所は探査できるかもしれない。でも、それを追いかけて、ただ捕まえるだけでは意味がないのよ。本人に何がいけないのかを、きちんとわかってもらわなければね。
捕獲するだけでは、四辻奏人の元弟子が悪さをしたという事実しか残らない。
四辻先生のお名前を汚したくないのよ、華織さまは。…周囲にいる私たちもね」
「…そうね。兄さんのときも、そうしてもらったんだったわ。ご期待には添えなかったようだけど」少し落ち着きを取り戻して、声のトーンを落とす実歌。
「そうでもないわ。あなたのお兄さんが動いたおかげで、いろんな動きが見えてきた」
「兄が動いてるの?」未那ににじりよる実歌。「兄は今どこに?」
「さあ、私にはわからない」
「でも、でも、兄が本当に動いたんだとして、それで四辻家の人たちに危険が及んだら意味ないわ…」実歌の手が少し震えた。
「だから守ってほしいのよ。あなた方には、特別な力があるのだから」
「ミーナ…」
「じゃあ、私、行くわね。私は私のやり方で、守りたい人を守るわ」
未那は小さく手を振って走り去った。
“あなた方って、私と誰を指しているんだろう…?”
実歌が心に引っかかる何かを拭いきれずにいた時、目の前に立ちはだかる人影が現れた。
「実歌…」
「兄さん!」
「協力してくれないか。お前の力が必要なんだ」
堅い決意のにじむ声で言う兄を、実歌は狐につままれた様子で見つめた。
* * *
パレードを終えた紗由たちは、次の出番、エコ実験会場でのイベントまで時間があったので、環境に優しいエコ農法で作られた野菜や果物、花などがある耕作地エリアを散策していた。
自宅敷地の裏に、かなりの面積の田んぼや畑がある紗由には、さほど珍しい風景ではなかったが、他の4人は大はしゃぎで、走り回っては立ち止まり、匂いをかいだり、じーっとながめたりしている。
「これはね、にんじんだよ」
紗由が言うと、真里菜が首をかしげる。
「においするけど、にんじん、いないよ」
「つちのなかに、いるんだよ」
「へえ」
恭介が土をじっと見つめると、充が提案する。
「ほるでござる!」
「ほっていいかどうか、あそこの、かかりの人にきいてこよう!」
走り出す紗由の後を、真里菜、充、恭介の3人は追っていったが、奏子はその場に残って、まだ、にんじんの葉を触っていた。
「うふふ。かわいい…」
「奏子ちゃん、こんにちは」
後ろから声をかけられた奏子は、声の主の姿を確認すると、びっくりして声を上げた。
「みちかちゃん…こんにちは!」
「ちょっと、こっちに来てくれる? 大事なお話があるの」
美智香の真剣な表情に、ただならぬ気配を感じたのと、ポケットの“火の石”が反応したのに気づいて、奏子は小さく頷いた。
美智香は奏子の手を引き、背の高いとうもろこしのエリアの陰に彼女を連れて行く。
「奏子ちゃんたち、あとでエコ実験をやるでしょう?」
「はい」
「5人だけじゃなくてね、奏子ちゃんと翼くんの二人でも、実験をやってほしいの」
「おにいちゃまと?」
「お願い」美智香は奏子の手をとり、頭を下げた。
再び奏子の“火の石”が反応したので、奏子は何かを確信したかのように、美智香の手を握り返した。
「だいじょうぶですから」
「え?」
「おにいちゃまと、かなこには、おじいちゃまがついてます」
「奏子ちゃん…?」
戸惑う美智香をよそに、奏子はにっこり笑って、紗由たちのほうへと駆けていった。
“奏子ちゃん、私が何をするつもりか、わかってるの…?”
美智香は何をどう考えたらいいのか、わからなくなっていた。
“ママが捕まっている以上、あいつの言うとおりにしないといけない。やったことはないけど、私には点けた火を消せるかもしれない。翼くんも “火”の力をマスターしていれば、奏子ちゃんにいったん火がついても、すぐに消せるはずだ。それに賭けるしかない。
イベントが始まる前に試せればいいんだけど、会場にはたくさんの警備員がいる。やたらなことをしてみつかったら、ママがあいつに…。どうしよう…どうしたらいいんだろう…”
美智香が考えあぐねていたとき、自分を呼ぶ女性の声がした。びっくりして振り向いたが、美智香には見覚えのない顔だ。
「…どなたですか?」
「ママの昔のお友達よ。美智香ちゃんが、その力を悪いことに使わなくて済むように、助けに来たの」
「助けに…?」
美智香は一瞬警戒した。だが、どうせこのままだと、意に染まぬことをしなければならないし、この人がうそを付いているようにも見えないと思い直し、彼女を見つめた。
「私の言うとおりにしてちょうだい。いいわね?」
女性の言葉に、美智香はしっかりと頷いた。
* * *
朝香が人目を避けるようにして、ロビーの柱の横でスマホを取り出し、有川の番号を表示させたが、しばらくそれを見つめたまま、発信ボタンを押せずにいた。
「私が電話しようか? 朝香先生」
聞き覚えのある声に、慌てて振り向く朝香。
「…総理!」
「シッ。声が大きいよ」
「あ…」
「元気とは言わないまでも、無事でよかったよ」
「も、申し訳ありません。内閣にはご迷惑をおかけしました。責任は東京に戻りましたら、きっちりと取らせていただきます」深々と頭を下げる朝香。
「今はそんなことを言っている場合じゃない。有川に言って、手を打たないと」
「どうして、それを…?」
「君は、有川に、翼くんをイベントに出すようにと言うつもりなんだろう?」
「総理…」
「有川にしたら、ずいぶんと唐突だろうね。行方不明の君に連絡がついたと思ったら、いきなりそんな、わけのわからない事を言われるわけだ」
「それはそうなんですが…」
「まあ、内閣の中でも君の失踪を知っている人間はわずかだし、首謀者は君が公務を投げてまで何かをしようとしていたことは、わかってないんだね」
「あの…」
「君から有川に打診するだけでなく、奏子ちゃんのほうからも、翼くんに一緒に実験したいと言い出すことになっているんだね。奏子ちゃんに指示するのは美智香ちゃんの係だ。
そしてそいつは、四辻兄妹にエコ実験をさせながら、その場で自分の力を見せ付けるつもりなんだろう。子どもたちを物理的な意味でも傷つけ、辛い思いをさせたいわけだ。
しかも、その作戦に美智香ちゃんを加担させれば、美和子さんも辛い思いをする。自分より出来のいい相手への劣等感も憂さ晴らしできて、一石二鳥というわけだ。
実にレベルの低い下劣な思考だが」
「わかっています。でも…!」
「他の人間を犠牲にしても、大切な人たちは守りたい」
「あ…」うなだれる朝香。
「だが、君が直接有川に連絡しても、有川は秘密裏に君と会ったりはしない。SPを回して君の身柄を確保させるだけだ。もし君が誘拐でもされているのなら、自分の身も拘束される危険があるからね。…奴がそういう人間だということ、わかっていると思ってたがね」
「ですが、こうするしか…」
「だから、私が呼び出そう」
「え?」
「エコ実験に挑戦する子どもが、翼くんと奏子ちゃんになるように、私が仕向けよう」
「ど、どうして総理がそんな…」
「ただし、君は少し時間をかせいでくれ。電話が通じないとか、留守伝には入れたので連絡待ちだとか、とにかく計画は進行中だという形でね。
その間に、美和子さんと美智香ちゃんの居場所を特定して身柄を確保する」
「わかりました」
朝香は重々しく頷くと、別の番号を表示させ、発進ボタンを押した。
* * *
翼は、エコ機器発表会イベントへの出演を待っている有川の控え室へ訪れた。
部屋の外にはSPがいたが、翼は関係者許可証を見せると、部屋に入った。室内はちょうど有川一人で他には誰もいない。
「先生」
「おや、翼くん。来てたのかい? 奏子ちゃんのパレード、見てくれたかな?」
にこやかに迎える有川の言葉を遮るように、翼が切り出す。
「お願いがあって来ました」
「お願い?」
「はい。調整してほしいんです」
「奏子ちゃんのこの後のスケジュールに、何か不都合でもあったかい?」手元のスケジュール表をめくりながら尋ねる有川。
「この後のイベント会場に、“力”を中途半端に使える人間が集まりすぎています。だから先生の力を借りたいんです」
「言っている意味がよくわからないんだが」
「先生」翼が有川に歩み寄った。「時間がないんです。奏子が巻き込まれると、他の子たちも危ない。特に恭介くんは、力の使い方をちゃんと自覚してないから、どこまで自分で守れるかわかりません」
「おやおや、物騒な物言いだね。何か危険なことが起こりそうだとでも? そういえば、紗由ちゃんたちからお守りをたくさんもらったなあ。ほら、カバン一杯だよ」
カバンから、紗由たち5人が考えた結界の模型を取り出して見せながら、あくまで何も知らない様子で答える有川。
「先生はご存じないんでしょうけど、龍くんも僕も華織おばさまも、日付が変わったら、明日のお昼まで力が使えません。何もできないんです」
「え?」驚く有川。
「ですから、今日中に何とかしたいんです。中途半端に、いろんなタイプの力を使う人間は、やっかいですから」
「何か危ない人間がうろついているようなら、イベント会場周辺の警備を強化させよう」
有川がスマホを手にすると、ちょうど着信音が鳴った。
「はい。ああ…テレビ見てたかい?」
電話の相手は保だった。翼には待つように手で制止する有川。
「紗由がお世話かけたね」
「いやあ、大活躍だったよ、紗由ちゃん。評判も上々だ」
「沿道の露店にあったシークァーサージュースばかり気にしてたがなあ」
「ん? そんな細部までテレビで映してなかったろう。おまえ、どこにいるんだ?」
「会場内でランチ中だよ。後でイベントにも顔を出す。いいだろう?」
「いいだろうって…いいに決まってるが…いつの間に…」
戸惑い気味の有川に、保は畳み掛けるように言う。
「飛び入りでマジックショーをやろうと思うんだよ」
「そこまで仕込み済みなのか。まいったな」思わず笑う有川。
「それと、この後のエコ実験イベントだが、すもも組メンバーだけじゃなくて、翼くんも参加させてくれないか。兄と妹で参加というのもいいだろう」
「どういうことだ? 彼らを…その…」有川が声を潜める。「ダシにするようなことは、お前、嫌がってたじゃないか」
「事情が変わった。その代わり、マジックの都合上、会場は隣のプールサイドに移してもらうよ」
「プールサイド? 急にそんなこと言われても、実行委員会だって困るだろう」
「大丈夫だ。人手はうちのほうから手配してある」
「先生。電話変わってくれませんか?」有川の腕を引っ張る翼。
「え? あ、ああ…」釈然としない様子で、電話を渡す有川。
「保先生。翼です」
「ああ、翼くん」
「わかってます。さっき、美智香ちゃんのママとぶつかって、読み取りましたから」
「そうか。じゃあ、引き受けてくれるね」
「はい」
「ところで翼くん。その後の美和子さんの行方はわかってるのかい?」
「翔太くんが追って、場所はわかりました。龍くんのほうから“命”さまに連絡済みです」
「そうか。ありがとう。じゃあ、よろしく頼むよ。会場は変更した。プールサイドだ」
「わかりました。電話、替わります」翼は有川に電話を渡した。
「そういうわけだから、後はよろしく頼むぞ、有川」
「お、おい。西園寺。何をするつもりだ」
「答えのわかってる質問をするなんて、お前らしくないな」
保はそれだけ言うと電話を切った。
「西園寺…」
戸惑う有川に翼が言う。
「“封じろ”って念じてくださいね。先生」
「つ、翼くん…?」
さらに動揺する有川を尻目に、翼は一礼して部屋を立ち去った。
* * *
耕作地エリアから控え室に戻った、すもも組のメンバーは、保護者たちと一緒におやつを取りながら一息ついていた。
「やっぱり、この、かわったオレンジジュースおいしいよねえ」
2杯目のシークァーサージュースをごくごくと飲み干しかけた紗由に、後ろから手が伸び、グラスが取り上げられた。
「飲みすぎだぞ。紗由」
「あ! じいじだ!」
「そんなに飲んだら、お腹壊すだろう。周子さん、あんまり…」
保が眉間にしわを寄せながら周子を見ると、周子もジュースを飲み干し終えたところだった。
彼女の前にはジュースを入れた容器があり、ちょうどそれに手をかけ、おかわりをしかけている。
「そのジュース、よほど美味しいようだね」
「お、お義父さま…!」あたふたと、グラスを横にどける周子。
「先生!」
響子と夕紀菜が驚いて保を見つめると、恭介の母、崇子が立ち上がった。深々と保に会釈をすると、保も一転笑顔で会釈する。
「あ。よそいきのかおにかわった!」叫ぶ紗由。
「紗由。お願いがあるんだ」“よそ行き”の笑顔のまま保が言う。「聞いてくれたら、サーターアンダーギーを買ってあげよう。あの、おいしい、穴のないドーナッツだ」
「おねがい、きく!」
“自分だって、おやつで釣るのに…”と、周子は内心不満に思ったが、ニッコリと微笑みながら言った。
「お義父さま。いつも紗由においしいおやつをありがとうございます」
「いや…つい、孫には甘くなってしまってね」周子の気持ちを感じ取った保は、やや気まずそうに言う。
「おねがいって、なあに?」満面の笑みの紗由。
「紗由にっていうより、すもも組の皆にお願いなんだがね。この後のエコ実験の会場を、プールサイドに変更することになったんだよ。
ここのプールは隣のゴミ焼却場の熱で温水プールにしてあるからね。そういう仕組みも紹介しようということになってね」
「ふーん。じゃあ、うちとおんなじで、ぬるまゆのプールなの? およげるの?」
「ああ、泳げるよ。皆で泳いでていいんだ。何なら、皆でシンクロをやって、じいじがマジックをやってもいいなあ」
「おじさま、水着になるの!?」
乗り出す夕紀菜を、真里菜がたしなめる。
「ママ、おちついて。でも、おばあちゃま、よばないとね」
「きっとみんな、せんせいのことばかりみて、じっけんみないね」ぼそっと言う恭介。
「ははは。心配御無用だよ。衣装はこのままだ。マジックはプールサイドでやるよ」
「じゃあ、さゆたちは、じいじとべつに、およいでぐるぐるするの?」
「まあ、そういうことになるかな」
「ふうん。みんな、どうする?」
「かなこ、やりたいです!」いつもは最後に意見を言う奏子が、素早く手を上げた。
「…充くん、ぼく、また、あたま、ふまれるの?」不安げな恭介。
「恭介どの。ごあんしんを。そのうち、ふまれるのが、たのしくなるやもしれませぬぞ」
「ぼく、ならなくていい…」さらに不安げになる恭介。
「だいじょうぶだよ、恭介くん。かなこちゃんは翼くんに、もちあげてもらえばいいよ」
「翼くんに?」真里菜が紗由の言葉に身を乗り出す。
「そうだね。かなこ、おうちのプールで、れんしゅうしてたし」
「ほお。それはいいね。四辻家の兄妹で出演ということになれば、観客も喜びそうだ」
保が機嫌良さそうに言うと、響子が話に入ってきた。
「私の口から言うのも何ですけど、シンクロの真似事、けっこう上手なんですよ。息もぴったり。翼は大地くんの影響で元々スイミングを習ってますから、泳ぎの基礎はできてますし、奏子が喜ぶものですから、いろんなビデオ見ながら研究したりして」
「翼くんの驚異的な記憶力がものをいっているわけだね」
「よし! じゃあ、じいじが、プールのよこで、口からトランプだしてるあいだに、かなこちゃんと翼くんが、びよーんてやろう!」
「いや、紗由。口からトランプはちょっと…」
「はい! じいじせんせいが、口からトランプだすのにまけないように、かなこ、がんばります!」
「そうだよ。翼くんが、ぴょーんてさせるんだから、口からトランプになんか、まけないよ」真里菜が強く頷いた。
「じゃあ、4にんで、マドモアゼルたちをかこんで、くるくるまわるでござるな」
「あたまふまれないなら、ぼく、がんばるよ。せんせいだって、口からトランプだすんだし、ぼくもがんばって、まわる」
「いや、あの…」
保が訂正しようとしても、5人組の話には入る隙がない。
「でも紗由。水着もってきてないわよ?」
周子が言うと、5人は自分のリュックの中から水着を一斉に取り出した。
「おきなわにくるまえに、まりりんにもらったの」
「うちのかいしゃの、しんしょうひんです。らいげつごうの、ざっしにのります」自慢げに言う真里菜。
紗由、真里菜、奏子の3人が広げて見せた水着は、色違いのワンピースでスカートがついた形だ。胸元にはフリルと大きなハイビスカスの花のコサージュが付いている。
「ま、真里菜、いつのまに…?」
「しんしょうひんは、いろんなところで、みせるのがだいじだから」
「まあ可愛い水着ねえ。それにさすがだわ、真里菜ちゃん。その商才、おじいさま譲りね」響子が唸る。
「…あの、およめさんになっても、かいしゃのおしごとは、つづけていいですか?」
翼と結婚するつもりの真里菜は、小さい声で響子に尋ねる。
「もちろんよ、真里菜ちゃん。…私にもたまには新商品ちょうだいね。ふふ」
「はい!」
「あの…かなこは、なにをあげたら、いいでしょうか…」
これまた、龍のお嫁さんになるつもりの奏子が、小さい声で周子に尋ねた。
「だいじょうぶだよ、かなこちゃん! さゆに、いっぱい、おやつくれればいいからね」
「紗由。奏子ちゃんは、おやつを作るために、お嫁に来るわけじゃないのよ」
「あ、あの、かなこは、おやつつくります!」
「ほらあ」
紗由が周子に勝ったといわんばかりに上を向くが、あっという間に奏子が却下する。
「龍くんのです!」
「ほらあ」今度は周子がにやりと笑う。
「いいもん。じいじと、とうさまに、おやつもらうもん」ちょっと悔しそうな紗由。
「でもね、奏子ちゃん。おやつを作らなくても、口からトランプ出さなくてもいいわ。龍と、ずーっと仲良くしてあげてね」少し潤んだ目で周子が言う。
「はい!」嬉しそうに笑う奏子。「さゆちゃんのおやつも、ときどきつくります!」
「まいにちでもいいのに…」少々不服そうな紗由。
「…周子さん、私は口からトランプは出さないよ。それと、20年後の話はまた後にして、とりあえず差し迫ったイベントの話を…」
保が言いかけると、紗由が皆に声をかける。
「じゃあ、うごきかたをかくにんします。みんな、あっちのテーブルにあつまって!」
「はーい!」4人がそろって返事をする。
「かあさまは、じいじのはなし、きいておいてね。あ、そうだ。じいじは、かかりの人に言っておいて。おんがくはね、“もりのくまさん”だから」
「あ、ああ…」
「それから、おやつは、にいさまたちのぶんもね。えーと、にいさまと、しょうたくんと、つばさくんと、だいちくんと、あと、しょうたくんのぶん」
「翔太くんが2回あったぞ」
「そうり。さいしょのは、ほんとうにししょうのぶんで、あとのは、ししょうから、ひめにプレゼントするぶんでござりまする」解説する充。
「なるほど…ね。でも、紗由。それだとおまえ、食べすぎだろう?」
「いいんです。さゆちゃんは、えんりょして、しょうたくんにかえして、しょうたくんは、みんなにわけてあげるんです」
「ずいぶんと面倒なシステムだねえ」
「みんなの友情ですわ、お義父さま。紗由のことを立ててくれてるんです。わかりやすく言うなら…地方から負担金を徴収してるのに、ちょっと多めに交付税を配ると、総理がいい人に見える仕組みと同じですわ。先生」
「うむ…。そのたとえも何だが、まあ、とにかくよろしく頼むよ」
保はどこか納得のいかない様子ながらも、時計で時間を確認すると、新しいスケジュール表を周子に渡して部屋を出て行った。
* * *
“そろそろ行くか…。それにしても、遅いな彼女”
少しいらついた様子で電話をかけたキックの兄ショウは、相手がなかなかコールに応じないので、何度も時計を見た。
「ああ…やっと出た。そろそろ会場へ向かう。君は早くこっちでmiwaを見ていてくれ」
「さてと…miwaはここでテレビでも見ていてくれ。運がよければ娘の活躍ぶりも見れる」
「うう…」
いすに縛り付けられた上、さるぐつわをはめられて、思うように声が出せない美和子に、ショウは微笑みかけると、部屋を後にした。
* * *
「“命”さま。奴は部屋、出て行きよりました」
「そう」
「誰か来るみたいですから、その前に、美和子はん、連れてきいへんと」
「大丈夫よ。助けが部屋に入るわ」
「わかりました。でも、敵は頭悪いんですやろか。美和子はんが部屋に火つけて、ロープ焼ききれば逃げられるじゃないですか」
「美智香ちゃんの安全が確認できるまでは、美和子さんが逃げないと踏んでいるのよ。母親の心情を正確に捉えた、実に卑怯な判断ね」
「そういう奴には、童さまをぎょーさん縛り付けといたら、どうですか。悪いもん、全部流れますわ」
「そうねえ…」
華織は、羽童を何体も巻き付けられた男の姿を想像して、くすりと笑った。
「ねえ、翔太くん。あなたは“火”と“水”って聞いたら、どんなものが思い浮かぶ?」
「えーと、四辻先生が教えてはった力のことでしたら、“火”のほうは、ライターみたいなことができるんですよね。“水”は…ようわかりませんけど、“火”を消すんでしょうか?」
「その力とは関係なく連想することは?」
「うーん。“祭り”かなあ…」
「お祭り? 火祭りかしら」
「家のほうでやってる祭りで、赤ん坊を怒らせるというのが、あるんです。
怒らせた後は、四隅に松明を置いて火を焚きます。怒りのエネルギーを追い払って、穏やかな心と身体を保つみたいな意味があるんやそうです」
「なるほどね…炎が悪いものを焼き尽くしてしまうわけね」
「はい。ほんで、火が消えた後は水をまきます。怒りの火がまた燃えんように、封じ込めるんです」
「水で流してしまうわけではないのね?」
「流すいうより、ふたをする感じです。流すと、よそに移るだけですから。蒸発して空気の中に入って、いろんなとこに行ったり。じっちゃんが、そう言うとりました」
「面白いわ。水で蓋をするという発想は、あんまりないわよね」微笑む華織。
「形がないですから、いろんなところに潜り込んで押さえつけられるのと違いますか?」
「それでも、蓋が開くときは開いてしまうのよね…」
一変して寂しそうに窓の外を見上げる華織に、翔太は思わず彼女のぴかぴかを注視した。
“あ…暗くなった…きっと、天馬はんのこと思い出してるんや…。車ごと水ん中落ちて、車のドアが開いて、見つからなかったって、玲ちゃん言うとった…”
「あ、あの…」
「翔太くんも、そういうお祭りのおかげで、元気で優しい子に育ったわけね。まーくん達にも、させるのかしら?」
「えーと…1ヵ月後に祭りですから、たぶん、そのときやないでしょうか」少し声が小さくなる翔太。
「私も見学にうかがうわね。何なら私が怒らせる役でもよくてよ。風馬が言うには、私には人を怒らせる才能があるそうだから」
そう言って笑う華織は、いつもの華織だったので、翔太は安心した。
「でも翔太くん、ちょっと退屈なんじゃなくて? 翼くんも大地くんも、それぞれにお仕事なのに、こうやって私と一緒に留守番だなんて」
「最近はなかなか“命”さまとデートできへんかったですから、ええ機会ですわ」にいっと笑う翔太。「それに、龍くんは無駄なことはせえへんです。この部屋からなら、プールのほうもよく見えますし、全体を監視しろいうことなんですやろ」
「久しぶりのデートが、プールの覗きだなんて、何だわねえ」
「全員が一緒に動くのは、手の内をさらすようなもんです。“命”さまかて、メンバーを何種類かに分けて動かしてるんですやろ?」
「あら。そんなことまでお見通しなの?」華織が楽しそうに笑う。
「“命”さまの手の者いうのはわかりますけど、違う雰囲気のグループがいます。すもも組の子と、あんず組の子が、雰囲気違うのと同じですわ。
青蘭には違いないですけど、なんや違いますから」
「なるほどねえ」
「紗由ちゃんたちがいるからですやろ。グループのリーダーによって、ぴかぴかの色も違うてきます。
あそこの踊りの人たちもそうですね。プールの裏手の空き地にいる3人。顔はようわかりませんけど、なんや進子ちゃんに様子が似とります。
進子ちゃんは…近くにはおらへんようやけど」
身を乗り出して辺りを見回す翔太。
「彼は未那ちゃんと会場全体を一通りチェックしてまわってるわ。もうすぐ3人になるんじゃないかしら」
「あの二人じゃ目立つんやないですか」
「エイサーの衣装が制服がわりよ。人ってね、意外と制服姿や舞台化粧の人の顔を細かくチェックしたりしないものなのよ。例えば彼らが裏口に行っても、楽屋口に入るんだなあと勝手に思ったりしてね」
「相手も制服だったりすると、ややこしゅうなりますな」
「いいところに気が付いたわね、翔太くん。それもチェックポイントのひとつよ。
自分たちが考え付くことは、相手も考え付いている。その上で相手を制することが必要なの。相手が何種類もいたりすると、少々やっかいではあるけれどね」
「わかりますわ。20人の団体さんの食事を用意するのと、減塩食やアレルギー食、好き嫌いなんかの要望に応えて5人4組の食事を用意するのは、あとのほうが手間がかかります」
「うーん。本当に頭の回転が早いわね、翔太くんは」華織が楽しそうに声を上げて笑う。
「頑張って頭回さへんと、龍くんについていかれへんですから」
「龍も翔太くんと話しているときが一番楽しいみたい」微笑む華織。「この一件が終わったら、静岡でゆっくりデートしましょうね」
華織と翔太は微笑み合うと、厳しい表情で窓の外を見つめた。
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