24 火竜と水無月と
入り口をふさいだまま、火竜は者どもをぎょろりと睥睨する。
足元では敵のプレイヤーが小さくなっているのが見えた。ひとたび、気付かれたなら、踏み潰されてしまうのがオチだ。だから、できるだけ存在感を消して、壁に張り付いている。
火竜のレベルを考えれば、俺の攻撃などなんの役にも立たないだろう。そもそも倒すことができるなら、敵もすでに仕留めていたはずだ。
しかし、それでも攻撃を当てればヘイトを稼ぐことくらいはできるだろう。
俺は現状、ヘイトを稼いでいるらしいプレイヤーから距離を取っていく。
現在の部屋は、逃げ回るには十分な広さがある。しかし、敵にとっても暴れやすい環境であるとも言えよう。
結局のところ、距離を取り続けるのがベストなわけだ。
逃亡の算段を整えていると、火竜が動いた。
巨大な口を大きく開くと、業火を吐き出した。視界一面を赤く染め上げ、やがて地面に吹き付けられると、どろりと溶けたマグマと化す。
部屋の中心がぽっかりと、赤熱した岩に覆われていた。あたかも生きているかのように、盛り上がっていた岩が流れ出て、周囲に広がっていく。
近くにいたプレイヤーたちは、しばし呆然としていたが、火の粉が触れるなり、慌てて距離を取った。その理由は、俺もすぐに知ることになる。
ほんの小さな粉が頬にかかった瞬間、凄まじい痛みが走ったのだ。
HP 3844/5500
ウィンドウ上で確認した俺のHPは、大幅に減っていた。
そして先ほど直撃したプレイヤーたちは、もうこの世に存在していた証拠はなにも残っていない。あとかたもなく、消え去っていた。
いよいよプレイヤーたちの数が減らないことに業を煮やしたのか、はたまた自分たちの先兵が蹂躙する様を欲したのか、アルマの神々とやらは、思い切って介入することにしたようだ。
この一瞬で三人のプレイヤーが、ゲームから脱落した。
そして人生からも、落命する。
誰もが一目散にこの場から逃げ出そうとしていた。だが、ここから逃げるということは、火竜の足元を掻い潜っていくということでもある。
だから、動けない。
竜の動向を気にして、動けない。
その中にあって、俺はインベントリから槍を取り出し、投擲のモーションを取りながら素早く狙いをつける。
相手は火竜ではない。縮こまっている敵プレイヤーだ。
気取られるよりも早く狙い撃つと、ギリギリのところで察知した男は素早く飛び退るが、火竜に注意がいきすぎていたため、ほとんど意味をなさなかった。
腹に太い槍を生やした男は、呻き声を上げた。誰一人動かぬ状況で、彼の小さな声は、よく響いた。
火竜が足元のちっぽけな存在に気が付く。
まだ、彼は死んでいない。おそらく、装備によってHPが随分と上がっていたのだろう。しかし、瞳を絶望に濁らせながら、火竜を見上げることしかできない。
彼の隣にいたプレイヤーたち数人が恐れおののき、後じさりした。
つられて、火竜が一歩踏み出す。
誰もが、次の一瞬を待った。
彼らの死が刻一刻と近づく中、それを期待する者たちの視線が、鋭く突き刺さる。
そして、火竜は勢いよく飛び込んだ。
上がる絶叫、巨体が踏み抜く振動。そして駆け出す無数の足音。
誰一人声を上げることはしなかった。恐怖で枯れ果ててしまったのかもしれない。それとも、自分の存在を隠すことに必死だったのか。
火竜が敵プレイヤーを踏み潰している背後を、一斉に駆け抜けてゆく。消えゆく声を背後に聞きながら、我先にと出口に飛び込む。この場から離れたい一心だったのだろう。
『敵が待ち構えているかもしれない』
そんな俺のメッセージに、目を通すものはいなかった。
長い通路を通り抜けると、部屋が見えてきた。先ほど、左右の分岐で迷った部屋だ。
一人が飛び込んだ。続けてもう一人、二人と飛び込んだ。まだまだ続く。
半分以上が中に入った瞬間、先頭にいた男が、槍で頭を貫かれた。
「おおおおお!」
咆哮とともに、敵プレイヤーが一斉に襲い掛かってくる。
数はこちらとそう変わらない。しかし、命からがら逃げてきた彼らにとって、一瞬で気持ちを切り替え応戦することは難しかった。
「立て直せ! 陣形を組む!」
素早くRUNEのマスターが命令を飛ばしていく。その甲斐あってか、総崩れになることはなかった。しかし、敵が勢いづいていたのも事実。
「さあさあ! てめえら、奴らをぶっ殺せ!」
ラテン系の男――ベルナルドが叫んだ。
奴はこの状況を想定していたのだろう。となると、さきほど火竜に追われてきた奴らは、捨て駒だったに違いない。
彼らがこの瞬間を欲したのは、効率よく仕留められるからではない。希望が絶望に変わる瞬間を、ただ眺めたかったからだ。
敵プレイヤーが一気呵成に攻め立ててくる。
そして、雄叫びとともに俺へと男が切り掛かってきて――。
俺は素早く村正を抜き、敵の胴体へと叩き込んだ。おそらく、防御力に優れた装備だったのだろう。鎧を叩かれることは想定していなかったらしい。
しかし、それさえも切り抜けて、俺の刀は血を求めて奥深く入り込んでいく。
男はもう抵抗することもなかった。きっと、腹を切られたせいで力が入らなかったのだろう。そしてHPがゼロになるや否や、消滅する。
これは明らかな油断だった。
俺がチームの中に紛れ込んでいることなど、まったく想定していなかったのだろう。俺自身、集団で行動するなんて、思ってもいなかった。
そしてもう一つの敗因は、俺が攻撃力に特化したスタイルだと知らなかったことだ。
これは相手にとって、予想が難しかっただろうから仕方がない。しかし、たとえ村正を持っていることが予想できずとも、近しいビルドはいくらでもある。だから、誰もが命を大事にするという思い込みが、彼の命を奪ったとも言える。
敵を叩き切ってこそ、生きる道があるのだと信じる俺は、悪のカルマよりどうかしているのだろう。
こいつの死が波及するよりも早く、俺は近くにいた敵プレイヤーへと切り掛かった。
緊張で上手く防げていない男へと叩きつけるように何度も剣を振るっている者だ。
太刀筋はもはや荒くなっている。だから、俺目がけて振るった剣も、そうそう躱すのが難しいものではなかった。
剣を抜いて懐へと掻い潜り、胴体を切る。
固い鎧もすっと、刃は通っていく。
これで二人目。
敵もいよいよ俺の存在に気が付いたらしい。もう、この奇襲染みた攻撃も使えない。
けれど、知られたからと言って防げるようになるとは限らない。
迫る剣を弾きながら、俺は次々と敵へと襲い掛かっていく。相手集団に焦りが生じると、善のカルマ集団も平常心を取り戻していく。
そうなると、状況が拮抗する。
しかし、俺は圧倒的優位に立っていた。防御を完全に捨てて攻撃に徹しているため、本当は敵の一撃でも致命傷になりかねないのだ。しかし、外套の下に鎧がないことを、誰も知りはしない。きっと、味方でもそうなのだろう。
だから、異常な装備を持つプレイヤー――チートさえ使っていると思わせる力を演出できているのだ。
俺が一太刀でも浴びるまでは、この幻影はいつまでも敵に纏わりついているはず。
「調子に乗るんじゃねえ!」
男たちが、反撃に転じる。
しかし、彼らが狙ったのは俺ではなく、柳さんのほうだった。弱いものから狙っていく。常套手段だ。
彼女が一度だけこちらを見ることに気付いても、俺は目の前で狼狽えている男へと切り掛かった。まず、こちらを仕留めるのが先だと思ったからだ。
スキル「パワーチャージ」を使用。「シャドウエッジ」「セカンドリーパー」を追加。
刀を二本持ち、一方で男のハンマーを抑え込む。重装備で、その破壊力を生かしたビルドなのだろう。しかし、勢いがつく前に抑え込んでしまえば、もう威力を発揮することはできやしない。
俺はもう一方の刀を敵目がけて叩き込んだ。
刀に遅れて発生する影の刃。そして触れるだけで相手のHPを抉り取る圧倒的な攻撃力。
俺の刀をぎりぎりで回避した敵に、シャドウエッジによる追加の刃が襲い掛かる。通常の攻撃よりダメージが低いとはいえ、それでも敵のHPは大きく減ったようだ。
痛みに呻く敵。そこを見逃す俺ではない。ひたすら二刀を操り、攻め立てていく。
そしていよいよ、敵の胴体が空いた。俺はあえて自分の力を誇示するように、鎧ごと叩き切った。
誰も彼を救いに来ないのは、俺にとっては好都合だった。一対一で、負ける気はしなかった。
けれど、振り返った俺の目に入ったのは、追い詰められている柳さんの姿。
こうなることはわかっていた。けれど、俺はこちらを選択したのだ。彼女が耐えきってくれると信じていたから。俺が敵を倒す機会を生み出してくれると、思っていたから。
けれど、実際はそうじゃない。誰も俺のように動くことはできないし、俺の思考を読み取ることもできやしない。
彼女が視線を向けてきたのは、勢いがある俺を生かすためではなく、救いを求めてのことだ。わかっていても、どこかで期待してしまったのかもしれない。
欲しかったのは、背を預けられる味方。弱さを埋めあうための仲間ではない。
けれどそんなことばかりを思い、理想を追い求めてきた俺には、一生見つからないものなのかもしれない。
だからパーティなどに入らず、ソロでやってきたというのに。
俺はこの期に及んで、まだそんな思いを捨てきれなかったのだ。
その結果が、これだ。
俺は急いで駆け出した。
ソロでやってきた、と自負しつつも、どこかで繋がりを欲していたのかもしれない。本当に孤高ならば、誰かを気にすることなどなかったのだから。
彼女とは、なにもなかった。会話も、一緒にいた時間も。もっと長くいれば、彼女の行動もわかって、理想へと近づけることもできたのかもしれない。
今さらになって、俺の脚は動く。
「よお、水無月。そんなに焦って、どうした。らしくねえなあ」
ベルナルドが立ち塞がり、大斧を構える。
口元に嫌らしい笑みを浮かべながら。
「邪魔だ」
「一週間ぶりだってのに、つれねえなあ!」
振りかぶらんとする剣を牽制するように、斧が素早く動く。
俺は僅かに引き、ベルナルトは再び構えなおす。
一瞬でも気を抜けば、頭を叩き割られているかもしれない。
しかし、有利なのは俺だ。「パワーチャージ」は切れたが、「シャドウエッジ」と「セカンドリーパー」の効果は残っている。
だから、俺から一気に攻めるべきだ。
数度の攻防を経て、俺は一気に切り掛かった。まずは敵の手を狙う。僅かに下がって斧を振り上げることで刀は抜かれて空を切った。
そこへ打ち下ろされる斧。
俺はもう一方の刀で受け止めるなり、「ステップ」を利用して懐へと入り込む。しかし、そこから切り込むのは難しい。
俺は素早く、最低限のモーションで敵目がけて蹴りを放った。
スキル「スラスト」によって強化された一撃は、ベルナルトを大きく突き放していく。
……いや、違う。
俺はすぐさま判断。ベルナルトは自ら衝撃を押し殺すように跳んでいた。
「一度やられた攻撃だ。油断などするかよ」
やつとはこれで三回目の戦いとなる。
そのたびに、互いに手数は増えているが、他のプレイヤーたちも使うスキルである分、すでに知られているものもある。
むしろ、敵のほうが俺の習得可能なスキルをよく知っているかもしれない。
なにしろ、俺は味方と情報交換することはないが、相手は熱心にこちらの情報をかき集めているだろうから。
しかしそうであっても、結局ものをいうのはプレイヤー自身の技術だ。
俺は敵目がけて切り掛かる。と、ベルナルトは真っ向から斧を打ち付けてきた。俺はすかさず仰け反りながら飛び退いた。
打ち付けられたところで、斧が爆発する。
「一度やられた攻撃だ。通用すると思うな」
俺はベルナルトにそう宣言する。奴はにいっと歯を剥き出しにして笑う。
この瞬間、命の奪い合いをしているというのに、俺は奇妙な昂揚感を覚えていた。やつならば、俺の攻撃すべてを読み取ってしまうかもしれない。そのことが途方もなく、俺に充足感を与えてくれる。
奴を倒さねば、俺は最強のプレイヤーとして、自身を誇れる日は来ないだろう。
だから俺は踏み込む。
魂を込めた一撃を敵に叩き込むのだ。
が、それも弾かれ、敵はすぐさま攻撃に転じる。俺もまた、斧をいなして生じた隙に切り掛かっていく。
長く切り合いは続き、やがて俺の使っていたスキルは消滅する。
一振りの刀を手に、俺は敵と相対する。
が、ふと視界に柳さんの姿が入ってきて、我を取り戻した。
数多のプレイヤーが取り囲み、彼女を押し出す。その先には、小さな火孔があった。ごう、と音を立てながら噴き出した炎の中に、小さな少女は消えていく。
もう、取り返しがつかないことを、俺は知っていた。
「どうした! さあ、楽しもうぜ! お前は俺と同じ、殺すことでしか満足できない人間だ!」
ベルナルトの叫び。そして向かってくる刃。
たとえ俺が呆然としていようと、奴は躊躇なく斧を振り下ろすだろう。そこで死ぬならば、それだけの相手だったということだ。
そして俺も、通常通りに体を動かして攻撃を回避した。
彼女の死になにも感じていないわけではない。けれど、ただ戦いに集中するだけで、なにもかもが、俺の心の中から消えていく。
ただ、戦いの昂揚感だけが、俺を突き動かす。
「うおおおおおぉぉぉぉ!」
感情のままに雄叫びを上げ、ベルナルトに切り掛かる。
奴は真っ向から受け止め、すっと距離を詰めるなり、俺の胸部へと掌底を叩き込んだ。
肺から空気が零れる。
防具をつけていないことを、見抜かれたのだ。
俺はできるだけ平静を装いながら、距離を取る。ポーションを飲んでいる暇なんかなかった。
いよいよ、ここで命を落とすのか。いいや、奴に負けてなどなるものか。
そんな逡巡が生じた瞬間、ベルナルトは大きく距離を取って、者どもに合図を出した。
「勝負はお預けだ。……てめえら! 撤退するぞ! 死にたくなけりゃ急げ!」
ずんずんと、火竜の足音が近づいていた。
向こうにいたプレイヤーたちが、皆死んだということだろう。
RUNEのマスターもまた、逃亡を提案する。皆がそれに従った。
俺はただ、彼らの中に紛れて、ひたすらに足を動かした。プレイヤーたちの数はすでに二十を切った。
寂しくなった集団は、ひたすらに迫る足音に怯えながら、駆けぬいた。
†
PvPの終了まで、なにごともなく時間は過ぎていった。終わるなり、俺たちは始まりの街に転送されていた。
日差しは強く、温かな光をもたらしてくれる。けれど、彼らに明るさなんてものはなかった。
俺も、元気よくはしゃぐことはできそうもない。
「なあ……その、水無月といったか。すまなかった。お前の忠言に従えばよかった」
「いや、別に……」
一人の男の謝罪に、俺はこれといって答えることができなかった。本当のところ、なにも思っていない、というのが事実だったから。
しかし、彼は俺の言動を失意の中にあってのものと見なしたらしい。
「柳さんのことは残念だった。君とは唯一のパーティメンバーだったから、思うこともあるだろう。俺たちも最善を尽くしたのだが――」
彼の言葉はあまり頭に入ってこなかった。
柳さんと俺がパーティメンバー? 初めの一回だけしか、組んだことはない。
「俺と柳さんがパーティメンバーって」
「ああ。前回も今回も誘ったんだが、君とのパーティがあるからと断られてね。知らなかったのかい?」
「……いや、そうか、そうだった」
やがて彼も会話を終えると、去っていく。
一人残された俺は、もういなくなった彼女のことを思い出す。
きっと、彼女はいまだに初めてのパーティに固執していたのだろう。だから、俺がソロになったことを気にかけていた。けれど、彼女もまた、うまく伝えることができなかったに違いない。最後にかけた言葉も、後悔していたのかもしれない。
俺は彼女の行動を一つ一つ思い出していく。
けれど、いまとなってはなにも意味のないことだ。
敵も味方さえも、勘違いしていた。俺と彼女がなにかあるのではないかと。けれど、うまく人と付き合えない二人が、友人どころかただの知り合いになろうとしていた、それだけのことだった。
俺は結局のところ、彼女との関係が深くなることを煩わしく思っていたのかもしれない。誰かとのつながりを求めるくせに、一方で深く自分の奥底にまで関わられるのを嫌がる。
甘い香りを漂わせる果実の中身が酸っぱいものだと知っているから、その芳香を好みつつも手にすることはない。
都合のいい距離感などありはしないことをわかっているからこそ、自分から遠ざけていたのだ。
たまにあって少しだけ話すのは楽しいが、自分の時間がなくなるまで一緒にいるのにはうんざりする。軽く遊ぶだけなら上手に付き合うこともできるが、いざとことんやろうとなると、衝突してうまくいかない。
誰にだってあることだろう。
ただ、俺たちはそれさえうまくできなかった。
俺は空を見上げ、それから立ち上がった。
「どこへ?」
「決まっている、狩りさ」
きっとPvPが終わった今、新マップが解放されているだろう。
もはや立ち直ったのか、あるいは自暴自棄とみなしたのか、声をかけてきた男が俺を見る目は、理解できないものへと向けるものだった。
たとえなにがあっても、俺の考えは変わらないのかもしれない。
最後の一人になるまで、俺はきっと戦い続ける。そうでなければ、これまでのすべてが無駄になってしまうから。
始まりの街を駆け抜け、第一エリアに飛び出す。コボルトがのんびりと歩き回っていた。
俺はふと安堵し、刀を抜いた。
俺がいるべき場所は、やはりここしかなかった。
これにて二章完結です。




