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最終話 悪役令嬢でも悪くないわね

 断罪イベントから、二ヶ月が経った。


 結論から言うと、破滅は回避できた。


 ハロルドの調査で、偽の証言を集めていた人間が特定された。学園の派閥争いに巻き込まれた上級生が、私を追い落とそうとして動いていたらしい。シナリオとは全然違う理由だったけど、ともかく白黒がついた。


 婚約破棄も取り消しになった。


 ただ、それが少し問題だった。


「レティシア様、婚約が続くということは、ハロルド殿下との関係も続くということですよね」


 今日も昼休みに来たアリシアが、弁当を広げながら言った。


「そうなるわね」

「どうするんですか」

「どうするも何も、シナリオ的には婚約破棄になるはずだったのに、今回それがなくなった。ゲームにない展開だから、わたくしにもわからないわ」

「ハロルド殿下、レティシア様のこと好きそうですけど」

「それはないわよ。あの方はあなたのことが好きなのよ、ゲーム的に」

「でもシナリオ変わってますし、最近はわたしよりレティシア様のことを見てる気がします」

「余計なことを言わないで」


 アリシアが少し口を尖らせた。


「余計じゃないです、大事なことです」

「大事ではないわ。婚約は家同士の話だから、わたくしの気持ちがどうかは関係ないの」

「関係あります」

「ゲームの世界では関係ないのよ」

「でも、レティシア様はどうしたいですか」


 まっすぐ聞いてきた。


 私は少し考えた。


 どうしたいか。


「……婚約は、解消したいわ」

「なんでですか」

「好きでもない相手との婚約を続けるのは、お互いに不誠実でしょ」

「好きでもない、ということは、好きな人がいるということですか」


 アリシアが少し上目遣いになった。


「そういう言い方をするのをやめなさい」

「だって気になって」

「わかっているでしょ、そんなこと」

「言ってもらいたいです、ちゃんと」


 この子は本当に、言葉でちゃんと言うまで引かない。


「……いるわよ、好きな人が」

「誰ですか」

「あなたでしょ」


 アリシアが弁当の箸を落とした。


「拾いなさい」

「今それどころじゃないです」

「どころじゃなくても箸は拾いなさい」


 アリシアが箸を拾って、それから改めて私を見た。


「今、好きな人はわたしって言いましたか」

「言ったわよ」

「整理できたと言ってた話の続きですか」

「続きよ。前回は好きかもしれないと言ったけれど、今回はちゃんと言いたかったの」

「ちゃんと」

「好きよ、アリシア。はっきり言えばいいでしょ」


 アリシアがまた固まった。


 今度は前回より長かった。


「アリシア、また固まらないで」

「固まります、今は」

「困るわよ」

「困らせてごめんなさい、でも固まります」


 しばらくそのままだった。


 私は弁当を食べながら待った。


 少しして、アリシアが深呼吸した。


「レティシア様」

「なに」

「わたしも好きです。ずっと好きです」

「知っているわよ」

「知っているのに聞いてくれたんですか」

「ちゃんと言いたかったから、ちゃんと言ってもらいたかったのよ」


 アリシアが少し目を潤ませた。


「また泣くの」

「泣きません。目が潤むだけです」

「同じことよ」

「違います」


 この押し問答も、もう慣れた。


 昼休みが終わって、午後の授業が始まった。


 現代魔術の授業で、先生が魔法陣の書き方を説明していた。私はノートを取りながら、頭の片隅で今後のことを考えていた。


 婚約解消をどう動かすか。ハロルドとの関係をどう整理するか。シナリオが変わった世界で、これからどう生きるか。


 まだわからないことは多い。


 でも、アリシアがいる。


 それだけで、なんとかなる気がしていた。


 放課後、ハロルドから声がかかった。


「レティシア嬢、少し話がある」


 廊下で呼び止められた。アリシアが近くにいたけど、ハロルドは私だけに言った。


「なんでしょう、殿下」

「婚約のことだ」

「……続けて」

「先日の件を経て、俺なりに考えた。レティシア嬢とわたしの婚約は、お互いにとって本当にいいものなのか、と」


 私は少し驚いた。


 ハロルドからこういう話が来るとは思っていなかった。


「殿下はどのようにお考えですか」

「率直に言う。俺はレティシア嬢のことを婚約者として見られていないかもしれない。それは申し訳ないと思っている」


 真剣な顔だった。


「俺が調査を進める中で、レティシア嬢が実際にどういう人間かを改めて知った。悪役令嬢などではなく、真面目で面倒見がよく、周囲を気にかける人だと」

「買いかぶりですわ」

「そうは思わない。だからこそ、ちゃんとした形で話をしたかった。婚約の解消を、正式に申し出たい。レティシア嬢の名誉を傷つけない形で」


 私はしばらく何も言えなかった。


 ゲームのハロルドとは全然違った。シナリオの中のハロルドは、アリシアに引っ張られて婚約破棄を一方的に宣言した。でも目の前のハロルドは、ちゃんと考えて、ちゃんと話しかけてきた。


「殿下、わたくしも同じ気持ちですわ」

「そうか。なら、家同士の話し合いを進めよう。レティシア嬢には迷惑をかけた、申し訳なかった」

「いいえ。こちらこそ、殿下に婚約者として向き合えていなかったことをお詫びいたします」


 ハロルドが少し笑った。


 こういう顔をするとちゃんと王子様だな、と思った。


「アリシアと仲がいいんだな、レティシア嬢は」

「……そうかもしれませんわね」

「大切にしてくれ。あの子は真剣だから」


 言って、ハロルドは去っていった。


 振り返ると、アリシアが廊下の柱の陰から出てきた。


「全部聞いていたの」

「聞いてました」

「隠れるのをやめなさい」

「聞きたかったので」


 アリシアが私の横に来た。


「レティシア様、婚約解消できそうですね」

「そうね」

「よかったです」

「ハロルド殿下、ゲームよりずっとちゃんとしていたわ」

「シナリオが変わると人も変わるんですね」

「あなたが変えたのよ」

「わたしとレティシア様が、ですよね」


 訂正された。


 でも、そうかもしれなかった。


 二人で動いたから、こうなった。



 それから一週間後、家同士の話し合いが進んで、婚約解消が正式に決まった。


 表向きは「互いの将来を考えた円満な解消」という形になった。ハロルドの配慮だった。


 私の名誉は傷つかなかった。エルフォード家も影響を受けなかった。


 破滅ルートは、完全に消えた。


 その日の夕方、アリシアが私の部屋に来た。


「おめでとうございます、レティシア様」

「おめでとう、って」

「婚約解消、うまくいきましたから」

「まあ、そうね」


 アリシアが部屋に入って、窓の外を見た。


 夕日が差し込んでいて、アリシアの銀髪がオレンジに染まっていた。


「レティシア様、これからどうしますか」

「どうする、というのは」

「シナリオが変わって、破滅もなくなって。これから先、どんな風に生きていきたいですか」


 私は少し考えた。


 今まで、破滅回避のことだけを考えていた。生き延びることだけを目標にしていた。でも、それが達成されたとして、その先をちゃんと考えていなかった。


「……わからないわ、まだ」

「そうですか」

「あなたはどうしたいの」

「レティシア様と一緒にいたいです」


 即答だった。


「それだけ?」

「それだけです。レティシア様がどこへ行っても、何をしていても、一緒にいたいです」

「王都でもどこでも?」

「どこでも」

「辺境でも?」


 アリシアが少し目を丸くした。


「辺境、ですか」

「王都は窮屈だと思っていたのよ、ずっと。悪役令嬢として振る舞わなければいけなくて、常に見られていて。でも、婚約が解消されたなら、もう少し自由になれるかもしれない」

「辺境に行くということですか」

「考えているわ。エルフォード家の領地の一つが辺境にあるから、そちらで暮らすのも悪くないかと」

「わたしも連れていってもらえますか」

「来るつもりなのでしょ、どうせ」

「来ます。でも、ちゃんと聞きたくて」


 アリシアがまっすぐ私を見た。


「レティシア様が行くところに、ついていっていいですか」

「ついてきてもいいわよ」

「本当ですか」

「本当よ。あなたなしで辺境に行っても、つまらないでしょうから」


 アリシアが目を輝かせた。


「つまらない、って言いましたね」

「言ったわよ」

「それってわたしがいると楽しいってことですよね」

「そういうことになるわね」

「やった」


 飛び跳ねた。


 十六歳がやることじゃないけど、アリシアだから仕方ない。


「アリシア、一つだけ言っておくわ」

「はい」

「辺境に行っても、王都にいるのと変わらないでしょ、わたくしは。面倒見たり、周りを気にしたり、そういうことをやめられないから」

「知っています」

「窮屈かもしれないわよ、一緒にいると」

「窮屈じゃないです」

「なんで」

「レティシア様と一緒なら何でも楽しいので」


 また即答だった。


 私は少しため息をついてから、窓の外を見た。


 夕日が沈んでいく。オレンジが濃くなって、少しずつ暗くなっていく。


「アリシア」

「はい」

「あなたがいるなら、悪役令嬢でも悪くないわね」


 言ってから、少し照れた。


 でも、本当のことだった。


 悪役令嬢として転生して、ずっと破滅だけを考えていた。でも今は、破滅よりずっと大事なものがそばにいる。


 アリシアが少し間を置いた。


 それから、勢いよく抱きついてきた。


「わっ、ちょっと」

「嬉しすぎます」

「突然抱きつかないで、驚くでしょ」

「ごめんなさい、でも嬉しすぎて」


 アリシアが離れなかった。


 私も、離すのが少し惜しくなって、そのままにした。


「レティシア様」

「なに」

「悪役令嬢でよかったですね」

「あなたに拾ってもらえたから、ということ?」

「違います。レティシア様だったから、わたしがここにいるので」

「同じことじゃないの」

「違います。レティシア様が、この世界でも前世でも、わたしに関わってくれたから、こうなってます」


 アリシアがそっと離れて、私の顔を見た。


「だから、悪役令嬢でよかったです。レティシア様がレティシア様で、よかったです」


 私はしばらく何も言えなかった。


 この子は本当に、こういうことを当たり前みたいに言う。


「……あなたは本当に、わかりやすいわね」

「レティシア様にはわかっていてほしいので」

「わかっているわよ」

「じゃあ、言葉にしてください」

「またそれを言う」

「言ってほしいです」


 私は少し視線を外してから、言った。


「……好きよ、アリシア。それでいいでしょ」

「最高です」

「大げさよ」

「最高です」


 アリシアがまた笑った。


 今日一番ちゃんとした笑顔だった。


 その後、二人で窓辺に並んで夕日が完全に沈むのを見た。


 アリシアがたまに話しかけてきて、私が答えて、また静かになる。そのリズムがもう自然だった。


「レティシア様、辺境っていつ頃行きますか」

「そうね、来年の春くらいかしら。色々整理してから」

「準備しておきます」

「何を準備するの」

「一緒に暮らすための準備です」

「同居するとは言っていないわよ」

「隣に家を建てます」

「勝手に建てないで」

「敷地内に小屋でもいいです」

「小屋もだめよ」

「毎日通います」

「どこから通るの」

「近くに部屋を借ります」


 この交渉には終わりがない。


「……一緒にいてもいいわよ」

「本当ですか」

「来年の春から、一緒に辺境で暮らしましょ。それでいいでしょ」


 アリシアが目を輝かせた。


「いいです、最高にいいです」

「大げさよ」

「大げさじゃないです」


 アリシアが私の手をそっと握ってきた。


 温かかった。


 私は振り払わなかった。


「レティシア様」

「なに」

「ずっと一緒にいます」

「知っているわよ」

「言いたかったので」

「知っているって言ったわ」

「それでも言いたいです」


 私はため息をついてから、手を握り返した。


「……わたくしも、よ」

「え、今なんて」

「聞こえていたでしょ」

「聞こえていましたが、もう一度」

「言わないわよ」

「聞こえていましたので大丈夫です、一生大事にします」

「大げさよ」

「大げさじゃないです」


 この押し問答は、たぶんこれからも続く。


 辺境に行っても続く。どこへ行っても続く。


 それが、悪くないと思っていた。


 窓の外はすっかり暗くなっていた。


 星がいくつか出ていた。


「レティシア様、来年の春が楽しみです」

「そうね」

「辺境、どんなところですか」

「静かなところよ。広くて、自然が多くて、王都よりずっと穏やか」

「素敵ですね」

「あなたが来れば騒がしくなるでしょうけれど」

「騒がしくします」

「わかっているわよ」


 アリシアがくすっと笑った。


 繋いだ手を少しだけ握り直した。


 悪役令嬢に転生した。破滅だけを考えていた。でもシナリオが変わって、ヒロインが庇ってくれて、気

づいたらここにいる。


 運命に決められた役でも、愛される未来は選べる。


 そんなことを、どこかで聞いた気がした。


 たぶん、本当のことだった。

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