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第四話 整理できたわ

 アリシアが転生者だと知ってから、一週間が経った。


 何かが変わったかというと、表面上はあまり変わっていなかった。


 毎朝来る。昼も来る。放課後も来る。


 ただ、話す内容が少し変わった。


 前世の話ができるようになった。ゲームの話ができるようになった。シナリオのこと、今後の展開のこ

と、そういうことを二人だけの言葉で話せるようになった。


 それが、思っていたより楽だった。


 今まで一人で抱えていたことを、知っている人間と話せる。それだけで、かなり違う。


 今日の昼休みも、アリシアが来た。


「レティシア様、聞いてください」

「なに」

「今朝、ハロルド殿下が廊下でアリシアに話しかけてきました」

「あなたのことをアリシアと呼ぶのをやめなさい、混乱するから」

「ごめんなさい。ハロルド殿下が、わたしに話しかけてきました」

「何を言われたの」

「例の証言について、調査が進んでいると。でたらめだった可能性が高いと」


 私はその言葉を飲み込んだ。


「つまり、断罪イベントは完全に回避できる方向に動いているということ?」

「そう思います。ハロルド殿下、調査はちゃんとやる人なので」

「ゲームでもそうだったわね」

「はい。真面目なところは本物です。婚約破棄の判断が軽率すぎるのが問題ですけど」

「まったくよ」


 私はため息をついた。


 ゲームのハロルドは、アリシアに肩入れするあまり判断が曇る場面が多かった。でも今回、アリシアがシナリオを変えたことで、ハロルドは冷静に動いているらしい。


「シナリオが変わると、攻略対象も変わるのね」

「そうみたいです。ゲームと全部同じではないので、わたしも手探りですけど」

「怖くないの、手探りで動くのが」

「怖いです。でもレティシア様がいるから大丈夫です」


 即答だった。


 私はサンドイッチを食べながら、少し考えた。


 アリシアはいつもそう言う。わたしがいるから、レティシア様がいるから、という言い方をする。お互いがいるから、という言い方をしない。


 それが何かを示している気がしていた。


「アリシア」

「はい」

「一つ聞いていい」

「どうぞ」

「先週、整理できたら言うと約束したでしょ」


 アリシアが少し目を丸くした。


「言いました」

「整理できたかもしれないから、聞いてほしいのだけれど」

「聞きます。全部聞きます」


 前のめりになった。椅子がずれた。


「落ち着きなさい」

「ごめんなさい、うれしくて」

「まだ何も言っていないわよ」

「でも言ってくれようとしてるので」


 この子の反応は毎回忙しいな、と思いながら、私は少し姿勢を整えた。


 言葉にするのは少し恥ずかしかった。でも、約束したから言う。


「あなたのことが、嫌いじゃない、というのはずっとそうだったわ」

「はい」

「困る、というのもずっとそうだった」

「はい」

「それが何かを、この一週間ずっと考えていたんだけれど」

「はい」

「……好きなのかもしれないわ」


 言い切ってから、少し顔が熱くなった。


 アリシアが固まった。


 今度は逆に即答じゃなかった。


「アリシア?」

「……今、なんとおっしゃいましたか」

「聞こえていたでしょ」

「聞こえていましたが、確認したくて」

「好きなのかもしれないって言ったわ。あなたのことが」


 アリシアがゆっくりと息を吸った。


「好き、というのは、どういう好きですか」

「どういう、って」

「友達として好きとか、妹みたいで好きとか、いろいろあるじゃないですか」

「……あなたが毎日来て、指輪を用意して、わたしのために動いているのと、同じ意味かもしれないわ」


 アリシアがまた固まった。

 今度は長かった。


「アリシア、固まらないで」

「固まります、今は」

「なんで」

「信じられなくて」

「信じなさい、本当のことだから」


 アリシアが少し深呼吸をした。


「レティシア様、一つ確認させてください」

「なに」

「恩返しだからとか、転生者仲間だからとか、そういう理由じゃなくて?」

「違うわ。この一ヶ月で、あなたがどういう子かわかってきた。わかってきたら、そばにいてほしいと思ってしまった。それが理由よ」


 アリシアが少し俯いた。


 肩が小さく揺れた。


「泣いているの」

「泣いてないです」

「泣いているわよ、見えているわよ」

「泣いてないです、目が潤んでいるだけです」

「それを泣いているというのよ」


 アリシアがハンカチで目元を押さえた。


「嬉しすぎます」

「そんなに嬉しいの」

「嬉しいです。ずっと待っていたので」

「待っていたのね」

「はい、ずっと」


 ずっと、か。


 この子は本当に、一直線にそこを向き続けていた。


「アリシア、一つ言っておくわ」

「はい」

「わたくし、素直じゃないのは自覚しているわ。あなたにそういう気持ちがあっても、素直に受け取れないことが多いと思う」

「知っています」

「知っているの」

「一ヶ月見てきたので。でも、それがレティシア様らしいので好きです」

「素直じゃないところが好きなの」

「はい。そういうところも全部含めて好きです」


 全部含めて、か。


 私は少し息を吐いた。


「……あなたは本当に、変わらないのね」

「レティシア様のことになると変わりません」

「それも知っているわ」

「じゃあわかってくれているじゃないですか」

「わかっているのと受け入れるのは別よ」

「受け入れてもらえますか」


 私は少し考えてから言った。


「受け入れているから、整理できたと言ったのよ」


 アリシアがまた目を潤ませた。


「また泣かないで」

「泣いてないです」

「目が光っているわよ」

「嬉しいんです」

「わかっているわよ」


 私は少し視線を外した。


 正直に言うと、こういう場面の経験がない。ゲームの悪役令嬢として生きてきて、感情をちゃんと表に出したことがなかった。出すと弱みになると思っていた。


 でもアリシアを前にすると、なぜか出てしまう。


「レティシア様」

「なに」

「これから、どうしますか」

「どうする、というのは」

「二人の話です。わたしはレティシア様のそばにいたいです。ずっと。それはもう言いましたけど」

「言ったわね」

「レティシア様は?」


 私は少し考えた。


 この世界で、悪役令嬢として生きてきた。破滅を回避することだけを考えていた。誰かとこういう話を

するなんて、思っていなかった。


「そばにいてもいいわよ」

「本当ですか」

「本当よ。ただし、条件があるわ」

「なんですか」

「毎日来るのは構わないけれど、わたくしの予定を無視して突然現れるのはやめなさい」

「できないかもしれないです」

「できなさい」

「努力します」

「努力でいいの」

「できるだけ努力します」


 この交渉は無駄だな、と思いながら、私は続けた。


「それから、過剰な贈り物はやめなさい。指輪一つで十分よ」

「レティシア様が喜んでくれたので続けたくなってしまって」

「喜んでいないわ」

「つけてきてくれてましたよね、毎日」

「それは、せっかくもらったからよ」

「それが喜んでいるということでは」


 論破されてしまった。


「……まあいいわ、次の条件よ」

「まだあるんですか」

「一つだけよ。わたくしが素直じゃないとき、拗ねないで待ちなさい」


 アリシアが少し首を傾けた。


「それはつまり、時間をかけて受け取れるようになる、ということですか」

「そういうことよ」

「待ちます。いくらでも」

「いくらでも、というのは少し困るけれど」

「じゃあ必要なだけ」

「それでいいわ」


 アリシアがまた笑った。


 今日一番ちゃんとした笑顔だった。

 その顔を見て、私は少しだけ、これでよかったと思った。


 放課後になった。


 今日は二人で図書室に行った。


 向かい合って座って、それぞれ本を読んだ。


 静かだった。


 図書室はいつも静かだけど、今日の静かさは少し違う感じがした。お互いのことをわかった上で、隣にいる、そういう静かさだった。


「レティシア様」

「なに、声が大きいわよ、図書室よ」

「ごめんなさい」


 アリシアが小声に切り替えた。


「一つ聞いていいですか」

「なに」

「これからシナリオがどう動くか、まだ不確定な部分がありますよね」

「そうね」

「もし最悪の場合、国外追放になったとしても」

「ならないように動いているわ」

「でも、もし」

「もしの話をしてどうするの」

「わたしはどこへでもついていくので、安心してほしくて」


 どこへでも、か。


 この子は前にも同じことを言っていた。


「あなたがついてきても、状況は変わらないわよ」

「一人じゃなくなります」

「それだけで十分なの?」

「十分です」


 即答だった。


 私は少し本を閉じた。


「アリシア、あなたにはゲームの知識がある。攻略対象を選べば、どのルートでも幸せになれるでしょ」

「そうですね」

「なんでそっちを選ばないの」

「選びたくないので」

「理由は」

「レティシア様と一緒にいたいので」


 また即答だった。


「それだけなの」

「それだけです。十分じゃないですか」

「十分かどうかを聞いているのよ、あなたに」

「十分です」


 アリシアがまっすぐ私を見た。


「ゲームのルートがどうとか、幸せになれるかどうかとか、そういう計算でレティシア様のそばにいたいわけじゃないので」

「計算じゃないなら何なの」

「好きだからです」


 本当にそれだけだった。


 計算も、損得もない。ただ好きだからそばにいる。そういうシンプルな話だった。


「……あなたは本当に、わかりやすいわね」

「レティシア様には全部わかってほしいので」

「わかっているわよ、十分に」


 アリシアが少し笑った。


「レティシア様も、わかりやすいですよ」

「わたくしが?」

「はい。素直じゃないって言いますけど、ちゃんと表情に出てます」

「出ていないわよ」

「出てます。さっきも、わかっているわよって言ったとき、少し嬉しそうな顔してました」

「していないわ」

「してました」

「していないったらしていないの」

「わかりました、していなかったことにします」

「そうしなさい」


 アリシアがまた笑った。


「レティシア様と話してると楽しいです」

「あなたは毎回そういうことを言うわね」

「毎回本当のことなので」

「わかっているわよ」


 私は本を開き直した。


 隣でアリシアも本を開いた。


 また静かになった。


 ページをめくる音だけがした。


 しばらくして、アリシアが小声で言った。


「レティシア様」

「なに」

「今日、ありがとうございました」

「何が」

「整理できたと言ってくれて」

「礼を言われるようなことじゃないわ」

「わたしには大事なことです」


 私は本から目を上げなかった。


「……どういたしまして」


 アリシアが何も言わなかった。


 気配で、笑っているのがわかった。


 図書室を出る頃には、外が夕方になっていた。


 並んで廊下を歩きながら、アリシアが言った。


「レティシア様、明日も来ていいですか」

「来るんでしょ、どうせ」

「来ます。でも聞きたくて」

「来てもいいわよ」

「やった」


 また飛び跳ねそうな返事だった。


「アリシア」

「はい」

「あなたがそばにいるなら、シナリオがどう動いても何とかなる気がするわ」


 言ってから、少し恥ずかしくなった。


 でも言ってしまったものは戻らない。


 アリシアが少し立ち止まった。


「今、すごくいいことを言ってもらいました」

「そうかしら」

「そうです。一生大事にします」

「大げさよ」

「大げさじゃないです」


 アリシアがにこっと笑った。


 夕方の光の中で、その笑顔がきれいだった。


 私はそれを見て、少しだけ目を細めてから、前を向いた。


 シナリオがどうなるかは、まだわからない。


 でも、隣にアリシアがいる。


 それだけで、悪役令嬢も悪くないかもしれない、とぼんやりと思い始めていた。

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