第三話 ヒロインの秘密
アリシアと関わるようになって、一ヶ月が経った。
毎朝来る。昼も来る。放課後も来る。
この頻度は一向に変わらなかった。
ただ、一つだけ変わったことがあった。
私が、待つようになっていた。
自覚したのは三日前だ。朝、教室に入る前に廊下で少し時間を使っていたら、アリシアが来た。いつも通り「おはようございます」と言いながら近づいてくるのを見て、ああ来たな、と思ったのと同時に、少しほっとした。
まずいな、と思った。
ゲームのヒロインに情が移ってきている。これは計画の外だ。
でも断れない。毎日来られると、もはや日課みたいになってしまっていて、いない方が変な感じがす
る。
今日も昼休みに来た。
「レティシア様、今日のお弁当です」
アリシアが小さな籠を差し出してきた。
「また作ってきたの」
「はい、昨日から仕込みました」
「昨日から」
「サンドイッチの具を一晩漬けると美味しいらしいので」
この子は私のためにどこまでやるんだろう。
籠の中を見ると、きれいに並んだサンドイッチと小さなフルーツが入っていた。彩りがよくて、手が込んでいる。
「ありがとう、いただくわ」
「やった」
向かいに座ったアリシアが自分の弁当を開き始めた。
食べながら、私はアリシアを観察した。
この一ヶ月で、アリシアのことはかなりわかってきた。
好きなものはハーブティーと本と、私。嫌いなものは虫と理不尽なこと。笑顔が多いけど、たまにふっと考え込むことがある。考え込むときは、少し遠くを見るような目をする。
その目が、今日も一瞬出た。
「アリシア」
「はい?」
「さっき、何か考えていたでしょ」
「え、わかりましたか」
「表情が変わるのよ、そういうとき」
アリシアが少し驚いた顔をした。
「よく見てるんですね」
「あなたが毎日来るから覚えてしまったのよ」
「うれしい」
「褒めていないわ」
アリシアが少し笑ってから、少しだけ真剣な目になった。
「レティシア様、一つお聞きしてもいいですか」
「なに」
「転生、という言葉を聞いたことはありますか」
私は手が止まった。
サンドイッチを持ったまま、固まった。
「……どういう意味かしら」
「別の世界から、この世界に生まれ変わること、という意味で使いました」
アリシアがまっすぐ私を見ていた。
私は頭が全力で回転し始めた。
転生。この子が転生という言葉を使った。この世界にそんな概念はないはずだ。異世界から来た人間が使う言葉だ。
「レティシア様、顔色が変わりました」
「……変わっていないわ」
「変わってます。動揺してる」
「していないわよ」
「レティシア様、わたし、転生者です」
静かに、でもはっきり言った。
私は少し間を置いてから言った。
「……それは、どういう意味かしら」
「前世の記憶があります。別の世界、日本という国で生きていた記憶が」
日本。
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが崩れた。
「アリシア」
「はい」
「あなた、日本語がわかる?」
日本語で言った。
アリシアがにこっと笑った。
「わかります」
日本語で返ってきた。
しばらく、二人とも黙っていた。
周りに人がいるから、普通に戻さないといけない。私は深呼吸してから、また普通の言葉に切り替えた。
「……あなたも転生者なの」
「はい。レティシア様も、ですよね」
「なんでわかったの」
「最初から様子がおかしかったので。断罪イベントのとき、混乱してる顔をしてました。シナリオを知ってる人間の顔だと思って」
断罪イベントのとき、か。あの場でそんなことまで観察していたのか。
「ゲームを知っているのね」
「はい。聖女の約束、ですよね。前世でよく遊んでいました」
「わたくしもよ」
「知ってます」
「なんで知っているの」
「前世で、会ったことがあるので」
私は首を傾けた。
「会ったことがある? 前世で、日本で?」
「はい」
アリシアが少し手を膝の上で組んだ。
「前世でのわたし、少し不登校気味だったんです。クラスになじめなくて、一人でいることが多くて」
「そう」
「あるとき、公園で泣いていたら、声をかけてくれた人がいて」
私はアリシアを見た。
「その人が、レティシア様の前世の人でした」
しん、と静まり返った気がした。
私は前世の記憶を探った。
覚えていない。公園で誰かに声をかけた記憶は、正直あまりはっきりしていない。でも、知らない子が泣いていたら声をかけるくらいはやりそうだ。
「覚えていないかもしれませんね」
アリシアが静かに言った。
「声をかけてくれて、少し話して、それだけだったと思います。でも、わたしにはすごく大事な記憶で」
「それだけで、ここまで」
「それだけじゃないです。その後もいろんな場面で助けてもらいました。直接じゃなくても、レティシア様の前世の人が書いたもの、作ったもの、それがわたしの支えになっていたので」
私は少し俯いた。
そんなことがあったとは知らなかった。
「だから、この世界でもレティシア様を助けたかったんです」
「助けたかった、って、断罪イベントで庇ったのも」
「はい。ゲーム知識があるから、何が起きるかわかってました。シナリオを変えるために動いていました」
「一人で?」
「はい。ゲームの攻略も全ルートやってたので、誰が何をするか大体わかって。証言を集めた人間の目星もついていたので、事前に動いておきました」
私はしばらく言葉が出なかった。
この子は一人でシナリオを変えようとしていた。私のために。
「なんで最初から言わなかったの」
「怖かったので」
「怖かった?」
「いきなり転生者だと名乗って、信じてもらえるかどうかわからなくて。それに、レティシア様がわたしを信用してくれるかどうかも」
「だから毎日来ていたの」
「信用してもらえるまで、一緒にいようと思って」
アリシアがまっすぐ私を見た。
「今は、信用してもらえてますか」
私は少し考えた。
転生者だと言われた。前世で関わりがあったと言われた。シナリオを変えるために動いていたと言われた。
全部、今この瞬間に言われたことだ。
でもこの一ヶ月で見てきたアリシアは、嘘をつく子じゃなかった。計算が見えなかった。まっすぐすぎるくらいまっすぐで、好意に裏がなかった。
「信用するわ」
「本当ですか」
「あなたが嘘をつく子じゃないのは、一ヶ月見てきたからわかるわ」
アリシアが少し、目を潤ませた。
「泣かないでよ、人が見てるわよ」
「ごめんなさい、うれしくて」
「まったく」
私はため息をついてから、続けた。
「一つ聞いていいかしら」
「なんですか」
「シナリオを変えるために動いたというのはわかった。でも、それだけじゃないでしょ」
「え」
「毎日来て、手紙を送って、指輪を用意して。それは破滅回避のためじゃないでしょ」
アリシアが少し間を置いた。
「そうですね」
「本当の理由を言いなさい」
「前世でお世話になったから、この世界では恩返しをしたかったのは本当です。でも」
アリシアが私を見た。
「この世界のレティシア様のことも、好きになってしまったので」
判定でも何でもないけど、嘘じゃないとわかった。
「この一ヶ月、一緒にいて、もっと好きになりました。だから毎日来てしまいます」
「自覚はあるのね」
「あります。迷惑でしたか」
「迷惑というより」
私は少し考えてから言った。
「困ったわ、という感じね」
「困った」
「あなたのことが嫌いになれないから、困っているの」
アリシアが少し目を丸くした。
「それは、嫌いじゃないということですか」
「そういうことになるわね」
「じゃあ、どういうことですか」
「まだわからないわ。整理できていないので」
アリシアが少し考えてから、にこっと笑った。
「整理できたら、教えてもらえますか」
「考えておくわ」
「はい。待ちます」
「待つの速攻で言うのね」
「待ちたいので」
またその即答だ。
私はため息をついてから、サンドイッチの続きを食べた。
アリシアも弁当を食べ始めた。
しばらく無言で食べた。
でも、いつもと違う沈黙だった。いつもより少し、密度があった。
「アリシア」
「はい」
「前世で、わたくしの前世の人に声をかけてもらったとき、何を話したの」
「覚えてますか、やっぱり」
「覚えていないわ。だから聞いているの」
「公園のベンチで泣いてたら、隣に来て、ハンカチを渡してくれて。それでなんで泣いてるのって聞いてくれて」
「それで、答えたの?」
「答えました。クラスになじめないって、友達ができないって、みんな普通にできることが自分にはできないって」
「そしたら?」
「普通ってなんだろうね、って言ってくれて」
私は少し考えた。
「それだけ?」
「それだけです。でも、それが刺さったんです。普通にできないことを悩んでいたのに、普通ってなんだろうって言われて、少し楽になった気がして」
普通ってなんだろう、か。
私が言いそうなことだな、と思った。覚えていないけど、言いそうだと思った。
「大したことを言っていないわね」
「大したことですよ、わたしには」
「そう」
「レティシア様は、そういうことを自然に言える人なので、好きです」
また好きと言った。
「この一ヶ月でも、何回かありました。さりげなく人を助けていて、でも大したことじゃないみたいな顔をしていて、そういうところが好きです」
「あなたはよく見ているわね」
「レティシア様のことは全部見たいので」
全部見たい。また重いことをさらっと言う。
「アリシア、一つだけ言うわ」
「はい」
「シナリオが変わって、今後どうなるかわからない。ハロルドの調査がどう動くか、追放が本当に回避できるかどうかも、まだわからないわ」
「わかってます」
「わかっていて、それでもそばにいるの」
「いたいです」
「危ないかもしれないわよ。わたくしに関わると」
「関わりたいです」
即答だった。
何があっても変わらないんだろうな、と思った。
「……あなたは本当に、変わらないのね」
「レティシア様のことに関しては変わりません」
「頑固なのね」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
なんで嬉しいんだ。
でも、少し笑ってしまった。
アリシアが私が笑ったのを見て、目を輝かせた。
「今、笑いましたね」
「笑ってないわ」
「笑いました」
「笑ってない」
「見ました、ちゃんと」
この押し問答も、気づいたら慣れてきていた。
困ったな、と思った。
本当に困っていた。嫌いになれない。追い払えない。むしろ毎朝来るのを待っている。
それが何なのかは、まだ整理できていなかった。
でも、整理できたら言うと約束した。
アリシアが待つと言った。
待たせることになるかもしれないけど、ちゃんと整理しなければいけない気がした。




