第一話 予定と違うのだけれど
私の名前はレティシア・エルフォード。
公爵令嬢で、王子の婚約者で、この国で一番権力を持っている十七歳だ。
そして前世の記憶によれば、乙女ゲーム「聖女の約束」の悪役令嬢である。
転生したと気づいたのは五歳の頃だった。鏡を見たら金髪縦ロールの美少女が映っていて、三秒後に前世で遊んでいたゲームのキャラクターだと気づいた。それから十二年、私は破滅回避のためだけに生きてきたといっても過言ではない。
ゲームのシナリオは単純だ。
悪役令嬢レティシアが聖女アリシアにいじめを繰り返す。耐えかねた攻略対象の王子が婚約破棄を宣言。国外追放のうえ、家も没落。エンドロール。
そうはなりたくない。
だから私はこの十二年間、アリシアに関わらないようにしてきた。いじめをしなければ、断罪される理
由もない。シナリオを動かさなければ、破滅もない。完璧な計画だ。
完璧な計画だったのに。
問題は今日、起きた。
学園の中庭、昼過ぎ。
いつも通り友人たちとお茶を飲んでいた私の前に、王子殿下が現れた。ハロルド王子。攻略対象その一。金髪碧眼のいかにも主人公格のお顔をした御方だ。
そのハロルドが、取り巻きを三人連れて、神妙な顔で私の前に立った。
ああ、来たな、と思った。
断罪イベントだ。
でもおかしい。私はアリシアに何もしていない。シナリオが動くはずがない。
「レティシア嬢。話がある」
真剣な顔だった。
私は内心で冷や汗をかきながら、表面はいつも通りのお嬢様スマイルを維持した。
「なんでしょう、ハロルド殿下」
「単刀直入に言う。君の、アリシア・フェインへの行いについてだ」
やっぱりか。
でもなんで。私は何もしていないのに。
「アリシア・フェインへの行い、とは?」
「白々しい。君が彼女を廊下で突き飛ばしたこと、食事に異物を混入させたこと、手紙で脅したこと。証言が集まっている」
していない。
全部していない。
私はこの十二年間、アリシアに近づかないようにしてきた。突き飛ばすどころか、廊下ですれ違っても
会釈だけして立ち去っていた。
「わたくし、そのような行いは一切」
「言い訳は聞きたくない。証人も揃っている。レティシア・エルフォード、婚約を破棄す――」
「待ってください!」
遮る声がした。
高くて、澄んでいて、聞き覚えのある声だった。
人垣を割って前に出てきたのは、銀髪の少女だった。
アリシア・フェインだ。
ゲームのヒロイン。清楚系聖女。攻略対象全員が惚れる、この世界の主人公。
そのアリシアが、私の前に立った。
私とハロルドの間に、割り込む形で。
「ハロルド殿下、その証言は全部嘘です」
アリシアがまっすぐハロルドを見て言った。
「レティシア様はわたしに何もしていません。廊下で突き飛ばしたのも、食事に異物を入れたのも、手紙を送ったのも、全部でたらめです。わたしが証言します」
しん、と静まり返った。
私も静まり返った。
え、なんで。
「アリシア、それは本当か。君が脅されているというのであれば」
「脅されていません。本当のことを言っています。レティシア様は廊下で会うたびに会釈をしてくださいます。食事も一度も同席したことがありません。手紙は一通も届いていません」
全部、本当のことだった。
私が十二年間やってきたことを、アリシアが全部証言してくれていた。
「証言者たちが嘘をついているということか」
「はい。誰かがでたらめの証言を集めたのだと思います。ハロルド殿下、どうかレティシア様を信じてあげてください」
ハロルドが眉を寄せた。
取り巻き三人がざわついた。
私は頭が全力で回転していた。
なぜこうなっているのか。ゲームでは、アリシアはこの場に来ない。証言もしない。断罪イベントはもっとシンプルに進む。なのに今、ヒロインが私を庇っている。
シナリオから完全に外れた。
ハロルドが少し考えてから言った。
「……証言の信憑性について、改めて調査が必要だな。レティシア嬢、今日のところは保留とする」
「殿下のご賢明なご判断に感謝いたしますわ」
笑顔で言った。内心は全然笑えていなかった。
ハロルドたちが去った。
中庭に残ったのは私とアリシアだ。
アリシアが振り返った。
満面の笑みだった。
「よかったです、間に合いました!」
「……アリシア・フェイン」
「はい!」
「なぜ庇ったの」
「だってレティシア様は何もしてないじゃないですか」
「それは、そうだけれど」
「それだけで十分じゃないですか」
十分かどうかはさておき、この子は何者なんだろう。ゲームのヒロインが私を庇う展開は、どのルートにも存在しなかった。
「一つ聞いてもいいかしら」
「なんですか?」
「あなた、本当に聖女アリシア・フェインよね」
「そうですよ。あ、自己紹介が遅れました。アリシア・フェインです。よろしくお願いします、レティシア様!」
深々とお辞儀をした。
この子は何もかもが予定と違った。
私はため息を一つついてから、なんとか笑顔を作った。
「……よろしく、アリシア」
アリシアが顔を上げた。
目がきらきらしていた。犬で言えばしっぽを振っているような顔だ。
「名前で呼んでくれた!」
「普通のことでしょう」
「普通じゃないです、すごくうれしいです」
この子は感情表現が忙しいな、と思った。
翌日から、アリシアが毎日来るようになった。
朝、教室に来ると自分の席に戻る前に私のところへ寄る。昼休みはお弁当を持ってくる。放課後は校門の前で待っている。
「アリシア」
「はい!」
「あなた、友人はいないの?」
「います。でもレティシア様のところに来たいので」
「わたくしを優先するの?」
「はい」
即答だった。
何も考えていない顔で言う。
ゲームでのアリシアは控えめで、攻略対象に囲まれながらもふわふわ迷っているキャラクターだった。こんなに一直線な子じゃなかったはずだ。
「なぜそこまで懐くの」
「好きだからです」
「……好き」
「はい、レティシア様のことが大好きです」
また即答だった。
私は少し頭を抱えたくなった。
三日目に手紙が来た。
封筒を開けると、丁寧な字で「今日もお会いできるのを楽しみにしています」と書いてあった。便箋に小さな花の絵が描いてあって、可愛らしいといえば可愛らしかった。
五日目にお菓子が来た。
焼き菓子の詰め合わせで、「自分で作りました」と一言添えてあった。食べたら普通においしかった。
一週間後、アリシアが言った。
「レティシア様、お茶会を開かせていただいてもよいですか」
「お茶会?」
「はい。二人で、こじんまりとした」
「構わないけれど、なんで?」
「一緒にいたいので」
また即答だった。
お茶会は翌日に行われた。アリシアが全部準備した。テーブルクロスから花の飾りつけまで、趣味がよかった。
「アリシア、これ全部あなたが?」
「はい。レティシア様が来てくださると思って、昨日から準備しました」
「昨日から」
「はい。花は今朝摘んできました」
「今朝、摘んできた」
「早起きしました」
この子は私のためにどこまでやるんだろう。
お茶を飲みながら、私はアリシアを観察した。
対面に座って、うれしそうにしている。お茶を飲むたびにこちらを見てくる。なんか、ずっと見ている。
「アリシア、なぜそんなにじっと見るの」
「レティシア様のお顔が好きで」
「……ありがとう」
「お礼を言われるとは思いませんでした、うれしいです」
「普通言うでしょ、そういうとき」
「レティシア様、思ったより素直ですね」
「失礼ね」
「褒めてます」
アリシアがにこっと笑った。
この笑顔がゲームで人気だったのはわかる。きれいで、明るくて、こちらまで引っ張られそうになる。
でも私には関係のないことだ。
ゲームのヒロインと仲良くなることは、破滅回避の計画に入っていない。
「アリシア、一つ言っておくわ」
「はい」
「わたくしは悪役令嬢よ。あなたが好意を向けるような相手じゃない」
「そんなことないと思います」
「あるの。わたくしは高飛車で意地悪で、周囲から嫌われてもいい立場にいる。あなたが関わっても得はないわ」
アリシアが少し笑顔のままで、でも真剣な目になった。
「レティシア様が高飛車で意地悪なら、昨日廊下で下級生が落とした本を拾ってあげたのはなぜですか」
「……見ていたの」
「見てました。その前の日も、食堂で席がなかった子に自分の隣を勧めていました」
「見すぎでしょう」
「見たいんだから仕方ないです」
この子は本当に忙しいな、と思った。観察力がすごい。
「それが悪役令嬢のすることかしら」
「悪役令嬢じゃないと思います、レティシア様は」
「そう決めるのはあなたじゃないでしょ」
「じゃあ誰が決めるんですか」
私が、と言おうとして、止まった。
決めるのは私じゃない。ゲームのシナリオが決めていた。でもそのシナリオは昨日からもう外れている。
「……わからないわ、今は」
「わからなくていいと思います。わたしがいますから」
アリシアが、何でもないことみたいに言った。
わたしがいますから、という言葉が、何か引っかかった。
「あなたがいても、何も変わらないでしょ」
「変わりますよ。わたしがずっとそばにいたいので」
「ずっと?」
「はい、ずっと」
また即答だった。
この子は一体何者なんだろう。
断罪イベントでヒロインが私を庇って、そのまま毎日来る。予定と違いすぎて、何が起きているのか全然わからない。
でも、不思議と嫌ではなかった。
それが一番、わからないことだった。




