51話 お互いの約束
アルウィンと恋人になる、そう約束を交わしたあの日から数日が過ぎた。
この数日間、アルウィンは、毎朝セレスティナを迎えに来てくれていたし、当たり前のように帰りもミュラー家まで送ってくれる。
「そのリボン、よく似合ってる。元の髪色にもきっと合うよ。毎日同じだとティナも飽きてしまうだろうから、そのうち別のものも買いに行こう」
笑顔を見せながら、馬車の中で隣に座るアルウィンが、セレスティナの茶色い髪に触れると、セレスティナはほんの少し肩を揺らしてから、瞳を伏せ気味にするのだった。
セレスティナの髪には、街歩きの時にアルウィンから贈られた、彼の瞳と同じ緑色のリボンが結ばれている。毎日このリボンを結んでいるので、セレスティナは毎朝アルウィンからこのリボンの色がよく似合っていると言われていた。
少し髪に触れるくらい、仲の良い婚約者同士ならよくある事だが、異性との触れ合いに慣れていないセレスティナは、これだけでも緊張をしてしまう。セレスティナの中で例外的なのは、幼い頃にしていて慣れていた、彼と手を繋ぐ事だけだった。自分たちは恋人同士だと思うと、優しく髪に触れられる事は彼を異性として意識してしまう。
そしてそんなセレスティナを見て、アルウィンは柔らかく瞳を細めるのだった。
「レーデンに来て、こんなにかわいいティナを毎日見れるなんて思わなかったよ。来てよかった」
学園に着いて馬車を降りると、アルウィンは恥じらう様子も見せずにセレスティナの手を引いて貴族科の校舎の方へ向かう。恋人になると約束をするまでは、並んで歩いても間を少し空けていたのに、約束をしてからは並んで歩く距離が格段に違っていて、今朝は彼の方から積極的に手を繋いできたのだった。慣れない事はセレスティナで戸惑いとなり、緊張を生む。
「待って、人も多いし、学院で手を繋ぐのはやっぱり恥ずかしいわ」
セレスティナは懇願するようにアルウィンに訴えるが、アルウィンは笑顔を崩さない。
「俺たちは恋人同士なのだから、その件は却下だよティナ。それに昔はこうやってよくキミの手を引いてお互いの家の庭を散策しただろう?」
ばっさりとそう言うと、アルウィンは繋いだ手をしっかりと握り直すのだった。
学院の制服を着ていても彼は二歳年上で、三年以上も騎士として働いてきている。学生のような脇の甘さや隙はなく、行動力がある上に譲らないところは譲らないのだとセレスティナは悟った。
「わかりましたわ。……約束ですもの」
爽やかな笑顔を見せながら機嫌が良さそうなアルウィンとは違い、セレスティナは恥ずかしさから下を向いてしまう。
アルウィンは公爵令息で、常に人に見られる事を意識する癖が身に付いている。背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見る佇まいは、ダークブロンドの髪と緑色の瞳とも相まって、高位貴族らしい雰囲気を感じさせた。
それはこの夏セレスティナが母親から常に言われていた事で、領地に籠って社交をしてこなかったセレスティナは、まだ彼のように自然にそれが出来るようにはなっていなかった。
登校時間なので周りに生徒は多い。男女で歩いていると、それなりに目に付く。ひとりでいてもアルウィンは背が高くて、人目に付きやすいので、下を向いていても自分たちが好奇の目で見られている事をセレスティナは肌で感じていた。
不躾な視線を向けられる事はないが、これまで目立つ事を極力避けてきたセレスティナにとっては、耐えがたい状況でもあった。
「アル……、私たち見られているわ」
「ティナ、帝国に帰ったらしばらくは注目されるのだから、今のうちに慣れておいた方がいい。それに数日もすればみんな慣れるよ」
夏の間、帝都で多少は社交をこなしたが、それでも深窓の令嬢であったセレスティナは、社交界ではまだ珍しい存在だった。あの時は自分が侯爵令嬢として社交をするのだと割り切っていた。しかし、ここでのセレスティナは子爵家に居候している目立たない平民という扱いなのだ。心構えがまだ出来ていなかった。
この朝の手繋ぎによって、留学生であるアルウィンとそのお世話係をしていたセレスティナが付き合い始めたという噂は貴族科の同級生の間で広がっていった。
そして学院の敷地にいる以上、たまたま通りかかった騎士科の生徒たちにもアルウィンと手を繋いで歩くセレスティナの姿は見られていたのだった。
◆◆◆
恋人になると約束した通りにアルウィンは振る舞う。手を繋ぐ事は当たり前で、愛おしそうな表情でセレスティナをじっと見つめるのだ。会話が途切れた際に、ふとアルウィンを見ると、そういう時の彼は、必ずと言っていいほどセレスティナを見ている。
アルウィンは、あれだけ毎日読書をしていたというのに、彼が読んでいた本は鞄に仕舞われたままだった。
彼は今、セレスティナを構う事に忙しかった。
「適切な距離を」とセレスティナは訴えたかったが、髪に触れるのはふたりだけの時だけだし、それ以上の過度な触れ合いをすることもない。
話している内容もクロイツ領の事や子どもの頃にあった事、帝都での学院の事といった、健全な話題ばかりだった。
ただ常にアルウィンの緑色の瞳がセレスティナへ釘付けになっていて、彼の瞳はセレスティナが大好きだと、雄弁に語っていた。
そんなふたりの変化は、クラスメイトたちも気付かれている。帝国語を話しているから、会話の内容は分からなくても、ふたりの間に流れる空気が以前よりも密度を増して、ただのクラスメイトからかなり親密なものへ変わった事は明らかだった。
「お天気も良いですし、今日は外へ行きましょう」
昼食の時間、教室の中でセレスティナが食べている途中のサンドイッチを食べたいとまで言われ、ついにセレスティナの緊張は限界を迎えてしまう。
恋人同士になる事を了承はしたが、セレスティナは恋人同士が具体的にどのような事をするのかを知らなかった。
片思いしか経験のないセレスティナは、アルウィンと恋人として付き合っても、一緒にどこかへ出掛けるくらいしか考えていなかった。慣れない事ばかりに疲れたセレスティナは、人目の無い所へ行き、一度落ち着きたかった。
「ちょっと待っていて」
アルウィンは自分の鞄の中から数冊の帳面と一冊の本を取り出してから立ち上がると、セレスティナには本を持っていない方の右手を差し出した。
セレスティナはアルウィンに手を引かれながら廊下へ出る。
昔こうやって手を繋いでいたと言われても、それはセレスティナが小さな頃の話だ。兄のような存在だったアルウィンにセレスティナはよく懐いていて、父親の休暇で帝国に帰る時はアルウィンに会える事をいつも楽しみにしていた。
あの事件が起こらなければ、セレスティナはいつかアルウィンに恋をしたのだろうか?
そんな事を考えながら、貴族科の校舎を出てほとんど人のいない北校舎の方へ向かう。北校舎の裏には木が多く植えられていて木陰が多い。
ちょうど良さそうな場所にベンチを見つけたので、アルウィンは自分のハンカチをベンチの上に広げてセレスティナを座らせる。そして先ほど教室から持ってきた数冊の帳面をセレスティナに差し出してきた。
「これ、約束だったから」
「約束? えっ、まさか!?」
アルウィンとの約束といって、思い当たる事はひとつしかなかった。
「……もう、隠す必要がなくなったから」
先ほどまでの爽やかな彼とは違い、ぼそぼそと不器用そうにそれだけ言ったアルウィンは、セレスティナの隣へ座ると、持ってきた本を読み始めるのだった。
自分より大人に見えていたアルウィンが、急に幼く見え出した事に驚きながら、セレスティナが帳面を開く。
帳面にはアルウィンが作った、髪と瞳の色を変え事が出来る魔道具であり、今もセレスティナの手首にある、この腕輪を作るためのアイデアが、彼の字で書かれてあった。
セレスティナがデビューした時の夜会で、腕輪を作った時に書いた帳面を見たいとお願いして断られたのだが、彼はあの夜会での約束を果たすために、見せる事をあんなに嫌がっていた帳面を、セレスティナのために持ってきてくれた。
しかし、覚悟を決めても帳面を見せる事には、彼の中で多少の抵抗が残っているようで、アルウィンは僅かに頬を赤くしながら、さっきまでとは違い、少しもセレスティナと目を合わせようとはしなくなってしまった。
こちらを見ようとしないアルウィンの様子に、セレスティナは母親が話していた、セレスティナの話題を出すと彼の表情が崩れるという話を思い出していた。
彼に振り回されてばかりいたと思っていたが、自分も彼を振り回していたのかと思うと、セレスティナは何だか可笑しくなってしまった。
「ふふふ……」
小さく忍び笑いを漏らしながら、セレスティナは表紙の隅に書かれてある〝1〟と書かれた帳面を開く。
そこにはセレスティナの知らないいくつかの魔法式と、走り書きのようなメモが書かれてあり、次のページには指輪の絵が描かれてあった。メモにはどのような魔道具を作るのかという事と、〝頑張るぞ〟という文字が書かれてあった。
どうやら最初の頃は腕輪ではなく、指輪やネックレスといった形のものを想定していたらしく、ロケット型のペンダントや指輪の内側に魔法式を刻もうとしていた事が図面で記されていた。そして余白と思われるページの右下には〝ティナに喜んでもらう!〟と力強く書かれてあった。
「……まあ」
帳面の中に自分の名前を見たセレスティナは驚きの声を漏らす。
更にページをめくると、指輪の寸法と最初のページに書かれていたものとは違う魔法式のアイデアが見開きでたくさん書かれてあり、左側のページの上の方には〝俺がティナを元気にする〟と魔法式とは全く関係のない言葉が書かれてあるのだった。
セレスティナがさらにページをめくっていくと〝ティナが笑顔になりますように〟〝一緒にまた庭を歩きたい〟〝ティナはきっと喜んでくれる〟〝頑張れ! ティナ!〟といった文章がページのどこかに必ず書かれてあった。
「アルウィン、これは……?」
この帳面には、十四歳だったアルウィンのセレスティナへの真っ直ぐな想いが、ページ毎にたくさん綴られていた。
この頃のアルウィンの文字は今よりもずっと伸びやかで、バランスも良くなかった。だからなのか、書いてある言葉のひとつひとつから当時の彼の気持ちや、一生懸命さや力強さが感じられて、セレスティナの胸を大きく打つのだった。
「一から魔道具を作るのは行き詰る事も多くて、それなりに大変だったんだ。だから途中で諦めないように、自分の思いや決意を空いているスペースに書いていたんだ」
アルウィンは相変わらずセレスティナを見ずに、北校舎の方を見たまま答える。彼はきっと、当時の自分の気持ちをセレスティナに見られる事が恥ずかしくて、あんなにもこの帳面を見せる事を拒んでいたのだ。
自分はこんなに長い間、強く想われていた。
子どもの頃から好きだったのだと、そう言われたから知ってはいたが、帳面を見た事で真摯な彼の想いがかつての自分の姿と重なってしまい、セレスティナはアルウィンの気持ちに共感をしてしまった。
一途にヒューゴを想い続けていたからセレスティナも分かるのだ。彼の想いの強さや、その想いからくる喜びや悲しみといった感情が彼の中でも渦巻いていた事を。
それはセレスティナにとって衝撃的な事だった。今さらながら気付いた、彼の想いの濃さと大きさに、セレスティナの胸が少しずつ騒めき始める。
セレスティナは自分の胸から響いてくる鼓動が速くなるのを感じながら、過去の思い出を手繰り寄せて、彼がこの腕輪を渡してくれたあの日に思いを馳せるのだった。




